2002.2.27HK

奇跡の再会

ヴァロマニアさん投稿記事
 
 1997年の夏、旅行をした。ブルガリアでの一人旅のあとボスニアをはじめとした旧ユーゴめぐりをしてきた東欧愚連隊「サンバルカン」の三名とルーマニアで待ち合わせて合流し、ペテルブルグでは学科研修旅行団と合流した。研修後シベリア鉄道を使い他の愚連隊の連中とイルクーツクで別れ、一人ウラジオストクへ向かった。そこから日本に帰ってきた。東欧でさまざまな出会い、モスクワの「本物」のバザール、シベリア鉄道の忘れられぬ暇な日々、ウラジオ麻薬少年との一晩・・・あの旅での思い出は一生話しつづけられると思うほど盛りだくさんであるが、あるひとつの話を書かせていただく。あの奇跡の話しを。

 ルーマニアのオトペニ空港からモスクワのシェレメンチェボ空港に入りレニングラード駅で夜行列車に乗った。東欧の旅も終わり、明日からはペテルブルグで研修だ、今日は寝ることにしよう。列車は北西に進路をとり俺はまどろみはじめた。
 下車4、50分前に目を覚ます。下車15分前、余裕の朝食。そこに車内放送が「まもなく終点ペテルブルグ」・・・っておい、あと15分あるんじゃないの・・・用意できてないよ。俺は慌てて(それがマズかった)用意をはじめた。なに、賢明な俺は電車の中で荷物を広げたりしなかったさ、と妙に安心しながら(それがマズかった)だ。片付けはなんとか終わり、かばんを東欧旅行で疲弊したカート(それがマズかった)にのっけて、コンパートの上段だった俺(それがマズかった)は団体行動をみだすまいと車内から急いで(それもまずかったな)荷物を運び出した。しかし俺のたくさん(これもマズかっ・・・)の荷物は狭い車内を1度には通らず、荷物第二陣を取りにまた一度コンパートに戻った。もう皆を待たしている、いそげと思(それがマズ・・・)っていそいで(それが・・・)残りの荷物をもち、すばやく(・・・)列車を降り、その夜行に「ダスビダーニヤ」を告げた。「ダスビダーニヤ」をだ。
 手渡せる花、待ち合わせをした学科研修生本隊、旅行用に短く切られた女子の髪・・・ペテルブルグでの時間は確実に前に進んでいた。駅を出て、バスに乗り込む。バスは寮を目指してネフスキー通りを進む。やっと旅から寮暮らしへ移るんだ、落ち着いた寮での暮らしにね、・・・俺は落ち着いてふと思った。

そういえばパスポートは!?


 落ち着きが、移動から解放された落ち着きが爆音とともに吹き飛んだ。心臓の爆音とともにだ。さがし、探し、捜し、さがした。ないって、無いよ、首から下げるパスポート袋が・・・・・・そうだ俺はなんて賢いんだ、パスポートを首から下げて夜行列車に揺られながら寝たら首締まっちゃうから、そうだ、なんて賢いんだ、枕の下に置こう、そしたら絶対忘れないぞ、絶対に、なんて俺は賢いんだろう・・・昨晩のことを全て思い出した賢い俺はかつてないほどかしこまっておそるおそるおそる先生に全てを告げた。「え"?」。人間ののどからこんな音もするのかと思うような音が歌先生の口から発された。「落ち着いてもう一度さがせ」「ロシア人スタッフには何も言うな」の指令通りに探せど見つからず。ない、ないんだよ。
 寮に到着したが、俺は受け入れ側総責任者のイリーナと再度駅へ向かった。遺失物係りのようなところに通された。ガラの悪い職員。やはりその対応は目の前に展示されてるのがソ連体制が手塩をかけないで育てなかったサービス業の手本ですといった感じのものそのもので、その場は彼がキレるだけで何も解決しなかった。失意のまま少し離れたところにある鉄道警察に通された。そこの職員のオネえちゃんも「ここにはない」と言った。またしてもやる気のない公務員か・・・と思い始めようとしたそのとき、彼女はしかるべき部署に電話をしはじめた。手間を惜しまずにだ。しかしかんばしい返事はもらえなかったようだ。彼女はがっかりしながら「あなたのパスポートはもうみつからないだろう」と俺に告げた。パスポートに全財産でないものの数百ドルいれていたのが命取りだったようだ。パスポートとビザのコピーを持っていたのが幸いだった、かわりの証明書を作ってくれるそうだ。彼女はタイプライターで打ち始めた。ミスタイプをする職員のオネえちゃん、もう一度打ち始めた。そこに電話の呼び鈴が。オネえちゃんは俺に聞く「パスポートの袋に航空券は入ってたか?」。俺は答える「あったっす。バルカンエアのやつが」。数秒後、手を叩き合い喜ぶ俺達、パスポートはあるようだ。同じ公務員でもこんなに心の通った良い対応をしてくれる人がいたとは。この国のサービスをひとくくりで考えた自分を情けなく思いながら礼をし、言われたとおりの車両車庫へ向かった。
 車庫に入る。車庫職員と路線の上を歩く。列車が見えてきた、あの列車が。文字通りの「ダスビダーニヤ」になったあの列車が。清掃員たちに説明をする車庫職員。部屋番号を告げる俺。うなずき車内に戻る清掃員たち。奇跡は起こったのだ。パスポートが手渡されたのだ。お金も入っていたし、日本国パスポートは闇社会で人気があるとも聞いている。それなのにパスポートはだらしない主人のもとに戻ってきてくれたのだ。
 イリーナはこの国のやり方を教えてくれた「ネコババしなかった清掃員に30ドルくらい払うべきだ」「全額盗まれたと思ったら30ドルぐらい・・・払います」「よし、120ドル出して、清掃員全部で4人分ね」「え"?」。郷に従うことにしよう。
 Чудо― これがこの事件を通しておぼえた単語だ。「奇跡なのよ。人々のあたたかい心が重なって奇跡が起こったのよ。」と日本人の先生に興奮しながら報告するイリーナ。信心浅い俺もこの日ばかりは到着1日目の者にも奇跡を起こしてくれた聖ペテロの存在を勝手に感じさせてもらうことにした。部屋に戻り荷物を整理する。ペテルブルグでの時間はまた前へ進みはじめていた。

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