はぐれミーシャ純情派

タシケント激闘編8日目前編
7月29日
 今日はモスクワ行きの飛行機の切符を買わなければならない。昨日の夜、アレーシアが「一緒に買いに行こう」と言い出したので、彼女のテニスの練習が終わる2時ぐらいまで家にごろごろすることに。
 昨日のこともあってラリサ叔母さんとは話したくない。ひとこと言ってやろうかと思ったが、我慢した。酒を飲んで騒ぐのは自由。それは俺には関係のないこと。でも、アレーシアのことを考えると・・・。俺には許せない。ラリサ叔母さんは母親だ。一人で生きているんじゃない。一人で生きているんだったら飲もうが誰かを連れ込もうが自由だ。でも、娘の前であれはないだろう。あんなラリサ叔母さんでもアレーシアにとっては大事なお母さんなのだ。もう少ししっかりしてもらわないと。
 文句を言うのを我慢したのには、もう一つ理由がある。それはラリサ叔母さんも寂しいのだということ。ラリサ叔母さんは毎日のように愚痴っている。俺は家にいることが多いから自動的にその愚痴の聞き役になってしまうのだ。彼女の家との確執の話はもう聞きたくない。彼女の名前がでてくるたびに心臓が止まりそうになる。これをかいている今でも彼女の名前を書くことさえできない。ラリサ叔母さんの愚痴はほとんどが彼女の家とのことだが、時には自分の人生をふりかえって恨み言を言う。
 ラリサ叔母さんは18歳で結婚して、20すぎたころにはもう案トンとアレーシアを産んでいた。日本と違って、ウズベキスタンでは18歳ぐらいで結婚するのが普通である。その後大学の通信課程を卒業。家事をやりながら学業も続けたのだ。卒業後はタシケントのオペレッタ劇場で衣装係りとしてずっと働いてきた。たしか17年と言っていた。しかしソ連崩壊後、ウズベキスタンのナショナリズムの高揚と共に彼女の生活も変わって行く。すべての公共施設の長はウズベク人にとってかわられた。そして、ウズベク人にとって邪魔なロシア人は何らかの手段で解雇に追い込まれる。ラリサ叔母さんもその一人。ウズベク人が劇場の支配人になってしばらくたったある日、ラリサ叔母さんはその支配人に呼び出された。そして、関係を持つように強要される。まさにそういう「関係」のことである。当然、ラリサ叔母さんは断った。そして、ラリサ叔母さんは劇場を追われることになるのだ。なんともやるせない話だ。フサンは「この国ではいろんな民族が仲良くやっている」と言っていたが、嘘に決まっている。ウズベク人からすれば、ウズベキスタンはもともとウズベク人の国なんだろうが、ここには他の人たちだって暮らしているのである。
 ラリサ叔母さんはだいぶ前に離婚をしている。旦那が他に女をつくってしまったのだ。ラリサ叔母さんとその旦那は学校時代の同級生。そして、旦那の愛人も同級生。ラリサ叔母さんはその愛人がどんな人間かよく知っているのだそうな。旦那はラリサおばさんのところを出てその愛人のところに行くとき、ほとんど全ての電化製品や金目のものを持って行ったのだ。ラリサ叔母さん曰く、それまでの暮らしは全くお金に不自由することがなく、あらゆる電化製品、車などがあって幸せそのものだったのだそうな。そのあとの暮らしは、当然楽ではない。二人の子供を育てるのだから。あるとき、「養育費とかはもらわないんですか?」と聞いたことがあった。ラリサ叔母さん「それだけは絶対に嫌だったから、断ったわ」
 その後、プロポーズされたこともあったらしいのだが、全部断ったのだとか。「私はまだ若い」というのがラリサ叔母さんの口癖だが、そう言っているときの顔は寂しそう。ラリサ叔母さんは今年で40歳。再婚する気には全くないらしい。子供の成長だけが彼女の楽しみ。今は注文を受けて服を作ったり、その服をバザールで売ったりして生計をたてている。苦しくないはずがない。アレーシアのテニスのトレーナーに払うレッスン代もバカにならない。アントンはモスクワにある演劇の大学に入ろうとしている。ラリサ叔母さんはよく頑張っていると思う。そのストレスが昨日のように爆発してしまうのだろう。そのことを考えると、もう俺には何も言えない。責められない。でも、今日はあまり話したくない。

中篇に続く | 前の日に戻る

はぐれミーシャ純情派目次へ戻る

ロシアンぴろしき表紙に戻る