ロシア音楽教育における伴奏法の実際
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第3回目の内容です。
今回は、ゲスト講師に函館市出身のピアニスト吉田千紗さんをお招きし、お話していただきました。吉田さんは、現在モスクワ在住で、モスクワにある現代文化大学の専属伴奏ピアニストを務める傍ら、ロシアのグリーグ協会のメンバーとしてロシアやノルウェーでコンサートを行っています。
テーマ:ロシア音楽教育における伴奏法の実際
講 師:ピアニスト 吉田 千紗さん
ソ連時代から多くのすぐれたピアニストを輩出したことで知られている、ロシアのピアノ教育は、「ロシアピアニズム」とも呼ばれます。
この「ロシアピアニズム」はソロピアニストを生み出すときの独特な教育法と捉えられがちですが、アンサンブル奏法や伴奏法に対しても独自の方針を持っており、未来の演奏家たちの音楽的な視野を拡げる大きな助けとなっています。
それでは、日本とは全く異なるロシアの音楽学校のシステムや教育内容について説明します。
例えば、日本でまずピアノを習おうとすると近くの個人教室に行くことが挙げられます。また、ピアニストを目指そうという人は、専門的に学べる学校もありますが、多くは小学校、中学校、高校の放課後に習いに行く、そして音楽大学や大学院へ進学し、ピアニストになりますが、ロシアではスタートが違います。
ロシアでピアニストを目指す場合は、地域ごとに音楽教育専門の一貫教育学校があり、そこで音楽を中心に学びつつ、最低限必要な一般科目を学びます。その後、より専門的なことを学ぶために大学4年、そして大学院へ進みます。
大学院では、ソロピアノ、アンサンブル、伴奏法の三つの中から自分の適性を考え、選びます。ソロピアノというのは、100%自分の力で臨みます。卒業後の職業は、コンサートピアニストが主です。一人で舞台に立ち、演奏をします。
アンサンブルは、ピアノのほかに色々な楽器等と合奏するので、自分を出すというのはグループの構成によって等分の力で、合わせる力が必要になってきます。卒業後はアンサンブリストでグループを組んで、定期的に演奏をする音楽家になる人が多いです。
そして伴奏法は、自分ではなく主演奏者が100%です。日本で伴奏というと、陰で伴奏は音を小さく弾けばいいと思われがちですが、総括的な音楽を作る立役者です。自分ではなく相手を引き立たせ、相手を見て演奏に変化を付ける柔軟性が必要です。歌手とやる場合は、歌手の状態を見ます。体調だけでなく、会場の響きや音のバランスなど全体を見渡せる力が必要です。伴奏法を学んでいるとオーケストラでいう第一バイオリンのような立ち位置のコンサートマスターになる人がいます。
ソロピアノ、アンサンブル、伴奏法の、どのコースを選んだピアニストも教育者になる場合があります。 それは音楽学校で教鞭を執る人もいれば、日本のピアノ教室のイメージに近い、個人レッスンの教室を行う人もいます。
ロシアの音楽教育は、ピアニストだけでも目指す方向は様々で、職業的多様性があることが分かっていただけたかと思います。
では、このロシア音楽の流れはどこから始まったのでしょうか。
音楽には必ずその土地で生まれた民謡や、宗教と関わってきます。ロシアでいうとロシア正教会の宗教音楽が関わってきます。このロシア生来の音楽の伝統を含みながら、ヨーロッパの流れを取り入れたのはグリンカ(1804-1857)です。
グリンカの作った曲はソロピアノでは馴染みのない曲が多いですが、伴奏法では多く演奏する曲ばかりです。
グリンカの作る音楽から西洋派のチャイコフスキー(1840-1893)と国民学派のバラキレフ、キュイ、リムスキー・コルサコフ、ムソルグスキー、ボロディンの「5人組」の大きく分けて二つの会派に分かれます。「5人組」は、一人ひとりの作曲数はすくないのですが、ロシア独自の資質があり、人気が出ました。
この二つの流れを引き継いだのが、ラフマニノフ(1873-1943)です。皆さんご存知の「鐘」の作曲者です。
そしてロシアで有名な詩人と言えばプーシキンです。このプーシキンの作った詩「歌うな、美しいひとよ」は、グリンカから始まり、46人もの音楽家が曲をつけました。グリンカ作曲のものと、ラフマニノフ作曲のものの聴き比べをして終わります。皆さんは、それぞれの曲の中にどのような風景を思い浮かべますか?
*最後の曲のほかにも吉田千紗さんには数曲弾いていただき、またソプラノ歌手の次藤正代さんにも吉田さんの伴奏で歌を披露していただきました。
このお二人のコンサートが8月16日(金)函館ハリストス正教会 信徒会館にて行われます。詳しくはこちらをご覧ください。
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