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ロシア・ホームステイ手記
ラーメン中華

−第17回−

無題


 A君の養子問題に決着がついてから、おばあちゃん、Sさん、僕の完全に3人だけの生活になりました。

 以前同様、Sさんは僕に金をせびり、おばあちゃんは普段からウオッカを飲むことが多くなりました。間もなくSさんが3度目の入院をし、家は僕とおばあちゃんだけになりました。

 その頃から、もうそろそろ限界かなと思うようになりました。自分の意志を伝えなければと思いつつも、おばあちゃんの力ない表情を見ると、なかなか切り出すことができませんでした。
 しかしこのまま惰性で住み続けるのはだめだ、行動を起こさなければと思った僕は、たまった荷物を毎日少しずつ大学の寮へと運び出していきました。

 そしてある時、そんな怪しげな僕の姿に気づいたおばあちゃんは僕を問い詰めました。もう本当のことを言うしかないと思った僕は「実は、近く寮に戻ろうと思っています。」と打ち明けました。
 目の前でおばあちゃんが狼狽するのがはっきりわかりました。理由を尋ねられました。今までこの家であった様々な出来事が僕の頭をよぎりました。

 しかしとっさに口から出たのは「金銭的な理由で」という言葉でした。
 涙を流しながら「部屋代が高いのなら値段を下げる。頼むから居てくれ」と言われた時は心が揺れました。A君がいない今、僕がおばあちゃんの生きがいになっているようでした。心が張り裂けそうになりながらも、「ここに留まることはできません」と言い続けました。

 そのやりとりの後、しばらくしておばあちゃんは部屋に引きこもってしまいました。そしてそれから3日後、僕は荷物を全部持っておばあちゃんの元を去りました。最後の3日間、僕とおばあちゃんの間に会話はありませんでした。

 寮に戻り、新しい生活が始まりました。友達と一緒に食事をしたり、騒いだり、毎日楽しく過ごしました。ただ何か心が満たされないのを感じていました。大事なものを置いてきてしまったような気がしていました。

 最後はもうこれ以上住むのは無理だと思い自ら去ったあの家庭、あのクバルチーラ、そこであった様々な出来事。この前まで日常であったそれら全てが、今では思い出でしかないのだと思うと、胸の奥がぎゅっと切なくなりました。そしてやっぱり自分はあの「我が家」が好きなんだと感じました。


 軽い気持ちで始めたホームステイが、これほど大きく僕の心を占めるとは思っていませんでした。楽しいことより、嫌なことの方が多かったですが、そこでの体験は美しい思い出として一生僕の中で生き続けると思います。

(終)

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