はぐれミーシャ純情派

タシケント激闘編9日目後編
7月31日
 家に帰って料理を続ける。ミーラおばさんがすぐにやってきた。アレーシアとミーラおばさんに、今日の出来事を話す。「ふぅん」だって。リアクションが薄い。しばらくすると出かけていたラリサ叔母さんが外出先から電話をかけてきた。俺が旅行代理店での出来事を伝えると「シューラが言ったでしょ。あなたの未来は明るいって。もう迷うことないわ。タシケントに残りなさい」うーん。折れも決心がぐらついてきた。
 ポテトサラダは前もって作ってある。煮物は味を整えるのが大変。醤油は韓国製の激マズ醤油だし、だしをとるものがないから「ふえるわかめちゃん」で代用したら、変な味になっちゃった。でも、ベストは尽くした。駆るボ名ーラは面倒だから中止。
 みんなそろってお別れ会、ってな雰囲気になるのかと思ったが、普通のときと変わりなかった。途中でジーマ(ミーラおばさんの息子らしいが、よくわからない存在)がやってきた。旅行代理店での件を相談したら、「給料200ドルあったらこれだよ」と言って、腹いっぱいという意味のジェスチャーをしてた。
 暗くなってしまった。ミーラおばさんをバス乗り場までみんなで送る。「またタシケントで会いましょう」だって。そのあとジーマともお別れ。「タシケントで待ってるから」だって。モスクワ、行きづらいじゃん!いい人たち。忘れたくない人たち。
 家に戻ると、しばらくしてアントンの友達・ヴィターリーがやってきた。すぐにアントンと二人して出て行った。ヴィターリーは「元気でな」といって、微笑んだ。身体がでかいくせに子供っぽいやつだが、まあ悪いやつじゃない。いろんな人とであった。
 さーて、あとは明日の出発を待つばかり。と、思っていたら、またまた一波瀾。夜の10時過ぎに玄関のチャイムが。誰かと思ったら、彼女のおやじ!今日の朝はラリサ叔母さんに対してものすごく冷たい態度を取ったらしいが、ここでは一転して笑顔笑顔。おやじは俺と話がしたいという。おいおい、俺のことを殴りにきたんじゃあないんだろうな?
 ラリサ叔母さんはお茶でも飲みながら、といって部屋の中に入るように勧めたが、おやじは否定して俺を外に連れ出した。これはピンチである。殴られたらどうしよう?殴られるだけじゃなくて、どこかにつれて行かれたりして・・・。
 真っ暗な夜道を歩きながらの会話。「さあ、話してくれ」「何を話すんです?」「タシケントをでてどこに行くんだ?」くそー。ラリサ叔母さん、しゃべったなー。あれだけ俺がモスクワに行くってことは黙っててくれって言ったのに。以前、アントンとラリサ叔母さんと俺とでその件について話したとき、俺は「絶対彼女の家族には教えないでくれ」とお願いしたのだ。そのとき、アントンは「俺達は絶対言ったりしないから、俺達を信じてくれ。ミーシャがタシケントを出たら、彼らにそのことを伝えるようにするから」と約束してくれたのだ。
 受験前の彼女を動揺させたくないという気持ちもあったが、それはかっこつけのような気がする。ただ彼女を同じぐらい傷つけたかったんじゃないかな、と自己分析。明日は彼女の受験の日。そのあと、どうなるか。彼女が友達として付き合いを求めてくることは必至である。そんなのは耐えられない。そして、彼女は大学に行って、きっと他の男を見つけるだろう。そう、俺はモスクワに逃げるんだ。苦しいことから逃げて何が悪い。みっともないのは百も承知だ。大体、俺がいなくなったとして、彼女が悲しんでくれるかどうかもわからない。悲しんでくれたら俺のことをまだ思っている証拠だからうれしい。でも、そのとき俺はいない。彼女と会えないのだから苦しい。悲しまなかったとしたら、俺のことを愛していないのだから、苦しい。どっちにしたって苦しいのだ。まあ、タシケントに残っても、モスクワに行っても苦しいのは一緒。どっちに転んでも地獄なら、生活条件がいいところのほうがいいに決まってる。新しくやりなおしたい。人生にリセットボタンはない。そもそも、全てを忘れようなんて思っちゃあいない。苦しいものが心の海に沈んで行くのを、ただ見つめるばかりである。
 おやじとの会話は続く。おやじが言ったことを要約するとこんな感じ。「ナターシャ(彼女の母親)は心配している。お節介を焼きすぎたかもしれないが、おまえを思ってのことだ。おまえの母親に「面倒を見る」って約束したのだから、世話を焼くのは同然の事だ」などなど。何度同じ道を行ったり来たりしたかわからない。おやじは終始ニコニコ顔。もう隠しても仕方がないので、明日モスクワに行くことを告げた。でも、ミンスクに行くことは言わなかった。「どうするのか決めたら連絡してくれ」「残念ですが、連絡する気はありません」「ナターシャに電話して「さようなら。お世話になりました」って言ってくれないか」「できません・・・」俺はおやじが頼んできたことを全部断った。人間として当然のことができないくらいに心は追いこまれている。そうするべきである事は承知の上でのことだ。ただひたすらに苦しいのだ。そして、彼女のことは全く話題にならなかった・・・。
 二人で家に戻る。ラリサ叔母さんはお茶を飲んでいけと強く勧めたが、おやじは断った。おやじは握手を求めてきた。手を差し出したらグッと引き寄せられて、外国人風の抱擁。ニコニコ顔で「また会おう」だって。本当に思っているのか?
 おやじが帰った後、ラリサ叔母さんに「なんでしゃべったの!?」と問いただしたが、これは俺のワガママなのだから仕方がない。俺がモスクワに去った後に、そのことを告げるのは気まずいのだそうな。どんなに嫌っていても親戚であることにかわりはないのだから、付き合いというものがあるんだろう。
 荷物をまとめる。かなり大量の荷物なので、1度に持って行くことができない。2つの箱を残していくのとにした。ラリサ叔母さんには手持ちのスムを全額渡した。冬服や本を置いていくのはちょっと不安。まあ、ここまでいろいろしてあげたのだから、裏切って荷物を送らないなんてことはないと思う。ただ、郵便事情がとても悪いので、途中で盗まれたりしないかということが心配なのだ。
 タシケント最後の夜はみんな無口である。明日、5時半には家を出なければならない。ラリサ叔母さんは朝まで起きているという。おれもそうしようかと思ったが、疲れがどっと出てきて眠ってしまった。

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