MEWの平凡な日々(課題)

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2004年5月1日(土) 今抱えている問題の事

皆さま、ご心配かけて本当にごめんなさい!!
今回の事は公開するべき事ではないと思ったし、gonzaさん&ひよこさんにご迷惑になってもいけないのでちゃんと書かなかったのですが…

実は、妊娠しました。
避妊もちゃんとしていたし、妊娠に気付いた時はすごくショックでした。
イギリスから戻ってきて、来るはずのモノが来なくて、生理痛のような痛みは時々あるし胸が張る感じがして「まさかなぁ」と思いながら「せっかく日本から妊娠チェッカーも持って来たし(コンタクトは持って来なかったのにこういう所は準備が良い私。ちなみに避妊具も日本から持って来ましたv)いっちょ試してみるべ?」と、本当に軽〜〜い気持ちで検査すると…
縦線が出たのです。
+か−が出るんじゃないの!? 見る方向、間違ってる!? 説明書通りだよね??
と悩みながらしばらく待ってもう一度検査すると…今度は+が出ました。
その夜は元主人がダーチャに行っていたので、独りでただパニックになって。
ちゃんと避妊していたし、危険日辺りには行為そのものもほとんどしてないのに何で!?って。
翌日朝からひよこさんにお電話して。
最初は元主人にも内緒で堕ろすつもりでした。
シングルマザーとしてMEW2を育てるだけでも大変なのに、もう1人なんて。
結局元主人に話すと、彼は自分が育てるから、お互い1人ずつ子供引き取れて良いじゃんなんて事を言うけど、妊娠中、女性は心も体も母親になっていって、生後すぐ母親から引き離すわけにもいかなだろうし、出産するとしたら日本でしたかったので、少なくとも3ヶ月はモスクワに連れて行けないし、そうなるとその3ヶ月の間に子供に愛着が出来て元主人に渡すのが辛いだろうし。
それでも、堕胎というのは殺人です。
人として、決してしてはいけないことです。
MEW2にも、人に言えないような事は絶対したらいけないと教えたいし、もし私が堕胎してしまったらもう教える権利が私にはなくなってしまうし。
私が産みたくない理由は、私の勝手によるものです。
それは新しい命を犠牲にする何の理由にもならない。
私の勝手で妊娠して、私の勝手で堕ろして…
そんな事、絶対にしてはいけない。
だから、一度は産もうと決心しました。
産んで、どんなに後悔しても、どんなに辛くても、自分の責任なんだから、と。
元主人にそう話すと、最初は産めだの堕ろせだの軽く言っていた彼ですが「今の生活を続けたい。自分はまだ父親になる準備が出来ていないし、もし妊娠を継続させたら、自分は受け入れられないからここに来れなくなる。今は産む時期じゃないし、もし病気になったら(私は膀胱炎持ち)薬も飲めなくなるし。生きていれば時にはどうしてもやりたくないと思うことをしなくてはいけない時もある。今回は諦めて、今の生活を続けよう」と。
すごく悩みました。
で、堕ろす事にしました。
彼が今の生活を続けたいと思っている事、それが離婚を回避する事に直接は繋がりませんが、それでも妊娠を継続させて全く望みが絶たれてしまうよりも、少しでも可能性のある方にかけたい。
それが堕ろす事に正当な理由を与えるとは思いません。
堕胎に正当な理由なんてありませんから。

それでも、今の生活を守りたい。

MEW2にパパがいて。普通の家庭のように、喧嘩しながら貧乏に苦労しながら、それでも一緒に居られるなら。
世界中の人からどんなに責められても良い。
新しい命を犠牲にしてでも、続けたい。
犠牲にする以上、今の生活を続けなくちゃ。
以前のように鬱になるんじゃなくて、犠牲にした分、絶対に幸せにならなきゃ。
最終的にはやっぱり離婚になるかも知れないけど、それでも、その結果が出るまでの間、犠牲にした分も努力して、全てに納得できる生活をしよう。

先日、現地の産婦人科で検査をしました。
3年前に入れたIUD(2年で落ちるもの)がまだ残っていました。
IUDと普通の避妊具を合わせれば、限りなく100%に近い避妊率です。
そんな中で、せっかく誕生した新しい命。
本当にごめんなさい。
どんなに謝っても、許してもらえることではないのはわかっています。
どんなに償っても、償いきれる罪ではないです。

堕胎という事は本当に心を傷つける事なんだと初めて知りました。
きっと一生後悔すると思います。
だから、犠牲になる命の為にも、苦しくても顔を上げて、悔しくても悲しくても微笑んで、胸を張って生きていこう。
今の幸せを大切にしよう。

2004年5月2日(日) モスクワもGW

5月1日から4日まで、8日から10日まで、週末を含めてモスクワは連休です。
元主人は昨日の夜、ダーチャに行きました。
かなりしつこく誘われたけど、5日にロシア語のレッスンがあるから勉強すると言ってお断りしました。
初めは10連休とってダーチャに行くと言っていましたが、結局休みは取らず、5日はダーチャから直接オフィスに行き、7日の夜(この時は絶対連れて行かれる…)またダーチャに行くようです。
なんでそんなに好きなん!?
ちゅか、ひとりで行って下さい…

元妻:あなたさぁ、生きていれば時にはしたくない事をしないといけない事もあるって言ったよね?
元夫:うん。だから一緒にダーチャ行こう。
元妻:私はさぁ、離婚したくなくても離婚しないといけなくて、子供堕ろしたくなくても堕ろさないといけなくて、なんで、この上行きたくないダーチャまで行かないといけないかなぁ?あなた、離婚したくて離婚して、今は子供欲しくないから堕ろして(基本的には彼も堕胎反対)その上一緒にダーチャに行きたいからって、なんであなたのしたい事は全部出来てるのかなぁ?
元夫:全部出来てるわけじゃない。
元妻:でも私と関わりのある時は全部あなたの思い通りだよね?私思い通りになったことないもん。別に良いんだけどね。気がついてないんかなぁと思って。
元夫:じゃあダーチャは決めて良いよ。

という訳で行きませんでした。
実は今悪阻(?)で本当に気分悪いのです。
義父母には今回の妊娠の話をしていないので、気付かれたらイヤだし…
今義母はウクライナに帰省していて、義父だけなんですけど。
義父もそういう事にかなり鈍いタイプなので、まあ気付かないと思うんですけど。
それでも、ただでさえ、元主人の運転で車酔いするのに、夜出発でなんて絶対無理です。
で、以前も書きましたが、義父母には申し訳ないけれど、ダーチャは本当に汚くて、泊まる方のフラットですらドロドロなのです。そりゃ義母だって休養しにダーチャに行くわけですから、モスクワの自宅でさえ2週間に一回しか掃除しないのに、ダーチャを掃除するはずありません。いや、たまにはされていると思うんですけど。
別に私が掃除する分には良いんですよ。
でも私が掃除しだすと嫌みになるかなぁとか、それ以前に掃除道具のある場所がわからないので聞かないといけないし、そうなると「良いから休みなさい」って言われるし。
部屋が汚いと「掃除したい掃除したい」と思って休めないんだってば…
掃除してないから嫌とは元主人には言えないし…
別に掃除して無くても良いんです。人の事ですから。
でもそこに行くのは嫌!!他人事じゃなくなっちゃうもん。

元主人がしつこく誘う上に「どうしてダーチャじゃ休めないの?」と聞くので、もうやけくそで言いました。

ごめんね、本当に義父母に申し訳ないから言いたくなかったんだけど、部屋がばっちいからダメなの。
ココですら水曜日と土・日はばっちくなってきて居心地悪いのに。
別に掃除して無くて良いんだけど、そこに私が行くのはどうしても嫌なの。

夕方、ダーチャにいる元主人から電話がかかってきました。
「今週末は一緒にダーチャに来れるように今日一日かけて掃除したから」
だから、そこまでしてくれなくて良いです…
というわけなので、今週末はきっと、いえ、間違いなくダーチャに連行されるでしょう…

今日は昨日と違って天気予報通りの暖かくて晴れの一日でした★
でもどうしても気分が悪くてお散歩にも行かず、ずっと家でゴロゴロしてました。
あまりに暇なのでテレビをつけると…
ビーニープーをやっていた!!
そのあとしばらくしてまたテレビをつけると今度は…
チェブラーシカ
そのあと…
第三惑星の秘密

今日は古き良きアニメ大放出デーなんですか?

2004年5月3日(月) ジョンを作る

毎日本当に気分が良くない…
昨日も書いた通り悪阻だと思うんですけど…
MEW2を妊娠した時は普通悪阻のある時期になくて、普通悪阻の終わる妊娠4ヶ月か5ヶ月目から出産直前まで悪阻に悩まされました。
その頃は「牛が食べたい〜〜」「マグロが食べたい〜〜」と毎日言っていて、元々あまり好きではなかったものなので、姉は驚いていました(多分貧血だった)が、今回はお肉全般が全く食べられません。
その上元々かなり好きなエビ・イカもダメです。
お魚ももちろんダメ。
なのでタンパク質補給はゆで卵。
お料理も油を使った炒めものがダメです。
そのくせお粥は食べる気にならない…
そのかわり果物が食べたい…
きっとビタミン不足なんでしょう。

で、何を食べても結局吐き気が…
お食事中の方、スミマセン…
胃薬を飲んでも全然効果無し。
いつも空腹で胸焼けしている状態です。

元主人がいないので料理しなくても良いんですけど、このままではMEW2が栄養失調になってしまう…

今日は朝から「何か食べたら気分悪くなるしなぁ…」と思って、何も食べませんでした。
そしたらお腹も空かないではありませんか!!
で、得した気分で調子に乗っていたら、お昼過ぎから身体がすごくだるくなってしまいました…
それでもMEW2のパンツを買いに公園に寄りながらちょっと遠くのスーパーに行くと。
暑〜〜い!!
確かに今日は日中が18℃って言ってました。
暑くなるかも知れないとも。
それでも何となく普通にコート着てしまいました。
MEW2も少し風邪気味のようなので、普通に薄目のスキーウェア着せました。
え〜と、ノースリーブの人も居るんですけど…
その上スーパーに辿り着くと、MEW2の履くオムツは売り切れでした…
悔しいので卵を買って帰りました。

家に帰ってきて、もう倒れる〜〜と思って急いで食事の用意。
倒れるほど空腹は感じていなかったんですけど。
油モノがダメなわりにはなんとなくジョン(韓国のお好み焼き)が食べたくて作ってしまいました。
しかし!!ウチにはたれに不可欠の胡麻油がない!!
ついでにお酢もない!!お酢は3日にスーパーで元主人に「どのお酢が良いの?」と聞いたら「お酢を使った料理は最悪だから買わなくていい」と言われて、その時は「あっそう。」と思ったのですが、よく考えたらドレッシングとかマリネに使いたかったんやん…
それはレモン汁で代用できるんですけども。
ジョンのたれもレモン汁で代用できるんですけども。
でも、我が家のレモンは全て蜂蜜漬けにしてしまった…
もうレモンを買いに出掛ける気力がなかったので、日本から持って来た和風ドレッシングを混ぜてみました。
そしたら意外に美味しいではありませんか!!
結局食べ過ぎて気分悪くなりました…
アホや、私…

2004年5月4日(火) 日本語

私達が借りているフラットのある建物には、なんと日本語が話せるロシア人がいます。
しかも2人も!!
元主人を含めれば3人。全部男性です。
で、この2人とは時々エレベーターや道で会うんですが、そんな時いつも感じます。
日本語で話すとホッとする。
MEW2とは日本語ですが、なんせ彼女が一方的に喋るので、しかも訳がわからない事が多いし、ぜんぜん気が休まらないんですけど。

ロシア語に惹かれた方がよく仰るのは「ロシア語は響きが綺麗」
確かに綺麗だと思います。
音楽みたい。詩にしたってすごく纏まりが良いし。
でも、日本語だって綺麗だと思うんです。
綺麗に聞こえないのは、綺麗な日本語を話していないから。
京都弁なんてとっても綺麗。
東北弁や琉球語も、関西人の私には全く理解できないけど、それでもとても綺麗な音の言葉だと思うんです。
日本語は標準語より方言の方が綺麗な言葉が多いのかも。
で、思うのです。
綺麗な日本語を使いたいなぁと。
外国の人が聞いて「日本語って綺麗だ〜!!」と思ってもらえるような。

それには余裕が要ります。
心の余裕。
最近、なんだか余裕が無くて、MEW2にもちょっとした事で怒ってしまったり、イライラしてしまったり。
そんな時は語気が荒くなるので、全然綺麗な言葉じゃなくなってしまう…
どうしたら余裕が出来るのかなぁ…
モスクワに着いてすぐは「余裕持たなくちゃ」ってすごく意識していたので、もう少し余裕があったんですけど。
体の調子が悪いから余裕がないのか、余裕がないから調子が悪いのか。
一度温泉とエステとマッサージにでも行ってリフレッシュした〜い!!
しかしそれは無理なので、お風呂にゆっくり浸かることにします…

ところでモスクワは連休なので、静かです。
みんなダーチャに行ってるから。
道路を歩いていても、車が少ないのでドキドキ率50%OFFです。
この幸せも今日までか〜


堕胎の事を公開する事は、正直言って私もかなり躊躇いました。
特に、若いお嬢さんや一般的な男性には決して受け入れられる事ではないと思ったし、また、受け入れられてはいけない問題だと思ったからです。

堕胎の事は、私個人の問題ではありません。
「家族」としての問題です。
もし私個人の問題だとしたら、世界中のどこに自分の中に芽生えた命を殺してしまいたい母親がいるでしょうか。
痛みや悪阻という形で、まだ本当に小さいながらも必死でその存在を私に訴えるその命を、どうして無くしてしまいたいと思うでしょうか。

確かに、私達は離婚を前提に同居しています。
今回妊娠してすぐに、元主人にもお願いしました。
離婚するのは一旦棚上げにして、もう一回やり直そう。
今度は2人で一緒に、普通の家庭のように子供を育てよう、と。
元主人の答えは、離婚と子供の事は別の問題だというものでした。
男性にとってはそうかも知れません。
ましてロシアでは結婚と出産は一致しませんので、元主人がそう考えるのも仕方ありません。

そして、MEW2の事もあります。
私とMEW2は、父親がいなかった所為もあってか、普通の母親と子供よりも良くも悪くもずっと「近い」のです。
妊娠がわかって以来、私が精神的に不安定なため、MEW2にも影響が出てしまいました。
完全に取れていたオムツが、毎日3・4回はお漏らしをしてしまったり、精神的にかなり不安定になっているのが、あまり一緒に時間を過ごすことのない元主人にすらわかるほど不安定になっているのです。
元主人に、このまま妊娠を継続させれば、MEW2はもっと不安定になると言われました。
普通は、妊娠期間に上の子供は少しずつ「兄・姉」としての自覚が出来てくるもので、MEW2にとっても同じだと私は同じだと思います。
もしこれが日本なら。
モスクワでは、MEW2にとって私は、彼女を理解できる唯一の存在です。
その私がMEW2に集中出来なくなると、MEW2にとってどんな影響がでるのか、私も不安でした。

元主人は、MEW2の事、そして私の健康状態が妊娠を継続させるほど良くない事も考えた上で、堕胎を選びました。
もちろん、彼の提案を拒否する事はとても簡単です。
一度は「あなたは父親になる必要がないから。この子はあなたの子供じゃない。だから私が独りで産んで育てるし、あなたが私を心配する必要もないから」と拒絶しました。
それでも、MEW2と産まれてくる子供が片親になってしまうとわかっていて、それでも妊娠を継続させるべきなのか。
せめてMEW2に両親がいる普通の家庭の可能性を残すべきなのか。
本当に迷いました。
堕胎を決めて数日間、翌日一日中目が腫れているほど、元主人が眠った後泣きました。
実は今でも、元主人の気が変わらないかと毎日願っているくらいです。

姉に言われました。
「女は子供や家族の為に、絶対に自分が望んでいない事もできるけど、男には出来ない。だから男は母親になる存在に選ばれなかったんだ」と。
姉も、堕胎に関しては決して賛成しているわけではありません。
私の家族も、私と同じように、今家族として生活しているのであれば、この妊娠をきっかけにもう一度やり直すことが出来たら良いのに、と思っています。
それでも、姉も母も結婚していろいろな経験(堕胎の経験はないです)をしてきていて、それを望まざる形でも乗り越えなければならない事を知っているので、私を責める事はしませんでした。
家族は私の性格を知っているので、私が十分に自分を責め続けている事もわかっているから。
これ以上私を責めても、何も良い結果を生まない事をわかっているから。

元主人と私の関係は、とても脆いものです。
「普通の家庭でいる」
ただそれだけの事が、私にとっては毎日綱渡りのような状態です。
皆さんが想像する以上に極限状態にあります。
だから、彼の意見を拒絶して無理に妊娠を継続させるよりも、今の脆い絆を確かなものにする事を選びました。
最終的に、どうなるのかはわかりません。
結婚も離婚も二人の問題で、どちらか独りが決定権を持っているわけではなく、しかも今の私達の関係では、元主人が決定権を握っているのです。
だから、自分にできる限りの努力をしたい。
堕胎なんて絶対にしたくない。
いっそ自分が死んだ方がマシと思うくらいしたくない。
それでも。

残念ながら私達の「離婚」を回避できるか、私にはまだ全くわかりません。
現在のところ、離婚する可能性はまだ大きいと思います。
継続する可能性の方が大きければ、堕胎する必要がありませんから。
だから「元」夫婦なのです。
それでも、元主人が迷っていることも事実で、以前も書いたように私が彼の意見を受け容れずに妊娠を継続させるよりも、離婚を回避できるよう努力する事が、今の私にとって一番大事なのではないかと思っています。

最初に私が若いお嬢さんや一般的な男性、と書いたのは、経験と年を重ねた女性よりも絶対的に経験が少ないからです。
それでも公開した理由は、男性にとってはパートナーを、女性にとっては自分自身をもっと考えて欲しい。
避妊はけっして100%になり得ない上、避妊の失敗のほとんどは男性側の責任であるにも関わらず、その結果出産であれ堕胎であれリスクを負うのは女性である事。
妊娠というのは男性にも、責任の半分はあるのだという事。
若い女性は、結婚すれば、本当に自分が絶対にしたくないと思っている事を選ばざるを得ない事もあるという事。
おそらくロシぴろさんに来られる女性はパートナーがロシア人である方が多いでしょうから、私の知る限り日本人やイギリス人やアメリカ人のパートナーを持つ女性よりももっと不条理な思いをする事もたくさんある事。

こんな選択をせざるを得ない立場になるのは、私独りで十分です。

私の大好きなお芝居の中で、こんな言葉があります。
強くならなくて良い。
強くなると人の弱さの叫びが聞こえなくなるから。
だから、人の涙を拭くハンカチになりなさい。

人はその立場にならないと、その気持ちは分からないことが多いと思います。
この日記を読んで下さっている方が、いろんな立場があって、いろんな選択があって、いろんな考えがあって、その立場にならなくても(まして今の私のような立場には誰独りなって欲しくない)世界にはこういう立場もあるんだとわかって貰えたら、と思います。

本当は、この事に関してはもっと書きたい事がたくさんあるのですが、上手く纏まりません。
ごめんなさい。

2004年5月8日(土) 言霊

もしモスクワで婦人科系の病気や妊娠で悩んでおられるようでしたら、今私がかかっているドクター(老齢の女性)は本当に良い先生だと感じましたので、病院とドクターの名前をご紹介できます。ご連絡下さい。
本当は衝撃のモスクワ現地病院体験も日記に書こうと思ったのですが、もう止めておきます。
結構ビックリするような事がたくさんあったんですけど…あ〜残念!!
これまた知りたい方はメールでお願いします★



人の価値は本人が決める事です。
人はそれぞれ違う生き方をし、違う考え方をし、共感したり、反発したり。
生き方が違えば、抱える問題も、それを解決する方法も違うし。
同じ意見ばかりではつまらなくないですか?
だから、いろんな意見を聞いて、それを自分のなかで消化して、視野を広める事が、人としての「深さ」を作っていくものだと思っています。
それでも、最終的な決断をするのは自分自身です。
それが「世間的」に間違いであっても。

私が今モスクワに居るのは、自分の気持ちに正直に生きる最後のチャンスだったからです。
MEW2の幼稚園や、私の再就職や、いろんな事が今年なら「棚上げ」に出来るから。
それなら、まだ想いの残っている彼と一緒にやりなおせる機会がもし出来るとしたら。
MEW2に、お友達のお家のように「パパの居る普通の生活」をさせてあげられるのなら。
私次第で、その生活がずっと続けられるかも知れないとしたら。

そして、それよりも実は、もっと私自身にとって「壁」を取り壊す意味もあるのです。
以前の生活が本当に悲惨だった事は書いたように思います。
確かじゃなくてごめんなさい。
この時の生活の事はまた改めて書かないと、なぜ私達の関係がそれほど脆いのか、普通に生活する事がそれほど大切で愛おしい、何を犠牲にしても守りたいとまで思うものなのか、そして、なぜ元主人が、妊娠した事で「もう一度やり直そう」と思えないのか、なかなか理解して頂けないと思います。
詳しい事は後日書きますが、これまたかなりヘビーな内容になりますので…
う〜ん、どうしよう…
「お昼のメロドラマに売ったら?」と言われたような生活(全然わからないですねぇ)とだけ、今は書いておきます。

当時、私はひどい鬱になりました。
最終的にやっと心の療養のために帰国する事が出来た時は、もう「夫婦」としての関係を継続させるには手遅れでした。
正常な精神状態に戻るのに2年かかりました。
それでも、当時の生活は心のどこかで引っかかっていました。
「私はモスクワの生活に負けた」
それは当時の私の覚悟が甘かったからなんですけど、どうしても乗り越えなれないのです。
「いつも心の中にとても重たい何かを抱えてる」と言われるほど、心のどこかにこびりついていたのです。
乗り越えないと、きっといつまでもいつまでも後悔する。
あの時こうしなければ、そんな事がてんこ盛りの生活だったなぁ
それを乗り越えなければ、私は先に進めない。
表面的にはどんなに進んでいても、心のどこかは止まったままになってしまう。

彼のオファーは「MEW2ともっと一緒にいたい」からモスクワに一年間住んだら?というものでした。
一年なら私が仕事をしなくても生活の面倒を見れる保証が出来るから、と。

私は悩んで、いろんな方に相談して、考えた末、モスクワで住む事を選びました。
今度こそは、もっとちゃんと努力しよう。
努力して、それでモスクワの生活に負けたとしても、離婚という結果になったとしても、ベストを尽くせばどんな結果だって納得できる。
どんな結果になっても後悔は残らないほど、やってみよう。
これは私の心の中にこびりついた影を取り払うチャンスだ。
以前の生活をリセットしてみせる最後の勝負なんだ、と。

もちろん、家族も友人も、私の事を想って反対しました。
それでも、一生「モスクワに負けた」と思い続けて生きていくのは嫌。
ベストを尽くして、それで負けたなら「やっぱり負けちゃったよ〜。えへへv」って言えるけど、自分が十分な努力もしないで負けてしまって、離婚になってしまって、ずっと後悔しながら生きていくのは耐えられない。
私は、自分の決意を通して、モスクワに来ました。

問題を抱えている今も、モスクワに来た事を後悔していません。

モスクワに来ずに、日本で、世間的に見て「幸せ」な「新しい人生」をやり直す事もできたでしょう。
でもそんなのは私にとって「幸せ」でも「新しい人生」でもない。
過去を無理矢理封じ込めた上辺だけの幸せ。
そんなもの、私は要らない。
「世間さま」は「私」じゃない。

私は「生きる」という事は、水の流れのようなものだと思っています。
時には速くなり、時には穏やかになり。
そして「海外に住む」というのも、水の色は変わっても、本質である「水」に変わりなくて、何もロシアに住むから「ロシア人にならなきゃ」とか、そんな肩肘を張る必要はないと思っていたし、今もそう感じています。
ただ、以前の私は、「ロシア」という急流の中で、水ではなく石になってしまった。
頑なで、周りの流れに元の形がわからないほどに身を削られ。
今度こそは水のままで、ロシア人と同じ色の水にはなれないかも知れないけれど、それでも、同じ本質である水であろうと。
周りのいろんな方達の、いろんな色を貰って、いろんな流れに混ぜて貰って、色や流れを変えながら、それでも自分の気持ちにはいつも正直に、いつかは広くて深い海に辿り着けたらなぁ。


そして、堕胎の事です。
ここからは、もし私と同じ立場におられる方がいらしたら、どうか読まないで下さい。
結論を変えられないのであれば、せめて心の傷が少しでも浅いように…

この事は、もう私達が決めた事です。



私は妊娠を知った時から、時間がないと思っていました。
「堕ろす」という選択肢がある以上、時間がない。
もし堕ろすのであれば、絶対に7週目の終わりまでにはしないと。
「受精卵」は「胎芽」を経て、妊娠8週目から「胎児」になります。
妊娠7週目の終わりには、脳や目、耳の神経が発達してきます。
それは、傷みや苦しみを感じるという事とは決して一致はしないのかもしれませんけど…

もしどうしてもこの選択をしないといけないのなら、せめて、痛みや苦しみを少しでも感じずに済む期間の間にしてあげたい。
私には、それだけしかしてあげられない。

だから、急いで決めました。
時間が無い分、夜もほとんど眠らずに考えて。
他の事が何も手につかないほど、考えて考えて。

今でも命は等価だと思っています。
お腹の中の新しい命も、MEW2も、私も、みんな。
それでも、産む事よりもMEW2に普通の家庭の可能性を与えたいと書いたのは、理由があります。
MEW2は産まれてから今までの3年8ヶ月間、既にずっと私達の関係の巻き添えになってしまっているのです。
モスクワに居た時は私の鬱や元主人との諍い、日本では父親が居ない事の不安、私しか居ないという切迫感。
そして今は友達もなく、言葉が通じない環境での生活。
だから、出来る限り「普通」の幸せを与えてあげたいのです。
もし私が妊娠を継続させて、元主人が来なくなったら、MEW2は「パパに捨てられた」と感じるでしょう。
私は胎児の事とで今ほどMEW2に時間も精神力も費やせなくなるでしょう。
MEW2には、3歳8歳児には抱えきれないほどの重荷を、今まで背負わせてきたのです。
今でも、私達の関係がとても微妙な事は感じています。
だから、今まで苦しませてしまった分も、我慢させてしまった分も、幸せにしてあげたい。

もちろん、元主人と別れて、独りで産んで育てるという選択肢もありました。
でも、MEW2ひとりでもいっぱいいっぱいなのに、私に出来るのか自信がありませんでした。
経済的な事ももちろんあります。
日本では一般的に子供をひとり成人させるのに2000万かかると言われていますが、買ってもすぐ小さくなる靴や服、医療費、保険…
母子家庭への補助を考えても、相当厳しい生活になるでしょう。
贅沢できなくても、最低限の生活は子供にさせてあげたい。
私は精神的にまだまだ未熟なので、仕事をしながら家事を全て独りでこなし、子供と接する時間が少なくなる分まで笑顔で子供と接してあげられる余裕が、その時あるのか…
最悪の場合、また精神的に壊れて、ふたりの子供を施設に預ける事になるんじゃないか…

精神的に壊れる恐怖は、経験した事のない人にはわからないでしょう。
手足を縛られ、「言葉」が話せなくなる状態まで追いつめられた事のない人には。
もうあんな想いは、絶対にしたくないし、周りの人にも絶対にさせたくない。
まして、まだ幼いMEW2の心にどんな傷を与えるか考えると…

今回の事は、私なりに出来るだけいろんな状況を真っ直ぐに見つめて、元主人と話し合って結論を出したつもりです。
他人から見たら「真っ直ぐ」では無いかも知れません。
でももう良いのです。(←あ、なんか投げ遣りな表現になってしまいました)
この事は、どんなに言葉を費やしても、わからない方にはわからないでしょうから。
本当は検査結果の事とか、日記で公開した後になって、それでもまだしつこくあがいている間にまたいろんな事があったんですけど。
わかって下さる方がいる。
わかって下さる方の中ばかりで生活してはいけないし、それでは人間として成長していけないけれど。
それでも、わかって下さる方がいて、その事を幸せと思って生きていきたい。



今回の事で、いろんな「言葉」を頂きました。
ある方はどう励ましたら良いのかわからないという感じで、それでも、本当に優しくて温かくて。
ある方は力強く、ある方は「姉」のように。
皆さん、本当に親身になって、想いが溢れていて。
本当にありがとうございます。

「ことだま」という言葉があります。
言葉の魂・言霊です。
頂いた言葉には、魂が込められていました。
皆さんの言霊に支えられて、私は今日も生きています。

2004年5月9日(日) ポケモン家族

「元」主人という表現が、もしかしたら良くないのかと思って、彼にも日記内で名前をつける事にしました。
やっぱり「主人」じゃないし、でも「彼」ではちょっと距離があるような感じだし、本名出すのもどうかと思うし、いや、別にロシア人には同じ名前の人がたくさんあるし良いかな、でもなぁ…
などと、ただでさえ睡眠時間3時間以下という生活の中、お布団の中で考えてみました。
私とMEW2がポケモンやからやっぱりポケモンでいく?
それとも彼がはまりにはまりまくっているWAR CRAFT(ゲーム)のキャラでいく?
でもあれ、えげつないのしか居てないし…
カッコイイのはひとり(?)いるけど、あれはちょっともったいないやろう?
やっぱりポケモンかな?
う〜ん…
と、1時間ほど考えて、最初の方で思いついたけど、とっても良いパパポケモンなので一度却下したポケモン・エンテイにしました。

ちゅか、面倒くさくなってしまったのと、一応彼も良いパパとして彼なりに本当に一生懸命頑張ってくれているので、あと、最終的にはエンテイみたいな良いパパになってくれる事も願って…

2004年5月13日(木) モスクワでハマる

モスクワでハマっています。
それは…パーシャ・アルテミエフ!!
КОРНИというバンド(アイドル系?)のベースなのですv
ひとりで女の子とユニットを組んで「パニマエシ」という歌も歌っていますし、КОРНИの時でもソロの部分もあります。

2週間ほど前、エンテイくんの友達・ミーシャが遊びに来ました。
ミーシャはテレビ局勤めらしいので、以前から「ミーシャにパーシャに会わせてって頼んで〜!!」とエンテイくんに頼んでいたので、ミーシャは私がパーシャにハマっている事を知っています。
残念ながら「КОРНИには会えないなぁ」という返事でがっくしだったのですが。
「КОРНИじゃなくてパーシャだけで良いねんけどなぁ」と言っていると、ミーシャが一言。
「パーシャってどれ?КОРНИはあんまり歌が上手くない」
うっ!!
それでもめげずに、
「え〜。パーシャ、そんなに上手くないけど下手じゃないよ〜。パニマエシの時なんかわりと良かったやん」
するとエンテイくんとミーシャが声を合わせて
「あ〜!!パニマエシ歌ってた男の子か〜!!最初からそう言えばすぐわかるのに」
あ、そうなんですか?すみません。
そしてさらに厳しい一言が。
「あの子、そんなにハンサムだったっけ?」
「男にはパーシャの良さがわからへんねん。最近の私の王子様やねんもんv」
エンテイくんが、
「そう言えば、なんか女の子の歌手にもハマってるよね?誰やった?」と聞いてきたので、
もう30回くらい言ってるのに…と思いながら、
「ユーリャ・サビチェバ」と答えると、
「彼女には会いたくないの?」と。
「う〜ん、別に女の子は良い。大好きだけど、パーシャならその後愛が芽生えるかも〜vと思ってワクワクできるけど、女の子とは愛が芽生えへんからワクワク少ないもん。でも会えるなら会いたいかもv」
アホ丸出しな私なのでした。

で、毎日MTVのRU.zoneの時間を狙ってテレビをつけ、КОРНИがでないかワクワクしています。
が!!
ここでエンテイくんです。
私がMTVを見ていると、もちろんくだらない歌も出てくるので「消せ」と言われるのです。
「パーシャ出てくるかも知れへんのに〜〜〜」と抗議するのですが、いつも却下させるので、平日のお昼しかワクワクはありません。
先日、義父母の所に泊まった時です。
義母がMEW2と遊んでくれていたので、キッチンでMTVを見ていると、エンテイくんが来ました。
「MEW2が起きてるんだから消せ」
「え〜!まだパーシャ出てないもん!!(←出てくるとは限らない)バブシカと遊んでるから良いやん」
「ダメ!!テレビ見たがるから消せ」
仕方なく消しました。
ところが!!
ちょっとキッチンを離れてまた戻ると、自分がテレビを見ているではありませんか!!
アガサ・クリスティの推理ドラマです。
はぁ!?と思っていると、MEW2と遊んでいた義母が何かの用事でキッチンに来ました。
「あっ!推理もの?」というなり椅子に座ってすっかり見入る態勢の義母。
元主人に「私はMTV見るのあかんくて、あなたは推理もののドラマを見ても言い訳なのね?ふ〜ん。すっごいフェアな家庭やなぁ」とうらめしそ〜〜〜〜に睨み付けてMEW2の相手をしにキッチンを去りました。
流石にちょっと私が可哀想に思ったのか、エンテイくんが部屋に来て
「MTV見ても良いよ。」と言ってくれたのですが。
もうRU.zoneの時間は終わっていました…
ちょっと悲しい私なのでした。

2004年5月14日(金) 最遅記録

今日ネットに接続したら、いつもかなり遅い(普段は16800くらい)のが、いつもにも増して遅い。
見てみると
4800バイト。
遅すぎ〜〜〜!!
日本ではADSLで8Mだったんですけど…
どーゆーことですか!?

先日は9600バイトで、遅すぎるっちゅうねん!!とキレながら、横でゲームをしていたエンテイくんにも
「gonzaさんにも此処、モスクワでも異常に遅い、電話回線の質が悪すぎるって言われたよ〜。もう私が初期費用($120)出すからネット回線引いて下さい。接続するまでに10分かかってこんな遅いのはあんまりです…」
とお願いしたところなのに。
エンテイくんも以前家でネットしていて、あまりの質の悪さにネット回線引こうと言ってくれていたのですが、その時は「後で大家が儲けるんだから、初期費用は大家さんに払って貰って」と言ってしまったのでした。
私のバカバカバカ〜〜〜!!
4800バイトという事は、モスクワはネットのカードが分単位でお金を取られるので、48Kの10倍かかってるって事で…
エンテイくんにも「ネットカード使いすぎ」と言われたんですけど、使いすぎなん違うくて、遅すぎやねんって!!
4800バイトで、しかも上手く接続できないので「ページを表示できません」なんて出てくると、とても悲しい気持ちになります。
なので、とっとと切りました。
ココ、一応G8の一国の首都なんだけどなぁ…

2004年5月15日(土) ユーリャ・サビチェバ

パーシャの時にちょっと触れましたが、今日はユーリャ・サビチェバです。
10月末頃だったと思います。
MTVをつけていると、とても綺麗な歌が流れてきました。
PVも幻想的で、バックに歌詞の英語が流れるので、これはロシア語の勉強にとても良いのでは!?
でもこのPV、林明日香の「小さきもの」パクったよね?
などと突っ込み入れながら聞いていました。
その時は、いつものように洗濯物を干しながら聞いていたので、結局歌手も歌の名前もわからず終いで。
「次モスクワに来る時にはもうこの曲流れないだろうなぁ…この曲のCD欲しかったなぁ…」
と、ちょっと残念な気持ちのまま帰国しました。

ところがところが、2月にMTVをつけると。
あの曲ではありませんか!!
もう急いでメモとペンを用意し…
あ〜、でもロシア語なので、読み切れなかったぁぁ;;
などという事を、3回ほど繰り返し、やっと判明しました。
ユーリャ・サビチェバの「ヴィサコ」

とてもゆっくりした曲なので、歌詞がわかれば歌えるようになるかもv
と思い、MTVでアルバム名もチェック!!
ファブリカ・ズベズダ2のアルバムに入ってるのね〜
という事は、ファブリカ・ズベズダ2出身って事かぁ。
という訳で、先日、CDを買いました。
ちょっと話がそれますが、この時、バブシカとエンテイくんとMEW2が一緒だったのですが、市場に寄った際に、ひとりでふら〜っとトイレを探していたら電気屋さん内にCDショップを発見して買いました。
その後、トイレも探し出して彼らを捜そうと市場に戻ったら、どえらく怒られた〜!!
ちょっと鬱ぎ込んでいる時だったので、エンテイくんは車道に飛び込んでるんじゃないかと思ったらしいです。
MEW2は肩車して貰っていたのが降りる時にお尻から落ちて泣いていて、市場内に泣き声響いてて探す出すのには助かったのですが、
「MEW2、迷子になっちゃって困っててん」と言うので、
「迷子になってたのはMEWやで〜。」
エンテイくんには
「何買ったの?」と聞かれ、
「CD。バイアグラとおっちゃんの曲とかКОРНИが入ってるのと、ヴィサコが入ってるの。自分でお店の人に聞いて買ってんで〜!!スゴイやろ〜?」
と答えたら、「人がすごい心配してたのに…」と苦笑してました。
CD買うのも大変な騒ぎです、ウチ。

で、ヴィサコです。
ロシアの、というより海外のCDには歌詞カードなんて親切なものはついていません。
エンテイくんに「歌詞聞き取って書いて〜」と頼もうと思ったのですが、きっとそんな面倒な事はしてくれないので、ロシア語の授業の時にお願いして、歌詞サイトをひよこさんが調べて下さって。

今日は気温は10℃くらいながら朝からお天気が良く、エンテイくんがお昼前に起き出し、朝御飯(お昼ご飯?)を食べ終えると、MEW2を連れて散歩ついでに市場などへ買い物に行ってくれました。
実は今日は私、朝7時半起きで3時間弱しか寝ていなかったので…
で、MEW2が居ない間に早速歌詞を見ながらCDを聞いて。
曲自体はもう覚えていたので、見ながらなら歌えるやん〜〜v
とご機嫌でいると、3時間ほどしてストレスの元凶達…じゃなくてエンテイくんとMEW2が帰って来ました。
「お帰り〜」
「MEWちゃん、MEW2リグーシカ(カエル)になってお魚になってん」
???
エンテイくんはご機嫌ななめで
「すぐ脱がして洗って。魚釣り(ごっこ)して池に落ちた」
足元を見ると…
泣けるくらいを通り越して、笑えるくらいドロドロ!!

とりあえず一段落ついて、お昼ご飯を食べ終え片づけをしながらババロアを作っていると、エンテイくんはMEW2に絵の具でお絵かきをさせ始めました。
私がババロアを作り終えた時には…
道具与えるだけで面倒見てないやん!!
あんたネットしてたんですか!?(←明日いよいよ3年越しの念願の新しい冷蔵庫を買ってくれるらしいので調べていた。この先どうなるかわからないから今は冷蔵庫いらないって言ってるんだけどなぁ…。彼がここまで根性出してるという事は自分が欲しいのでは!?)
MEW2の足元には顔料の塊がこびりつき…
着替えたばかりの服は絵の具が…
一挙に虚脱感に襲われたので、流石にエンテイくんに
「あの〜、絵の具使わせるんだったら、その後もちゃんと見てくれないと。池に連れて行くんだったら、ちゃんとずっとすぐ横にいて見てないと。」
流石にそれが親の努めやろう?という言葉は我慢しましたが、
「時々見てるって。その絵の具、土みたいなもんだから大丈夫。それよりやっぱりBOSCHだよね?」
あの〜
いくら水彩顔料って言っても、ここまで濃度がべったりだとたわしで一度こすらないと色が落ちないんですけど…
「まぁ、あなたは自分が床拭くわけじゃないし、靴も服も手洗いするわけじゃないし、そりゃ平気だよね」
「だからBOSCHだよね?」(彼は何故かBOSCH好き)
話がかみ合ってません…

で、ユーリャ・サビチェバです。
彼女は今日のユーロヴィジョンでロシア代表に抜擢されたのです。
先週その話を伺ってから、ずっと楽しみにしてました。
しかも今夜はMEW2を寝かしつけながらに私もうっかり寝てしまっている間にエンテイくんが両親の所に泊まりに行ったので、テレビ見れるぞ〜v
目が覚めて「ユーリャ・サビチェバ見逃しかも」と思いながら大急ぎでテレビをつけると
順番がわからなかったのですが、幸い見始めて4人目でした。
実はドロドロの服と靴が気になっていたので、とってもラッキー!!
でも歌はヴィサコではありませんでした。
実は昨日のニュースでリハーサルらしきものを少し流していて、違うのね、とは思っていたんですけど…
出てきた時からすっごく緊張しているのがわかるくらいで、なんか可哀想。
しかも、ファブリカ・ズベズダ2には彼女の曲が3曲あるのですが、そのどれとも違うので、もしかしたら新曲なのかも知れない。
演出も、四つん這いになったダンサーの上で歌ったり。
これは…無理やろう!?
もう本当に可哀想としか言いようがないくらい。
せっかく歌唱力があるのに。
ヴィサコなら優勝狙えたのに。
ユーリャ・サビチェバの後、とっとと洗濯しに行ったので結果は分からないんですけど。
大好きな曲なので、私もとっても残念。

で、エンテイくんは「今日こそ早く寝なさい!!」と書き残し、その後電話でも同じ事を言われましたが…
靴と服とチャイルドシートカバーを手洗い洗濯するのに2時間以上かかったちゅうね〜ん!!
ついでにまだ洗濯機で洗い終わって今夜中に干さないといけない(シートカバーの替えが無い)
早く寝ろとかちゃんと休めとか言う前に、私の用事を増やさない配慮をして下さいと何度もお願いしているんですけど…
あぁ、今日も3時間しか寝れない…
さっき30分でも寝といて良かった…


2004年5月16日(日) 日記

私が最初に「日記を書きませんか?」というオファーを頂いたのは、11月にまたモスクワに戻る事を決めた事を管理人さんのおふたりにお話しした時でした。
その時は、まだそれほど深く「何を書こうか、どんな事を書こうか」など考えていませんでした。
日記の始まりはまだ日本に居た時で、特に書くようなこともないし。
だけど「何か」を書くのであれば、誰の心に届くような事を書きたい、と思っていました。
読んで下さる誰かが「こういう考え方もあるんだな」とか「こういう立場になるとこう思うのか」とか、そう感じて貰えたらな、と。
その時はまだ、タイトル(いつまでも仮題のままですけど…)通り「平凡」な生活になるはずでしたから。


以前の生活で、本当に辛かった時、私はひとりぼっちでした。

人は、生きていれば、いろんな問題を抱え、いろんな壁にぶちあたって、それでも「生きて」いると思います。
それは、誰の問題の方が重要で、誰の問題は小さい、という事ではなく、その人その人なりに精一杯の問題で、その中には、もう生きているのが辛くて、毎日死ぬ事以外考えられなくなって人もいるでしょう。
毎日、自分が生きているのか死んでいるのかすらもわからない程、苦しんでいる人もいるでしょう。
笑顔がまったく出来なくなった人もいるでしょう。

自分がそうでした。

だから、そんな「誰か」が私の日記を読んで、それでも生きていれば、いつかきっと「明日」は来る。
頑張らなくても、焦らなくても、いつかきっと「大丈夫」って思える時が来る。
そう思って貰えるような事を書きたい。
心を閉ざしてしまっている人にも届くような、魂のある「言葉」を書きたい。
自分はひとりぼっちじゃないんだ。
此処にもこうしてアホなりに一生懸命やってるヤツがいる。
そう感じて貰えるような。

モスクワに来て、自分の心に傷が出来るたびに、その想いは強くなりました。

何故、日記で公表する必要があったのか。
それは、以前の日記にも書きましたが「避妊の失敗」とは決して「他人事」ではない事と知ってもらいたかったから。
「避妊の失敗って稀にあるんだって」の「稀」が自分の身に起こる可能性があり、その事をもっと真摯に受け止めて貰いたかった。
決して、私と同じ過ちを繰り返さないで欲しい。
そして、生きていれば、どんな不条理も受け入れざるを得ない時もあるという事を知って欲しかった。
それでも乗り越えなければならないんだ、という事を。

それから、これはとても個人的な理由なのですが、今私が抱えている一番大きい傷を隠して、私に「死んでしまいたい」と考えているような人にまで届くような「言葉」を書けるのか、と思ったのです。
隠していたほんの数日間、日記を書く事に「違和感」を感じたのです。
嘘をついているような、そんな違和感。
嘘の言葉は心に届きません。
その後どんなに心を込めても、言葉は力をなくしてしまうと思ったのです。

だから、批判も覚悟で書きました。
今までお友達だった方はきっと幻滅するだろうな、とも思っていました。
(でも、お友達はメールや書き込みで応援してくれて、本当に本当に嬉しかった)

どんなに今が辛くても、生きて欲しい。
前を向いて、毎日ひとつでも良い、何か良い事を見つけて欲しい。
「今日はお月様が綺麗だったな」とか「昨日は蕾だった花が少し膨らんだな」とか、そんな些細なことで良いから。
今日も自分は生きたんだ、と感じる何かを見つけながら、毎日を繋げて欲しい。

少し過去の話になります。
私が英語が(高校は国語以外全教科)中・高通して赤点スレスレ、または思いっきり赤点だったのに、何故英語留学したのか。
その当時、小学生の自殺が多発していました。
まだスクールカウンセラーなんて無い時です。
その頃の私もいろんな事情を抱えていて、それでもとても元気に生きていました。
そして「子供達に生きて欲しいと伝えたい。カウンセリングを習って心の傷を少しでも癒せたら」と思ったのです。
でも当時は通信講座でカウンセリングなんてありませんでしたし、大学受験するなんてまっぴらゴメンだったので、短絡的に「アメリカはカウンセリング大国だからカウンセリングスクールなんてもんがあるんじゃないの?じゃ、まず英語?」と思って、日本に居て英語コースに行くより、同じくらいの金額で行けるなら(最初3ヶ月の予定でしたから)留学しちゃえ!!と、とっても単純に留学を決めたのです。
この理由は、母も知りません。
母は「クラブで日本語が出来る外国人ばかり相手じゃ飽きてんな」と思っています。
結局留学を終えて帰国すると、スクールカウンセラーやら通信教育やら「あれれ〜??」って事実が待っていたのですが、どっちにしろ1年留学しても「英語で心理学を習う」のは無理だと言う事に気付き、その上姉にも「今はカウンセラーが余ってるくらいやで」というトドメを刺されたので、カウンセラーの道は断念したのです。

そして、日記です。
自分が傷つき、自分が泣いた分、誰かを支えることが出来たら。
助けるなんて大きな事は出来ないけれど、傷つき、血を流している誰かの心に、そっと手を当ててあげられるような。

だから、非常にネガティブな事実は書かないようにしていました。



掲示板に書いて下さった方が居ます。
「言葉には力がある。」と。
日記を読んで下さった方が、その恐ろしさに気付いてもらえると、すごく嬉しい。

気になるのは、もしかしたら私と同じ立場で、同じ決断をされた方が同じように傷ついているんじゃないか。
私には、エンテイくんや、MEW2がいて、泣き言を根気強く聞いて下さるひよこさんやgonzaさんがいて、正気に戻る事が出来ますが、もしその方には誰もいないとしたら…
私の事に巻き込んで、傷つかせてしまって、本当にどう謝ったら良いのかわかりません。
でも、どうか生きて下さい。
私にお願いする権利はないって言われるかも知れないけれど。
でも、どうか私と一緒に生きて下さい。


誰かの心の支えになるような力のある言葉が書けるようになるまで、日記はお休みします。
でも、心配しないで下さい。
私はきっと大丈夫です。
明日も。明後日も。
アホなので、すぐ回復します。
数日間だけ、時間を下さい。

今日の日記はお願いばかりですね。
ごめんなさい。

2004年5月25日(火) 心の整理

日記のタイトルが変わりましたv
仮題から課題へ。
平凡な生活をする事が課題だなんて…
あ〜情けない;;

勝手にお休みを頂いて、すみませんでした。
そして、ご心配をおかけしました。
毎日なんとか生活しています。
最近おざなりだった主婦業も、ちょっとまともにしています。
が、久しぶりにちゃんとすると、面倒くさいものですね…
なんか、洗濯ばっかりしているんですけど…

姉と電話で話をしていて、ある事を言われました。
まず、検査結果のことから書きます。
いろいろあって、としか書いていませんでした。
実は、検査結果で、妊娠継続は難しいとドクターに言われたのです。
エンテイくんと話し合って結論を出して、日記にも公開した後で、
それでも、私は全ての可能性を考えただろうか。
なんとか出来ないだろうか。
必死にあがいている最中でした。
IUDが入っているので、継続は難しい、
しかも、子宮内で白血球が異常増殖している、との事でした。
ドクターの話の後、エンテイくんが通訳してくれて、血の気が引きました。
立っていられないくらい、身体が震えました。
「その時」に一歩一歩近づいている焦りと、それでも、と毎日考えて考えて精神が疲弊しきっている時でした。
決して「不可能」と言われたわけではありませんが。
それでも、それは、私にとって衝撃的な「宣告」でした。

MEW2を妊娠中も、体調が優れなくて、検診以外でも何度か病院に行きました。
それは、日本だから、一人で「ちょっと行ってくる」事が出来るけれど…
私はロシア語が分かりません。
メトロで片道2時間、それは一人でも行けるけれど、
いざ病院に着いたら、ドクターの話は全くと言っていいほどわかりません。
なんとか、拙いながらも自分の伝えたい事は話せるけれど…
ちゃんと伝わっているのかもわかりません。
ドクターに会うまでのシステムや、検査の度に違う入り口の検査室に行ったり、
そんなシステムも、よくわかりません。
検査別に用紙を一杯渡されて、どれがどれなのか、何の検査なのかもわかりません。
今回も、通院の度にエンテイくんは休みを取ってくれました。
病院から帰宅した後、毎回出勤していたので、結局は半休なのですが、
それだけでも、クビになるんじゃないかとドキドキしていました。
(モスクワでの不安定な就職事情はまた詳しく書きます)
それが、「難しい妊娠」で、何度通院する事になるかわからず、
もしそれでエンテイくんがクビになっても、私には彼に新しい就職先を見つけることが出来ません。
しかもエンテイくんは珍しく今の仕事に満足しているので(転職したばかりだから?)それを取りあげてしまって良いものなのか…
ただでさえ無茶苦茶忙しい仕事なのに、毎回、何度になるかわからないことに付き合わせて良いのか…
そして、白血球の増殖です。
医学的知識がないのでよく分かりませんし、エンテイくんの通訳の後でドクターに聞く事もできなかったのですが、
単純に考えると子宮内白血病って事で。
という事は、普通に考えると出産時に大出血するって事で。
もし私が死んでしまったら、MEW2はどうなるんだろう。

そう考えると、諦めるしかありませんでした。
じゃあ、どうして神様はこの子に命を与えたんだろう。
やりきれない想いで、毎日過ごしました。

そして、姉に言われました。
「じゃあ、MEWは、お腹の子に命を助けて貰ったんだよね。
出産で死ぬことはなかったかも知れないけれど、それでも一生後遺症がでる出産だったかも知れない身体を助けて貰ったんだよね。
その子の為に、自分を大切にしないといけない。
助けて貰った命を、身体を、大切にしないといけない」と。

あぁ。そうかぁ。
MEW2の為じゃなく、家庭の為じゃなく。
私は助けて貰った自分の命を大切にしないといけないんだ。

それで、納得したわけではありません。
まだ、気持ちの整理もちゃんと出来ていません。
でも、すべてを投げてしまったらいけないんだ。
犠牲にしてしまった意味が、本当に何もなくなる。
家庭をちゃんとして、MEW2と向き合って。
その為には、生きなきゃいけない。

日本での私はすごく恵まれていて、望んだものがある程度は手に入れられたし、
恵まれている、とは思っていましたが、でも、どこかでそれが当たり前のようにも感じていました。
モスクワでの生活には余裕がありません。
精神的にも、体力的にも、経済的にも。
どれもこれも選べません。
一番な事から優先していかないと。
まずはMEW2の事。
そして、家庭の事。
正直言って、もう妊娠するのも恐いのですが、
もし、今度妊娠したら、一人で病院に行けるようにロシア語もちゃんと勉強して。
「健康状態」も妊娠継続の不安材料(エンテイくんにはこれが一番の理由だった)なので、
健康管理もちゃんとして。

そうやって、生きていこうと思います。

産んであげられなかった子供に「命ちゃん」と名付けました。
そのままやないか〜!!なんですけど、
他に思いつきませんでした。

沢山の方が「命ちゃん」が産まれる事を望んで下さいました。
そして、私も、自分で思っていた以上に産みたかったのを知りました。
命ちゃんは決して望まれなかった命じゃない。
それが、すごく嬉しいです。

命ちゃんは「生命体」として産んであげられることが出来ませんでした。
だけど、生きています。
私の経験として。
私の命と一緒に。

2004年5月26日(水) 電話番号

朝からふと思いついて、家の電話の機能をいじって遊んでいました。
あれ??何これ??

とってもイヤ〜〜な気持ちになったので、辞書で調べてもわからず、エンテイくんが帰ってくるまで待とうと思っていたのですが我慢できずに携帯で聞きました。

MEW:なぁ、プルーシュカって何?
エンテイ:誰から聞いたの?
MEW:ちょっとね。何?
エンテイ:ケーキの名前。
MEW:ふ〜ん。プルーシュカ・モブって何?
エンテイ:友達
MEW:サンクトの?
エンテイ:ああ、それもサンクトの友達。
MEW:女の子やんなぁ?(はよ白状せんか〜!!とイライラする)
エンテイ:うん。
MEW:一緒に住んでた彼女じゃないの?
エンテイ:あ〜、そう。その友達。
MEW:ふ〜ん。わかった。じゃね。

2月に話した時、全部終わったって言ってたやんか。
電話番号が、それも携帯・職場・家ってあって、今でも残ってるって事は続いてるって事で。
あ〜、じゃあ、最初に「日本に帰っても良い」って言ったのは、
私らがココに居ったら彼女と住まれへんからやったんや。
そうならそう言えば良いのに〜!!

日本に帰国するつもりはないんですけど、彼女と住みたい場所に私達が居るわけにもいかないので、荷造りを始めました。

エンテイくんから電話が。
エンテイ:で、どう?
MEW:私らココ出て行くから。プルーシュカと住んだら良いよ。最初っからそう言ってくれれば良かったのに。気がつかなくてゴメンね。
エンテイ:彼女とは終わったって言った。何故今頃蒸し返すの?
MEW:電話番号見つけたし。別に続いてるなら続いてるで良いねんって。あなた自由なんだから。じゃね。
と、携帯の電源を切り、家の電話を抜き。
チョーチャ・ターニャが来てくれていたので、エンテイくんはチョーチャ・ターニャの携帯に電話。
チョーチャ・ターニャも私が荷造りしているので、おかしいのには気付いていたのですが、何も聞こうとしない(そういうところが有り難い!!)ので、帰りに説明しようと思っていました。
チョーチャ・ターニャには今家にいないって言って、とお願いしたのですが、彼女は私がかけ直すと言ってしまったので、仕方なくかけ直しました。
MEW:何?
エンテイ:だから、彼女とはもう終わったって。
MEW:彼女が出て行った時から終わったって言ってたよね?それならなんでサンクトの家の番号があるん?
彼女が帰った後も必要やったからあるんやろう?
ついでにマリーナも見つけたし。もうホンマに良いって。

マリーナの事を書かなくてはいけません。
ある日、いつものように、なかなか寝付けなくて、それでも朝方、やっとうとうとしかけた頃です。
ぐっすり眠っていたエンテイくんが
なんやらかんやら(ロシア語)!!マリーナ!!と叫んだので、目が覚めました。
やっと寝かけたのに〜、と思いながら、マリーナって誰?と聞くと…
「ティ!!」と言われたので、流石にむっとして、「私マリーナ違うで!!」と言うと
頭を思いっきりどつかれた!!
もう、なんで私他の女の夢見るようなヤツとやり直すためにこんな辛い思いしてんなんねん!!とキレ…
服を着替えて、明日の着替えを用意していると、やっと目が覚めたエンテイくん。
すったもんだの末、マリーナという名前の人は知らない、どんな夢か覚えてないとの事。
納得できませんでしたが、仕方ないので、一件落着にしていたのです。

エンテイ:マリーナ?誰?
MEW:私が知ってるわけないやん。じゃね。

お昼過ぎ、ランチタイムを利用して、わざわざ帰ってきたエンテイくん。
結局、サンクトの彼女が電話番号を残していったまま、忘れていた事。
マリーナはリトアニアの情報を教えてくれる人。
で、言われました。
嫉妬するな、と。
嫉妬じゃないねん。あなたが自由なのは、そ〜んなに見せつけなくても十分わかってます。
でもな、ただでさえ、今不安定で、しかも辛い想いしながら、なんで他の人に目移りしてるような人とやり直そうと思わんなんのかと思ったら、アホらしくて。
日本に帰りたいんじゃないし、自分の目的が果たせてないから帰るつもりないけど、他の人と住みたかったらどうぞってだけ。
あなたは自由なんだもんね。でも私も自由なんだからね。

まぁ、最終的には日本に帰るんじゃないんだったらココにいなさい。ココで、もう少し家庭を続けよう、と。

チョーチャ・ターニャが帰る時に、巻き込んでごめんなさい。こういう事があって…と説明をしました。
チョーチャ・ターニャには、私達の関係も全部話してありますが、それでも此処に彼女と住んでいた話はしていませんでしたので、なんて事!!というリアクションをしてくれて。
それでも、彼女とは全部終わっている事、今まで通り生活したいとエンテイくんが思っている事を、とても喜んでくれて。
こういう人が側にいてくれると、本当に心強い。

最近知ったんですが、エンテイくんはあれでも(ってわかりませんねぇ)もてるらしいのです。
ま、収入は良いし、オシャレにも気を使うようになったし(出逢った頃は全然だったので私が改造した。)
インテリ一家なので、そりゃ条件良いよなぁ

で、その夜、MEW2が寝た後、二人で「危険な情事」(なんでやねん!!)を見ました。
見終わって、エンテイくんが
「嫉妬するのって最悪だろう?」というので、
「あれはさぁ、男が悪いって!!二人の女性が不幸になるのなんか最初からわかってるのに、自制できないのは男がアホやねん。それに、私は嫉妬してるんじゃなくて、余所向いてる人と家庭をやり直すの付き合ってるのが馬鹿馬鹿しいだけやねんで。」
いや、正直言って、嫉妬してます。
が、それを見せるのが悔しい〜〜!!
それにやっぱり彼もそして私も他の普通に結婚している関係よりも自由であるべきだと思うし。
それでも、こういうのは好きではないので、もっと安心できる人と暮らしたい…

2004年5月28日(金) お湯が出るかも…

ずっと書き忘れていましたが…
ウチ、今お湯が出ません。
毎年恒例のやつです。
ダーチャや義父母の所に行っていたのでハッキリわかりませんが5月11日(?)から止まりました。
ついでに「今日のモスクワ」にも書かれていますが、セントラルヒーティングも止まっています。
4日くらいまでは暖かかったんですよ〜〜!!
それが、セントラルヒーティングが止まった途端、最高気温13℃くらいになって、さらに下がって…
13日頃は、日中の最高気温5℃、早朝には雪も降りました。

で、バスルームは寒い!!
幸い今借りているフラットには、電気温水器が付いているのですが…
これまたものすご〜〜〜くチョロチョロっとしかお湯が出なくて;;
寒いちゅうね〜〜〜ん!!
これは苦行ですか?
ま、無いよりはチョロチョロでもお湯が出てくれる方が断然嬉しいです。

お皿を洗うにも、なんせ外気温が低いので、水温も低いのです。
ゴム手袋をしていても冷たい…

以前の生活で知っているので、全然気になりませんけど。
まぁ、お水が出るからお皿洗えるし。
電気温水器があるから毎日シャワー浴びれるし。
永久にお湯が出ないわけじゃないし。
そんな程度です。

お掃除のおばちゃんに聞かれました。
「モスクワの生活はどう?」
う〜ん、今お湯でないし寒いから、めちゃくちゃ悪くはないってところかなぁ。
もう少し暖かくなってくれたら、別にな〜〜んにも問題ないと思うんだけど…(イヤ、ありあり)
前の時は、電球が突然爆発したり、お湯が出なくなったり、エレベーターに閉じこめられたりして、その度に辛くて泣いてたんだけど。
なんかそんな事よくあるってわかったら気にならなくなった〜
でも早くお湯は出て欲しいなぁ
と、ジェスチャー混じりで話しました。

お掃除のおばちゃんは「泣いてたの!?」と驚くので、
うん、お湯が出ない間はもう毎日泣いてた。急にお水かお湯が止まることもあったし。
しょっちゅう泣いてたなぁ。
「日本はお湯が止まったりしないの?」
それは無いですねぇ。予告があって断水とかあっても、滅多にないし。
電球が割れるなんて無いし。
エレベーターに閉じこめられるなんて事も無いし。
インターネットも8Mだし(←関係ない)
でもモスクワの生活ももう知ってるから全然気にならなくなっちゃった〜
別に生きていけるし。

お掃除のおばちゃんは日本では電球が割れない事に驚いていましたけど。
イギリスでも割れないのよ…

で、お湯です。
エンテイくん曰く、明日から出るそうです!!
やった〜〜〜〜vv
でも私は期待して損するのがイヤなので、6月入る頃までは出ないかも、と思っています。

が!!
今日、エンテイくんが「お湯出るよ、知ってる?」
えええ〜〜〜〜〜!!
一日早いやん!!
それは何かの間違いじゃないの?と思ったら…
お湯の水道から…
お水が出ました。
ちゅか、お水が綺麗なんですけど…
(普通、断水の後は茶色い水が延々と出ます。)
これは…やっぱり間違いですか?

明日がいろんな意味で楽しみですv

2004年5月29日(土) スローバラード

き〜の〜おは徹夜を〜してしまった〜
寝に行ったら〜場所がなかった〜〜〜

ご存知でしょうか?
RCです。
寝てないので、ちょっとハイになってます。

昨夜はなかなか寝付けなくて(ロシア語のレッスンでパーシャに関する素敵な情報をGETしたので、興奮して眠れなかったのかも…)夜2時頃ベッドに入っても眠れなくて、ちょっと起き出してネットして洗濯物干している間に寝る場所が無くなってしまった;;
ウチはダブルベッドに親子3人並んで寝るんですけど、端っこの2人共がすこ〜しずつ真ん中に寄っていて、2人とも眠り込んでいるのに、私が割り込んで入って起こしたら悪いなぁと思って、そのまま起きている事にしました。
あの幅に入り込むには10kgくらいダイエットしないと…
2人で無意識に痩せろと訴えているのか!?

33歳にもなって、完徹はいけません。
お肌に良くありません。
ついでに最近眼の下のクマが取れません。
時々、自分で見てもちょっと気持ち悪い時があります。
これでゲッソリやったら恐いやろうなぁ…
んで、コンシーラーなんて面倒な物は元々持っていないので、お化粧で誤魔化すしかありません。
トホホ…

時間はたっぷりあるので、こんな時こそ勉強すれば良いのですが、頭が回りません。
ので、晩ご飯作ってました。
と言っても、昨日作り損ねた炒飯なので、とっとと作り終わってしまいました;;
仕方がないので、朝御飯用にジャガイモトマト焼き作りました。
既に料理ではありません。
2回も洗濯機をかけました。
が、干す場所が足りません。どうしよう〜〜

朝早いのは気持が良いです。
今日はお天気も良くて、頭がボ〜〜〜っとしている以外は、好調な一日の始まりです。

あ、全然関係ないんですけど、昨日エンテイくんが買って来た雑誌に彼のインタビューがちょっとだけ載っていました。
雑誌に載るような人はすんごい仕事が出来る人とか大金持ちだろうと思っていたのでビックリ!!
エンテイくんも自分がインタビューを受けていながらどの雑誌か覚えていなかったので、たまたまいつも買っている雑誌に自分が載っていてビックリしたらしいです。
だから、そんなんでホンマに仕事出来る人なんですか?
で、その雑誌にはエンテイくんが「不変の恐慌の同一の管理局」と呼ばれているって書いてあるんですけど…
全然意味解りません;;
語尾変化め〜〜
ややこしや〜〜〜

エンテイくんの説明では「不変的恐慌の団体(かな?)」って事だったので、
え!?あんたが不変的にロシアの金融危機起こしてんの!?
と聞いたら…
どつかれた〜〜!!

あ〜、日記を書いていて「不変的恐慌団体管理局」って訳せば良いのかなぁ??
と思いついてみましたが。
どっちにしろ訳わかりません…

こんなんで今日一日大丈夫なんでしょうか、私!?

あ、お湯は朝10時でまだお水が出てます。
本当にお湯が出るのか!?
乞うご期待!!

2004年5月30日(日) MEW2とロシア語

最近、MEW2の口からロシア語がどんどん出てくるようになりました!!
最近のお気に入りは、
「や りゅぶりゅー ちぇびゃ」←バルコニーのドアを開けて外に向かって叫ぶのは止めて欲しい…
ウチ、ラブラブやと勘違いされるやん!! 誰もそんな事言わんのに〜〜;;
ちなみにこれはカエルのお人形が喋るので覚えたようですv
「にちぼー に すとらーしな」私は何も恐れないって意味(?)
彼女にはぴったりな言葉です。
さらに、寝言でも「や に ずなーゆ」

3月頃から動物の名前なんかはかなりロシア語で話すようになっていたのですが、最近の彼女のロシア語能力には私もビックリ。
私より良く知ってるやん…

去年の11月、モスクワに戻ってくるか迷っている時でした。
自分の気持ちに正直になりたいと思っても、MEW2まで巻き添えにして良いのか、何度も自問しました。
そんな時、内心ではモスクワに戻る事に賛成ではなかった母や姉が、
「子供はすぐ環境に順応するから心配いらんで」と言ってくれました。
「生身の外国語を教えられる良い機会なん違うかなぁ?普通ないで」とも。

MEW2にもロシアの血が流れているわけだから、ロシア語は彼女にとって日本語と同じように母国語でもあるわけで。
やっぱりロシア語も少しは話せるようになった方が良いのかなぁなんて思ったりもしていて。
どんな言語でも、修得できれば彼女も世界も広がるわけで。
で、最初はしんどい想いをさせるだろうけど、でも、彼女の為にモスクワに戻るのを諦めて、将来後悔したくないという勝手な気持ちもあって、決心したのです。

それでも、2月、3月と日が過ぎていく毎に、お友達がいない、言葉がわからない環境で生活させる事に、可哀想な事をしているな、と毎日感じていました。
公園で遊んでも、話が解らないので、本当に小さな子供とお砂遊びしかできなかったり…
毎日のように、日本に帰りたい、と言ったり。
お絵かきをしても、描くのは日本のお友達。
それを聴いて、見ている私も、こんなに辛い想いをさせているなら、もう日本に帰った方が良いのかも…
何度もそう思いながら、でも、もう少しの我慢、すぐこっちでもお友達が出来る、と、MEW2と自分に言い聞かせていました。

最初の2ヶ月間は、ロシア語に対して全く興味も示さなくて。
家でも英語と日本語しか聞かない生活なので無理もないんですけど…
エンテイくんがたまにロシア語で話しても、私に「何?」って聞いてくるばかりで、わからない事が拒絶反応に近いようにも感じられました。

チョーチャ・ターニャに来てもらうようになってから、少しずつ変わり始めました。
最初は、1日5時間の前半は全く私無しではダメだったし、後半でもしょっちゅう私の所に来ては「MEW2こうしたいって言って〜」と、彼女の口からロシア語が出てくるのはほとんどありませんでした。
それでも、週に4日来てもらうようになって、4月には私無しで公園に遊びに行けるようになったり、末頃にはチョーチャ・ターニャが来てすぐから、2人だけで遊べるようになったり。
それに、エンテイくんです。
MEW2が少しずつロシア語を話しだすようになって、土曜日はMEW2だけ連れて公園や市場に行ってくれたり、仕事から帰って遊ぶ時も、ロシア語で話すようにしてくれて。
そんないろんな積み重ねで、MEW2もロシア語を素直に聞いて、話すようになってきました。

MEW2はお昼寝をしないので他の子供達と遊ぶ時間が合わない事が多いのですが、それでも最近は夜9時でもまだ明るいので、夕方遅くから遊びに出ると、同じ顔ぶれの子供達がいて。
少しずつ、お友達も出来ました。
まだお友達とはロシア語が話せないけれど…
それでも、一緒にブランコに乗りながら、一緒に走りながら、楽しそうにしているMEW2を見ると、本当に良かったなぁって思います。

数週間前に、初めてその子供達と会った時の事です。
子供達は明らかに私達に興味津々。
私も、家の前の公園なので、此処でお友達が出来てくれると良いなぁと思って、子供達の相手をしながら、名前や年を聞いたり、私達が日本人である事、まだ私もMEW2もロシア語がほとんど出来ない事を伝えました。
最初は、ロシア語が出来ないと相手にされなくなるかな、と恐かったんですが、それでもMEW2の手を引いて鬼ごっこしてくれたり。
本当に嬉しかった。

英語に興味のある子供達は、英語を話せる私にいろいろ話しかけてくるので、それもMEW2のお友達になってもらえるきっかけになればと思って、ちょっと面倒くさいながらも英語で答えたり、ロシア語の意味を教えたり。
ロシアの保護者は何故か全然子供と遊ばないので、一緒に遊ぶ大人としても珍しいのかも知れません。

MEW2がもっとロシア語を話せるようになったら、きっともっとお友達が出来るようになるし。
幼稚園にだって、今年の9月は無理でも、半年遅れくらいなら入れるかも知れないし。
あ、その為には私もロシア語が出来るようにならないと…
MEW2くらい柔らかい脳みそが欲しい…

なんか、MEW2、エンテイくんやバブシカとはめっちゃ普通にロシア語で会話してるんですけど…
す、すごいぞMEW2!!

2004年5月31日(月) MEW、救急車で運ばれる

4・5日前から、横になった時に右脇腹に軽い痛みを感じていました。
が、低空飛行ながら健康優良児なので「どっかにぶつけたかなぁ」「MEW2にお腹に乗られた時に脇腹にヒビが入ったのかなぁ」などと、暢気に考えていました。
骨にヒビと言えば、昔、素面でクラブの階段を落ちて、尾てい骨にヒビが入った事があります。
冬で、風邪気味で、咳をする度にとっても痛かった。
酔っている時は落ちた事がないのに…
クラブ仲間の良い笑いものになりました;;

土・日に、義父母の所に泊まり、エンテイくんと喧嘩をして、今日もエンテイくんは義父母の所に泊まると電話してきました。
エンテイくんが居ないんだったら、晩御飯はなんか簡単な物にしようv
と、夕方までな〜〜んにも用意していなかった私。
夕方6時頃になって…
急に脇腹が痛み出した!!
もう息をするのも辛いほど痛いのです。
市場に行ったり土・日に溜まった用事をしたり、お湯がお昼過ぎに出るようになったので(嬉しいv)シャワーホースを付け替えたり、忙しい日だったので、身体は疲れているのに、横になると更に痛い〜!!
エンテイくんに救急車呼んで〜と呻きながら電話をして。
20分ほどで救急車が到着。
氷で冷やしていたので、その頃には少し痛みが治まっていました。
ドクター(?)になんとか痛い場所を伝え、質問に答え…
このまま病院で詳しく検査をしてみないとわからないけれど、
触診をして貰うと、盲腸炎ではないとの事。
胆嚢炎か脂肪肝かも。
おっさんですか、私!?
で、入院の可能性は少ないと言われたので、すぐに仕事を切り上げて帰って来てくれるはずのエンテイくんを待って、病院に行くことになりました。
その間に、ドクターが「とりあえずお尻に注射しましょう」と。
へ??
お尻に注射と言えば、恥ずかしながら浣腸しか思いつかなかった私^^;
え〜!!なんでなんで!?絶対イヤ〜〜〜!!
幸いドクターは学校で英語を習っていたので、注射が鎮痛剤である事を説明してくれました。
あ〜、それならしてして!!
でもなんでお尻なの!?
ま、この鎮痛剤のお陰で、痛みはかなりマシになりました。

このドクターは、最初にスリッパをどうぞと促した時に要らないと言われて、土足で歩かれたら明日また掃除せんなんやん!!今日お掃除して貰ったとこやのに〜!!と心で突っ込んでしまいましたが、辞書を片手に会話している内に打ち解けて、世間話をしている間にかなり好印象を持ちました。
ロシア人って最初無愛想だからよく分からないけど、こういう人って結構多いんだろうなぁ。

そうこうしている間に、エンテイくんが帰って来ました。
エンテイくんはMEW2を連れて自分の車で救急車の後を追い、私は救急車に乗ることになりました。
実はロシアの救急車は初体験ではないのです。
が、前回はもっと深刻で、意識不明だったので、全然記憶にありません。
う〜ん、ボロい…
などと考えながら、入院ではないらしいので、のんびり救急車に揺られていました。
病院に着いて、ドクターに診てもらうなり…
「今夜はエコーと血液検査だけして、入院して明日いろいろ検査してみましょう」
げげげ〜〜〜!!
入院って〜〜!?
MEW2は私無しでは眠れないので、今日は鎮痛剤だけ貰って、明日また来るっていうのはダメですか?と聞いてみましたが、ダメ。
ヒ〜〜!!
日本でもMEW2の出産以外で入院した事無いのに、ロシアの病院で初体験なんてイヤだよ〜〜!!
どっぷり暗くなってしまった私を気にして、エンテイくんはひよこさんに電話をして。
ひよこさんに励まされて(いつもスミマセン〜〜!!)
MEW2の事はなんとかなるというエンテイくん。
それじゃ仕方ないか…
せっかく今日からお湯が出るようになったのに…

まず血液検査です。
指先を傷つけ、そこから血を絞り出して。
これが結構痛い。
そしてエコー検査です。
お腹周り全般見てもらいましたが、何処にも異常なし。
痛みの原因が全く分からないとの事。
唯一、盲腸だけがみれないらしいので、盲腸炎の可能性が大きいとの事。
げげっ!!
あれだけ痛かったら、もしかして破裂寸前ってことない!?
鎮痛剤使ってる場合ちゃうん違うん〜〜!?

MEW2はエンテイくんと一緒にご機嫌でバブシカの所に行き、ちょっと寂しさを感じながら
きっと現地病院に入院するなんて日本人初やで〜(そんなこと無いと思う)
あ〜これでまた日記のネタ一個出来た〜(でも嬉しくない)
などど自分を励ましながら、病室へ。

なんと、7人部屋!!
しかも時間が遅かった(11時過ぎ)ので、暗〜〜い…

消灯時間前に鎮痛剤の注射を再びされ、エンテイくんから必要な荷物が届き、後は寝るだけとなって。
眠れ無いながらもしばらく横になっていると、エンテイくんから電話が。
「MEW2が泣き叫んでるから何か言って」
MEW2に、今日はMEWは病院にお泊まりするからまた明日お迎えに来てね、と言っても、
「うわ〜〜〜ん!!MEW2、今からMEWちゃんの所に行く〜〜!!」
はぁ…
そうやろうなぁ…
とりあえずエンテイくんが何とかするから、と電話を切りました。

しばらくしてまた電話が。
同室の人に怒られ(当たり前)病室の外で泣き叫んでいるMEW2に話しかけるのだけれど、
MEW2は「MEWちゃんと一緒じゃないとイヤだ〜〜!!」と泣くばかりで。
こっちまで泣けてきた。
MEW2には「じゃあMEW、これからバブシカの所に行く。MEW2の所に行くから待っててね」と言い。
私はその場しのぎでも嘘をつきたくないので(特にMEW2には)当直のドクターの所に行って
「子供がどうしても私無しで眠れないのでこれから帰って明日また来ても良いですか?」
と聞くと、ドクターは困ってしまいました。
女性のドクターがなにか助言して下さり、
「じゃあ、ロシア語書ける?ロシア語で一筆書いてくれたら帰って良い。このまま痛みがなかったら検査もしなくて良いよ」
親切にも書くべき文章をドクターが下書きして下さり、筆記体なので良く読めなくて教えて貰いながら書き写し。
エンテイくんにはドクターの許可を貰ったからこれからバブシカの所に行くから、と電話をすると、明らかに怒っている…
でも仕方ないやん。
検査は明日までないんやし、今一番大事なのはMEW2が私を必要としているって事やねんから。
とりあえずタクシーでバブシカの所まで行き…
ちゅうか、夜中の2時前なんですけど。
それはそれでスリリング。
途中までエンテイくんがMEW2と一緒に車で迎えに来てくれて。
MEW2は私が来たので安心して、バブシカの家に着くなりあっさり寝付きました。

こうして私の入院経験は2時間ほどで終わったのでした。

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