2002.10.11/ ひよこgonza (10/15 8:30)
「プーチンって誰?」から「プーチンみたいな彼」まで
誕生日は年に1回だけ〜。 |
2002年10月7日。
それは一体何の日だったか、みなさんご存知でしょうか?
そう!あのプーチン大統領の50才のお誕生日だったのです!
映画チェブラーシカのなかで、わにのゲーナが「誕生日は年に一回だけなんだからねぇ〜♪」と哀愁をこめて歌ってますが、
小学生が焼いたプーチンケーキ |
ロシアの大統領、しかも70%以上の異常な支持率を誇る「若き皇帝」、ロシア女性は夢中になり、子供たちは慕う、酔っ払いは黙り、マフィアも頭を下げる・・・、そんな大人気プーチンさんの誕生日だから、もうたいへん! それはもう特別に特別な日なのです。ロシア中がプーチンフィーバーに沸いた一日でした。
ロシア各地から高価なプレゼントが贈られ、少人数ですがパレードをする町もあったり。プーチン大統領の大ファンだという家庭ではプーチン大統領の誕生日を指折り数えて待ち望み、「その日は家族の祝日だ!」といって、パーティを開くお家まで。
ニージニーノブゴラドのあるロシア正教会では、プーチン大統領の誕生日を祝辞する言葉がミサの時に述べられました。
エカテリンブルグ市の中学校では、その日「大統領学」なる授業が実施。それはプーチン大統領の事を学ぶ授業で、プーチン大統領の家系・家族の内容まで学ぶのです! 小学校では子供がプーチンさんの本の言葉の暗記までしています。(信じられん。)
その他、陶器工場では、プーチン大統領の記念絵皿を生産。あっという間に売り切れです。絵皿には伝統的なロシアの風景に毛皮の帽子をかぶったプーチン大統領の姿が重ねられました。印刷工場では、祝辞を書くための豪華な色紙が何千枚も刷られました。
ロシア正教からの祝辞 |
「大統領学」の授業風景。 みんなまじめに聞いてる?! |
プーチン名入り色紙の数々 |
プーチン記念絵皿 |
なぜ、今年こんなにもプーチン大統領の誕生日が騒がれるのか?それは50才の誕生日だから・・・なのです。
ロシア人にとっては、50才、60才、70才などキリのいい歳には、いつもより盛大にお祝いするのが通例。日本でも60才の還暦とかありますよね。それと同じような感じで盛大にお祝いします。
ちなみに、こんなプレゼントの数々が贈られました。
◎ロシアの「飛び地」、ヨーロッパにあるカリーニングラード州からは、美しく装飾されたダチョウのたまご。でかいです。イースターの細かい装飾が施されており、とてもロシア的です。カリーニングラード州の知事からの「カリーニングラードの問題(安全保障、ビザ問題等)を忘れないで! 卵が暖かいうちに解決してね」との要望つき。(プレゼントもらうのが怖いですね・・・)
◎モルダヴィア大統領からは、ワニ。なぜならワニは唯一、後ずさりしない動物なのだそう。プーチン大統領にぴったりのプレゼントですね。
◎ウクライナ大統領からは、豪華な日時計。その文字盤には天文地図が描かれ、ドイツの哲学者カントの「我々の精神を高めてくれるものは2つある。我々の上にある星空と我々の内にある道徳心だ。」という言葉が刻まれているそうです。ドイツと関係の深いプーチン大統領への配慮が感じられます。
◎南ウラルの宝石職人からは、イワン雷帝の戴冠式の時使われたロシア皇帝(ツァーリ)の象徴ともいえる帽子(モノマフの帽子)の寸分違わぬコピー。金銀、エメラルド、ルビー、真珠等宝石が散りばめられた、ものすご〜く高価な品。賄賂にあたるのではないかと、物議をかもしています。
◎いつも悪態をついていると日本でも有名なジリノフスキー氏からは、自分の歌のテープと本と写真、それから21世紀で世界紛争が起こっている場所を表した紛争中心部世界地図(これはかなり特殊で過激な地図です)のプレゼント。うれしくないですよね。
◎民主主義と改革をモットーとする右派連合のネムツォフ代表は、ロシアリベラルと改革の象徴として皇帝アレクサンドル二世の小さな胸像。
◎プーチンさんの子供のころからの柔道のトレーナーからは、改築して最新設備がととのったサンクト・ペテルブルクの道場「ネヴァの柔」を。
◎誕生日の前に、プーチン大統領本人から「花には無関心で・・・。」という発言があったにも関わらず、各政治家は次々と、豪華かつオリジナル色を前面に押し出した花束をプレゼント。ひとつの花束をつくりあげるのに、専門のフラワーコーディネーターが1時間以上かけるそうです。
真紅のバラは、51本贈られたそうです。どうして50本ではなく51本か分かりますか? ロシアでは偶数の花を贈ってはいけないしきたりがあるのですね。
◎ニージニーノブゴラド市では、プーチン大統領ファンによるパレードと風船50個が空に舞いあげられました。
◎エカテリンブルグ市では、統一ロシア党の各種キャンペーンが実施。「プーチンに手紙を書こう!」というキャンペーンでは学校にクレムリン宛の切手が貼られたハガキが配られました。大勢の子供たちが「文法的に正しいロシア語」によってお祝いのハガキを書きました。
◎サラトフ市でも、統一ロシア党によるキャンペーン。プーチン大統領に贈る祝辞を寄せ書きした記帳を贈りました。17000もの署名が集まったそうです。
◎大ヒット中の「プーチンみたいな彼」を歌っているおねえちゃん二人組ユニット『一緒に歌う人々』(パユーシィェ・ヴメスチェ)からは、「プーチンみたいな彼」の初版CD。彼女たちは、「ちょっとだけでもいいから、すべての男性にはプーチンさんが持っているような資質をそなえてほしい」と訴えます。
『一緒に歌う人々』のねえちゃん達 | 発売されたCD。プーチンさんの写真つき | CDの収録風景 |
おねえちゃんいわく、「思ったことを歌ってるだけよ」。「プーチンさんが私たちの国にもたらしたような信頼と安定を、男性が家庭や仕事にもたらしてほしい」。 あっちゃ〜。男には痛い言葉ですな。 |
大統領とお茶を飲みながら。 |
そんなわれらがプーチン大統領の誕生日、TVでは特番がいくつも組まれました。
その中で、特筆すべき番組は、テレビ局「ロシア」(旧RTR)の「ヴラジーミル・プーチン:晩の会話」。番組内容は、プーチンさんがロシアのクーフニャ(キッチン)にジャーナリストを招いてお茶を飲みながらインタビューを受けるという『お茶のみインタビュー』スタイル。
実は、今回インタビューするジャーナリスト、イーゴリ・シャドハン氏、11年前に偶然にもプーチンさんにインタビューしていた人なのです。
その当時プーチンさんはペテルブルグ市長の右腕として働いていました。プーチンさんはイーゴリ・シャドハン氏のTVプログラムの大ファンで、ぜひ一度会いたいと申し出、シャドハン氏は、その当時“誰でもなかった”プーチンさんにインタビューをしたのです。
11年前の映像。若い!?いやいや余り変わっていない? お役所の職員という感じです。 |
そして、今回のインタビュー。その当時のフィルムを大統領と一緒に見ながら、鋭い質問を投げかけます。
−11年前のインタビューより
「あなたはKGB諜報員として働いていたのですね。その諜報員としての経験は、今(ペテルブルグ市長の右腕として働いている当時)、どのように役立っていますか?」
「諜報員として働いていた当時、情報を集めるのが仕事でしたから、周りにはいつもたくさんの情報であふれていました。でも一番大切なのは、その中でどれが最も重要な情報かということを見出すことでした。これが今の仕事では非常に役立っていることだと思います。」
この11年前のインタビューを見ながら、現在のプーチン大統領は、「間違った答えですね。」と言いました。
「確かに何が最も重要な情報かということを見出すことは大切です。しかし、もっと大切なことは多くの人々と働いたことです。諜報員の当時、私は多くの様々な人々と働きました。それは文化人や研究者であったり、労働者や軍人だったり、とにかく多様な人々と出会い働きました。それが、今では最も役立っていることです。」
−11年前のプーチン大統領の発言
「強い手(上からビシバシ改革するハードな政策)による安定は、国民に快適と安全の感覚を与える。しかし、本当のところは、この快適さはあっという間に通り過ぎてしまう。そして強い手は(国民の)首を締めはじめる・・・」
−現在のプーチン大統領
「まったく今も同じ意見です」
また、今、徴兵制を廃止して、軍隊を契約制のプロ集団にしていこうという試みがはじまってますが、プーチン大統領は、大統領として自分も4年間の「契約制」だといいました。
このインタビューは難しい話をしながらも、プーチン大統領自ら、お茶を入れ、ヴァレーニエ(ジャムのこと)をよそうという場面も盛り込まれていて、大統領は庶民の心をグッと掴みます。
大統領の手ずから、紅茶を入れてくれます。ヴァレーニエも忘れずにね。 |
ロシア人にとって、クーフニャ(キッチン)は、とても大切な場所。ソ連時代、子供達が寝静まった後、大人達はクーフニャに集まって盗聴されないように(?)水道の水を流しながら、ラジオを流しながら、政治について話をしたのだそうです。昼間は団欒のひとときを過ごすクーフニャ。とにかくクーフニャはロシア人になくてはならないもの。
そんなクーフニャに招いてお茶を飲みながらインタビューを受ける大統領・・・かっこええわ!私らの味方やわ!と、このインタビューで一層、庶民の心を惹きつけたことでしょう。
実際、この次の日、私はロシア語の先生と、このインタビューについて語り合いました。私のロシア語の先生は、政治に詳しく教養のある方で、ソ連時代には外国の大学でも教えていました。海外に行くときには必ずKGBに呼び出されイヤな目に合ってきたそうです。
だから、KGB出身のプーチンさんが大統領になったときは、「あの目をみなさい!あれはスパイの目よ。もうロシアはおしまいだわ!」と嘆いていました。その後、毎日猛烈に仕事をこなしているプーチン大統領の姿がニュースで報じられ、人気が上昇してからも、「プーチンに反対はしないけど、支持をしているわけではないわ。」と冷静な反応を崩しませんでした。
しかし、このインタビューの後、「プーチン大統領を見る目が変わった。」と私に告げました。
「う〜ん。そうか。」私も感慨深げ。
「でも、ロシア人にとって大切な場所クーフニャで、お茶を飲みながら、ジャーナリストを迎えるなんて、ちょっと演出くさいと私は思いました。」と私は口を滑らせてしまいました。
先生は少し沈黙してから、
「・・・。そうね。そうかも知れないわ。そういえば、ロシア人が好むブルーのシャツを着て、髪の毛も明るい色になるように写っていたし。一般のロシア人が好むような格好をしていたわ。」
なるほど!確かにそうなのです。プーチン大統領は、ブルーのシャツにジーンズという若々しい姿。
誰の目にも若くて清潔感があり誠実で、クーフニャで一緒にお茶を飲むような親近感のある大統領の姿が写ったことでしょう!
私が帰る頃には、先生は「あれはお芝居だった。」とさえ言うようになってしまいました。あぁ、ヘンなこと言って先生の希望をぶち壊しちゃったかなぁ。ちょっと反省。
ともあれ、私の先生の目にも多くのロシア人の目にも、プーチン大統領は格好良く写ったことは間違いないでしょう。
政治の表舞台に出てきた当時、「プーチンって誰?」と言われていたプーチン大統領。支持率は1%でした。しかし、1999年の大晦日の夜に、当時のエリツィン大統領がテレビで、「自分は辞める。次の大統領(代行)はプーチンです」と発表したとき、重ねて「今は分からないだろうが、そのうち国民皆があの人を選んでくれて良かったと感謝する時がくる」と断言したことを、私はよく覚えています。あのときは、誰もが「あの酔っ払い、なに言ってんだ!」と憤慨し、絶望したものでした。しかし、いまや、良しにつけ悪しにつけ、エリツィン元大統領のいったとおりになりました。
ロシア国民のハートをがっちり掴み「プーチンみたいな彼」と言われるほどの大人気ぶり。もう決して誰も「プーチンって誰?」なんて訊きません。