2001年5月12日(2002年9月30日改訂)
by gonza
ソクーロフ監督の新作映画「Телец」(牡牛座)レポート
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モスクワの映画館の看板 |
5月4日より、モスクワでアレクサンドル・ソクーロフ監督の新作「Телец(ティリェツ)」(牡牛座)が、やっと一般の映画館で(細々と)公開されました。2001年のカンヌ映画祭の一般コンクール作品に早々とノミネートされ(ノミネートされた唯一のロシア映画です)、その後ペテルブルクで試写されたのが、恐らく2001年2月1日だったと思います。しかし、その後いつまでたっても公開されない。3月になっていきなりビデオが発売されてしまいました。いままで全然映画館では上映されていなかったのです。
それで勇んで出かけた映画館ですが・・・ガラガラでした(涙)。観客も、ちょっと見たところ、なんとなくインテリな雰囲気が伝わってくる人が多かったです。
私はソクーロフの映画は映画館で観ることにしています。闇と灰色と人物像のぎりぎり境目の色とか、フィルムのぎりぎりの特性を屈指して撮られるソクーロフの映像は、階調表現が苦手なビデオの映像で観ると飛んでしまってなにがなんやら見分けがつかなくなってしまいます。タルコフスキー作品の絵も同じような傾向がありますが、ソクローフのほうがこの現象は激しいようです。また、ソクーロフの作品はストーリーを追うよりも、映画独自の雰囲気を「感じる」映画だと思うのです。よく注意すると映像だけでなく、音響面でもすごく凝ったつくりこみがされていることが分かります。ソクーロフの世界に浸るには映画館で見たほうがいいというのが私の持論です(といいながら、ビデオを勧めていてごめんなさい)。
新作「ティリェツ」では、緑多きレーニン丘(ゴールキ・レーニンスキエ)の屋敷と庭園で暮らす晩年(死の数ヶ月前)レーニンの生活が淡々と描かれています。政治の話はほとんどでてきません。この映画の中でレーニンは英雄どころか、人間でなくなりつつある(死んでいく/狂っていく)「病人」として描かれています。
ナジエジュダ・クルプスカーヤ(妻)とウラジミール・レーニン |
1922年の夏、レーニンはすでに政治の表舞台から離れ、モスクワ郊外の屋敷(ゴールキ・レーニンスキエ)で療養生活を送っています。彼の周りには医者達や看護師、警備が絶えず付き添っています。痴呆が進み身体もいうことをきかなくなってきているものの、床につくほどには弱ってはおらず、時に極端な感情の高ぶりを見せたりします。
医者の診断中、半身が麻痺しているレーニンは自分の指で自分の鼻を押さえることさえできません。レーニンは裸にされ、看護士に風呂に入れてもらい、服を着せてもらいます。途中、だだをこねて周りをてこずらせてしまいます。若い看護士がときおり見せるしぐさ(タオルをぞんざいにレーニンにかぶせるなど)から、周りもレーニンに手を焼き、軽蔑さえしていることが感じられます。
マリヤ・イリニーチナは、兄、レーニンが自殺を考えていることを知っている。 |
レーニンのそばには、年老いた妻(ナジエジュダ・クルプスカーヤ)が絶えず付き添い世話をしています。しかし妻は愛の気持というよりも、義務感から彼に奉仕しているようです。が、夫と妻の間には不思議な結びつきがあるようです。警備に付き添われてレーニンと妻は近くの林に車に乗ってピクニックに出掛けます。警備がぴりぴりと見張りを続ける中、レーニンと妻は草木の間に腰掛けて話し合います。霧のかかったようなソフトな緑の草原、警官たちの緊張した顔、妻とのゆっくりとした会話、つまずいて転ぶレーニン・・・現実から切り離された美しい閉鎖世界の中で、ゆっくりと、しかし確実に時は刻まれていきます。
レーニン丘に黒塗りのロールスロイスに乗ったスターリンがやってきて、レーニンと話をします。スターリンはただいらいらするばかりで、すぐ帰ってしまいます。食事の席でレーニンは激怒して、食卓をめちゃくちゃにし、ピアノを壊します。周りはたくさんのタオルをレーニンにかぶせて、狂ったレーニンをなだめます。まるで逃げた飼い鳥を捕まえるように・・・・。
この映画は(歴史人物?)「4部作」の第二作目です。第一作目「モレク神」(Молох)では、ヒットラーの死の数ヶ月前を描いたのに対して、今回は死の直前のレーニンが描写されます。つまり同様のコンセプトが貫かれています。
それに関して、ロシア版「プレミア」(映画雑誌)に面白い比較がなされていました。
記事によると、
「「モレク神」も「牡牛座」も路線は同じであり、そこに示されるのは繰り返されるリフレインである。昼食のシーンしかり、ピクニックのシーンしかり・・。しかし、「モレク神」の舞台が、冷たく湿った空間であったのに対して、「牡牛座」の空間にはまだ人間の温かさが保たれている・・・食べ物とか薬の臭いさえする。」
そういう意味で
「「牡牛座」は、同じように「生と死の境界」にいる人間を描いた8年前のソクーロフの作品「ストーン」(Камень)を思い起こさせるが、主人公たちのベクトルはまったく別の方向を向いている・・・つまり、レーニンが死の世界に落ちていこうとしているのに対して、「ストーン」のチェーホフ(作家)はこの世に戻って来ようとしている・・・」
確かに、「牡牛座」は「モレク神」にくらべて柔らかい、暖かい雰囲気がしましたし、そういう視座から見ると、一連のソクーロフ作品の一貫したテーマが見えてくるような気がします。
どうやら、もうこの世のものではない、かといってまだあの世のものでもない「境界世界」を撮るということに監督の興味はあるようです。
(同記事によると、右手が無感覚になったレーニンは、「境界」のメタファーだそうです)。
新聞記事のインタビューによると、ソクーロフは、「特徴的な人物を題材にして、観客を「普遍的人物の運命」に近づける」と言っています。
ちなみにレーニン役の俳優アレクサンドル・モズガボイは、「モレク神」のヒットラーと、「ストーン」のチェーホフを演じた人です。
こんな事を書くと、監督やファンのひとに怒られると思います(ごめんなさい)が、実は私はソクーロフの映画を見ているとき、よく寝てしまいます。彼の映画は動きが少なく、ゆっくりしていて、映像も音響効果も、ロシア語の響きも心地よく、不覚にもついうとうとしてしまうのです。なにしろある映画などは、画面のおじいさんの顔がアップで10分ぐらいそのまま止まったままなのです(そのぐらい長く思われる。映写機が故障しているのではない)。「あっ、しまった」と思って目を覚ましても映画は実にゆっくりと続いていて、ストーリー(といってもあまりないですが)把握上別に問題なかったりします。
東京で働いていたときは、忙しさや人間関係のごたごたや将来への不安などで、疲れてしまったことがありました。そんなとき、仕事帰りに銀座へ、ソクローフの2本立てを見にいきました。映画を見ている間、ぼんやりとあれこれ自分自身のことや人生について思いをめぐらせてみたり、心地よい眠りに落ちたりしました。そして映画が終わって映画館を出ると、なにかすっきりしたような、ふっきれたような新鮮な気持ちが湧いてきたのです。
ソクーロフの映画はヒーリング的な効果があるのかもしれません。それは、彼の映画が人間の究極の終着点、どんな人生の問題で悩んでいても人が必ず行き着く安らぎの場所 − 死 − を正面からあつかっていることと関係があるのかもしれません。
別のソクローフのインタビュー記事には、監督の製作活動の目的は「人の死にむけての準備」である、と書かれていました。
(そういう意味では、映画見てる最中、映画館でうっかり「死んだように」眠ってしまっても、それはそれで監督の意に添っている(?)ともいえます)。
モスクワでソクーロフの映画を見ている間、私は寝ませんでした。筋が比較的シンプルで話に入っていきやすかったこともありますが、モスクワでは(特に外出中は)常に緊張しているからかもしれません。しかし同じようなソクーロフ世界の雰囲気の心時良さは感じることができました。
鏡に映ったような微妙にねじれたり、霧がかかったような映像、空気に溶けこみ消えてしまいそうな、どこまでも続く緑の草原・・・。
この映像を実現するために、撮影用に特別につくられた巨大なガラスやフィルター(どんなものかは不明)が使われたそうです。また今回はソクーロフ自身が撮影監督も兼ねているそうです。彼の映像へのこだわりがひとコマひとコマから伝わってきます。
レーニンの孤独 |
「牡牛座」のラストで、半分狂ってしまったレーニンはひとり、緑の森で椅子に深く身体を沈めて、空を見上げます。
青くすいこまれるような空と、小鳥のさえずり、葉のかすれる音、風のささやき・・・。この世とあの世との境目の空。もしかしたら死の瞬間に思い出すことになる最後の「この世」の風景の美しさ・・・。
そんなことを思いながら観たラストシーンが忘れられません。
ちなみに、監督は、「ロシア版プレミア」誌のインタビューで、「最後に彼(レーニン)は、空を観ながら何を思ったのですか?」という質問に対して、しばしの沈黙の後、
「私にとっても謎です。分かりません」
と答えています。
追加情報:
前述のビデオの欠点を克服するために、「ティリェツ」のビデオ化にあたっては、監督自らビデオ用に調整・編集処理をしているらしいです。さらにソクーロフ監督のサイト「ソクーロフ島」(気になる人はここをチェック!)の情報によると、ビデオバージョンは映画バージョンにはない2つのエピソードが入っていて、時間も11分長いそうです。
こうなると、ソクーロフファンとしてはビデオもチェックしない手はないかもしれません。
ソクーロフ監督の映画ビデオ「Телец(ティリェツ)」(牡牛座)を見たくなった人は、ぜひこちらも見て下さい。
追加情報2:
気になる次の作品、つまり「4部作」の3作目ですが、やはり歴史的に有名な人物をテーマにするそうですが、具体的に誰を撮るかについて監督は明言を避けています。ただ今度はロシアの人ではないそうです。日本の昭和天皇を主人公にするという話を聞いたことがあります。
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