2022年、今年も「極東の窓」をよろしくお願いいたします。
毎年好評の極東大オリジナルカレンダーは、今年が6回目の製作となりました。昨年に引き続き、コロナ禍で学生がロシアに渡航することができなかったため、一昨年まで撮りためた中から厳選して作成していまが、昨年暮れには2年ぶりのウラジオストク留学実習を実施することができたため、次回のカレンダーには新しいウラジオストクの写真を加えられることと思います。今からご期待ください!
さて、1月のカレンダーはモスクワ中心部、ボリショイ劇場の隣にあるツム百貨店です。19世紀後半創業の高級百貨店で、有名ブランドが多数入っています。新年が近づくと、5階建ての建物全体に大きなリボンか掛けられ、まるでプレゼントの箱のようです。キラキラと輝き、心も浮き立つモスクワの新年です。
<12月>アルセリナヤ塔と国立歴史博物館(モスクワ)
赤の広場に面した「国立歴史博物館」は、古代遺跡の出土品から20世紀初頭のロマノフ王朝時代まで、さまざまな史料が展示されているロシア最大の考古学・歴史博物館です。赤レンガ造りの大きな建物は、その前に立つと荘厳さで圧倒されます。
すぐ隣には、クレムリンを形成する「アルセナリナヤ塔」が見えます。一年を通して人々で賑わう赤の広場ですが、12月に入るとスケートリンクやクリスマス市が開かれます。木々がイルミネーションやオーナメントで飾り付けられ、モスクワはおとぎの国のように美しく煌めきます。
2022年オリジナルカレンダーは近日発場合予定です。詳しくはホームページに掲載しますので、どうぞお買い求めください。
<11月>ムルマンスク空港
この写真は9月にムルマンスクへ旅行した帰りに、ムルマンスク空港の壁の一角を撮影したものです。ムルマンスクは北極圏最大の都市であり、300万人の人口と世界最北の不凍港を擁しています。
独ソ戦下ではその戦略的重要性からドイツ軍による凄まじい規模の空爆(ドイツが行った空爆ではスターリングラードに次ぐ)が行われ、市街の大半は消失、残っていたものは3軒の建物と港湾施設だけだったそうです。大戦を凌いだムルマンスクには『英雄都市』の称号が与えられ、町のいたるところに慰霊碑や記念碑がありました。
写真にあるのはムルマンスクがどのような都市であるかを絵であらわしたものです。中央には「漁業」を表す魚と「海運」を表す船、右側に「船舶修理工」「樹木伐採人」「冶金(やきん)工」「国境警備兵」と続くように、この町を支える人たちとその職業が彫られています。
短い滞在でしたが、いつか必ずもう一度行きたいと思えた町でした。
<8月>全ロシア博覧センター(モスクワ)
ВДНХとはВыставка Достижений Народного Хозяйстваの頭文字をとった略称で、日本語では国民経済達成博覧会となります。この名称は、1959年から1992年まで用いられたもので、この展示会場の75周年の2014年から再び用いられることとなりました。 ВДНХは1939年のВСХВ(Всесоюзная Сельско-Хозяйственная Выставка)、全ソ連農業博覧会に合わせて作られました。そこではソ連の各共和国の農業政策の成功がアピールされました。その後は農業以外の分野もの展示も行われ、様々なパビリオンが建設されました。 現在はモスクワ政府が所有し、噴水やパビリオンが復元され、常設展示も存在し、観光地となっていたり、モスクワ市民の憩いの場となっている他、屋外ライブなど様々なイベントが行われる会場ともなっています。
<7月>グム百貨店(モスクワ)
グム百貨店はモスクワの赤の広場、クレムリンの向かい側にあります。この建物はロシア 様式で商店街を置き換える形で建設され、帝政ロシア時代の1893年に完成しました。1930 年に閉鎖されるなどしましたが、1953年に再開し、ソ連で最も大きな店となりました。
現在のグムには世界的に有名なブランドが多数出店していたり、レストランやカフェ、ギャラリーや文化イベントの会場になるなど名所となっています。
写真はその中心にある噴水です。季節によってその姿を変え、私が訪れた8月はスイカが噴水の中にありました。ま た、噴水の横ではスイカが切られて売られていました。
※祝日法の改正により、祝日・休日が一部変更になっています。
<6月>ウスペンスキー大聖堂とパトリアーシェ宮殿(モスクワ)
この写真はモスクワ・クレムリン内の「大聖堂広場」と呼ばれる場所で撮った一枚です。
大聖堂広場には15世紀後半から16世紀初頭頃に建造された荘厳なロシア正教の聖堂が建ち並び、クレムリンの中でも特に神聖な雰囲気を持っています。
写真は9月の初旬、夏の終わりから秋の始まりに入る時期で、爽やかな晴天と風が通り抜ける、ロシアで最も過ごしやすい季節です。訪問時は世界の様々な国からの観光客で大賑わいでした。全世界でコロナ感染症の流行が治まり、誰もがこの場所を訪れられるようになる日が再び来ることを願って止みません。
<4月>東洋学院大学旧館
1899年10月21日、皇帝ニコライ二世即位五周年を記念し、ロシア極東地方で初めての高等教育期間として、極東大学の前身である東洋学院がウラジオストクに創設されました。
ロシア内戦中の1920年には、極東の臨時政府の決定により、ロシア国立極東経済大学となりました。しかし、その後のスターリン体制下で、大学は二度の閉鎖を経験します。スターリン体制崩壊後、1956年に極東大学は復活しました。
この建物は、1899年の創設時からあり、建設当初は2階建てでしたが、閉鎖を経て復活を遂げたあと、3階が増築されました。写真で見ても、つなぎ目の部分がはっきりと分かります。
現極東連邦総合大学があるルースキー島とは離れていますが、今もなお校舎の一部として使われているので、趣のある歴史ある校舎と新しい看板のコントラストが面白いですね。
<3月>ツォイの壁(モスクワ)
この壁はモスクワのアルバート通りを市の中心から歩いていくと右手に見ることができる、「ツォイの壁」と呼ばれる場所です。ソ連の伝説的ロックスターであるヴィクトル・ツォイの事故死が伝えられた1990年8月15日に、誰かがこの壁に「今日ツォイが死んだ」と落書きすると、別の誰かが「ツォイは生きている(Цой жив!)」と上書きしたのが始まりと言われています。現在では落書きが壁全体を覆うほど広がっていますが、そのどれもがツォイを讃えるものであり、今もこの壁を訪れる人が絶えないことからも彼の人気が伺えます。写真中央にはツォイの代表曲「変化が欲しい(Хочу перемен)」の一節が書かれていたり、上部にある「君と共に歌う(поём вместе с тобой)」など、ツォイの死を惜しむファンたちによる色鮮やかな芸術を見ることができます。
<1月> クレムリン スパスカヤ塔(モスクワ)
「親愛なる友人たちよ。
今、この瞬間、国全体に愛するすべての人のために、愉快なこと、平和、繁栄、幸せと喜びを夢見てみましょう。
我々が共にいるからこそ、皆さんの一人一人に感謝の気持ちをお伝えしたいのです。そして我々が隣に立つ人を信頼できると感じたなら、ロシアは一つの大きな家族となります。
私は自分の愛しい人や親しい人に祈るように、皆様の健康、信仰、希望、そして愛を心からお祈りしております。これから迎える2021年に皆様に幸せが訪れますように。
親愛なる友人たちよ、あけましておめでとうございます。」
これはコロナ禍での今年のプーチン大統領の新年の演説です。この演説のあとすぐに、この塔の時計がアップで映され、ロシアでは2021年1月1日を迎えました。
この塔はロシアの時間の象徴で、15分、1時間ごとに鐘が鳴ります。
私自身、赤の広場には何度も訪れましたが、その度にこの塔の存在感に圧倒されました。もし次モスクワに行く機会があれば、また必ず見に行くでしょう。
「2021年 極東大学オリジナルカレンダー」は、おかげさまで好評発売中です。購入方法についての詳細はホームページをご覧ください。
今年も毎月の写真について、この場で解説をしていきたいと思います。
<12月>モスクワのクリスマス
新年の前である12月のモスクワは寒さも忘れるような、豪華な街景色に包まれます。
この写真だけではなく、美しいクリスマスイルミネーション(本当は新年に向けてだが)を長い期間楽しむことができます。
モスクワの観光名所であるボリショイ劇場周辺や赤の広場も美しくイルミネーションで飾られ、小さな出店やスケートリンクも設営されます。特に赤の広場の近くで見た、雪の巨大滑り台を滑っていた子供たちの楽しそうな風景が私の記憶に残っています。
次は是非、гумやцумと言った大型ショッピングセンターも十分時間をとって巡りたいと思っています。
2021年オリジナルカレンダーは近日発売予定です。。詳しくはホームページに掲載しますので、どうぞお買い求めください。
<9月>ウラジオストク
9月の最終日曜日はウラジオストクではトラの日です。トラは市旗にも描かれており、町のシンボル的な存在です。しかし近年、シベリアや極東地域に生息するアムールトラは個体数が減り、絶滅危惧種にも指定されています。トラの日には、ウラジオストクの中心部では町のいたるところでトラのフラッグがはためき、子どもたちがトラの仮装をして、声を揃えてТигра защитить!(トラを守れ!)とトラの保護を呼びかけながら、オケアンスキー大通りを中央広場に向かって練り歩きます。この写真は、仮設ステージやトラの日グッズを売る売店が並び、子どもたちから大人まで、市民から観光客まで、多くの人が集まり、賑わいを見せる中央広場を切り取ったものです。
<8月>全ロシア博覧センター(モスクワ)
この噴水はモスクワのВДНХ(ヴェー・デー・エヌ・ハー)と呼ばれる博覧会場内で撮影しました。ここでは科学、技術、文化、その他国内産業の分野に関する大規模な展示が行われており、万博公園の様な場所です。ソ連時代には毎年300以上ものなんらかの展覧会やイベントが催されていたそうです。広い道も美しく整備されているため、散歩する人たちなど、モスクワ市民の憩いの場としても親しまれている様子が見受けられました。有難いことに滞在中は、ほぼ毎日この写真の様な快晴が続いており、美しい噴水の後ろで厳かに建つ中央パビリオンと、青空にたなびく雲に惹かれて撮影しました。冬にはこの噴水を中心とした大規模なスケートリンクが設営されることで人気な場所でもあるそうなので、ぜひ今度は冬に訪れてみたいです。
<7月>ウラジオストク
観光で街中を散策していると様々な発見があり、初めて訪れる土地であれば迷子になってしまうこともしばしば、そんな時は一度、船に乗って落ち着きを取り戻してみませんか?
ウラジオストク内には船に乗る場所が二か所あり、一つは鳥取の境港とつなぐフェリー、もう一つがこの遊覧船になります。(二か所とも近い場所に乗り場があるので間違ってフェリーに乗ってしまうと長時間の拘束が期待されるのでお間違いのなきよう。)
この遊覧船は一時間ほどの乗船でお手軽さが売りになっており、街で体感するウラジオストクとはまた違う表情を見せてくれます。観光初日に、さてこれからどんな風に街を回ろうかと計画するもよし、最終日に今まで回った街に思いを巡らせてみるのもいいのではないでしょうか。
さて、筆者自身のことを書くと、乗り場内にあるカフェでブレックファストとしゃれこみ、船上で潮風を感じながら束の間の解放感を味わおうとした矢先に、大勢の外国人ツアー客と鉢合わせ、計画は早々に破綻することになりましたが、彼らの投げるパンくずに誘われて、そこにはカモメ達が空を演出していました。この写真はそんな瞬間を切り取ったものです。
<6月>ツァリーツィノ宮殿(モスクワ)
6月の写真はモスクワのツァリーツィノ(Царицыно)公園内にあるФигурные ворота(幾何学模様のある門という意味)です。この門の白いアーチの装飾がぶどうの房のように見えるため、Виноградные ворота(ぶどうの門という意味)とも呼ばれます。
ツァリーツィノはエカチェリーナ2世がこの土地を気に入り購入したことから建設が開始されました。ここには宮殿もあり、公園の初期の計画は建築家ワシリー・バジェーノフが行いました。女帝はその宮殿を好まなかったため破棄されましたが、この門を含めいくつかの建築物は残されました。次の計画はマトヴェイ・カザコフによって行われましたが女帝の死後、パーヴェル1世はここを放置したため未完成のまま200年が経過しました。2005年から2007年に修復プロジェクトが実施されついに完成形となりました。
<5月>モスクワ大学
雀が丘でモスクワを一望し、後ろを向くとモスクワ大学が見えます。この写真はモスクワ大学本棟を北(雀が丘)側から夕日を背景にして撮ったものです。私がロシアで撮影した写真で一番気に入っているものです。
モスクワ大学はロシアで最初の大学で1755年にミハイル・ロモノーソフの提案により設立されました。女帝エリザヴェータが許可を出した1月25日が正教会のタチアナの日と重なったことで、タチアナの日=学生の日となってこの日には全国で学生向けのイベントが行われます。また現在の建物はスターリン様式で1953年に完成しました。スターリン様式七姉妹の一つで、高さは240メートルあり七姉妹最大級の建築物です。
<4月>宇宙飛行士記念博物館(モスクワ)
1961年4月12日、ボストーク1号はユーリイ・ガガーリンを乗せて世界初の有人宇宙飛行を成功させました。この時の彼の「Поехали!(さあ行こう)」という言葉は宇宙時代の幕開けの象徴となりました。
この写真はВДНХ(全ロシア博覧センター)の側にある宇宙飛行士記念博物館で撮ったものです。建物は宇宙征服者のオベリスクと呼ばれ、ロケットが上昇していく様子を表しています。また1981年に基礎部分が博物館となりました。館内にはソ連時代に使用された宇宙服や宇宙船の他にも国際宇宙ステーションについてや現在の宇宙開発に関する物も展示されています。両手を挙げている像は第一展示室「宇宙時代の朝」に世界初の人工衛星等と共に展示されているものです。
<3月> エカテリーナ宮殿(サンクトペテルブルク)
この写真はペテルブルク郊外に位置するエカテリーナ宮殿で撮影したものです。
この名称はロシア帝国の女帝エカテリーナ1世に由来します。現在の宮殿は1756年に完成し、ロシア帝国の貴族たちは避暑地として夏をこの場所で過ごしました。
また、江戸時代に日本からロシアに漂流した商人・大黒屋光太夫が帰国を願い出るために1791年、エカテリーナ2世に謁見を果たした場所としても知られています。
この広間は壁際に鏡が多くあり、「鏡の間」とも呼ばれます。外からの光が広間の鏡や装飾に反射してより明るく、美しさを増していました。
私はこの場所を訪れた際、今まで見たことのないほど豪華な装飾が壁や天井、床にまで施されていて、とても驚いたのを覚えています。宮殿は私たちを含めたくさんの観光客で混雑していたのですが、一瞬流れが途切れたタイミングを見計らい、まるで貴族の時代にタイムスリップしたかのような写真を撮ることができました。
<2月>並木通り(モスクワ)
これは僕たちがJT海外インターンシップ最終日に散歩で通ったモスクワ中心街の並木道です。この日まで、モスクワ市内はマイナスを下回るか回らないか程度の気温だったのですが、この日は-10度以下で、非常に冷え込んでいました。ただ、モスクワは風があまり吹かないので、実際の気温以上に寒く感じることはありませんでした。ここのような並木道には、所々にロシアの有名な作家や詩人の記念碑、記念像が置かれていて、ロシアらしい場所です。
冬の寒い時期でしたが、それがまた偉人達の雰囲気と相まって印象的でした。今度は夏の緑が生い茂る道も歩いてみたいです。
このカレンダーは2月11日(火・祝)の第22回はこだてロシアまつりでも販売します。
С Новым годом(新年おめでとうございます)!
今年も「極東の窓」をよろしくお願いいたします。
「2020年 極東大学オリジナルカレンダー」は、おかげさまで好評発売中です。購入方法についての詳細はホームページをご覧ください。
今年も毎月の写真について、この場で解説をしていきたいと思います。
<1月>ボリショイ劇場
バレエやオペラが盛んなロシアでは、日本よりも気軽に劇場に足を運び、トップレベルの芸術に浸ることができます。中でもロシアで劇場といえば「ボリショイ」、というほど、日本人にもなじみのある名前です。
赤の広場のすぐそばに位置し、大きな7本の円柱とその上に置かれた4頭の馬のモチーフが目印です。
冬にはあたりがイルミネーションで彩られ、恋人たちが寄り添いながら歩く姿も絵になります。
<11月>救世主ハリストス大聖堂(モスクワ)
モスクワの地下鉄クロポトキンスカヤ駅を出ると目にとびこんでくる救世主ハリストス大聖堂は祖国戦争の勝利を記念して19世紀に建てられました。当時のロシアで最大の建築物であり、モスクワのどこからでも大聖堂のキューポラ型の屋根が見えたといいます。しかし革命後に宗教弾圧の対象となり爆破され、その後「ソヴィエト宮殿」の建設が始まるものの計画は頓挫し、温水プール「モスクワ」へと生まれ変わりました。ソ連崩壊後に再建が決定し、現在の大聖堂は2000年に完成しました。新しい建物であり、観光地としても有名ですが、内部は正教会の厳かさが保たれ、モスクワ中心の繁華な雰囲気とは違った空気を感じることができます。
モスクワを訪れた際には、紆余曲折を経て復活したこのロシア最大の大聖堂に足を伸ばしてみてはいかがでしょう。
<10月>旧日本総領事館と旧デンビー商会(ウラジオストク)
日本とゆかりの深い建物がウラジオストクには今なお残っています。その代表格が旧日本総領事館です。20世紀初頭のウラジオストクは、ロシア人のみならず、ドイツ人、中国人、朝鮮人、日本人など外国人が多数暮らす国際都市でした。1876年に日本人人口が100名近くになった時、「貿易事務館」が設置され、日露戦争後の1907年「領事館」に昇格、1909年に「総領事館」となりました。
この写真の建物は、1916年にオケアン大通りに完成したもので、写真右上には空想上の動物グリフォンを見ることができます。
左下の写真が旧デンビー商会です。ウラジオストクに本店を置き、1899年に函館に支店が開かれました。デンビー商会はカムチャツカにサケ・マスの缶詰工場を建設し、大いに繁栄しました。この建物は、ロシア革命後の1918年から1930年までは朝鮮銀行が所有していました。
<9月>クズネツキー・モスト通り(モスクワ)
この写真は昨秋のモスクワで夕暮れ時に撮影したものです。
この通りの名は周辺の地名に由来します。ロシア語で「クズネツキー」は「鍛治の」、「モスト」は「橋」という意味です。日本語訳すると「鍛冶屋橋」といったところでしょうか。
初めてのモスクワ訪問だった私は、目的もなく散歩するだけでも楽しかったことを覚えています。特に夕暮れから夜の時間帯の街を歩くのが私のお気に入りでした。
ネオンやイルミネーションで街は明るく照らされ、そこかしこで路上ライブが行われ、通りのバーで楽しくお酒を飲む若者やドレスを着て劇やコンサートを観に行く女性たち、デートをする恋人たちなどで絶えずにぎわっていました。
モスクワの滞在は約1ヶ月というものでしたが、この夕暮れの街並みは今でも私の思い出に残る景色です。
<8月>中央広場の週末市(ウラジオストク)
ウラジオストクの中心部と駅の中間に位置する中央広場では週末に市場が開催されます。
普段は穏やかで、市民が待ち合わせによく使う銅像が目印の広場ですが、週末になると色鮮やかなテントや車を利用した簡易店舗でいっぱいになります。
売られているのは、大きな塊のままの肉や魚。地場産の取れたて野菜や果物。レーズンなどのドライフルーツ。それに蜂蜜に黒パンなどの菓子パン。ロシアでは定番のミックスジュース、クワス。手作りジャムに缶詰・・・、挙げるときりがないほどに、たくさんの商品がそれぞれのテントの軒先に並びます。
地元の人の活気を感じることのできるこの市場は、観光でも楽しめること間違いなし!見るだけもいいので、週末は市場へ行ってみましょう!
<7月>沿海地方水族館(ウラジオストク)
2017年に完成したウラジオストクのルースキー島にある沿海地方水族館です。市街地からバスやタクシーで1時間程のところにあります。
建物は貝殻をイメージしているようで、真ん中が真珠のように光っています。そこが建物の入り口。しかし、この入口にまで行く間にも小さな子どもが遊べる遊具のある公園や、巨大な恐竜やイカのオブジェなどの足を止めたくなる誘惑があり、なかなか建物まで着きません。
さぁ、いよいよ建物に入るぞ!魚を見るぞ!と思って一歩踏み入れると、出迎えてくれるのは、またもや大きなクジラとシャチのオブジェ。生身の魚の展示の部屋は奥の方で、なんと地球の誕生、生命の誕生という壮大なスケールから展示が始まります。
日本の水族館とは少し雰囲気が違いますが、イルカやアシカのショーもあり、魚の水槽は極東ロシアのアムール河やハンカ湖、バイカル湖、日本海に生息する生物の展示をしています。
一日じっくり楽しめる現地でも人気のお出かけスポット。ウラジオストクを訪れた際には是非訪れてみてください。
<6月>スーズダリ
この風景は映画のセットなどではなく、モスクワから少し離れた田舎町、スーズダリという町を訪れた際に撮ったものです。スーズダリはとても静かで美しく、時折聞こえてくる教会の鐘の音がとても心地よく感じられました。
私は町を散策中に偶然、この素晴らしい装飾の家を見つけました。すると家主のおじいさんが私に声をかけてくれ、庭の中を案内してくれました。私のまだ不慣れなロシア語に対してもおじいさんは優しく聞き、理解して積極的に交流を図ってくれました。そして最後にはおじいさんからとれたてのキュウリとトマトのお裾分けをいただくという貴重な体験をすることができました。
ロシア人の温かさと大らかさに触れたこのスーズダリでの出来事は、私にとって忘れられないものとなりました。
<5月>スーズダリ
昨年スーズダリを訪れた時に撮った写真です。モスクワから北東に約200キロ、中世の街並みを今に残すことで有名なスーズダリは「黄金の環」の町のひとつで、ユネスコの世界遺産にも登録されています。この町に足を運ぶ動機となったのは、モスクワやペテルブルグでは目にすることの出来ないロシアを見たいという単純な好奇心でした。
そして町は想像以上の美しさでした。中でも感銘を受けたのは、川越しに見るスーズダリの様々な景色です。町を縫うように流れる川沿いにはヤギやウシが放牧され、さらに町の奥に進むと、修道院を囲む強固な城壁が川の土手の上にそびえ立っています。丘に登れば、川の向こうにクレムリンや教会が見えます。その教会の白い壁や瑠璃色の屋根が、穏やかなロシアの田舎風景に映え、思わず見惚れてしまうほどの美しさでした。私がスーズダリで感じたロシアを、写真を通して少しでも感じていただければ嬉しいです。
<3月>グム百貨店(モスクワ)
赤の広場に面して建っている、ロシア最大級のデパートです。ソ連時代の呼び名 Государственный Универсальный Магазин(国営デパートの意) の頭文字から名づけられました。
デパートは3階建てでとても広く、観光客や地元のモスクワっ子たちで毎日賑わいます。内部は写真のような通路が3列もあり、様々なブランドショップが並んでいます。他に食料品店やレストランもあり、食事をしたりお土産を買うのに最適です。ГУМオリジナルの紅茶やハチミツ、石鹸などもありお土産にオススメです。
また、ワゴンで売られているアイスクリームは絶品です。
そして、夜になると外壁が電飾でライトアップされ、赤の広場でもひときわ輝きを放ちます。ぜひ訪れてみてください!
<2月>ツァールスコエ・セロー(サンクトペテルブルク)
これはツァールスコエ・セローに行く途中の景色です。サンクトペテルブルクでは大体朝9時から明るくなるため、その前に撮影したものです。朝の少し暗い時間に見る真っ白なロシアの景色は日本で見る雪景色とはまた違った美しさがあり、思わずロシア文学の世界に迷い込んだ気持ちになりました。
カレンダーは2月9日(土)の第21回はこだてロシアまつりでも販売するほか、郵送での販売も行っております。
С Новым годом(新年おめでとうございます)!
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「2019年 極東大学オリジナルカレンダー」は、おかげさまで好評発売中です。購入方法についての詳細はホームページをご覧ください。
今年も毎月の写真について、この場で解説をしていきたいと思います。
<1月>モスクワの新年
モスクワの年末年始のにぎやかな様子を伝えています。
左上の写真はクレムリンのそば、マネージ広場に立つ中央展示場です。普段はクリーム色の壁に白い円柱が美しい建物が、プロジェクションマッピングで彩られています。
その下、イルミネーションで縁取りされたグム百貨店の石造りの建物と、カザンの聖母聖堂のかわいらしいピンク色の建物も、夜はライトアップされて昼間とは違う印象です。街の中心部は夜でも多くの人出があります。
右側の写真には“С Новым годом”の文字。トラやうさぎのイラストもあり、なんとなく日本の干支のような雰囲気もあり、ロシアの新年を祝う気持ちが伝わってきます。
<12月>ユジノサハリンスク
一昨年の12月にユジノサハリンスクを訪れた際に撮影しました。何かこの季節らしい写真をと言われて色々探す中、町の中心部で見つけたものです。
これはロシアで「新年のモミの木」と呼ばれるもので、西欧のクリスマスツリーとは若干意味合いが異なります。そもそもロシアの正教会ではクリスマスは元日明けの1月7日に祝われますし、現在ではクリスマスではなく元日にプレゼント等を贈る習慣があるのでこれはクリスマスツリーというよりは新年の為のツリーといった方がふさわしいのです。木の根元部分をよく見るとロシア版サンタクロースともいえるデッドマロースとその孫娘スネグーラチカが居るのが分かると思います。この場所は夜には綺麗にライトアップされ、昼間とはまた印象が変わっていました。
我々にはなじみの薄いロシア独特の新年の祝い方、習慣に関心がある方は是非本校のロシア人教授に質問してみてください。きっと面白い話が聞けると思います。
この1年間、みなさまには2018極東大学オリジナルカレンダーをお楽しみいただけましたでしょうか?現在2019年のカレンダーを作製中です。12月中旬からの販売(1部500円)を予定しております。販売開始の際はホームページでご案内しますので、ぜひお買い求めください!
<11月>グム百貨店(モスクワ)
赤の広場に面して建つ荘厳なこの建物は、現在はГлавный Универсальный Магазинの頭文字を取って、ГУМ=グムと呼ばれていますが、元々は国立百貨店Государственный УниверМагに由来するものです。
この国立百貨店は1921年、レーニンの命により開設されただけあり歴史は古いのですが、中ははすっかり改装されてシャネルやディオールなど、ハイブランドのショップが軒を連ねます。吹き抜けになった広場にはガラス張りの天井や噴水、回廊もあり、中を歩くだけでも楽しい気持ちになります。
お菓子や紅茶など、グムオリジナルのグッズもあるので、おみやげに探してみるのもいいでしょう。
<10月>クレムリンの武器庫博物館(モスクワ)
モスクワのクレムリン内にある黄色と白の壁が印象的な建物「武器庫」はその名に違い、中は歴史博物館となっています。武器ばかりでなく、ロマノフ王朝の歴代皇帝が被った王冠や女帝エカテリーナ2世が戴冠式の時にまとった豪華なドレスなど、歴史的資料・宝物がたくさん詰まって見ごたえがあります。
その隣に見えるの緑のとんがり屋根がクレムリンの観光用入口の一つ、ボロヴィツカヤ塔。そしてその左奥にはロシア最大の聖堂、救世主キリスト聖堂の黄金に輝く屋根が伺えます。この聖堂は高さが103メートルもあるため、クレムリンからもよく見えますが、モスクワ川クルーズの船上から眺めるのもよさそうです。モスクワ市内を蛇行するモスクワ川のクルーズでは、いくつもの観光名所が普段とは違った角度から見られて人気だそうです。ぜひ乗ってみたいものです。
<9月>モスクワ市内の公園
モスクワには多くの都市公園があり、いつも人々が休息しています。偶然通りかかったモスクワ音楽院の前でお目にかかったチャイコフスキーの銅像も、ゆったりを音楽を味わっているようです。
マネージ広場にある有名な噴水は、トロイカ(三頭立て)ならぬ四頭立て。それぞれの馬が四季を表しているそうで、訪れた夏には多くの市民が涼を求めて、ふんだんなしぶきを浴びていました。ロシアにはたくさん噴水があり、短い夏を楽しむ人でにぎわいます。
地下鉄パルチザンスカヤ駅最寄りのイズマイロフスキー公園にあった木彫り熊のオブジェ。
緑を感じながら、モスクワの公園を散歩するのも楽しいですよ。
<6月>エカテリーナ宮殿(サンクトペテルブルク)
サンクトペテルブルクから南に25キロメートル、ツァールスコエ・セロー(皇帝の村)にあるエカテリーナ宮殿はピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建設されました。外壁の長さ300メートルを誇る大きな宮殿の北棟にある礼拝堂の上には5つの黄金のドームが輝いています。
撮影の日は曇りがちで、日が傾き始めた時間だったため、少し陰りが見えますが、木々の緑とブルーの外壁、玉ねぎ型のクーポラの黄金色がコントラストを織りなす、とても美しい宮殿です。
<4月>血の上の救世主教会(エカテリンブルク)
昨夏エカテリンブルクでの国際青年キャンプに参加した際に皆で訪れた場所です。血の上の教会という名前はかつてこの地に建っていたイパチェフの館において1918年7月、ロシア最後の皇帝ニコライ二世とその家族ら(皇后、4人の皇女と皇太子、医師や使用人ら4人)が処刑された事に由来しています。
ニコライ二世は大津事件や日露戦争などで日本とも縁の深い皇帝でした。1917年に発生した2月革命により退位させられると、一家は政府により軟禁状態に置かれます。ボリシェビキが政権を握った10月革命の後に同地へと移送され、最終的に館の地下室において銃殺されました。
処刑後の遺体の行方を巡っては長年議論が繰り返され、一時は皇女や皇太子の生存説まで囁かれましたが近年一家全員分の遺骨がエカテリンブルク郊外で発見され処刑が正式に確認されました。 今年は皇帝一家処刑から丁度100年です。これを機に皆さんもロシア革命について理解を深めてみてはいかがでしょうか。
<3月>エリツィンセンター(エカテリンブルグ)
エリツィンセンターは、アジアとヨーロッパの境界線であるウラル山脈の東側に位置するエカテリンブルグという町にあります。2015年、エカテリンブルグ出身でロシア連邦の初代大統領であるエリツィン・ボリス元大統領を記念して設立されました。
昨年私を含む極東大学函館校の6名は日露青年交流センターのプログラム『エカテリンブルグ国際青年キャンプ』に参加してこの街を訪れました。私たちが訪れた期間は「ウラル・日本週間」ということで、私たちが参加したこのプログラム以外にも様々な日露交流が行われたようです。このエリツィンセンターでは青空のもと、剣道のデモンストレーションが催され、幅広い年齢層の方々が剣道の気迫を間近に感じて見入っていました。
エリツィンセンターの中には「交流センター日本」があり、そこでは日々学生たちが日本語や、生け花・習字などに取り組んでいます。10歳ぐらいの子供たちが熱心に日本語を話している様子がとても印象的でした。
<2月>ДВФУ 極東連邦総合大学(ウラジオストク)
この写真はウラジオストク本学への留学中、冬の朝の登校時に撮影したものです。
極東大学のルースキー島キャンパスはとても広く、寮や学校の間をバスが走っています。しかし、このバスに乗るのは至難の業です。バスの本数に対して、利用する学生が多すぎるのです。そのため、通学時は寮から学校まで歩いて登校していました。私は少し早起きして、海岸沿いを散歩するのが日課でした。冬場は陽が昇るのが遅いため、いつもより少し早く起きるだけで、このような朝焼けを見ることができたのです。朝焼けがきれいに見えると、その日はなんだか気持ちよく過ごせそうな気がします。さぁ、今日も勉強頑張ろう!
皆さんも一日の始まりを感じてください。
カレンダーは2月10日(土)の第20回はこだてロシアまつりでも販売します。
С Новым годом(新年おめでとうございます)!
今年も「極東の窓」をよろしくお願いいたします。
「2018年 極東大学オリジナルカレンダー」は、おかげさまで好評発売中です。購入方法についての詳細はホームページをご覧ください。
今年も毎月の写真について、この場で解説をしていきたいと思います。
<1月>聖イサアク大聖堂(サンクトペテルブルク)
世界最大級の教会建築である聖イサアク大聖堂は、内部にもとても大きな空間が広がっています。壁にはロシア正教特有のイコノスタス(聖障)、天井にもきらびやかな装飾が施され、大理石や孔雀石でできた大きな円柱がいくつも並んでいるのがとても印象的です。
一年の幕開けにふさわしい、豪華な一枚です。
<12月>モスクワ
モスクワのイメージをギュッと詰め込んだ1枚です。左上から時計回りに、ボリショイ劇場→クレムリンのスパスカヤ塔→赤の広場のプリャーニキ屋台→毛皮の帽子を売る移動販売車→地下鉄パルチザンスカヤ駅のパルチザン像→ヴェルニサージュ市場の民族衣装店にあったココーシニク(頭飾り)→同じくヴェルニサージュ市場のマトリョーシカの数々。
ボリショイ劇場は言わずと知れたバレエ・オペラの殿堂。スパスカヤ塔はクレムリンの中でも一番有名な塔で、大晦日にこの時計の針が午前0時を指すとモスクワでは盛大に花火が上がり、人々はシャンパンで乾杯します。
プリャーニキはロシアの焼菓子で形も風味も様々種類がありますが、ここに並んでいるのはプレゼント用でアイシングが施され、「誕生日おめでとう!」などのメッセージが書かれています。
毛皮の帽子の移動販売車は広げた扉をたたむとワゴン車になるもので、人目を引きます。マトリョーシカはかわいらしい女の子のスタンダードなものからプーチン大統領を始めとする各国首脳、有名スポーツ選手、アニメキャラクターなど様々なものが並びます。
この1年間、みなさまには2017極東大学オリジナルカレンダーをお楽しみいただけましたでしょうか?大変好評だったため、現在2018年のカレンダーを作製中です。12月中旬からの販売(1部500円)を予定しております。販売開始の際はホームページでご案内しますので、ぜひお買い求めください!
<11月>血の上の救世主教会(サンクトペテルブルク)
サンクトペテルブルクのメインストリート、ネフスキー大通りからグリボエードフ運河沿いに見えてくるこの教会は、ロマノフ王朝の皇帝アレクサンドル2世が1881年に暗殺された場所に建てられたため、このような恐ろしい名前で呼ばれています。しかしペテルブルクを象徴する、一度見たら忘れられない印象的な建築物です。
訪れた日は朝から暴風雨で重い雲が立ち込め、暗い一日でした。それでも教会の中に入ると、天井の高い聖堂内は窓から漏れる薄日により、ラピスラズリや金色のモザイクで描かれたイコンが美しく輝いていました。晴れた日ならなお一層、鮮やかに輝くのだろうと想像します。
<10月>ニコライ2世凱旋門(ウラジオストク)
ウラジオストクのカラベーリナヤ海岸通りとスヴェトランスカヤ通りを結ぶ公園内に、この凱旋門はあります。
ロマノフ朝、最後の皇帝であるニコライ2世がウラジオストクを訪問したことを記念して建てられたました。
キラキラとした豪華な装飾は、他の建造物違って少し新しく見えます。それもそのはず、もともと建設された凱旋門はロシア革命後に破壊され、2003年に復元されたからです。
中心部から少し離れた位置にあること、また公園内にあるということで、ゆっくり見ることができます。
この写真を撮った時期は紅葉が美しかったですが、新緑の季節に散歩がてら訪れるのも気持ちがいいことでしょう。
ウラジオストク市内の噴水通り(アドミララ・フォキナ通り)をまっすぐ抜けると、スポーツ湾に出ます。
地元のロシア人にとっては、夏にここで海水浴をしたり、釣りをしたり、近くの遊園地で子どもが遊ぶなど楽しい場所となっています。
また季節関係なく、ここは夕日の絶景スポットです。そのため、ウラジオストクに住んだことのある人にとっては有名なデートスポットでもあります。オレンジ色に染まる海岸をゆっくりと散歩。限られた時間しか見ることのできない自然の美しさを皆、堪能するのです。
写真を撮影したこの日も、落ち着いた雰囲気の中、老夫婦が手をつなぎ海岸沿いを歩いていきました。
ここはウラジオストクの人にとって、憩いの場なのです。
<4月>聖イーゴリ公聖堂(ウラジオストク)
ウラジオストク、ポグラニチナヤ通りとバタレイナヤ通りが交差するところに、この小さな教会はあります。
初めてロシアを訪れた2016年のある日。滞在して数日が経ち、街の様子にも慣れた私は、朝と夕方に散歩することが日課になっていました。この日の朝は「まだ通ってない道を歩こう」をテーマに地図をポケットに忍ばせて、雲一つない晴天のもと、気ままに歩きました。こんな天気は函館だってあるはずなのに、見たことのない街並みと合せて気分が上がります。美しい建造物に心が躍り、看板の読めない文字もなんだか格好良く感じます。
浮かれ気分で歩いていると、青空の中にキラッと光る建物が見えました。地図を見ると「教会」と記されているだけで名前が分かりません。近づいてみると教会は屋根がキラキラしているけれど建物自体はとてもコンパクトで、シンプルで…。いわゆるロシア風の荘厳な建物とはちょっと違うように見えました。そう思わせたのは、コンパクトさだけでなく教会の前にある花壇の手入れが行き届いていたこともポイントだと思います。
私はなんだかこの小さな教会が途端に好きになり、目が離せなくなりました。観光スポットではない日常の一部分を垣間見たような気になり、持っていたカメラのシャッターを押したのです。
<3月>アレクサンドル・ネフスキー大修道院(サンクトペテルブルク)
サンクトペテルブルクのメインストリート、ネフスキー大通りの東の終点、ネヴァ川のたもとにあるのがアレクサンドル・ネフスキー大修道院です。ロシアの聖人でもあるアレクサンドル・ネフスキー(ネヴァ川のアレクサンドル)公を祀るため、1710年ピョートル大帝によって創立されました。
右下の写真、建物がつなぎ目から2色に分かれており、向かって右側の黄色い壁がトロイツキー聖堂、左の赤色の建物が修道院では最も古い建築のブラゴヴェシチェンスカヤ教会です。正教会を象徴する鐘が旅情を掻き立てます。
前庭にはイコンや乳香などを売るキオスクがあり、人懐こい猫たちがのんびりと歩いています。多くの信者に敬われ守られている、そんな静謐な時が流れる修道院です。
2017極東大学オリジナルカレンダーは「はこだてロシアまつり」でも販売し、大変好評でしたが、まだ若干在庫がございます。
事務局にて1部500円で販売しているほか、遠方の方には郵送料込み600円で頒布します。ご要望にお応えして切手での支払いができるようになりましたので、ご希望の方は事務局までお問い合わせください。
<2月>中央広場(ウラジオストク)
スヴェトランスカヤ通りとオケアン大通りが交わる市の中心部に位置する中央広場。ここは沿海地方行政府や鉄道駅にも近く、また休日には自由市場も立つ、市民が集う場所となっています。
写真の像は、30メートルの巨像の右側にある像です。革命派の人民革命軍とパルチザンを象徴するこれら3つの像は、合わせて「革命戦士の像」と呼ばれています。
この巨大モニュメントは、1961年に完成しますが、像の正面を置く方向を街側にするか、海側に向けるかを巡って論争が起きます。結果的には、革命戦士が向く方向は、海(金角湾)側が選ばれました。なぜこれほど「向き」にこだわったのでしょうか?
ロシア革命は、1917年に首都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)で勃発しますが、国内戦争や日本を始めとする連合軍によるシベリア干渉戦争といった反革命派との闘いが数年間に及びます。 写真の「革命戦士」は、反革命軍(白軍)を支援する日本のシベリア出兵軍がウラジオストクからの撤兵を完了し、これに代わって1922年10月25日に入城してきた、革命の最終段階の勝利者と言うべき人たちです。
こうして西から始まった革命は、5年を経て東の端まで席巻し、同年末、ソ連邦が誕生します。なお、この間にロシアから避難・亡命した人たちは、約250万人に及びました。
今年はロシア革命から100年。この1枚の写真が、ロシア革命を再考するきっかけになれば幸いです。
С Новым годом(新年おめでとうございます)!
今年も「極東の窓」をよろしくお願いいたします。
今回初めて作成した「2017年 極東大学オリジナルカレンダー」は、おかげさまで好評発売中です。購入方法についての詳細はホームページをご覧ください。
ここでは毎月の写真について、解説を加えたいと思います。
<1月>エカテリーナ宮殿(サンクトペテルブルク)
サンクトペテルブルク近郊、ツァールスコエ・セロー(皇帝の村)にあるエカテリーナ宮殿はピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建設されました。第二次世界大戦中にドイツ軍に破壊されるなど、一時は見るも無残な姿となりましたが、今では修復され、美しい姿を保っています。
左の写真は宮殿の正面。宮殿外壁の長さは300mもあるので、写真はほんの一部です。
右上は宮殿内の「砂糖の間」。テーブルの上の植物や果物のように見える飾りはすべて砂糖でできています。お客を喜ばせるための装飾だったようです。壁側に2基見えるのは、青い陶器で作られたペチカです。
右下は、豪華な衣装を纏った女帝の姿。衣にはロシア帝国の紋章、「双頭の鷲」が刺しゅうされ、権力を誇っています。