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2017年11月30日

2017ウラジオストクの旅 2

 <2日目 午前>
 ホテルヴェルサイユの朝食は8時から10時までの間、2階のレストランで自由にとることができる。食券もなければチェックする係員もいない。女の人がたまに食べ物を補充しにくる程度だ。メニューはアラディ(ロシアのパンケーキ)やカーシャ(オートミール)、パンのほか、チーズやハム、サラダ、飲み物など毎日変わり映えしないけれど、別にそれで十分だ。それよりも朝ここに来れば、必ず仲間の誰かがいてゆったりとお茶を飲んでいる、そんな安心感がある。私たちのほかには、日本人や欧米人のお客がちらほらいる。

 

 この日は夕方まで自由行動の予定であったが、ほぼ全員で街歩きをすることになった。天気は快晴。私たちは2011年に日本・ウラジオストク協会が発行した「浦潮日本人街散策マップ」を手に、ホテルからスポーツ湾のほうへ下りてナーベレジナヤ(海岸通り)を歩いた。
 バルコニーのように海に張り出したロトンダからはスポーツ湾を一望することができる。この下の海岸に沿う石垣は、かつて日本人抑留者が積み上げたものだという。今は観光名所になっているが、そんな悲しい歴史もある。
 そしてこのロトンダは2014年公開の映画「ホテルビーナス」のロケ地にもなった。日本人俳優たちがすべて韓国語のセリフをしゃべり、ウラジオストクで撮影した無国籍感漂う不思議な映画なので、機会があれば見てほしい。最後のクレジットには協力のところで“Far Eastern National University(当時の極東国立総合大学)”の名前も出てくる。

 

 それからまた地図を片手に、今度はアルセーニエフの家記念館を目指した。アルセーニエフは黒澤明の映画「デルス・ウザーラ」で知られている極東地方の探検家であり、彼が晩年を過ごした家が記念館になっている。

 

 レンガ造りの二階家の前にはアルセーニエフの胸像がある。案内のおばちゃんが3人ほどいて、入口で一人150ルーブル払うと、「ロシア語がわかるのは誰?」と聞かれたので、全員わかるから問題ない、と軽く嘘をついて、ロシア語で説明してもらった。私たちが質問もしながら熱心に聞くものだからおばちゃん(ちゃんとした学芸員さんだと思うが)は探検の道具から家族の遺品まで丁寧に説明してくれて、アルセーニエフが実際に旅で使った組み立て式のベッドも広げて見せてくれた。

 

 調査に使った道具が飾られる中に、ナナイ人の案内人デルスの写真もあった。映画の俳優マキシム・ムンズクはデルスに本当によく似ている。実はこの俳優の孫が以前極東大学で日本語を勉強しており、2010年に函館校に留学したことがあるのだ。当時その事実を知り、私たちは興奮した。「え、デルス(役)の孫!」、それでより一層デルスに親しみを覚えたのだ。
 小さな記念館だが、アルセーニエフの足跡がわかるとてもよい展示であった。
 
 

 そこから細い路地を抜けて、ウラジオストク駅の方へと向かう。鬱蒼と緑が生い茂り、洗濯物が干されるなど、裏道には人々の生活の営みが感じられる。

 道端ではおばあちゃんが果物やお花を広げて売っていた。(つづく)

               

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子


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2017年11月28日

ロシアのクリスマス

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度6回目の講話内容です。

テーマ:ロシアのクリスマス
講 師:パドスシーヌィ・ワレリー(本校教授)

 今日はロシアのクリスマスと新年の伝統的な祝い方についてお話します。
 しかし、その前にロシアのクリスマスの歴史についてお話しましょう。

 「クリスマス」は、英語の「キリストのミサ」という言葉が短くなったものです。ロシア語で「クリスマス」を意味する「Рождество Христово(ロジュデストボ・フリスボ)」は、フランス語の「ノエル」に近く、神の子イエス・キリストがこの世にあらわれたことを祝う日を意味します。
 キリストの正確な誕生の日付は分かっていません。しかし、キリスト教会が4世紀にグレゴリオ暦を用いた、現在の12月25日にお祝いをすると制定しました。ロシアではユリウス暦を使うことから、グレゴリオ暦から13日遅れで1月7日に祝うことになりました。

 では、なぜこの日をそもそもクリスマスと制定したのでしょうか。理由はいくつかあります。
 1つ目の理由は、もともと12月25日は古代ローマで冬至を祝う日だったことが関係しています。1年で1番日が短い日ですが、言いかえるとこの日を境に日が長くなるので、キリストと太陽を同一視していた信者たちは、他でもないこの日を誕生日としたのです。2つ目に、12月25日は受胎告知からちょうど9か月目にあたる日だからです。日本でいう妊娠期間の十月十日のように、古くからヨーロッパでは9カ月が妊娠期間の目安とされてきました。さらに、キリスト教発生前の何世紀にもわたって、古代ローマとヨーロッパ全体では、この冬至の時期に新年を迎えるお祝いをしていました。多くの歴史学者がこの習わしをキリスト教は引き継いだのだと考えています。
 このキリスト教がロシアに入ったのは10世紀の終わりころ、今から千年前のことです。このことから古代ルーシの伝統とキリスト教の伝統の混合が起こりました。キリスト教が広まった現代にも古代ルーシの伝統は生き続けています。それは、古代ルーシでは太陽の誕生日(コリャーダ)の時期に人々は様々なコスチュームを着て集落内で家を訪ね歩き、歌を歌ったり、踊ったり、歴史やおとぎ話を語ると言うものです。

 17世紀末にロシアの生活様式が大きく変わりました。1699年12月20日にピョートル大帝が勅令を出し、「すべてのキリスト教信者の規範にならう」ということでキリストの誕生に始まる年表が使われることになりました。それまでロシアでは新年を9月1日に祝っていましたが、1月1日に新年が制定されました。これによって1月7日のクリスマスも新年の行事となったのです。
 19世紀後半にはキリストの誕生と新年を祝うために、建物はモミの木で飾られる習慣が一般家庭でも行われるようになりました。
 さらに同じ頃から、子どものための伝統行事も生まれました。これはお祝いの会場に飾り付けをして立てられるモミの木にちなみ「クリスマスのヨルカ」と呼ばれます。お祝いの終わりに子どもたちは、おもちゃや果物やお菓子などのプレゼントをもらう行事です。こうしてクリスマスは国中でお祝いする大切な祝日となりました。

 その後、10月革命が起こり、新年のお祝いが廃止されました。正教会の信者たちはお祝いを続けましたが、それは宗教的な性質のものに限定され、広く祝われるものではなくなり、子どものための「クリスマスのヨルカ」も同じく廃止されました。それから、革命後の約20年間はクリスマスも新年もなく、普通の日として過ごしました。

 1937年にスターリンが政令を発表し、モスクワでソ連になって初めての新年が祝われました。この時、ツリーの天辺には伝統的な銀色の星の代わりに、赤い共産党の星が飾られました。
こうして新年は、ソ連風の祝日として生まれ変わりました。伝統的なクリスマスの習慣(モミの木、お祝いの御馳走、子どものための行事とプレゼント)とソ連風の新年の恒例行事(赤い星のモミの木、政府指導者による新年の挨拶)が混ぜ合わさったものができたのです。

 更に同じころから、子どものための新年のヨルカのお祝いが開催され始めました。この行事を取り仕切って子どもたちを楽しませたのは二人のお伽噺の登場人物、「デッド・マロース」と「スネグーロチカ」でした。
 デッド・マロースの外見は西欧のサンタクロースを思わせます。しかし、起源は全く違います。サンタクロースはキリスト教の聖ニコラスで、4世紀のギリシャの聖人です。デッド・マロースの原型は寒さを支配する冬の神様です。デッド・マロースは、孫娘のスネグーロチカを伴います。ソ連時代には、それに加えて赤い毛皮のコートと赤い帽子をかぶった「ノービーゴッド」という少年も一緒に現れました。彼は新年のカードにイラストによく描かれましたが、今は人気が無くなり忘れ去られた存在となりました。

 ご存知のように、ソ連は無宗教の国家でした。クリスマスの行事や伝統は次第に新年のお祝いに持ち込まれ、時代の流れと共に新年が一年で最も重要な祝日となったのです。


 ソ連が崩壊したあと、新しい政府はロシアの宗教を取り戻すべく多くの取組を行いました。2005年には新年(1月1日)とクリスマス(1月7日)の間の3日、4日、5日も祝日としました。今では1月8日までが新年の休日となっています。

 ロシア人にとってクリスマスは様々な時代の変動を受けていますが、どんな形であれ、どの時代の人にとっても大切なものには変わりなかったので、今に続いています。

 最後にロシアでクリスマスを祝う様子の写真を見て終わりましょう。

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2017年11月02日

平成29年度「書評という仕事」講演会のご案内

 函館校も加盟しているキャンパス・コンソーシアム函館の図書館連携プロジェクトチーム・ライブラリーリンクでは、昨年度に続いて「本のこれからを考える」をキーワードに講演会を開催します。
 書評や評論など幅広いジャンルで執筆活動を続ける札幌大学名誉教授 鷲田小彌太氏を講師にお招きし、「書評という仕事」をテーマでお話しいただきます。書評は本と読者をつなぐ大切な仕事です。
 講演会は図書館職員向けの研修会ですが、本に興味のある方ならどなたでも参加いただけます。「本」のこれからについて一緒に考えてみませんか?

日 時:平成29年11月5日(日)13:00~14:30

場 所:函館市中央図書館 大研修室

テーマ:「書評という仕事」

講 師:鷲田小彌太氏

その他:定員50名、参加無料、申込み不要、当日直接会場にお越しください。

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2017年11月01日

2017年極東大学オリジナルカレンダー 11月は?

<11月>血の上の救世主教会(サンクトペテルブルク)

 サンクトペテルブルクのメインストリート、ネフスキー大通りからグリボエードフ運河沿いに見えてくるこの教会は、ロマノフ王朝の皇帝アレクサンドル2世が1881年に暗殺された場所に建てられたため、このような恐ろしい名前で呼ばれています。しかしペテルブルクを象徴する、一度見たら忘れられない印象的な建築物です。
 訪れた日は朝から暴風雨で重い雲が立ち込め、暗い一日でした。それでも教会の中に入ると、天井の高い聖堂内は窓から漏れる薄日により、ラピスラズリや金色のモザイクで描かれたイコンが美しく輝いていました。晴れた日ならなお一層、鮮やかに輝くのだろうと想像します。
 

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