はぐれミーシャ純情派

タシケント激闘編2日目
7月6日
 7時くらいに目がさめた。夢を三本立てで見てしまったので、よく寝れなかった。もう一度寝ようと思うが、それも出来ない。とにかくここを出たいという気持ちでいっぱい。ベッドの中で今日の計画を立て、8時半には部屋を出る。計画といっても、俺はタシケントで一人ぼっち。手も足も出ない。これが東京だったら、頼る人間がいっぱいいる。もし非常事態になれば実家に帰ることもできるのだ。でも、いま俺がいるのはタシケント。今日住むところを見つけなければ、他に行くところは・・・ない。
 彼女の家にはもう戻れない。昨日、彼女のお姉さんは「夜にでも家に電話して」と言っていたが、結局かけなかった。別れた彼女の家、しかも昨日飛び出したばかりの家に電話なんかできるか!そんなのかっこ悪すぎる。
部屋を借りようと思うがどこにも不動産屋らしきものは見当たらない。どうすればいいのかわからないので、とりあえず彼女の叔母さんの家に行くことにする。タシケントに着いてから、最初の一週間を過ごしたところだ。彼女の親戚に頼るのも嫌だし、かっこ悪いと思ったが、仕方ない。9時に叔母さんのところに着く。しかし、留守。最悪だ。唯一の頼みの綱はあっさりと途切れてしまった。
 絶望して、近くのミルゾ・ウルグベック駅に行く。地下に入る入り口のそばに電話があった。ここタシケントには日本人会があって、活発に活動しているのだそうだ。やっぱりここは同じ日本人に相談してみよう。しかし、電話のかけ方がわからなかったので、近くでなんかを売っているウズベク人のおばさんに聞いてみる。特別なコインを買ってかけるのだそうな。すぐに買ってかけてみる。日本人会への入会の書類に書いてあった電話番号に電話してみる。その人の自宅の番号だと思ったら、勤め先のオフィスの番号だった。しかも本人は休暇中で当分帰ってこないと言う。最悪だ。仕方がないので、電話のかけ方を聞いたおばさんに思いきって質問してみる。「僕は日本人です。部屋を探しているんだけどどうすれば良いですか?」近くにいたおばさんまで一緒になって相談に乗ってくれた。その時までウズベク人とはほとんど話したことがなかった。なかなかいい人達だ。彼らが言うには、アミール・チムール・ヒヨボ二駅の近くの大きな公園に行って誰かにたずねればきっとわかると言う。
 アミール・チムール公園まで来たが、どうしていいのかわからない。片っ端から質問してゆけばよいのだが、悪い人にでもひっかかったらたいへんだ。タシケントに来て二週間、常に言われてきたのは「ここは人をだましてお金を稼ごうとする人がたくさんいるから、誰も信じないほうが良い。」ということ。すっかり疑心暗鬼になっていたので、最初の人に質問するまで一時間近く歩き回る。それにしても、ここは警官が多い。その時はあまりよく知らなかったのだが、この国で警官に尋問を受けるのはとてもやばい。お金を取られるだけでなく、逮捕されたりすることもあるのだそうな。みんなことのほか警官を恐れている。ましてや、俺みたいな住所不定に近い状態の人間は格好の「えさ」だろう。「現地人でーす」という顔をして歩く。
 どこかに不動産屋のようなものがあるだろうと思って、公園を出たら、すぐに迷ってしまった。歩き回っていると、公官庁があるところに出た。ウズベク語しか書いていないので、その建物がいったいなんなのかわからないが、どうやらなんとか省らしい。警官だらけなので、そそくさとその場を離れる。自分が罪人のように感じる。
 とりあえずアミール・チムール公園まで行かないと、現在地がわからない。でも、自分がどこにいるのかさっぱりわからない。向こうから歩いてきた小さな女の子を連れたおじいさんに道を尋ねる。笑顔で普通に質問したつもりだったのに、そのおじいさんは「公園はすぐそこだから。気をしっかり持って。大丈夫だから。」と俺を励ましてくれる。おれは今、相当すごい顔をしているらしい。その方向に歩き出すと、別のおじいちゃんが話し掛けてきた。「日本人だ」と言うとものすごく喜んでいた。彼はフェルガナ地方の出身である。「部屋を探している」と言ったら、「もしここがフェルガナだったら、ただで住ませてやるんだけどな。」だって。
 また、アミール・チムール公園まで戻ってきた。思いきって人のよさそうな若者に声をかける。彼は大学受験でタシケントに着いたばかりなんだとさ。彼もどこに住むかということでは頭を痛めていた。次に声をかけたのは子供連れの若い女性。彼女もタシケントの人間ではなかった。冷めた顔をしているわりには優しい。彼女の友達がタシケントにいるから電話してみろ、と言う。電話番号をもらったが、いきなり電話して「僕日本人です、エヘヘ」なんて言えるわけがない。次に声をかけたのは、ベンチに座って暇そうにしていた老人。この公園の向こう側に部屋に関する情報が得られる事務所のようなものがあるという。でも、詳しくは知らないらしい。
 とりあえずその方向に向かっていくとそこはタシケント一の繁華街、通称ブロードウェイだった。繁華街と言っても水天宮のお祭りを少し大きくしたようなところだ。歩いてみるが、それらしき建物は全く見当たらない。このとき11時ごろ。だんだん暑くなってくる。もう午前中だけで飲み物を8本も飲んだ。数日間、食事も満足にとってないから、体力の限界が近づいてくる。気力もだんだんなくなってくる。
 ブロードウェイの端まで行って、何の成果も得られないままもとの方向に戻っていった。また、誰かに聞かなくちゃ。ブロードウェイの入り口のところでアクセサリーのようなものを売っていたおばさんにだめもとで聞いてみる。すると、この近くに部屋を貸したり売ったりしたい人が集まる場所があるのだという。おばさんは持っていた新聞を開いて良い物件がないか見てくれた。良い人だ。おばさんは自分の子供(7歳くらい)に俺を連れていってくれるように言いつけた。もう、たまらなくいい人だ。子供は友達とゲームに夢中でちょっと待ってくれと言う。その間、おばさんと話す。いい人だ、とわかってほっとしたのか、言わなくても良いことまで言ってしまった。もうとまらない。彼女との別れのことまで話してしまった。涙まで出そうになる。すると、おばさん「こういうときこそ明るい顔しなきゃダメよ。暗い顔してると、どんどん悪い方向に運命は動いて行くのよ。」なかなか良いこと言うじゃあねえか。
 おばさんの子供と部屋のバザール(とよばれているらしい)に向かう。目がきれいな子供だった。バザールは人でごったがえしている。みな首からぶら下げたカードを胸のところに持っている。そこには「部屋売ります。2部屋。家具付き」などいろいろ書かれている。とりあえず小さなテーブルの上にあった部屋のリストを見る。タシケントでの部屋の相場がわからない。子供も一緒になって探してくれる。こちらの出した条件は1部屋、家具付き、テレビ、冷蔵庫、住む地域が危険じゃないこと、50ドル前後。ここでは、家具などの設備もそのまま貸すのが普通らしい。おばさんの子は熱心に探してくれる。そうこうしていると、おばさんまで来ちゃった。店ほったらかしで良いのかな。3人でよい条件のところを探す。そこで、一人の不動産屋と知り合う。黄色いシャツを着た優男だ。とりあえず、彼のオフィスに行くことにする。そこで、おばさんとはお別れ。電話番号をもらった。「私は毎日あの場所に座っているから困ったことがあったら相談に乗るから。もしよい部屋が見つからなかったら、私のうちに来なさい。一部屋余っているから。」なんっていい人なんだろう。
 不動産屋と一緒にバスでオフィスに移動。彼の名はスルタン。皇帝みたいな名前だ。雑居ビルの一階に彼のオフィスはあった。そこにいたのは韓国系の女の子とウズベク人の若者とロシア人らしき若者。みんな総出で探してくれる。電話かけまくり。昼の一時ごろだから、大家のほとんどは食事に出ているか、お仕事中でつかまらない。一時間ほど経った。最初は調子のよかったスルタンもだんだん機嫌が悪くなってくる。「この部屋でいいだろ。この部屋に決めな」と言って辺鄙な場所の物件を勧めてくる。ある程度俺の出した条件に近い物件を見せてもらうことにする。
 最初はハムザ駅近くの2部屋の物件、家賃70ドル。大家と駅の近くで待ち合わせるがなかなかやってこない。この国の人は例外なく、時間にルーズだ。ウズベク人とロシア人らしい若者と3人で部屋を見る。でかすぎる。二部屋の物件と言っても、それは広い居間と寝室のほかにバルコニー、キッチン、バス・トイレ別という、1人暮らしには全く適さない広さなのだ。東京でこんなの借りたら間違いなく15万円近くになるだろう。その上、家具一式、食器・調理器具までついているのだ。タシケントではこれで普通なのだという。答えを保留する。オフィスに戻る途中、ウズベク人の彼とちょっと打ち解ける。シェルとかいう名前だった。普通の若者と変わらない会話。日本はどんな国かとか、どんな音楽が好きなのかなど。それにしてもウズベク人の男は女の子の話が好きだ。他に考えることがないのかってくらい。
 もう一つの物件を見ることにする。オフィスから近いところにあるのだと言っていたが、全くの嘘だった。オンボロバスで10分ほど行ったところで下りた。今度はシェルと韓国系の女の子と一緒だ。3人でその物件を探すが見つからない。シェルは携帯(会社の所有物)を持ってて、オフィスに電話して詳しい場所を探すが見つからない。大家に電話してもだれも出ない。
 この時間帯になると、体力は限界を超えていた。気温50℃以上。朝から太陽の下を歩きっぱなしだったし、ここ数日間ほとんど何も食べていない。生き地獄とはこのことである。日射病とか脱水症状なんてとっくに通りこしている。「水がない」という以上の苦しみがこの世に存在するのだろうか?頭の中は「水」という言葉でいっぱい。いや、言葉なんてない。「水」という言葉を持たない、「水」そのものが頭の中に浮かぶ。意識が飛びそうになる。このままここで倒れても誰も助けてくれない。ここは日本ではない。タシケントなのだ。おれにとってはタシケントという名の地獄なのだ。いま、ここで倒れたら間違いなくあの世行きだろう。
 そう、ここは地獄なのだ。「東京砂漠」は心の中にだけ存在するものなのだろうが、この砂漠は人が生きることを容易には許さない自然の力なのだ。今まで自分なりに苦しい生き方をしてきたと思っていたが、この苦しさとは全く比べ物にならない。このときの苦しさは言葉では言い表せない。ただ、「渇き」の記憶が鮮明に残っているだけである。
 これは逆によかったのかもしれない。失恋のことでくよくよする余裕など全くなかったからだ。そう、精神的に苦しむためには精神的余裕が必要なのだ。遠退きそうになる意識を必死で支えながら歩きつづける。「ここで倒れたら死ぬ」その確信だけが俺を突き動かす。失恋をして、苦しくて悲しくて、死にたくなる。そんな経験は誰にでもあるだろう。今の俺にはそんなこと考える「余裕」がない。「生きる」ということを全身で欲する。
 シェルが人にたずねたりしている間、韓国の女の子と話した。変につんつんしてて、ちょっとむかつく。探していた物件にたどり着くまで二時間近くかかった。その部屋は普通のランクの人々が住む地区に位置していた。一部屋と聞いてきたが、居間、寝室、バルコニー、ユニットバスということで、最初の物件とあまり変わらない。一部屋ということでワンルームマンションのようなものを想像していたのだがそんなものはタシケントには存在しない。またも答えを保留して、地下鉄の駅に向かう。パフタコール駅が一番近いと言っていたが、15分も歩かなきゃならない。コーラを飲みながら3人で相談する。二人とも二つ目の物件を強く勧める。あれ以上いい物件はない、静かだし涼しい場所だし、あそこに決めなさい。こんなかんじ。そう言われるとそんな気がしてきてしまう。そこに住むことに決めた。時間はもう6時。今日中になんとか引っ越したかったので仕方がなくその部屋に決めたという感じだ。その部屋に戻って、大家に二ヶ月分の家賃120ドルを払う。シェルに仲介手数料として30ドルを払う。ここには敷金・礼金というものは存在しない。先に何ヶ月かぶんの家賃を払って、その後はその都度更新していくという形だ。
 まず、寮に近いチランザール駅まで行く。そこで白タクを捕まえて寮まで行って引っ越そうと思ったのだが、そんな面倒なことを簡単に引き受けてくれそうな人はいない。なんとか捕まえたが、その運転手がどうも怪しい。調子のよいことばかり言ってる。ウズベク人のおっさん。寮の場所を知っているというがかなり遠回りしている。まあ、白タクだからメーターも無いし、たいていの運転手は最初に約束した値段を守ってくれるから、別にいいか。寮まで来たが一人で荷物を全部車に載せるのは一苦労だった。軽自動車サイズの車に無理やり載せる。すると、運転手「押してくれ」・・・。この車はエンジンがかからない。2・3人で押しながらでないとエンジンがかからない。最初冗談かと思った。途中でタバコを買ってくれと言い出した。しょうがないので買ってやる。この国ではこんな図々しいやつも珍しくはない。運転手のおっさんは、自分の家族のことを話しだし、ぜひ遊びに来いと言う。誰が行くか!パフタコール駅の近くまで来たが、正確な道筋がわからない。人に聞いたりしてなんとか到着したが、運転手は追加料金をよこせと言う。最初、パフタコールの近くということで約束したのだが、その駅からはちょっと距離がある、約束が違うから追加しろ、というわけだ。むかついたが、けんかする元気も無かったので300スム追加してやる。ばかやろー。
 部屋に入ってとりあえず落ち着いた。長い一日だった。こんなにつらかったことは今までにない。われながらよくやるよ。タシケントで一人で部屋を見つけた日本人なんておれぐらいなもんだろう。というか、誰もやりたくないって!部屋を見つけた喜びと生き延びたことの安堵感。昼のあの暑さは思い出しても恐ろしくなる。心の底から、生きていることの喜びを感じる。
 飲み物が欲しかったので、スーパーに行って1・5リットルのスプライトを買う。今日一日で3リットルぐらい飲み物を飲んでいる。食べ物は全くのどを通らない。部屋で1人、くつろぐ。テレビのスイッチをつけたがなかなかつかない。30秒ほどたってようやく画面が現れてきた。見た目的にはおれの子供時代にもこんなのがあったが、ここまでひどいのは初めて。チャンネルは1方向にしか回らない。時々音声が聞こえなくなるのでテレビの側面に空手チョップをしなければならない。大家はそのうちケーブルテレビをつないでやる,と言っていたが、果たしてこんなテレビにケーブルがつなげるのか甚だ疑問である。そのテレビに映るのはウズベクの放送局だけ。ということはウズベク語のみ。全くわからない。インドともトルコとも似ているようなわけのわからない音楽がずっと流れている。はっきり言って、全く面白くないし、音楽としてのグレードはかなり低いように感じる。シャワーを浴びたら流れてゆく水は真っ黒だった。ここ数日シャワーもまともに浴びていなかった。
 仕方がないので、寝室に行く。ここからがまた別の苦しい時間だった。昼は肉体的な苦痛で精神的な苦痛を感じる余裕がなかった。夜は静かで穏やかだった。それだけに頭の中はいろんな感情でいっぱいになる。井上陽水ばかり聴いていた。そして、強烈な疲労感が俺を眠りに誘う。その「眠り」がまた苦しい時間であることを知りながらも、おれは喜んでそれを受け入れる。ただ、残酷な現実から目をそらすためだけに・・・。

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