2003-07-23G

あきさんの『人形になったイポンカ』

−第7話−

キモノ・ガール☆ナターシャ

 

  ウェイトレスとして働いていたナターシャは、日本人の私よりも、そしてレストラン“平家”の誰よりも青い着物が似合っていた。

 ナターシャはボリビア出身でベラルーシ人の母親を持つ、まっすぐの黒髪のキリリとした美人であった。私より年下なのに、いつも私を妹のように思って面倒を見てくれた。ひとり異国の職場にやって来た私を誰より気遣ってくれたのもナターシャだった。店も暇で、私がぽつんと“人形”を演じているとき、ナターシャは毎度近寄って来ては、いろいろ話しかけてくれる。「なんか最近面白いことあった?」「最近はまっていることってある?」「日本製の化粧品を売っているところ見つけたわよ!」等々、たわいも無いことだったが、私の理解できるようにゆっくりと発音し、知らない単語はすべてメモしてくれた。ナターシャが私と話していると、他のウェイトレスたちも寄ってきて、客に聞こえないようにヒソヒソとお喋りをした。たまに会話が盛り上がって笑いをこらえるのが大変なときもある。

そのうちに、“平家四人娘”なるものができた。キエマ(カルムイキヤ出身)は遅刻常習犯だけど、ファッションセンス抜群でいろんな店を知っているので買い物するときに心強い。ラリサ姉さん(ブリヤート出身)は落ち着いて見えるのに、実は天然。つかつかと歩いて透明なガラスのドアにぶつかるタイプ。そこで私(日本出身)がカン違い系ロシア語を連発して皆の爆笑を買う。それをナターシャ(ボリビア出身)がやさしくフォロー・・・といった具合にコンビネーションばっちり(?)である。映画を見たり、ショッピングをしたり、カラオケに行ったり、スケートをしたり・・・と日本で友達同士わいわい遊ぶのとなんら変わりは無かった。ただ私達はそれぞれ違うカオで、出身もいろいろで、“ロシア語”を話しているってこと。ここ、モスクワで出会えたのが奇跡のようだった。余談だが、ロシア人の女の子たちは、外を歩くとき女の子同士で腕を組みあって歩く。最初は照れくさかったものの、次第に腕組まずしては歩けなくなった。これはとっても合理的なのだ。冬は道が凍ってはんぱなく滑るため、誰かが転びそうになっても支えあえる。しかも迷子になる心配もない。何よりも安心感があるし、暖かい。でもさすがに、四人が横に連なって歩くのは迷惑だったかもしれない・・・。
 いつものように店でお喋りをしていると、タチヤーナも話に交ざり話に花が咲いた。お喋りのテーマは『アキに、辞書には載ってないロシア語を教えよう!』というものだった。私が必死に単語をメモし、覚えようとしていたその陰で、ナターシャは静かにその輪から去っていったのだった。

 「アキ、私、今日で店を辞めることになったの。」
あまりに突然のことだったので、ナターシャに言われたロシア語の意味がわからなかった。
「・・・え!?な、なんで??」
「別のところで働くことになったの。・・・そんな顔しないで!普段会えるんだから!!そうだ、今度プール行こうよ。またカラオケでもいいし。ねっ!?」
ナターシャはこれ以上辞める理由を言わなかった。私は悲しくなって涙をこらえるので精一杯だった。ナターシャのいない“平家”なんて考えられなかった。ナターシャの決めたことだから私がどうこう言えるわけではない。でも、こんな突然だなんて・・・。
「やっぱり納得いかない!!!」
私はまかないの羊のスープを食べながらラリサ姉さんに聞いてみた。
「ナターシャはね・・・タチヤーナとうまくいってないらしいのよ。いがみ合いってやつ?と言ってもタチヤーナが一方的にみたいだけどね。」
「そんな・・・。何が原因で!?」
私はナイフでバターを細かく刻みつけた。
「それがわからないらしいのよ。ナターシャには・・・。ただ、一方的にタチヤーナに辞表を書くように迫られたらしいけど・・・。」
「そんな・・・。」
「でも、アレクサンドル=イヴァーナヴィチはナターシャのことお気に入りだから、辞めるのを止めたみたいだけど。」
ナターシャの接客は日本人の私から見ても丁寧で、笑顔が素敵だった。ナターシャの接客は客からもとても評判がよかった。シェフからの人望も厚かった。そんなナターシャをクビにするなんて・・・。“平家”に隠れた事情は私には計り知れない。
「アキ〜。今日もキレイキレイにしてお客様をお迎えしましょうね〜。あらっ、タイヘン!帯が曲がってるわっ。」
そこには“人形”のご機嫌を損ねないように気を遣う金髪美人がいた。

 ナターシャは“平家”を去った後、ポリネシアン料理の店で働いているらしい。学校にも通い始めた。でも、やっぱり日本食レストランでの仕事がしたい、と言う。
「私はね、日本人であるあなたを知っているということが“誇り”なの。」
ナターシャは毅然として言った。私も、ナターシャを誇りに思う。あんなに人のことを第一に考えられる優しい人を。私もその時そう言ってあげればよかった。
『“平家”の中で、ナターシャ以上にあんなに青い着物の似合う人なんていないんだから。』

                                 つづく


キモノ・ガールの絵はがき


前回へ / 次回へ

あき「人形になったイポンカ」バックナンバー目次へ

ロシアンぴろしき表紙へ戻る