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2008年10月02日

また、旅に出ます

 いろんないきさつがあって、秋に長期休暇を取得できることとなりました。そうなれば、やはり、行くべきは、モスクワだア!

 17回目のロシア行きです。秋のモスクワは、2度目になりますね。今回もユーゴザーパド劇場の客席に座ることが目的です。
 今回の観劇予定演目は、以下のとおりです。

  ◎白雪姫と7人のこびと

  ◎「結婚」  ゴゴリー 作

  ◎「巨匠とマルガリータ」  ブルガーコフ 作

  ◎「タクシードライバー」

  ◎「ワルプルギエバの夜」  エローノフ 作

  ◎「夏の夜の夢」 シェークスピア 作

 日替わりレパトリー制のモスクワの演劇劇場スケジュールは、旅人にも、とってもうれしいものです。毎日同じ劇場へ通えば、毎日違う演目が楽しめて、短い滞在時間でも十分に楽しめるのですから!

 こちら、「マーミンカ通信」での「旅日記」の未記入が、前々回=2006年12月、前回=07年12月、とあるのに、またまたの間もなく出発の旅も書くこととなりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 そうそう、今回の旅は、成田からアエロフロート機に乗って、ビュ~ンと飛んでみます。久しぶりのアエロフロート体験も出来ます!これも楽しみです。

 では、しばらく、お留守します。


2008年09月24日

復活のごあいさつ

 こんにちは。

 マーミンカ通信ご愛読者が大勢おいでになるとは、まったく、驚きでした。ひとりでこそこそと書いて、誰もお読みではないかなとずっと思っていました。ところが、多くの方々から「復活を」と便りをいただき、ただただ、驚いています。こうして、ネット内で、文章写真などを公表していくことは、すでに社会的な役目を負うもののようです。
 
 みなさま、ありがとうございます。
 みなさま、ごめんなさい。長く放置状態でしたこと、お詫び申し上げます。

 この間なにをやっていたのかですって?元気でした。
 実はロシアものから離れて、インドに関わっていたりしまして、つい。

 でも、やはり、ロシアが良いなあ。
 旅日記が途中のまま、復活させ、書き続けていきます。
 


2008年01月14日

16号 ホテルの部屋は30階

 宿泊のホテルは、 Центральный Дом Туриста 、私の部屋は30階。その見晴らしはモスクワの街の大渋滞状況をこの日からしばらく毎日眺めることが出来る部屋でした。
 部屋にトランクを投げ入れて、顔だけをちゃっと洗って、髪をさっと梳かして、階下で待つ俳優シューラとお茶するつもりでした。が、階下の小さな喫茶店に入って先客がビールを飲んでいる姿を見たら、急にビールが飲みたくなり、「あのうビールください」となっていました。もちろんシューラは車だから、紅茶。ふたりでポテトのサラダとピッッアと鮭の燻製をつまみにして、やっと落ちついて、近況報告ができました。

 「元気でしたか?」
 「もちろんさ。みんなが元気だよ。君は?」
 「とても元気です。仕事も順調で家族もみな元気です」。

 「新しい芝居を作ったけれども、たいへんだったよ。毎日とても忙しかった」。きょう、2回も見せていただきました、ハルムスの詩から子どもの伝統遊びを題材にした短いお芝居です。と、タバコを吸うシューラです。「難しい芝居つくりでついイライラしてしまってね」とでも言いながら、イライラするしぐさを演技して、笑ってタバコに火を点けています。しばらく止めていたのに、まあ、です。

 「出演の若い俳優たちはどうだった、どう思う?」
 「いま思い出してみるね」のつもりで、「背の高い女優の名前は?」
 「リューバだよ。ママと同じ名前だね」と笑うシューラ。
 「ニイカは、以前夏にいっしょにダーチャで会っているね」と言われて、「あっ」と思い出したのでした。だからずっとどこかで会った人と、舞台の小柄な可愛い女優を見ていたのでした。ダーチャへ俳優仲間と行ったときに、来ていたのが彼女でしたね。
 「俳優のひとりが日本の女優に似ているよ、えっと赤いほっぺの……」と私も身振り手振りで伝えると「サーシャだね、日本人の女の子か…」と、ちょっと笑って、「俳優はだれにでも成れる」。

 「ユーゴザーパド劇場にはいま、何人の俳優が所属しているのですか?」
 「僕たちの劇場は小さい劇場だけれども俳優は大勢いるよ、50人かな」。
 若い俳優が活躍してきています。ベテラン俳優たちは、映像の世界にもどんどん出演していて、いつも忙しいそうです。
 「日本にも俳優はたくさん居るけれども、道を歩いていてスカウトされて俳優になる人もいるのだよ」。これは来日経験も多いシューラは知っていることだけれども、「信じられないことだね」みたいな顔をしています。そして「ロシアは俳優をどんどん作っている。子どものときから舞台を見て、芝居を演じるからね」、また「僕は、ずっと発声練習とロシア語発音を勉強してきた。日本のように短い時間で俳優になるとは、わからないことだね」。

 私はとても疲れているハズなのに、ビールが美味しくって2杯目もぐびりとして、そして、シューラに言われてしまいました。「明日僕は早くから映画の仕事だから。君は明日ずっと眠っていれば良い。夕方劇場へ来れば良い。僕は明日早いから…」と、ちょっと困って笑っています。
 「そうだね。じゃあまた明日」。
 
 ホテルの部屋にほろ酔い気分で戻って来て、ハイな気分は飲酒でいっそうハイになり、たっぷりと湯を入れた風呂に日本から持ってきた入浴剤を入れて、私は「ぷわ~~~」と声を出して熱い湯を楽しんだのです。そして生き返った気分でそのまま、次の朝まで熟睡しました。毛布を蹴飛ばしていました。部屋が暑くってたまらなかったのです。


15号 「ハムレット」観劇とその後

 「ハムレット」の舞台はとても素晴らしい。登場人物のだれもが舞台の主人公です。だれをとっても人間の普遍性と狂気さとおかしさを持っている人生、それをおおいに感じます。私たちの人生は舞台の上の演劇です。
 しかし、私は22時間近くの飛行機の旅でモスクワに到着し、すぐにトランクを持ったままにタクシーで劇場へやってきて、すでに2回もの芝居を観て、長編の「ハムレット」の観劇です。疲労は突き抜けてかなりのハイ状態です。気を抜けばすっとんと落ちてしまう、実に危ない状態でもありまして……。
 休憩時間に、リューバさんが「頭が痛い」と先に言うので、私はまたそのままハイを続けているしかありません。「リューバさん、大丈夫ですか?」と、問えば「この芝居は辛いね」とおっしゃる。ちょっとロシア語がわからなくって良かったと思った瞬間でした。
 「『ハムレット』は厳しい重いお芝居ね、なんだか頭が痛くって。なんだか辛い」。顔色も悪そう。でも、私に気を使ってくださっているのがよくわかります。私も普通の状態でないのですから。

 劇場の細い廊下のむこうに、日本人らしき女性が立っています。が、私から声をかける余裕がきょうはありません。「こんにちは。日本の方ですか?」とあちらから声をかけてくださり、ちょっと恥ずかしい思いもしました。留学生でまだモスクワに来たばかりで、このユーゴザーパド劇場の大ファンであるとおっしゃいます。

 再び芝居は始まり、場面はハムレットの苦悩が全面に、ハムレットの母ガートルードの母の苦悩も胸が痛くなるほど。ですが、ガートルード役女優の体の大きさが、なにがあっても大丈夫な肝っ玉母さんみたいに見えてしまい、女王の雰囲気が消えてしまい、ちょっと残念な私です。

  「ハムレット」の有名なせりふのひとつ。
  To be, or not to be that is the question
     ==生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。(河合祥一郎訳)これがロシア語では、

Быть или не быть таков вопрос となるところを聞き逃してしまったのも残念です。

 最後の決闘の場面は、この劇場お得意の客の想像力に任せる手腕で演出され、それでも十分に決闘シーンは、胸にせまります。熱演のハムレット役、オレク レウーシンは93年の来日時いっしょに宝塚劇場へ行った仲なのです。舞台が好きでたまらないと全身が唸っているような熱い大俳優です。

 終演してすぐのカーテンコールでは、並ぶ俳優たちに花やなにかしらの贈り物を渡すファンたち。やはり人気俳優、オレク レウーシンへは女性たちが花束を渡しています。シューラへもファンの女性から花が贈られていました。うん、とても良い舞台でした。
 さきほど休憩時間に声をかけていただいた、愛称 K子さんに「少し外で待つとシューラに会えますが」と軽くお声をかけたら彼女が大喜びしました。「俳優とお話しするのははじめてです」。えっ、驚く私です。ロシア演劇を勉強中でしたら、ロシア俳優とお話を交わすことも大事な勉強だと思いますから、ぜひシューラを紹介すべきと思いました。

 シューラのママのリューバさんは「私は頭が痛いから、バスで家に戻ります」と言い残して、さっさと居なくなりました。劇場の前で終演後、たむろする興奮の客たちの姿がひとりふたりと消えて、静かになったころ俳優たちが、素となって楽屋口から外へ出てきました。主演を演じた俳優は花束をいくつも抱えています。なんだかとっても素晴らしい美しい姿です。
 シューラも花束を手にしてうれしそうに出てきました。すぐにK子さんを紹介してふたりは、うれしそうです。「明日は『夏の夜の夢』も観に来ます。また会いましょう」とK子さんと別れました。シューラは私のトランクを車に運び込んで、私をホテルへ送ってくれます。日はとっぷりと暮れた街は、まだまだ賑わっています。午後10時半ごろの冷えてきたモスクワ南西部の街です。


2008年01月09日

14号 「ハムレット」に、感激する!

 07年12月9日モスクワ時間19時、モスクワ南西部にある小さくても熱い劇場舞台では、いよいよシェークスピア作「ハムレット」がはじまります。
 ロシアでも「ハムレット」を演じる俳優は、名優でありどのように表現していくのかは、その劇場の力量が現れると言われます。ユーゴザーパド劇場が世界へ進出した公演は1987年の「ハムレット」の衝撃の名舞台です。それは日本でも1990年に公演され、以来の熱いファンが大勢おいでです。残念ながら、私はそのころの彼らの劇場は知りませんからなにも語れません。が、今回はじめて観る彼らの「ハムレット」をすっごく楽しみにしています。

 2007年の私は「ハムレット」と、いくつかの縁があった年でした。
 2月、モスクワユーゴザーパド劇場の演出家ワレリー ベリャーコビッチ氏の来日を成田空港へ迎えにいきました。彼は兵庫県立ピッコロ劇場にて、「ハムレット」の演出のために来日。
 3月、ピッコロ劇場でベリャーコビッチ演出「ハムレット」を2度観劇。
 7月、膨大な蔵書の整理をために訪問したお宅で一番に目に飛び込んできたのが「ハムレット」ロシア語版でした。
 9月、その本たちの整理では、「ハムレット」を冠する貴重な蔵書が日本語英語露語などもたくさん有りました。
 11月、それら「ハムレット」が、我が家にやってきました。大事に読みたいものです。
 ところが、ユーゴザーパド劇場での「ハムレット」の鑑賞はいままで縁がなくって、今回がはじめてです。俳優シューラは「僕は『墓堀りの役。道化だね、出演時間は少しだけだよ」といつも言っていました。やっと観ることが許されることとなりました。

 2列目の中央の席にすわり開演を待ちます。満席で補助椅子席も、舞台に迫るほど両脇にびっしりです。暗い舞台に灯りが点ると、おお、シューラが門番役で出演です。「おっと最初から出演しているのですね」と、墓堀りが出演の後半までシューラに会えないかと思ったら、期待を裏切ってくれて、ほくほく。
 
 ベリャーコビッチ演出「ハムレット」の斬新な衣装。白と黒色を基調に、素材や飾りや硬軟や着方などの工夫で、場面ごとに大きな役割を持たせています。衣装デザイナーは、ユーゴザーパド劇場ベテラン女優が、絵を描き布を整えミシンも使い作ったものです。
 音楽も照明も、いつもながら場面が先にあるのか、それらが先にあるのか、ともにいっしょに生まれたのか、細部にも「ハムレット」のための魂が宿る音と光です。

 夢中で観劇。眠くはありません。それには秘密が……。そして、ここで日本人女性にお会いしました。 


2008年01月04日

13号 ロシア公共マナーについて 

 開場前の劇場の喫茶室で、「ハムレット」の開演を待つリューバさんと私。喫茶室に自分のコートを持っていくようにと劇場の管理者から言われました。劇場側としては、まだ開場していない劇場のコート預かり所に、客のコートがあってはいけないからです。開場となったら、他の客たち同様に私たちは再びコートを預かり所係りに預けます。外から入ってきた人々はコート預かり所の前でコートを脱ぎます。
 ロシアの冬のマナーとして大事なことをひとつお伝えいたしましょう。それは、コートをどうするかということです。

 家庭でも当然ですが、劇場、美術館、博物館、レストランや会社など、屋外から室内へ入るときは、コートを脱ぐのが大事なマナーです。必ずコート預かり所があり、係りの人がいます。高級レストランなどはハンガーにコートをかけてから、番号順にならんでいるコート掛けにかけて合い番号札を渡してくれます。帽子やマフラー手袋などは、コートのポケットや袖の中にいれて、いっしょに預けます。女性用の高級なしっかり型がある帽子などは預けるよりも、そのまま会場で被っていても許されます。
 ユーゴザーパド劇場もそうですが、多くの施設では、ハンガーではなく、壁にあるひっかけ変形U字型道具にコートの後ろ襟部分をひょいとひっかけます。
 日本で買った衣料にはあまり付いていないのですが。北の外国では当たり前にあるのが、しっかり縫いつけられている、ひっかけ鎖か、しっかりひも、です。着た時にちょうど首の後ろぐりぐり辺りにあた
る部分にあります。これがないと、コート預かり係りはとても困ってしまい、変に襟をU字型にひっかけてくれます。冬にロシアへ行こうとなさるお方は、ご自分のコート後ろ襟に、ひっかけひもをしっかり縫いつけられているか、なければひもなどをしっかりと縫い付けるご用意をしてください。

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 そして、女性のコートは男性が管理するという大事なマナーがあります。例えば、劇場で。ペアでやって来てら男性は自分のコートをいち早く脱ぎ、女性がコートを脱ぐ後ろに回り手伝うこと。女性のコートをしっかり手にした男性は、自分のと合わせてコート係りに預けます。係りから番号札をもらったら、男性が札をしっかりと管理します。これとても大事なマナーです。日本人男女が行って、「僕らは日本人だからね」とばかりに、男性は男性で女性のサポートもせず女性がひとりで全部やっているのを、ロシア男性が見るとそれだけで日本人男性のマナーのなさを幻滅のまなざしでみて「ああ、日本人男はサムライだな」と影で言ったりしています。
 終演後は男性が番号札を係りに渡し、女性のコートも受け取り、もちろん私たち女性に、優しく着せてくださいませ。
 このときの男女ペアとは恋人同士や夫婦に限るわけではありません。ママといっしょのママよりも背が低い少年が背伸びをしながらでもママをサポートするところは、なんともステキな情景です。職場の男女も同じこと、男性が上司だとか年齢がどうとかはいっさい関係ありません。
 男性は女性を優しくサポートする、それが大事なマナーです。建物のドアの開け閉め、車のドアも当然、エスカレーターやエレベーターも男性がサポートします。荷物も男性が持ちます。このあたり、日本人男性のみなさんは、慣れていないと思いますが、どうか旅の前には訓練なさってお出かけください。また女性は堂々と男性に預ける、先に歩くなどなさってくださいね。これも訓練が要るかもしれません。ホテルのエレベーターに男性といっしょに乗り合わせた日本人女性は、降りるとき男性に先に降りてもらおうと待っていますが、西洋男性は絶対先におりません。彼らは女性が降りるのを待っています。ヘンに止まった時間が生まれます。ですから女性がさっさと降りてしまえばいいのです。

 そして大事なお酒のマナーをひとつ。お酒の瓶は女性が持つものではありません。必ず男性が持って男性が女性に注ぐものです。そのとき女性のグラスにはやや少なめにして、男性はそれよりは大目に注ぎます。女性が瓶を持ってテーブルを回ったりしている姿をロシア男性は驚異の目で見ています。

 劇場のコートの話に戻りまして。コートを預けると同時に、大きな荷物を持っていたら預けます。客席には女性のバッグだけが許されます。また、カメラも持って入ってはいけません。
 外が大雪などで靴が汚れているときは、履き替えの靴を持っていき、室内用ハイヒールなどに履き替えて、汚れたブーツも預けてしまいます。

 身軽になって、時間があれば喫茶室などでワインかお茶を飲みながら開演を待ちます。そのときのみんなは、ワクワクしてとても良い笑顔です。私の大好きな時間です。


12号 海外旅行保険に加入して行きましょう

 いつもご愛読のみなさまも、たまたま飛んだ拍子にこちらに着地してしまったみなさまも、2008年あけましておめでとうございます。旧年中はサボっていました、ごめんなさい。ことしは頑張るつもりです。
 どうぞよろしくお願いいたします。

 お正月ですから、ホットなニュースをお届けいたします。

 既報のとおり、私のモスクワ行きは、乗るべき航空会社の都合により、はてしない遠回りを強いられて、当所モスクワで宿泊する予定の1泊(12月8日)が、機内での泊まりとなりました。ご存知のとおり、ロシアへの旅はあらかじめ宿も決めていかねばなりませんから、当然、泊まるべきホテルは予約、日本のロシア専門旅行会社を通じて万端整えていました。が、泊まれませんでした。これは、ホテル側にとっては、当日ドタキャン100%宿泊客支払い責任が発生するものですね。
 実は帰国してからもこの1泊分が気になっていました。モスクワでのホテル料金は高騰しています。私が予約していたホテルは中心部有名ホテルではありません、が100ユーロ以上のお値段です。うむ、痛い。

 帰国して、ある方と「飛行機がこんな具合でわたしゃあ、困ったよ」などと、笑いながら話していると「旅行保険で戻ってくるかもよ」と素晴らしい情報を教えてくれました。「エッ~!」
 さっそく、旅行会社&保険会社に問い合わせると……。海外旅行保険の項目に「偶然事故対応費用」があり、私はこれにもちゃんと入っていました。航空会社の理由による欠航にて生じてしまった費用が保険から戻ってくるのです!知らなかった。
 旅行保険と言うと、旅先で最悪死亡とか怪我とかの補償、盗難とかカメラを壊したとかの補償のためにとそこに目が行きますが。読者のみなさま、私のようなケースは十分に「偶然事故対応費用」にて補償されるのです。もちろん事前に保険加入と保険料支払いが前提です。

 航空会社の理由による飛行機の欠航(天候理由はダメ)、それにともなうホテルキャンセル料金、予定変更に伴う負担した交通費、食事代、国際電話代金も補償されるようです。もちろん領収書など証明は必要です。
 くわしくは旅行保険会社に問い合わせてくださって、海外旅行保険にはぜひご加入くださって安心の旅を、おすすめいたします。
 もうひとつ大事は、領収書です。食べた買った飲んだなど領収書が取れるものは全部集めていたほうが、なにかと証明になります。

 今号は、旅のお役立ち貴重な体験メモでした。


2007年12月29日

11号 こんにちは!シューラ

 12月9日モスクワ時間午後5時半ごろ。モスクワ南西部の住宅街にある小さくても熱気あふれる劇場。その地下にある暗い喫茶室の丸いテーブルを囲むのは、ロシア女性と日本女性のふたり。俳優シューラのママ、リュボフィ(愛称リューバ)と疲れているけれどもヤケに元気な私です。

 「少し眠りたい」と私は言っているけれども、やはりリューバさんは語ってきます。と、彼女は、「あ、そうだった。あなたにとても大事なお知らせがあるのよ。私の家もシューラの家も新しくなるのよ。来年の春には新しい家だからねえ」と、すっごくうれしそう。

 モスクワの住宅の多くは、ソ連時代に建てられた集合住宅です。シューラもリューバさんもモスクワ中心部から南西部へ走る朝夕すごい大渋滞の起きる大通りから少し入ったところにある、古い集合住宅、親子の住まいは歩いて10分ほど離れていますが、まったく同じ造りの部屋つくりです。窓は木枠、壁はところどころ剥がれていたり、水周りも使い難そう。暖房も効きが悪いと言う。「寒いときはヒーターが必要なんだよ」とも。「新しい住まいが欲しい」は、以前からシューラがいつも言っていたこと。当然、高騰を続けるモスクワでは、簡単な買い物ではありません。
 モスクワ市は、いよいよこの老朽化している住宅街を新しい街につくりかえると決意したようで、住宅建設は着々と進められています。後日、シューラのご家庭に招かれたとき、その新しい住宅群を見て「ぼくはたぶんあそこに住むよ」と指差したシューラは、それはうれしそうな顔でした。

 話しがそれました。喫茶室はその時間、俳優やスタッフたちの休憩&喫茶室です。本当は私などは入っていてはいけないのですが、俳優シューラのママとごいっしょでしたから、俳優たちが集まるそこで、シューラを待つことができました。

 ああ、眠いなあ、ここでたとえ15分でも眠ると、私のこれからの時間はどれだけ楽になるのでしょうか。

 が、それは許されませんでした。後ろから「プリヴィエト!」と大きな声をかけてくれる俳優が登場したからです。「は~い」。でもさっきから私は会っているのですが、舞台で活躍するシューラの姿に。

 飛行機の話し、日本のことや家族のこと、仕事のことなど質問攻めです。そして、俳優は軽く食事をしたいから「なにか食べるか?」「ええ、私はとても空腹です」。「ここはレストランじゃあないからねえ……」と、言いながら、喫茶室が俳優たちのために作る軽食をわけてもらいました。
 つくりたてマカロニのマヨネーズあえ、ロシアンハンバーグ、蕎麦の実のお粥仕立てと熱い紅茶。これですっごく生き返りました。もう身体の奥から元気が出るのが判りました。と、同時にやや満腹になると、観劇中の睡魔が私を襲うのではないかしら?急に不安になりました。と、それを判ったかのようにシューラが言います。「『ハムレット』は音楽が大きい音がするから眠っていられないよ。僕も出演するからね」。

 俳優たちは18時30分前にはこの喫茶室を退去します。客が入ってくるからです。シューラもさっさと食べて「じゃあ後で。劇場の前で待っていなさい」と、なにやらママとも話して、楽屋に行きました。

 リューバさんは「『ハムレット』をこの劇場で観るのがはじめてよ。他の劇場のものは観たことがあるけれどもね」と、私にはちょっと驚きのご発言です。いままでよほど観るご縁がなかったのでしょうか。俳優は家族に自分の仕事をいつも見せているようです。他の俳優が家族を連れてきていることも知っていますし、以前から何度もリューバさんもシューラの妻や子どもたちもこの劇場で会っているのです、が。そうですか、リューバさんが初めてとは、じゃあいっしょに楽しみましょうね。


10号 それでも2回目の舞台公演

 22時間も飛行機に乗り、暑かったり眠かったり、窮屈で13時間も座っていたり、乗り換えにウロウロしたり。到着してすぐにタクシーを飛ばし、すぐに劇場の客席に着いて。これが疲れなかったら、私はモンスター。そうではない、日本人女性ですからね。さすがに1回目の公演鑑賞後はいろんな緊張が解けて、待合室の椅子に腰を下ろした途端、「はああ~~」と思わず大きな深呼吸ともため息が。頭がくらりとして、胸がどきどきして、おっと、ここで倒れこんではいけない。少し目をつぶって眠ろう。と、そのとき、目の前に現れたお方。

 中部国際空港から、出発前に「明日モスクワに到着して、すぐに劇場へ行く」と、俳優シューラに電話をかけたとき、電話の向こうで俳優は「劇場へきっと来るのだよ。劇場では僕の母のリューバさんが待っているから」と。
 そうです。目の前にシューラのママ、可愛いリューバさんが「ああ、なんと愛しのヤポンカ(日本人女性)」」と、抱きついてkiss 攻撃を浴びせてくれました。毎回のモスクワでお会いしている、シューラのママは、とても可愛いお方で大好きです。
 再会を喜んでいるとすぐに劇場の入り口ドアは開き、私たちは地下の喫茶に行きました。私は彼女に伝えました。「私は長く飛行機に乗ってモスクワに到着したばかりだから疲れている、少し眠りたいと思う」というようなことを。でもリューバさんには通じていませんでした。彼女はどんどん話しかけてきて。もう、こうなったら勢いだけで、突っ切るとしましょう。
 「日本は寒いかい?」「雪が降るの?」「太陽は出ているの?」「日本にアイスクリームはある?」「自慢の息子俳優シューラはとても忙しくしているよ」などなどの質問の理解と回答のロシア語に、ぼちぼちと時間をかけていると、すぐに2回目の開演時間です。今度の私は席は、2列目の真ん中の席。リューバさんは上の方の席です。

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 2回目も当然、若い俳優たちは意気揚々の大奮闘です。シューラの洗濯おばさんもお似合いですこと。先の舞台でも思ったのですが、いまもまた思うこと。どうでしょう、このきれいな舞台。どうしてこの美しさが演出できるのでしょうか?私にはわかりません。
 観客席の子どもたちはまた元気に、笑ったり舞台に声をかけたり、手をたたいたり。すっごく楽しそう。ひとりの少年が俳優に向って言ったひとことで劇場中が、私を除いて大笑い。悔しいけれど仕方ない。
 大きな拍手に包まれて終演。私とリューバさんは、劇場の地下の暗い喫茶に再び行き、次の舞台「ハムレット」の開演を待つこととしました。そうです。本日3回目の舞台鑑賞は、2時間後にはじまります。それも大作、シェークスピアの「ハムレット」です。


2007年12月28日

9号 小さな劇場は大きな感動の場所

 私はユーゴザーパド劇場のファンです。俳優の大ファンです。が、この劇場では、ひとりの外国人観客のひとりです。正規の値段でチケットを買い、正規の時間に劇場内へ入ります。楽屋には行きません。行ったことはありますが、客が入るところではありません、私は行きたくないです。ただし、チケットの購入予約は俳優に訪露が決まったときから頼んであります。人気の劇場ですから、小さい劇場ですから、切符はすぐに売り切れます。

 はじめてユーゴザーパド劇場へ行ったとき、2001年1月のことでした。はじめて観るあの劇場の小ささに驚きました。舞台は客席よりも高さ15センチくらい高くなっているだけ、俳優も演技中には舞台からはみ出したりして客席近くまで寄ってきたりします。その舞台と客席の間は、約1・5メートルくらい離れているだけかしら。俳優は客の目の前で演じます。客は手を伸ばせば届く位置で俳優の熱い演技が、目の当りに見えます。

 これは、なんども書いていることですが、初めて行ったときから、今回も、ここの舞台はとても神聖なものであると痛烈に思っています。私たち観客は絶対に上がってはならない、俳優の命が吹き込まれた神聖な場所だからです。実際に上がってはいけません。若い客たちが思わず上がってみたりして、劇場関係者から注意されています。
 神聖という意味でのことですが、舞台には舞台の神様がいて、客席には客席の神様がいます。芝居がはじまるとその神様同士が意気投合して、劇場の神へと昇っていく……、とても抽象的なようですが、それは肌で感じます。舞台とはとても神聖な場所なのですね。

 私の席は一番前の上手側。はじめて観るこの芝居はどんなお話なのか、いっさい知らない。もちろん全編ロシア語、日本人客だからと音声ガイドがあるわけでもない。私のロシア語は単語をいくつか知っているくらい、舞台せりふが理解できるわけが、ない。

 「 ВСЕ БЕГУТ, ЛЕТЯТ И СКАЧУТ……」.
         Игра в Хармса в 1-м действии

 洗濯おばさんが気持ちよく洗い上げて干している洗濯物を、子どもたちがいたずらしながら、子どもの世界にある創造と伝統で遊びまわる、というお話らしい。
 子どもたちの役には若手俳優男女3人ずつが精一杯舞台を動きまわっています。ベテランの俳優も登場します。シューラは洗濯おばさん役です。そして、演出は、そのシューラです。
 
 客席には両親や祖父母とやってきた子どもたちが、思わず舞台へ向って声をかけたり、大笑いをしたり、拍手をしたり、し~んと納得したりしているようです。私にロシア語力があれば台詞回しのおもしろさが判るのですが、それはもうダメですから、気持ちを読みましょう。いいや、舞台の楽しみ方は観る側の想像力で自由に観ていて良いものだから、舞台のどこを俳優のだれを観ていても良いのです。そこが映像にはない自由さです。だから、ロシア語がわからなくともロシア語芝居が楽しめます。なんと言っても俳優の巧さが私を想像の世界で遊ばせてくれますから、楽しいです。
 ひとりの若い俳優ユーシン、丸顔で色白でほほに赤い丸い化粧をして、可愛い顔。日本のタレント山瀬まみにそっくりで、いつも彼に目が行ってしまいました。私の一推し俳優は、デニス。彼はシューラも褒める巧さの人です。ただし、この芝居ではとても汗をかいていたのが残念でした。

 1時間10分の芝居はあっと言う間の短さでしたが、客席は大満足で大きな拍手がいつまでも鳴りやみません。ところでシューラは私が来ていることを知っているのかしら?舞台から気がついたのかしら?
 あとで知ったのですが「まったく判らなかった」そうでございます。

 終演後、また次の回を外の待合室で待ちます。このとき相当に私は疲れきっていることを自覚しました。あれ?どうしましょう。


2007年12月26日

8号 しかし、私は汚いんだなこれが。

 自宅を出たのが日本時間、8日朝9時。モスクワユーゴザーパド劇場のドアを開けた時間を日本時間に換えると、9日19時半。おお、つまり35時間近く着の身着のまま。いや、服装が同じということよりも、飛行機に乗り継ぎ乗り継ぎのわが身は、乾燥と汚れで汚い。
 肌は引きつっております。もちろん途中で洗顔などしました、フランクフルトの洗面所を独占して入念洗顔をしてはみたものの、です。髪は、ぱさぱさくちゃくちゃ、化粧の乗りは悪くその上になお塗っていては、厚い壁となり。
 スカートの皺、上着とブラウスの汗や汚れ……。下着は台北でずんぐり汗をかいたりしたからなあ。タイツは靴下部分が汚く臭そう。
 ああ、なんとも汚い私です。
 ああ、シャワーがしたい。

 でも、まもなく開演です。席は一番前の上手側(かみてがわ)。出演者たちがすぐそこで演じます。やはり、このまま開演を待ちましょう。もうすぐ始まります。


2007年12月23日

7号 劇場へ急いで。きっと間に合うよ

 12月9日日曜日のモスクワユーゴザーパド劇場の公演演目は、

★14時から
    Сценическая фантазия по стихам Д. Хармса
       Все бегут, летят и скачут (子どもへの演劇)
★16時から
    Сценическая фантазия по стихам Д. Хармса
       Все бегут, летят и скачут (子どもへの演劇)
★19時から 
    У. Шекспир
        Гамлет  (ハムレット)

 
  子どもへの演劇は2回公演、その後の夜の公演も含めてシューラはずっと出演です。


 モスクワ空港に到着してすぐにパスポートコントロール。入国者も少なく、窓口はいくつか開いており流れはスムーズでうれしい。すぐにターンテーブル前に出てこれて、私のトランクはすでに回っていました。なんという早さでしょう。過去ここで何時までも待たされたりしたのに。
 携帯電話時計が狂っていて、いえ正しくは狂わせてしまい、モスクワの時刻がわかりません。いったいま何時でしょうか?劇場の公演に間に合う時間でしょうか。時計は……?ありました、それは12時20分を指していました。うむ、たしか開演は午後2時。すべての流れがこのまますんなりと流れていけば、私はきっと劇場開演に間に合うだろう。
 換金率は悪いけれども100米ドルからロシア通貨ルーブルに両替しました。2250ルーブル。タクシーに乗るためにはルーブルが必要だから。

 名古屋セントレア空港でわかれたトランクと、無事に再会できてよかった。「ここまで長かったね」。トランクに泥がついているけれど、そんな些細なことは許します。さっさと荷物を手にして出口へ。
 実は何回もモスクワに来ているのですが、いつもお迎えがあったり、複数人とやってきたりで、ひとりで空港から市内へ向うのはじめてなのです。モスクワ空港名物タクシー客引きに、やはりとり囲まれて、しっかり後ろに付かれていたけれども、「タクシー案内所」の小さなスペースを覗きました。ひとり座っているロシア無愛想顔おじさんがいます。
 
 「ユーゴザーパドナヤ、ユーゴザーパド劇場へ行きたいけれど、お金は幾らで何時間かかりますか?」

 「ふむ、そうだね、1500ルーブルだね。時間は1時間でもみといてもらおうか」

 「エッ、1500ルーブル(日本円で約6千円)、高いですねえ」

 「そうかいじゃあ、やめるかい」。

 「と言われても、歩いていくわけにはいかないし、タクシーしかないからねえ」とは、私の心の声。

 「ふうん。わかったわ。1500ルーブルね」。

 「じゃあすぐ運転手をよぶよ。これにサインしなさい。お金1500ルーブルはここで払いなさい」

 と、後ろから「おいらなら1400ルーブルで行くよ」と、やりとりを聞いたいたのだろう別の運転手が言う。「だって、もうこちらで決めたんだよ」。などと言ったのかな、わたし。と、すぐそばに背の高い男がすっとやってきた。
 タクシー案内所無愛想顔おじさんが、「君の運転手だよ。ほい、ユーゴザパドナヤだよ」って言ったようです。

 背の高い運転手はトランクを持ってくれるわけではなく、それは料金には入っていないぜ、みたいにさっさと前を歩き、でも、近くに留めてあった車を指して「これだよ」。車のトランクに私のトランクを積むのはさすがにやってくれて、さっさと乗ってさっさと車はスタートしました。
 車がスタートしたのは飛行機を降りてから20分後くらいだったでしょうか。早い動きです。モスクワとしてはとても早い動きです。

 モスクワを丸い時計とすると、空港は11時の位置。ユーゴザーパド劇場は7時から8時に近い位置です。モスクワ市は、円のような大環状道路にぐるりと囲まれていますから、劇場まではその環状道路を走っていけば、11時の位置から8時の位置までぐるりと走れます。市内中心部の大渋滞には巻き込まれずにけっこう早く行くことができることは、もうなんども体験済みです。が、大環状道路も時には激しい渋滞となるときもあります。それが一番恐ろしい。
 が、走る走る車は走る。寡黙な運転手はすっごく運転が上手く、追い越したりすり抜けたりで、ビュンビュン飛ばします。
 空は曇っていますが、道は乾いています。道端には雪が残っています。

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   モスクワに来たと思った瞬間の、隣を走る車のこの汚れ


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   白樺の木立と雪の景色も、ああ、モスクワだと思った瞬間です。

 流れがとてもよく、高層ビルが多く見えると、おお、見慣れた景色が見えました。右手側にユーゴザーパド劇場が見えます。あれ?どこで曲がってくれるのでしょうか?車はまっすぎ行き過ぎてしまいました。あれ?

 運転手が「ユーゴザーパドナヤだ、どこで降りる?」

 「劇場よ、ユーゴザーパド劇場へ行くの」

 「おいら劇場なんか知らないよ。劇場なのか?地下鉄ユーゴザーパド駅じゃあないのか?」

 「違う、私は劇場へ。バックしてよ。ホテルサリュートの方へ」

 私はこういう移動に関するロシア語動詞はしっかり覚えていない。まあ、でも指差しで、戻れ、まっすぐ行ってなどと騒ぐと、運転手は黙ったままぐるりと回って、劇場の前にやってきて「ここか?」

 高層住宅の1階部分にある劇場は表に看板があり、それはもう私には何度も見慣れたもの。車を降りると運転手は私のトランクを下ろしたまま、「じゃあよ」って、すぐに車を発進させていった。と、いうか車がどこへ向って走っていったのか、それは私の関心ごとではありません。
 私は重いトランクをひっさげて、劇場の入り口前の階段を3段あがり、勢いよくドアを開けて、小さな待合で、その奥のドアがまだ開いていないことを知り、ああ、開演に間に合ったのだ、と汗を拭きながら心から喜んだのです。これに間に合うために名古屋から時間をかけてやってきたのですもの。
 
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 いまから公演される「こどもの演劇」は、演出家シューラのここユーゴザーパド劇場でのデビュー作品ですから。彼の渾身の演出作品ですから。私はどうしても何がなんでも観たかった作品なのです。


6号 フランクフルト~モスクワへ

 ドイツフランクフルトの空港は1996年に一度降り立ったことがあります。そのときはツアー旅であっても、空港の大きさ広さに戸惑ったのですが、今回は一人旅。出発ゲートナンバーを探すのは、ちょっとだけドキドキでした。早朝で人が少なくって、この先にあるのだろうか?みたいな不安もありましたが、番号案内がわかりやすく出会いは簡単でした。
 早朝に開いているコーヒー店の女性店員の笑顔と、熱いコーヒーとシュガードーナッツに、心も身体も温かくホッとしました。

 乗り込んだモスクワ行き、ルフトハンザ3180便はビジネス便です。が、きょうは日曜日(12月9日)の早朝、座席は空席が多くって、ゆとりです。機上の人となったらやはり、すぐに眠ってしまいました。でも、朝食はしっかりといただきました。このあとモスクワで、いったいどのような事態となるのか、まったく不明のために、食べておこうと決めていたのです。

 空の上飛ぶ飛行機の窓から入る明るい日差しが、とてもまぶしい。下には厚い雲の、海です。その下はいったいどのような景色が広がっているのでしょうか……。機内で、ロシア出入国カードをもらしのないように書き、パスポートもちゃんと確認して、これで入国審査はきっと大丈夫です。
 ちょうど3時間の搭乗。やはり眠っている間に飛行機はモスクワに降り立ちました。曇り空の薄暗いモスクワです。飛行機は空港の中ほどに駐機されて、私たちはバスに乗車しなければなりませんでした。慌ててJAL模様の簡易手提げかばんからコートや帽子、マフラーを出して防寒体制を整えます。そして降り立ったモスクワの空の下、一年ぶりのモスクワです。ああ、モスクワ。また来ましたよ。氷点下2度くらいかしら?時計はいま何時でしょうかしら?モスクワ国際空港シェレメチボの蜂の巣天井がまた、私を迎えてくれました。


2007年12月22日

5号 モスクワ上空を通り越してフランクフルト入り

 写真を載せておきましょう。

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  セントレアのツリー。この写真を写したときは、ヘルシンキへまもなく飛び立つととても心が逸っていたころです。

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 台北空港の日本人向け、マサジの広告です。疲れてはいましたが、マサジは必要なかったので、また次の機会にでも。


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 香港国際空港内ツリー、とても広い空港です。

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 フランクフルト空港も広く、私が行くところがなかなか見つかりません。このトラムに乗って別のシマへ行きました。

 香港時間深夜に飛び立った飛行機は満席です。となりは中国系のビジネスマンふたり連れのようです。静かな人たちでした。というか、この時間のこの飛行機に乗り慣れているような人たちです。
 私はまず食事はしっかり摂り、あとはやはり眠りましょう。しかし満員で窮屈でなかなか辛かったです。が、あの首固定U字型まくらのおかげでぐっと熟睡できました。
 起きては通路を歩き、なるたけ遠いところのトイレへ立ちました。そして少し運動もして体を楽に楽にしていました。キャセイパシフック航空は初めて乗ります。おおすごい!客室乗務員スペースのところに用意されている「ご自由にどうぞ」飲食物の中身が豪華です。ハムをはさんだパン、甘いチョコ、塩味クラッカーやピーナッツなどもあり、飲み物もコーラ、各種ジュースもお茶もあります。後半には、こぶりでしたがりんごも登場してきました。当然いただきました。美味しくって生き返りました。
 某航空の便は、この「ご自由にどうぞ」コーナーにあったものが、「水のみ」だったときもあります。大違いです。

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 時間がよくわからず、いったいあとどれくらい乗っていなければならないのかも判りませんでした。しっかりと眠った時間が長かったからでしょう。後半はあとどれくらい時間は、あまり気にならず、かなり体調も良くってフランクフルトへ到着を楽しみしていました。でもね、どこからか匂うどなたかの口臭にはちょっと辟易でございました。
 モスクワ上空を飛んでからフランクフルト入りです。なんだか複雑ですが、モスクワ上空で放り出されても困りますから、仕方がないです。
 フランクフルトでは、いったん入国することとなりました。よくわからないけれどもパスポートコントロールにかなり時間がかかりました。そして、私が行くべき搭乗ゲートがはるか向こうと知り、およよ。ひとりであちこちで地図を見ながらたどりつきました。早朝も早朝の午前6時ごろでした。
 だから、搭乗ゲート近くのスタンドも開いていません。ましてやドイツビールを飲む気さえもなく、ちょっと残念でしたが、出あった小さなコーヒーショップの熱いコーヒーはとても美味しくってシャキンと生き返りました。


4号 台北から香港 そして深夜フライトへ。

 台北空港へ一旦降りて、台北までの客を降ろして荷を降ろして、飛行機はふたたび香港へ向う。セントレアで「台北」とかがさかんに耳には飛び込んできた単語ですが、なにしろ私の目的地は、モスクワです。台北空港では待合室がどこなのかどうしたら良いのかもわかりませんでした。っていうかエネルギーゼロの私は、だれとも話す元気がなく、なにも見るのもなにを覗くとかもできません。
 そのとき、心に決めました。

 これからの各空港では、ぜったいにお金と体力は使わない!大事にする! と。


 待合室を探してぼんやりしていると、同じ飛行機で同じようにフィンエアーに怒っていた女性が「こちらですよ」って親切に教えてくださり、私はほっとして待合室の椅子に深く座り、早くモスクワに着きたいと願いました。汗をかきながら。モスクワへ着くまでに倒れないようにしましょう。元気でいましょう。台北ではそんなわけで、飲み物のひとつさえも買わず、トレイも使わずただただ待っていました。

 再び乗り込んだ飛行機の同じ席に行けば、私をツアー団のメンバーと間違えた某有名旅行会社名のツアー添乗員が「席が変わっていますからあちらへ行ってくださいねえ」と、タメ口でいきなり言うではありませんか?「へっ、あれ?私がですか?」。
 添乗員さんもこのキャンセル騒動で相当にお疲れだったのでしょう。「あ、ごめんなさい、なんだか大混乱中でして」と笑いました。「イタリアに今日中に入りたいのですが大きく変更です。フィンエアーやってくれましたねえ」。台北から香港までの間の彼女はなにやら、お仕事中。私は再び爆睡です。

 香港へ着陸するのも覚えが有りませんでした。ドンという衝撃に「あ、落ちた」と思って目が覚めたらだれも騒がず、そこは香港でした。香港国際空港、何年も前のこと、やはりここで時間をつぶしました。口紅を買った覚えがあります。
 あれだけ眠ったのですから香港ではとても元気でしたが、時間がよくわかりません。腕時計を持たず携帯の時計が頼りですが、香港到着時すぐに時計の設定を狂わせてしまい「時のない世界」に迷い込んでしまいました。「いったいいま何時ですか?」状態です。が、香港空港で一番関心したのは、いたるところに時計があること、大きなわかりやすい時計があることです。さすがに国際空港です。

 ビールを飲みましょう。表示は香港ドル。もちろん持っていません。米ドルで買って香港ドルのお釣りをもらい、なんだかいくらかわからない缶ビールを飲みながら、持ってきたジャガリコをつまみに。まっくらな空港の外を見ながら飲みながら時間をつぶしていました。そうするだけです。

 待合室も判りやすく、フランクフルトへ行く便を待つ人は世界各国の人たちで、椅子に並んでいるその姿はとても壮観でした。みんな地球の上の仲間だという優しい気持ちとなりました。よく眠ったおかげです。黒い肌の女性が私の前で紙をぱらりと落としたので拾い上げると、すってきな笑顔を送ってくれました。ドイツ語(だろうと確信している)を話している男女がまるで映画スターのようにカッコよくって見ほれていました。そうかもしれないと今も思います。赤ちゃんを連れているアジア女性は、腰のあたりがしっかりどっしり、うむ私たちと同じだねえ。
 ここでセントレアからいっしょだったロシア語を話すママとふたりの少年たちと話す機会がありました。彼らは日本語べらべらです。「もう疲れましたねえ。まだまだこれから長いフライトです。フランクフルトからサンクトペテルブルク便に乗ります」。「サンクトペテルブルクですか、ヘルシンキからならすぐ近くなのに」と、昨年そうした私の旅程を思い出しました。
 フィンエアーは、トヨタ自動車がサンクトペテルブルクへの工場設立で、名古屋~ヘルシンキ~サンクトペテルブルクへの利用者が大きく増えると見込んで、セントレア便を開設したのでした。だから、キャンセルは絶対ダメです。

 乗り込んだキャセイパシフック便は13時間の長時間飛行に飛び立ちました。深夜の香港をあとに早朝のフランクフルトを目指して。


3号 モスクワへ行くのに、台北?

 フィンランド航空のカウンター担当者が端末操作ではじき出してくれた、モスクワへの途、一番早く到着する方法。
 
 CX 531  NGO 16:50
         HKG 20:20


 CX 285  HKG 23:05
         FRA 05:25


 LH 3180 FLA 07:20
         SVO 12:20

 と、メモ用紙に手書きで、「このようになりましたのでよろしいでしょうか」。
 ちょっとムッときた私は、 「あのね、もっとちゃんと説明してください。この暗号は私たちにはわかりません。だいたい飛行機に乗るのは私、いったい何時間乗っていることになるのですか?そういう情報がありませんねえ」。

 キャセイパシフィック531便セントレア発16時50分で、香港着は20時20分。(以下現地時間)。6時間20分乗る?
 同じくキャセイパシフック285便香港発は23時05分、ドイツのフランクフルト着は朝5時25分。13時間20分も乗る。
 「えっ、13時間ですか!」と声が大きくなった私に、カウンター女性は頭にくることを言ってのけた。
 「フィンランド航空は一番短い時間の10時間でヨーロッパに入る一番早い便です」。
 「は?だからフィンエアーに決めたのに飛ばなくちゃあこういうことでしょっ!」と、ここは怒りの声で。
 「ハッ、………」。もう彼女はなにも言えません。
 ルフトハンザ航空3180便でフランクフルトを朝7時20分発で3時間、モスクワ着は12月9日日曜日の昼12時20分、とのことです。

 「当然のことですが確認します。全部フィンエアー持ちですね」。
 「ハイ。もちろんです。そして、これがミールクーポンです、24時間以内にセントレアでお使いください」と、1500円とゴム印が押されたそれを渡された。もちろん私は一応言ってみた。「1枚ですか?それでは足りません」と。当然の応えは「すみません、これだけでし…」。

 キャセイパシフィック航空のチェックはまだ始まっていないので、大きな荷物や機内持ち込みカバンや厚手コート、なんたって私はモスクワへ行くのです!それらをカートに乗せてごろごろしていたら、ガードマンに「この階はカートお断りです」って怒られて、トランクを短時間預かってくれるところを探したら、お金がたしか600円だったか必要とかで「ビールが飲める!」とまた怒る私。
 トランクその他を持ったまま、ピッツアを食べようビールを飲んで待とうと、イタメシ屋さんに入る。1500円のミールクーポンがあるもんね。が、あえなく1500円はピッツアだけで消えてしまい、ビールを立て続けに2杯飲んで、ああ高いと、気分は相当にウツ状態でした。

 その後しばらく記憶をなくして、キャセイパシフックのカウンターが開くのを待ったのでした。はじめて乗る航空会社です。あれ?どこの国の会社かしら?
 と、私の名を呼ぶ方が。先ほどのフィンエアーのカウンターにいた女性です。「すみません。時間が少々変わっていました」とか。「エッ?モスクワに着くのが早くなるの?」
 「いいえ、到着時間は同じです」。で、なにやら説明してくれましたが実はまったく聞いておりませんでした。

 そのときの私は、モスクワのシューラへ、迎えに空港まで来てくれるシューラへ連絡を取ることばかりを考えていましたから。
 チェックイン時にトランクを預け、モスクワでの再会を祈り、機内ではいつもどおりの真ん中のシマの通路側の席をリクエストして、確保。キャセイパシフックはとても対応が優しかった、それは身に沁みたのでした。
 セントレアの売店でJALマークのついたファスナー付き手提げ袋を買ってコートなど防寒品を押し込んでひとまとめにしました。これは大正解でした。その後の乗り継ぎ待ちなどに荷物がまとめやすくなりましたから。

 強化されている搭乗前の安全検査で、機内持ち込みのカバンを開けられてこれも不愉快で、酔いがさめてきたら眠くってたまらず。
 そのころ日本時間15時半ごろ。モスクワ時間朝9時半。シューラに電話しても良い時間だろか。舞台俳優は夜遅く帰宅する人だから当然朝はゆっくり眠っている。でも、ここで電話しておかねば連絡がつかない事態になり、それはエライコトになってしまいます。国際電話カードを買って携帯電話から、モスクワのシューラの自宅へ電話です。もちろんそれまでに、ロシア語せりふを考えて練習しました。彼を驚かせたり、どうなるのかなどの心配をかけてはなりません。

 「おはようございます。シューラさん、私はモスクワに行きますよ。今は名古屋だけれどもね。飛行機が大きなトラブルで私は、明日モスクワに着くのです。だから、あのね、えっと、私は明日ひとりで劇場へ行きますから、空港からタクシーに乗ります。大丈夫ですから」。こんなことをロシア語で。いまそれをここに書きなさいと言われても出来ません。

 電話の向こうはすっごく近い声で、最初は元気に「おお、きょう迎えに行くよ!」なんてお応えだった俳優は、急にトーンダウンして「大丈夫か?明日自分で劇場へおいでよ、ぜったいに劇場へ来るんだよ」。シューラは明日私がモスクワへ着く時間は舞台に上がる寸前の時間です。だから迎えに来てくれることは無理なのです。とっても迎えに来て欲しかったのに。
 やっと連絡が取れて彼にもちゃんと伝わって、ホッとしたら急に睡魔がやってきました。
 ええい、飛行機に乗ったらずっと寝ていましょう、と決めました。

 やっと機内搭乗の時間が来て、私は寝る気まんまんでいると、また私の名前が呼ばれました。またさきほどのカウンター女性です。「すみません。香港で必要な訂正印を押し忘れました。さきほどの書類をください」と言います。あら?あれはそんなに大事なものだったのか。「えっと、大事なものならそのように教えてくださいね」と捨ててはいないけれど、手提げの奥に入り込んでいるのを探り出して渡すと、なにやら職員同士がそれを見ながらこそこそと話し合っている。不安になるじゃありませんか。

 「この用紙のここに訂正印が要りました。すみませんでした」とかなりしっかりと印を押して紙は返されました。彼女の顔が相当に引きつっていました。きっとあちこちで怒られたのでしょう。

 飛行機に乗り込んですぐに私は今回はじめて利用の、U字型首クッションを膨らませて首を安定させたら、もうすぐに眠ってしまいました。飛び立ったのも覚えていません。
 でも1回目の食事には起きてしっかり食べました。アルコールも赤いワインをいただきました。ワインの所為でしょうか。いいえそうではありません。飛行機は南へ向っているのです。機内がだんだん暑くなってきました。眠っている厚着の私は、汗をかいて気持ち悪くってブリブリの不快感で起きました。「当機はまもなく台北国際空港へ着陸いたします」。なんだ。香港への直通便じゃあなかったのね。

 予定外の台北空港。暑くって眠くって極上の不愉快状態、大きな声で言いたかった。「私は台北に来たのじゃあない。モスクワへ行くのです」って。でも言えるわけはなく、暑い空港待合室で、ただ時間を過ぎるを待ちました。


2号 なに?キャンセルだっての驚愕 

 12月8日、セントレアからヘルシンキへ飛ぶフィンランド航空便は、昼12時発です。十分に間に合う午前10時半ごろ荷物をごろごろ持って心はもうすでに日本にあらずで、私はチェックインカウンターの列に並びました。前には外国人グループ、後ろには日本人女性ら。列は遅々と進みません。なにしろカウンターで対応する女性がひとりのようです。あと数人の女性や男性もなにかしらまわりで動き回っていますが…。

 なにやっているのかしら?ひとり(ひとグループ)ずつの対応をしているのです。とても時間がかかっています。

 ちょっとイライラとなってきたころ。カウンター内にいた女性職員がふたり、やっと列にならぶ人たちのところへやってきて順番になにかしら説明しています。私の前の外国人グループに英語で話しているときそのグループがかなり驚きの様子。うむ、なにかしらの異常事態かと案じる私のところへ。彼女たちは日本語がヘン。意味がわからずに私は、「は?で、何時に飛ぶのですか?」と聞き返しました。

 「機材メンテナンスのために、昨日ヘルシンキからこちらに飛んできませんでした。ですからきょうの便、お客様すみませんが、キャンセルでございます」。と、彼女たちは私に繰り返してそう言ったと思える。「キャンセルって、はあ?飛行機がない……!?」

 後ろの日本人女性は私よりも驚き「まあ、どうして昨日の出来事をいま言うのよ。私は○○で子どもを待たせている……。どうしたら良いのよ!」

 次の後ろの若い外国人男性は「○▽×:~!!」と言いながら、大きく手を広げて「ウワー」とも叫びました。

 やっとカウンター対応の順番は来て「お客様の最終地はモスクワでございますね。キャセイパシフックに乗っていただきまして、香港経由フランクフルトからモスクワへ入っていただくのが一番早くモスクワに着きます。それか明日のフィンエアーは同時刻便(日曜昼発)は飛びますので、それに乗っていただくことができます。いかがなさいますか?」
 そうは言われても、はたして。おっとそうだ、「(セントレアから)エミレーツ航空で、ドバイ経由モスクワへ行きたい」と訴えると、端末操作の前の女性はあきらかに「無理」な顔をして操作して、「本日のエミレーツは満席でございます」。

 「困りました」と言えば、「申し訳有りません」と繰り返し、私の決断が求められています。
 「じゃあ、もう仕様が有りませんね。おすすめの方法でモスクワ入りします」。
 そして私は、ほんとうに飛んでもなく楽しい空の旅に、出発することとなりました。


1号 いざモスクワへ。訪ロ回数も忘れる

 12月8日~15日帰国の予定で、モスクワへ、ユーゴザーパド劇場のお芝居を観に行くこと=俳優シューラに会うことを目的に出かけることとしました。ご存知のとおり、ロシア行きは昨日思いついてきょう出発できるような、簡単な旅行計画を許してくれません。諸手続きを経てのち、私のパスポートに 「ВИЗА」(VIZA) が、貼られていなければ旅行できません。12枚目のロシアVIZAが張られたパスポートと航空券を手にして、中部国際空港(以下、愛称のセントレアで表記)にむかったのは、12月8日土曜日の朝です。やっとやってきました、この日。行こうかな行きたいなあ行けるかなどうしようかな、なんて迷いながら、よし行こう!と決めたら諸事全般がとんとんと進んで、この日を迎えることができました。

 12枚目のVIZAと前述しましたが、これは2000年9月に取得したこのパスポートに張ってある枚数で、以前のパスポートにはすでに4回の訪ロ記録が有りますから、うわああ~~今回は16回目の訪ロです、ってことをいま、認知しました。16回も行っているのですね。あの国に、われながらよくもまあ。

 その16回体験をちょっとだけ、ここで振り返っておきます。

 はじめての訪ロは1997年6月、2回目は99年5月です。日本の女優に誘われて彼女の仲間でつくった少人数ツアーでのサンクトペテルブルク行きでした。女優の仕事にくっついて行き演劇大学見学や学生たちとの交流もありました。私はまったくロシア語わかりません。でも、2回目のときモスクワにすっごく行きたくなり、いつかきっと自分でモスクワに行くと決めていました。
 その夢はすぐに実現して2000年夏、友人らを誘い4人+ロシア青年とでモスクワへ初めて行きました。サンクトペテルブルクへも足を伸ばし、ここでひとりのロシア女性エレーナと出会いました。

 2000年は私にとって大転機の年。ロシア語の勉強を始めました。年齢はすでにウン十歳です。脳みそは刺激を喜びにしてロシア語をどんどん覚えてくれました。偉いです。だから、ロシア演劇日本公演へも、勇んで出かけ、そこで運命の出会い。ひとりの俳優の名演技にしびれてしまいました。

 2001年1月、モスクワへ。その俳優の本拠地のユーゴザーパド劇場へ。長い付き合いの友人らを誘い、俳優シューラと通訳を介しての交流は冬の寒さの中でもとても温かいものでした。ぜったい、また来るからモスクワ!と帰国する日には次の日程を決めていました。

 02年1月、モスクワとサンクトペテルブルクへ。もちろんモスクワでは観劇して大感動してしまう。サンクトペテルブルクでは、2000年夏に会ったエレーナとの再会にも大感動する。寒くっても暖かいロシアでした。

 02年7月、夏のモスクワへ。演劇シーズンではなかったけれど夏らしいモスクワを満喫して、もちろん俳優シューラとも交流できて、すっごく楽しかった。でも、私のロシア語はまったく上達してはいませんから、通訳が必要でした。

 03年1月、日本の舞踊芸術家とともにモスクワへ。すったもんだもあったけれども、もちろんユーゴザパド劇場のお芝居を楽しんで、シューラともたくさんお話できた。着物で歩いたモスクワでした。寒かったけれどもね。

 8回目となる03年10月。黄金の秋と呼ばれるモスクワの秋が知りたくって、そして私のロシア語力をためしたくって、ひとり旅をする。これが本当に楽しくって、私には「旅の守り神様がしっかり付いている」と実感する。俳優シューラとエレーナを紹介してふたりが私をいっぱい助けてくれました。もちろんユーゴザパド劇場のお芝居を楽しみました。

 04年1月元旦出発のひとり旅です。モスクワはとても優しく楽しく私を迎えてくれました。ロシア語をたくさん教えてもらいました。雪がたくさん降り冷たい風の寒いモスクワ体験もしました。

 04年5月、わずか4ヵ月後の春のモスクワの花の季節を楽しみました。「巨匠とマルガリータ」に魅せられたので俳優シューラとブルガーコフの墓参りにも行きました。

 11回目は05年1月、冬のモスクワです。シューラと歩いたモスクワ、一人で歩いたモスクワ。車が人が多くって嫌いなモスクワだけれども、どうも私はモスクワが好きみたい。

 12回目はこちら『マーミンカ通信』で書き散らしていますが、05年8月、サンクトペテルブルクの夏を楽しみました。ああ、ステキだった。

 2006年は勢いで年に3回も行きました。
 1月に13回目サンクトペテルブルクへひとりで、5月、はじめての2週間ゆっくりひとり旅で、モスクワ&サンクトペテルブルクへ。年末に友人とサンクトペテルブルクとモスクワへ、それは15回目でした。

 2007年12月、モスクワだけへ、ゆっくりとシューラと話したいと願いながら、いつもどおりに荷をあわててつくり、セントレアへと急ぎました、その朝の名古屋は冬らしい少し寒くって雲っていた日でした。


2007年06月13日

ロシア演劇来日公演

 いま静岡県舞台芸術センター(愛称SPAC)では、とても興味ある企画がされています。世界各国の実力ある劇団の公演もあります。
 とうとう、ロシア国からやってきます。
 くわしくは、こちらをご覧くださいね。
 ロシア語を学ぶ人、ロシアのことを知りたい人はもちろん、日本に住むロシア語使いの人たちがほっと息をぬける場としても、ロシア演劇鑑賞をおすすめいたします。

 とくにロシア語学習中の方、ロシア俳優の語るロシア語シャワーを浴びにおいでになってくださいね。きっときっと今後のロシア語学習に役立つこととなるでしょうから。

 6月16日(土)18:30~ 
 6月17日(日)14:30~

 フィロクテテス

 演出 ニコライ・ローシン 
 出演 Actor-Director Theatrical Community 略 A.D.T.C.

 お話 弓の名手フィロクテテスはトロイア遠征中に毒蛇に咬まれて傷口が悪化、その苦痛の声と悪臭がイヤになったオデュッセウスらは、フィロクテテスを孤島に置き去りにしてしまう。10年後ヘラクレスからフィロクテテスに与えられた弓がないかぎりトロイアは陥落しないとの予言を得て、急遽オデュッッセウスらは孤島を訪れ、ヘラクレスの弓を奪取しようとする………。

 さあ、チケットのお申込みはいますぐに。

 電話・054-202-3399 チケットセンターへ 


2007年05月29日

おめでとう!男優賞!!

 第60回カンヌ国際映画祭にて、男優賞を獲得した俳優は、ロシア俳優・コンスタンチン ラブロネンコ です。エッ?その方はどなた?ロシア映画「父、帰る」の映画で寡黙なパパを演じていたのが、ラブロネンコです。

 私が2度も見た「父、帰る」の映画にひきつけられたのは、このパパの演技をするラブロネンコの色気あるぞっとするような魅力が、画面にあふれていたこともあります。ぞくぞくするような魅力って俳優の条件ですものね。
 今回の受賞作品「バニッシュメント」は日本での公開あるのでしょうかしら?ぜひ観たい、会いたいラブロネンコです。