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2017年11月28日

ロシアのクリスマス

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度6回目の講話内容です。

テーマ:ロシアのクリスマス
講 師:パドスシーヌィ・ワレリー(本校教授)

 今日はロシアのクリスマスと新年の伝統的な祝い方についてお話します。
 しかし、その前にロシアのクリスマスの歴史についてお話しましょう。

 「クリスマス」は、英語の「キリストのミサ」という言葉が短くなったものです。ロシア語で「クリスマス」を意味する「Рождество Христово(ロジュデストボ・フリスボ)」は、フランス語の「ノエル」に近く、神の子イエス・キリストがこの世にあらわれたことを祝う日を意味します。
 キリストの正確な誕生の日付は分かっていません。しかし、キリスト教会が4世紀にグレゴリオ暦を用いた、現在の12月25日にお祝いをすると制定しました。ロシアではユリウス暦を使うことから、グレゴリオ暦から13日遅れで1月7日に祝うことになりました。

 では、なぜこの日をそもそもクリスマスと制定したのでしょうか。理由はいくつかあります。
 1つ目の理由は、もともと12月25日は古代ローマで冬至を祝う日だったことが関係しています。1年で1番日が短い日ですが、言いかえるとこの日を境に日が長くなるので、キリストと太陽を同一視していた信者たちは、他でもないこの日を誕生日としたのです。2つ目に、12月25日は受胎告知からちょうど9か月目にあたる日だからです。日本でいう妊娠期間の十月十日のように、古くからヨーロッパでは9カ月が妊娠期間の目安とされてきました。さらに、キリスト教発生前の何世紀にもわたって、古代ローマとヨーロッパ全体では、この冬至の時期に新年を迎えるお祝いをしていました。多くの歴史学者がこの習わしをキリスト教は引き継いだのだと考えています。
 このキリスト教がロシアに入ったのは10世紀の終わりころ、今から千年前のことです。このことから古代ルーシの伝統とキリスト教の伝統の混合が起こりました。キリスト教が広まった現代にも古代ルーシの伝統は生き続けています。それは、古代ルーシでは太陽の誕生日(コリャーダ)の時期に人々は様々なコスチュームを着て集落内で家を訪ね歩き、歌を歌ったり、踊ったり、歴史やおとぎ話を語ると言うものです。

 17世紀末にロシアの生活様式が大きく変わりました。1699年12月20日にピョートル大帝が勅令を出し、「すべてのキリスト教信者の規範にならう」ということでキリストの誕生に始まる年表が使われることになりました。それまでロシアでは新年を9月1日に祝っていましたが、1月1日に新年が制定されました。これによって1月7日のクリスマスも新年の行事となったのです。
 19世紀後半にはキリストの誕生と新年を祝うために、建物はモミの木で飾られる習慣が一般家庭でも行われるようになりました。
 さらに同じ頃から、子どものための伝統行事も生まれました。これはお祝いの会場に飾り付けをして立てられるモミの木にちなみ「クリスマスのヨルカ」と呼ばれます。お祝いの終わりに子どもたちは、おもちゃや果物やお菓子などのプレゼントをもらう行事です。こうしてクリスマスは国中でお祝いする大切な祝日となりました。

 その後、10月革命が起こり、新年のお祝いが廃止されました。正教会の信者たちはお祝いを続けましたが、それは宗教的な性質のものに限定され、広く祝われるものではなくなり、子どものための「クリスマスのヨルカ」も同じく廃止されました。それから、革命後の約20年間はクリスマスも新年もなく、普通の日として過ごしました。

 1937年にスターリンが政令を発表し、モスクワでソ連になって初めての新年が祝われました。この時、ツリーの天辺には伝統的な銀色の星の代わりに、赤い共産党の星が飾られました。
こうして新年は、ソ連風の祝日として生まれ変わりました。伝統的なクリスマスの習慣(モミの木、お祝いの御馳走、子どものための行事とプレゼント)とソ連風の新年の恒例行事(赤い星のモミの木、政府指導者による新年の挨拶)が混ぜ合わさったものができたのです。

 更に同じころから、子どものための新年のヨルカのお祝いが開催され始めました。この行事を取り仕切って子どもたちを楽しませたのは二人のお伽噺の登場人物、「デッド・マロース」と「スネグーロチカ」でした。
 デッド・マロースの外見は西欧のサンタクロースを思わせます。しかし、起源は全く違います。サンタクロースはキリスト教の聖ニコラスで、4世紀のギリシャの聖人です。デッド・マロースの原型は寒さを支配する冬の神様です。デッド・マロースは、孫娘のスネグーロチカを伴います。ソ連時代には、それに加えて赤い毛皮のコートと赤い帽子をかぶった「ノービーゴッド」という少年も一緒に現れました。彼は新年のカードにイラストによく描かれましたが、今は人気が無くなり忘れ去られた存在となりました。

 ご存知のように、ソ連は無宗教の国家でした。クリスマスの行事や伝統は次第に新年のお祝いに持ち込まれ、時代の流れと共に新年が一年で最も重要な祝日となったのです。


 ソ連が崩壊したあと、新しい政府はロシアの宗教を取り戻すべく多くの取組を行いました。2005年には新年(1月1日)とクリスマス(1月7日)の間の3日、4日、5日も祝日としました。今では1月8日までが新年の休日となっています。

 ロシア人にとってクリスマスは様々な時代の変動を受けていますが、どんな形であれ、どの時代の人にとっても大切なものには変わりなかったので、今に続いています。

 最後にロシアでクリスマスを祝う様子の写真を見て終わりましょう。

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