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〜ロシア生活を体感する写真レポート〜 今日のモスクワ |
2003年9・10月号
今は昔、言論統制がされていた時代、「今日のソ連邦」というロシア大使館発行の雑誌があり、ロシアを知るための貴重な情報源となっていました(すいません。実はバックナンバーを読んだだけで当時のことはよく知りません)。
「今日のモスクワ」では、今のモスクワで暮らす私たちの日常をビジュアルにお伝えします。
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モスクワ雪模様(10/31 ひよこ)
今月の初めにモスクワの秋をお伝えしたばかりですが、モスクワの今は、すでに雪景色となってしまいました。
すっかり冬景色のモスクワ。寒々しい風景です。この写真は全て10/27に撮影しました。
秋には色づいた葉が美しかったのに、今ではところどころ雪で白くなった並木道です。 冬本番になると木もみんな真っ白になってもっと美しくなります。 歩いている人たちも寒そうでしょう?(10/27撮影) |
この日は寒かったこともあったせいか、 公園にも誰もいません。(10/27撮影) |
でも犬の散歩は欠かせません。 朝も夜も犬の散歩に行きます。 ロシア人は犬好きが多いんです。(10/27撮影) |
寒々しい風景(10/27撮影) |
みんな冬のコートを着ています。(10/27撮影) カラスも寒そう。(10/27撮影) |
車も雪に埋まってます。 |
こうやってみると真冬の様相ですね。 |
でも、ここの小さなキオスクは冬でも健在です。さて、ここは何のお店でしょう? |
↓
アイスクリームのキオスクでした。
でも、本当のことを言うと、昨日と今日はいいお天気で雪が溶けてきてます。土と混じってきたないです。
もっと、もっと寒くなると空気も凍るような感じで、一層幻想的な風景になるモスクワの冬です。
ロシア初の2足歩行ロボット誕生(10/23 gonza)
「ロシア製アンドロイド」が、おぼつかない足取りで、最初の一歩を踏み出しました。
じゃ〜ん!
これがその「アンドロイド」。う〜ん。ちょっと日本のアシモ(ASIMO)に似てますね。
おっ!
→
歩いてます!
というか、正直いって、テレビで見る限りは、歩いていると言うよりも、足踏みしているだけのようにも感じられたのですが…(笑)。
「男の子」と「女の子」、ふたりいるそうです。でもまだ歩くのを覚えたのはまだ「男の子」だけとのこと。
←ロボットを恐る恐るたいせつに扱う技術者は、まるで子供に接するパパのよう。
足の膝の関節が少し曲がっていて、柔らかく歩行時のショックを吸収するようになっています。これはアシモなどの日本の2足歩行ロボットと同じ構造ですね。
HONDAのアシモや、SONYの小型エンターテインメントロボットQRIO(SDRシリーズ)、アニメ「パトレイバー」みたいな川田工業HRP−2(プロメテ)など、「さくさく歩く」最先端の人間型ロボットに囲まれて暮らしている日本人(→ いや一緒に生活しているという意味ではなく、そういう報道に慣れているということで・・・)にとっては、よちよち歩きのロボットなど、別に驚くべきことではないでしょう。
でもこれは、ロシアなのです。1991年にソ連崩壊。その後の混乱や経済危機で、産業が壊滅的な打撃を受け、研究機関の多くが破産し、解体寸前。研究者は海外に就職先を探したり、タクシーの運転手をして糊口をしのいだり、残った人にも長期間給料が払われないなど。
さんざん憂き目を見たロシアが、2003年、ロボットを2足で歩かせるところまでこぎつけたのです。
これって、すごいことじゃないですか? おそらく研究資金は不足しているでしょう。研究者の給料も安いでしょう。最悪の開発環境が常の今のロシアのこと。工夫と情熱でそれを補ってきたことは容易に想像がつきます。
もっとも、宇宙ロボット工学,放射線モニタリング技術,人工知能,光通信など,もともとロシアが得意とする技術はありました。
これらの工学分野での基礎技術の蓄積と、優秀な人的資源は、人型ロボットの開発においても、きっと大きなポテンシャルとなり得ます。
このロシア初の2足歩行ロボットは、サンクト・ペテルブルグの科学研究大学(НИИ)で、2年間かけて組み上げられました。安定したロボットの動作を実現するための28の駆動装置を持つそうです。
←緊張しているのか? 堅い表情の技術者たち
ロボットの名前は、アルネ(АРНЭ)。 う〜ん、やっぱりアシモ(АСИМО)を意識してるのかな? 似てますね。 といっても同じなのは最初の一文字だけですが。
「新時代の人型ロボット」アルネくんは、人間の進化の見地からは、まだ「坊や」だそうです。
まだ歩くことしかできないです(というか、足踏みしているだけにしか見えないけど)。
それに背後にはこっそりクレーンが置かれ、操り人形みたいなコードもつながっているみたいだし・・・(最初みたときは吊り上げているだけかと思った…)。
でも、目のところに二つのデジタルテレビカメラと、音声認識システムと発声プログラムを装備する予定で、そうすれば、人間のように歩いて、見て、話すことができます。
アルネの背丈は120センチ、体重は50キロ。
アシモの最新型は120センチ、43キロだそうです。
身長が同じところも意識しているのかな? アシモより、ちょっと重いですが、コンパクトさという点では、ほとんど互角といってもいいんではないでしょうか。
元来、重厚長大なものを造るのが得意と思われてきたロシアですが、アルネはできるだけ小型にするよう工夫を重ねてきたそうです。
「人間に似ている以上、彼らは人間の友達であるべきです。人に似ていて、人と同じような行動をし、安全であること。これがアルネの長所です」
と、ロシア製人型ロボットの理念を語るのは、モデリンググループ長のレフ・スタンケーヴィッチ。これって手塚治虫の「アトム」の理念ですよね。
極秘資料? 「究極のロボット技術」という刺激的なタイトルがつけられた分厚い書類。科学技術会議用の資料のようです。
ロシアのロボット研究者たちは、断言します。
「今世紀中には全てのロシアの家庭にロボットがいきわたるだろう」。(ほんとかな?)。
来年は、ロシア最初の「アンドロイド」が、日本やアメリカのロボットたちとサッカー対戦をするそうです。(う〜ん、ほんとかな?)
近いうちに、日露ロボット・ワールドカップで、アシモとアルネのPK戦が実現するかも。
↑これはアルネではなくアシモ。
そうなったら楽しいですね。
映画とマンガにみるロシアのロボット
日本のSFファンの間でもカルト的人気を誇る、知る人ぞ知るロシアの傑作SF映画が「火を噴く惑星」。 その舞台は金星。不時着した宇宙探査船のクルーたちが命がけの救出劇を繰り広げます。 有人宇宙船シリウスとヴェガ、水陸両用車などのソ連ハイテクと、巨大恐竜、肉食植物、知的生命の徴候など、SF心をくすぐるアイテム満載の「火を噴く惑星」ですが、この映画のなかには、2足歩行の惑星探査ロボットも登場します。 その名はジョン。アメリカ人? なんかロシアっぽくないですね。でも鉄工所で働くロシアのおじさんのような頑強ボディのたくましいロボットです。しかも歌う・・・ビッグバンドの音楽演奏装置つきです(謎)。でも、人間を犠牲にして自らの身を守ろうとするとんでもないやつです。が、そこが人間らしいかもしれません。
(う〜む。大昔、たしかにこのアニメ見た気がするのですが、記憶がどうも・・・。それでネットで得た情報で補足しながら以下書いています。)。 アシモにも大きな影響を与えたといわれる鉄腕アトム。 その中にロシアの人型ロボットが出てきます。 その名はずばり、イワン! (うむ。これこそロシア人)。 宇宙旅客船で、ボーイのアルバイトをするアトム。船が遭難し、アトムは月に不時着します。 月には、50年前からここで自給自足しているソ連のミーニャ中尉と、ソ連で一番最初に製作された人型ロボット「イワン」が暮らしていました。イワンは心優しきロボットなんだけど認識能力が甘い(むむむ・・・)。 イワンはアトムをミーニャ中尉だと思ってベッドに寝かせようとします (違うって・・・)。 ちょっと大ボケちゃんの「ソ連初の人型ロボット・イワン」。でも、こちらのロボットもなんか人間っぽいですよね。 ←イワンです。 技術大国ロシアふたたび 1961年ガガーリン中尉搭乗のヴォストーク1号による人類初の有人軌道周回飛行が成功。当時は、科学技術は日本よりもソ連の方が上だと思われていたところがありました。当然、最初に人型ロボットを開発するのもソ連だと思われていたでしょう。 当時の手塚治虫のマンガには、未来世界の科学技術トップ機関として「○○アカデミー」って名前が登場しますね。 さて、今は2003年。 ソ連はすでに崩壊して10年以上たちました。 日本は「経済大国」「技術大国」と言われたピークを過ぎ、衰退しているとも言われますが・・・・、まだハイテクやロボット技術では日本がトップレベルといわれています。 ロシアはそれを目標に追いかける立場です。 40年前の予測とはまったく別の現実があります。 本当に未来は分からない。 「未来は誰もが予測しなかったものとなる」という図式を、そのまま将来に当てはめると、 もしかすると、50年後は、立場は再び逆転し、落ちぶれた日本が、先進国ロシアを追いかけているかもしれません。 あるいは、アフリカのどこかの国が、「技術大国」になっているかもしれません。 でも、ロシアアカデミーや大学と共同でロボットの研究をしている日本の大学研究室もあるそうですし、ロシアと日本がお互い得意な分野を生かして手を組み、共同で人間の友達たりうるロボットをつくりだすことができれば素晴らしいですね。 |
ニュースソースはロシア国営テレビ("Вести.Ru")から
こちら↓
http://www.vesti.ru/comments.html?id=23970
モスクワ秋深し(10/8 ひよこ)
モスクワは秋深い季節となりました。
ひよこはモスクワの秋が好きです。(gonzaさんもモスクワの秋は好きだそうです。)
窓の外は黄金の世界。中庭にある白樺もシナノキも、みんな黄色に染まって私たちの目を愉しませてくれます。
もうすぐ訪れる銀世界の前の素晴らしい季節を皆さんにも見てもらいたいなぁと思い、今回は写真めいっぱいで綴る今日のモスクワにしてみました。
なんだかこの季節になると毎年モスクワ秋便りをしているような…。でも、いいですよね、モスクワの秋が好きなので。
写真には日付もつけてみました。秋の美しい変化ぶりを味わって頂けるでしょうか。
秋になると、いつも素晴らしい黄葉をみせてくれる 私の大好きな小道の樹々です。 9月20日に撮影しました。 |
中庭の遊戯場も黄色の落ち葉で埋め尽くされそう。 子供たちは遊んでます。 9月27日撮影。 |
いつもの通り道。お母さんたちも乳母車でお散歩。 9月27日撮影。 |
落ち葉の黄色がとても綺麗で思わず撮ってしまいました。 9月27日撮影。 |
公園では子供たちも落ち葉で遊んでます。 9月27日撮影。 |
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秋の木漏れ日の中。 じゃがいも、キャベツ、かぼちゃ等のトラック売りのおじさんも 時間がゆったり流れているようです。 |
居眠りしているんじゃないんですよ。 かぼちゃの上に本を置いて、秋の読書を愉しみます。 9月27日撮影。 |
だいぶ赤く染まってきました。 一番最初の写真と同じ所を撮ってます。 比べてみてくださいね。10月1日撮影。 |
公園も秋の雰囲気が日一日と濃くなっていきます。 10月1日撮影。 |
黄色と赤色の葉が陽射しに照らされると本当に美しいです。 10月1日撮影。 |
お買い物に行った時、ナナカマドの紅い実の美しさに目を見張りました。
ナナカマドはそこここにあり、秋になると紅い実をみのらせます。
紅い実の美しさに、今までなぜかあまり気がつかなかったのですが、日に輝くナナカマドの実は本当に美しいです。
ロシアにはТонкая рябинаというナナカマドの歌がある…とgonzaさんが教えてくれました。
このナナカマドの実をみたら、歌があるというのも納得してしまいました。
真っ赤に実ってます。美しいですね。 10月1日撮影。 |
葉も黄金に輝いて、 紅い実と素晴らしい調和をかもし出してます。 10月1日撮影。 |
黄金の葉は、晴れた日には一層輝いて見えます。
乳母車のお散歩にまたまた遭遇。 10月3日撮影。 |
いつもの通り道。かなり葉が落ちたでしょうか? 9月27日の写真と比べてください。 10月3日撮影。 |
青空に黄色の葉が映えます。10月3日撮影。 |
こんな住宅地で、上を見ながら、空を仰ぎながら、ボーっと秋を愉しんでいるのは、どうも私くらいのようです。
さらにはカメラをもって、秋の風景を納めている私の姿を見て、ロシア人は怪訝そうです。
でも、よく考えてみれば、写真を撮るなんて日本人丸出しですものね〜。
ロシア人は、きれいな黄色い落ち葉を集めたり、ナナカマドの実を枝ごと折って持って行ったり。(いいんか?^^;)
日本人とロシア人で秋の愉しみ方はちがうものだなぁ…と思うひよこでした。
「黄金の秋、きれいだなぁ。」と、この記事を書いている頃、モスクワでは秋の寒雨が降っています。
このごろは寒くなって、見事な黄金の葉々も落ち葉となっています。
モスクワの秋も、もう終わりですね。
そう思っていたら、今日(10/7)ウチのアパートのセントラル暖房がつきました。。。
復興完了!新エリセエフスキーで大パーティー(9/17 ひよこ)
みなさんは、モスクワのトベルスカヤ通りにあるお店「エリセエフスキー」をご存じでしょうか?
デリカテッセン、高級ワインやウォッカがならぶ食品店です。食品店なら街のどこにでもある…のですが、このお店が素晴らしいのは、その内装。訪問客を圧倒するインテリアで、観光スポットとしても名高いお店なのです。
エリセエフスキーの開店パーティーに並ぶ人々。 |
この「エリセエフスキー」が建てられたのは、今から100年前の1901年。当時、ペテルブルグで外国ワインの輸入やデリカテッセンのお店を経営し大成功していた大企業家エリセエフ一家がモスクワにもお店を開いたのが、この「エリセエフスキー」トベルスカヤ通り店です。
ちょっと前、ロシぴろの掲示板でも話題になっていましたが、実は、この「エリセエフスキー」トベルスカヤ通り店が数ヶ月前から閉店、お店は一転して工事中の看板が立つ様相となっていました。
「改装工事か?」、いや「閉店に追い込まれたのだろう」。何せトベルスカヤ通りは激戦区で食料品店がこぞって消え去り、外国ブランド洋品店が立ち並ぶモスクワの銀座通り。「あんなところで食品店をやっていて経営が苦しくなったのでは。」などとロシぴろ掲示板上でも熱い議論(?)が飛び交いました。(笑)
ところが、昨日9/16に3ヶ月間の復興工事を終え、「エリセエフスキー」は新しい姿で盛大にオープンイベントが行われました。
今回の復興工事のおかげで、「エリセエフスキー」はソ連時代前の姿、つまり建てられた当初の姿により一層近づいたそうです。すばらしい内装は、帝政ロシア時代をさらに偲ばせるような趣となり蘇りました。
豪奢なインテリアにさらに磨きがかかって、一段と美しく生まれ変わりました。 |
その記念すべきオープン日だった9/16は、なんとも大盤振る舞い!の来客者には無料飲食の大パーティ。用意されたデリカテッセン、ワインや酒類に舌鼓をうちながら、バイオリン四重奏やコンサートを楽しみながら、皆さん大満足のご様子です。
「さすがは、かのエリセエフスキー!」とごちそうにあづかった人々が言ったかどうか?は、さておき、来賓のリュドミラ・グルチェンコ(ロシアの有名女優:ソ連国民アーティスト)、オレグ・タバコフ(ソ連国民アーティスト、現モスクワ芸術座総監督)などなど多彩な面々は、このパーティーに快く酔うように自らの歌をご披露したりのサービスぶり。
↑豪華!エリセエフスキーの大盤振る舞い! | |
↑彩られた食卓に詰めかける(?)人々 |
いくつになっても素敵な オレグ・タバコフさん。 |
「これは伝統文化ですよ。」と語るオレグ・タバコフ氏は、
「次の給料がでたらね、何かいいものがないかって、エリセエフスキーにやってきますよ。」と茶目っ気いっぱいに話してくれました。
しかし、くやしい〜思いをしたのがここに一人(私です)。実は昨日、所用のために、まさにエリセエフスキーの近くまで行っていたのです。こんなオープン大パーティでごちそうを食べることができるのだったら、あと数歩、足を延ばせばよかったーーー、くやしー(><)。
「エリセエフスキー」は創業当初からデリカテッセン、焼きたてのパン、デザート・お菓子の詰め合わせがショーウィンドーに並ぶ一大食料品店でした。その上、その創設者グリゴーリー・エリセエフはワイン醸造進歩への功績に対しフランスのレジオンドヌール勲章という名誉を授かった人なのです。そのワイン販売所があったというのも「エリセエフスキー」創業時からの自慢でした。
創設者グリゴーリー・エリセエフ | 自慢のワインをお試しあれ。 |
バーカウンターで優雅に試飲。 | 素敵なインテリアと照明で酔ってしまいそうです。 |
ソ連時代のエリセエフスキー |
「エリセエフスキー」の栄光は、ソ連時代にもそのまま受け継がれたくさんの食料品が並ぶ様子がTVで紹介されました。
そして、今、復興された「エリセエフスキー」には再びたくさんの食料品がショーウィンドーを賑わせています。多くの売り子さんたちとドアマンも再び現れました。
最後に、来訪者の方々にプレゼントが配られたそうです。
その内容は、「ウォッカ。パン。そして塩漬けきゅうり。」。このプレゼントは、新しい復興「エリセエフスキー」がかもし出す「ブルジョアの控えめな魅力」を一層強調する役割を果たしてくれました。
ドアマンも雰囲気をかもし出してます。 | 来訪者のために用意された プレゼントの山。 |
中身はウォッカ、パン、塩漬けキュウリ。 ロシアっぽい! |
新しく復興されて、ますます美しくなった「エリセエフスキー」。みなさんもモスクワ観光の一つとして立ち寄ってみてください。
「エリセエフスキー」トベルスカヤ通り店の住所は、トベルスカヤ通り14/1-1。地下鉄プーシキン駅、プーシキン広場出口から歩3分です。
こちらヴェースチのページでロシア語の記事も、どうぞ読んでください。写真やビデオも見られます。
ロシア映画界にセンセーション!ベネチア映画祭でグランプリ受賞(9/7 ひよこ)
映画ファンの方でなくても、ベネチア映画祭はご存じの方は多いのではないでしょうか?北野武監督の映画「花火」が、この映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞し、その後ヨーロッパで認められるようになっていったのは周知の事実です。
さて、8月27日〜9月6日の間、開催されていた第60回ベネチア映画祭。 北野監督が銀獅子賞(監督賞)を取ったとか、浅野忠信さんがコントロコレンテ部門(独創的な作品を集めたコンペ)で最優秀男優賞を取った、というのは日本でも大きく報じられているのではないかと思います。
金獅子トロフィーを受賞するズビャギンツェフ監督。 | 左の控えめに手を挙げているのが監督です。 (控えめな人だ〜) |
が!
ロシアでは、ベネチア映画祭に関するもっとセンセーショナルなニュースが入ってきたのです。
新人のロシアの映画監督が、なんと金獅子賞(グランプリ)をとったのです!パチパチパチ!!!(拍手喝采)
台所で食事を作りながらラジオから流れてきたニュースを聴いて、「へぇ〜。こりゃびっくり!」と私も思ってしまいました。
というのも、ロシアのマスコミでもベネチア映画祭のコンペの話題はほとんど報じられていなかったのです。これは、誰にとっても寝耳に水の大ニュース。誰も注目していなかった…というと失礼ですが、その映画がグランプリを獲得したのです!
その映画は「Возвращение(帰還)」。監督は、若干35歳の新人アンドレイ・ズビャギンツェフ氏。この作品で監督は優秀デビュー賞も同時受賞しました。映画初監督作品がグランプリを受賞するのはベネチア映画祭始まって以来とか。
ロシア映画界にとっても、これは嬉しい知らせ。
今までベネチア映画祭で金獅子賞をとったロシア映画は3本:1962年のアンドレイ・タルコフスキー監督の「僕の村は戦場だった」、1991年のニキータ・ミハルコフ監督の「ウルガ」、そしてこの「Возвращение(帰還)」。ここ数年間の中のロシア映画界の快挙!とロシアではその受賞に喜んでいます。
この映画はスイスのロカルノ映画祭に出品する予定だったそうですが、ベネチア映画祭のディレクターが目と鼻の先でスルッと持って行ってしまったのだそうです。
「Возвращение(帰還)」 の前評判は高い。 ぜひ映画館で観たい映画です。 |
そしてベネチア映画祭では、観客から上映終了後も15分間の拍手喝采を贈られるという大変な成功ぶり。この映画をベネチアに持って行ったディレクターは、ほくそ笑んだことでしょう。
ベネチアで上映される前に、すでにイタリヤの配給会社がこの映画を買い付け、映画祭で上映後はフランス、オランダ、イギリスなどヨーロッパ各国、そしてアメリカ、コロンビア社との契約の話もあるそうです。これは日本でも上映される?…かもですね。
しかし監督は「10月〜11月頃にはロシアでも上映させたいと思っている。私はロシアの観客に、この映画を見てほしい。だって、私はロシア人のためにこの作品を撮ったのだから。」と控えめながらも深い考えの様子。
この映画は現代の「父と子」(といえばロシアの文豪ツルゲーネフですね。)とでもいえるような内容。「人間関係の衝突と葛藤を、内面と外面から深く探求している。」と高い評価を受けています。
監督の言葉を引用すると、「大人になっていく二人の少年の話です。数年間という長い間、姿を消していた父親が突然少年たちの元に戻ってきて、少年たちの人生をひっくり返し、また少年たちの人生から去っていく。これが彼らが大人になっていく過程での重要な一歩になる、と考えています。」
しかしながら、この映画には、映画関係者たちに衝撃を与えた、とても悲しい隠された事実があるのです。
それは、二人の少年の内の一人が、撮影終了後、不慮の事故により亡くなったのです。亡くなったウラジーミル・ガーリンはペテルブルグ出身、まだ16歳の若さでした。
喜びをかみしめるイヴァン君。 日本でもお姉さんたちのハートを掴みそうな笑顔。かわいいですね。 |
ベネチア映画祭の授賞式に、監督と一緒に出席した14歳の少年の名前はイヴァン・ドブロヌラーボフ君。
アンドレイ・タルコフスキー監督の「僕の村は戦場だった」になぞられて、「また同名のアンドレイ(監督)が、同名のイヴァン(両映画とも主役の名前)という少年を主役(「僕の村は戦場だった」も少年が主役)にして映画を撮った。」と言われています。
監督の凱旋帰国は日曜日(9/7)の夜10:30。このときに大々的な記者会見があるとのこと。
ロシア映画に、また新たなる風が吹くのでしょうか。これから期待が高まるばかりです。
久方ぶりに赤の広場へ…。(赤の広場は閉鎖されているのか否か?)(9/2 ひよこ)
数ヶ月ぶりとなってしまった『今日のモスクワ』。
書いていないときも、モスクワでは多種多様な事件が起き、書きたいことはたくさんあったものの時機を逸してしまったものが多くありました。
『今日のモスクワ』を楽しみにしてくださっている皆さんに、そんなモスクワでの出来事やHotな情報を、長い間お伝えできなかったことを、ここでお詫びさせてください。ごめんなさい。
さて。すでに7月の中旬から、モスクワの観光名所筆頭「赤の広場」がテロの影響によって閉鎖されている…という話題はロシぴろの「なんでも掲示板」等でも話題となっていました。私も友人から「旅行に行くけど赤の広場は閉鎖されているの?」という質問を受けたりしていたので、ず〜っと気になっていたものの、ビザの関係でモスクワを留守にしていたので長い間確かめることができませんでした。
先日やっと「赤の広場」がどうなっているのか、この目で見ることができました。(^-^)
8月最後の週。夏休みもあと僅かということもあって、「赤の広場」あたりは大変な賑わい。夏を惜しむように人々が街をそぞろ歩いていました。
こんな時に(とくに夏休み最後の土日などは)、モスクワ都心でテロが起こる可能性があるので気をつけたいところです。
が、今年は夏休み最後の土日は平穏に過ぎていったようでよかった、よかったでした。
最近は、ぐっと涼しくなって秋の気配が感じられるモスクワ。
9月に入って雨模様の天気です(この記事を書いている今は激しく雨がふっています)が、本格的な秋の曇天はまだ先のこと。
私が「赤の広場」に行ったときも、とてもいいお天気でした。
8月最後の週。秋の気配が漂うモスクワですが、 まだ長い秋雨は降っていません。いいお天気でした。 夏を惜しむようにモスクビッチは散歩してます。 |
私の友達が7月中旬には閉まっていた という歴史博物館。さて今はどうなっているのか? |
ヴァスクレセンスキエ門を通って「赤の広場」へ。 ここも人が多かったです。 |
左奥はグム、右横は歴史博物館、 遠くに聖ワシリー寺院が小さく見えます。 |
歴史博物館の入り口 |
私の友人が7月中旬頃、「テロの影響で歴史博物館が閉まっていた。」というのを思い出し、「赤の広場」へ向かう前に、さっそく歴史博物館へ。
案の定、入り口には「Закрыто(閉まってます)」の文字。
そんなことも気にせずにどんどん中へ入っていくと、入り口のところで警備のお兄さんが「閉まってるよ。」とぶっきらぼうに声をかけました。
これは理由を聞かなくちゃ!と思った私は「どうしてですか?」と質問しました。
するとお兄さんは、ちょっと言葉につまった困った表情をして
「…。午後5時以降は入館できないんだよ。」
「へ?」(心の中の私の声)
テロの影響で閉まっている…とばかり思っていた私は、いきなり拍子抜け。
「それじゃ、博物館は通常通り開いているんですね?」
「そうだよ。」と、お兄さんは疲れた声で答えてくれました。
「なぁんだ。恥ずかしい思いした。」
歴史博物館を出て、数ヶ月ぶりに「赤の広場」へ。
なんと。こちらはやっぱり柵が張り巡らされていて、入れないようになっています。警官の姿もあり、厳重に取り締まっているのかな???
あれ?でもよく見ると、中に入って写真を撮っている人たちがいる。しかも警官のすぐそばで!大胆な行動をするなぁ…。
ちょっと見えにくいですが、柵が張ってあって、 広場に入れません。 |
柵のところには警官の姿。 |
ちょっと広場の中に入って写真を撮っている人たち | 調子に乗りすぎて、警官に怒られちゃってるの? いえいえ、これは親切に道を教えてくれているのです。 |
と思いきや、なんと次は警官が写真を撮ってあげちゃってるよ〜。その上、一緒に写真に写ってしまったり。
女の子たちの写真を撮ってくれる親切警官? | 次は一緒に、「はい。チーズ。」 | 「やっぱり、バックは聖ワシリー寺院だな!」 |
なんと!彼は珍しくも親切なモスクワの警察官だったのです。
わざわざ「赤の広場」に来て、閉鎖されていたらロシア人観光客だってがっかりですものね。こういう親切な警官がいてくれたことに、ちょっとホッとしました。
でも、本当はいけないんだろうなぁ。
私も、彼(親切な警察官)にいつまで「赤の広場」が閉鎖されているのか尋ねてみました。
「8月末まで。あ、いや違った。9月10日まで赤の広場は閉鎖ですよ。あやうくウソ言っちゃうとこだったよ。」と、いいお天気のせいか警官は陽気な雰囲気。
「なんのために閉鎖しているんですか?」と私。
「モスクワ市の日(毎年9月の第一土・日。今年は9月6・7日)のためだよ。コンサートが開かれるんだ。その準備のためだよ。」
ふ〜ん。その割には、何の資材も置いていないし、準備も始まっていない。
立前上は、「モスクワ市の日」のためで本音はテロ対策といったところかもしれません。
「赤の広場」は、9月10日まで閉鎖ということですが、しっかりとグム百貨店側に歩道ができていて、「赤の広場」を見ながら聖ワシリー寺院まで通り抜けることができるようになっていました。かなりの人通りで、みんなスタスタ歩いて行ってます。実は、私は旅行中、足首をひねってひどい捻挫をしてしまったため、まだ歩くのが不自由な状態。ですから、その通路を通って聖ワシリー寺院までは行かなかったのですが、デジカメ望遠写真でみると歩道がつながっていて人が歩いて行っている様子が分かります。
左のグム百貨店側に歩道ができてます。 | 人通りは多い。 | 聖ワシリー寺院側も柵が張り巡らされています。 どうやらグム百貨店側歩道はつながっているようです。 |
「赤の広場」探索を終え、グム百貨店の周りでアイスクリームを食べたあと、メトロへ向かって帰ろうとしていると、例の警察官はすでに「赤の広場」へ人を通していませんでした。
あまりに多くの人が写真を撮りたがったので、「これはまずい。」と彼も思ったのでしょうね、きっと。
もし運が良ければ、もしくは見張りの警官の気分がよければ、9/10まででも「赤の広場」にちょっと入って写真を撮ることができるかもしれませんね。
モスクワに観光に来られる方は、閉鎖されているとは行ってもぜひ「赤の広場」へ行ってみてくださいね。
また、モスクワ市の日ではモスクワ都心部はパレードやコンサートが開かれるはずですので、ちょうどその頃いらっしゃる方は、年に一度のモスクワ市の日も楽しんでいってください!
誰もいない「赤の広場」というのも威風堂々としていて、なかなかよいものでした。