ピョートル大帝さんによるロシア各地旅行記シリーズ。大帝の鋭い観察眼は、何も逃しません。街で見かけたふとしたものを大帝独特の紀行文で読み解きましょう。
ピョートル大帝独自の視点で綴るロシア旅行エッセイ。
ピョートル大帝のロシアの思い出
〜第2回〜
キーロフロボ☆キーロフ君(仮) −カルーガ州・キーロフ−
「何なんや、おまえは!」 それが彼に対する第一印象である。カルーガからキーロフ行きのバスに乗り数時間、キーロフの町の中心にさしかかるあたりに彼は立っていた。その次に頭に浮かんだ言葉は「おいしい!」−僕は関西人である。全てにおいて、とは言わないが、価値判断の基準として「笑える」という事に重きをおきがちな人種のひとりである。 そんな出会いのあと、バスはもう5分ほど走り、僕はキーロフのバス・ステーションでバスを降りた。 セルゲイ・ミローノヴィチ・キーロフ(本名はコストリコフ。1886-1934)はソビエト政府初期の政治家である。彼は時の権力者スターリンを上回りかねない人気があったため、暗殺されてしまった。死後、彼の生まれ故郷の中心都市ヴャトカはキーロフ(現キーロフ州の州都)と改名された。来日公演で有名なキーロフバレエもこのキーロフからきている。 そしてこのカルーガ州のキーロフもこのキーロフが由来である。この町の発展に彼が尽力をつくしたらしい。 「大路見たるこそ、祭見たるにはあれ。」 徒然草の言葉である。「祭」を「町」に代えれば、このキーロフの町になる。キーロフは人口1〜2万の小さな町である。大通りを端から端まで歩くと(それも30分もかからないが)、この町の主なものを見ることができる。町役場、郵便局、電話局、公民館、ホテル、博物館、市場、本屋をはじめいろいろな店。そして戦勝記念碑、レーニン像、キーロフ像などなど。因みにバス・ステーションは大通りから少し離れたところにあるが、鉄道駅だけは少し町外れにあった。
バスを降りた僕は、ホテルにチェックインしたり、少し買い物したりと必要な用事を済ませたあと、ついに「彼」と対面した。 「・・・すげー。イケてすぎる・・・。」 材料は水道工事かなんかで余ったコンクリート管だろう。全長はおよそ5〜6m。しかしよく見ると、手はそれっぽく加工されている。そして顔は元からこういう風に描かれたものなのか、それとも何か貼り付けてあったのがもげた跡なのだろうか。いや、それよりなにより誰が何のために彼を作ったのだろうか。などと考えながら写真を撮った。 今、改めて彼の写真を見ると別の思いにとらわれる。なんて爽やかな笑顔なのだろう。彼は町の入り口に立つ自分自身の為すべき事を承知している。雨の日も、風の日も、雪の日も、彼はここで町を訪れる人々をそのさわやかな笑顔で迎えてきたのだろう。肩にペンキをたたきつけられても彼の笑顔は曇らない、たとえその心に悲しみが宿ったとしても。 彼はこれからもそこに立ち続けるだろう。そして喜びも悲しみもその巨大な胸ひとつに納め、僕たちに笑顔を見せ続けてくれることだろう。 そんな大きな人間に僕もなりたいと思った。 キーロフ(カルーガ州):モスクワから南西約300kmに位置する人口約1〜2万人の町。モスクワ、ショールコフスカヤのバス・ステーションから直通バスあり(週に1往復だったように思う)。州都カルーガからは1日数往復のバスがある。 カルーガ:モスクワから南西150kmに位置する人口約40万人の都市。カルーガ州の州都。電車なら、モスクワ・キエフ駅から。1日数往復のエクスプレスもある。バスなら、モスクワ、ショーコフスカヤとユーゴ・ザーパドナヤのバス・ステーションから。 |
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