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2017年10月18日

ロシア人の迷信

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度5回目の講話内容です。
テーマ:ロシア人の迷信
講 師:イリイン・ロマン(本校准教授)

 みなさんは迷信を信じていますか?
 「ツバメが空を低く飛ぶと雨が降る」「蛙が鳴くと雨が降る」、これらの言い伝えは自然に由来し、近年どうしてこのように言われているのかは解明されました。
 今回、私がお話するのは、このようなものではありません。日本での迷信をたとえ話ですると「へそのゴマを取るとお腹が痛くなる」とか「夜に爪を切ると親の死に目にあえない」とかそういう類のものです。
 ちなみに私はこの日本の迷信は今回調べて初めて知りました。
 このような合理的な根拠はなくとも、信じられている迷信がロシアにもあります。迷信の背景には歴史的な意味と伝統的な意味が隠れています。宗教が関係している場合もあります。
 いくつか迷信を紹介しながら、その出来た背景が分かるものは説明を入れながらお話しましょう。

・外出したとき忘れ物などして家に戻ったら、必ず鏡を見ること。そうしなければ災いが起きる。
 さぁ、出かけるぞ!と何か理由があって家を出たはずなのに、家に戻ってしまったらそのやる気が半減してしまうものです。その半減した精神を補うものは鏡です。自分自身を写す鏡は、パワーを2倍にする意味があります。だから、家を再度出発するときは鏡を見るのです。

・長期で家をあけるときは、出発前玄関などに少しの時間座る。
 旅に出る前には必ず、心静かに座る時間を取ります。これは今では忘れ物がないか確認する時間にもなっていますが、そもそもは旅の安全のためです。
 また家には普段良い妖精がいるとされ、人間がいなくなったことで家から出て行ってしまわないように、「私は出かけませんよ、ここにいますよ」と妖精をだます意味もあったそう。

・玄関などの敷居には悪い妖精がいる。
 悪い妖精に邪魔をされないように、敷居の上での荷物の受け取りや、敷居を挟んでの握手は縁起が悪いとされています。少し前に宇宙ステーションの中で、アメリカ人の宇宙飛行士がロシア人の宇宙飛行士に握手を求めましたが、宇宙ステーションのつなぎ目、ちょうど敷居にあたったのでロシア人宇宙飛行士は拒否しました。もちろん、その場での握手が嫌だっただけなので、場所を変えて握手をしました。

・外を出歩いているとき、空っぽのバケツを持った女性に会ったら不幸になる。
 この迷信はインドの方から伝わってきたとされています。昔は水道がなく、井戸水で生活していたので、街の中にバケツを持った女性が普通に歩いていました。彼女のバケツが空っぽだったら、その空っぽのバケツに命を取られるという意味があったので、皆必ず避けました。今も田舎の方では信じられています。

・家の中で口笛をふくと貧乏になる。
 ロシアで口笛は船乗りがするものと言われています。口笛には風を呼ぶ意味があるので、それで帆を張るのです。なので、船の上でなく家の中で口笛をふくと風がふいて家にあるお金が飛んでいくと言われています。

・食器や陶器が割れると幸運が訪れる。
 小さな子どもが誤って割ってしまっても、ロシアではほとんど怒られません。食器は毎日使うもので、私たちの悪い気が食器に溜まっていっていると考えられています。そのため、食器が割れることで悪い気と別れ、幸運が訪れるとされているのです。

・お祝いに時計の贈り物は不吉。
 恋人へのプレゼントで腕時計を贈るなんてしたら、とんでもないことです。これは「別れたい」と誤解されてしまいます。

・包丁が手元から落ちたら、男性のお客さんが来る。フォークとスプーンが落ちたら、女性のお客さんが来る。
 ロシアの名詞には男性名詞、女性名詞があることからも由来はありますが、基本的にロシアでは家に妖精がいると考えられています。どちらも誤って落とすと危険なものですが、わざわざそれを使って妖精が来客を教えてくれていると信じられています。

・新しい家に引っ越したら、まず家の中に猫をいれないといけない。
 猫は悪いものを見つけてくれるとされています。そして見つけてくれるだけでなく、悪いものを追い出してくれるとも言われています。だから新居には猫をいれます。

・家や車などの高価な買い物をしたときには、購入者は友人や近所の人にお酒をふるまう。
 昔は神父さんが聖水でお清めをしていたところから始まるのですが、今では水がお酒になり、ふきかけるのではなく、皆のお腹の中におさめられる様になりました。この風習、僕はとっても好きです。

・女の子は机の角に座ると結婚できない。
 テーブルに座ってはいけないというマナーを教える理由があるでしょう。

・市電の乗車券の6桁の数字を3・3に分けたとき、それらの数字の和が同じ数になったら幸運が訪れる。
 現在は乗車券が変わってしまったので古い迷信ですが、揃うと奇跡のようでした。幸運が訪れるように皆、その切符を食べました。

・手のひらがかゆいとお金が入ってくる。

・鼻先がかゆいとお酒が手に入る。

 これらは子どもだけが信じているものではありません。大人も子どもも皆、信じています。親が子どもに危ないからという理由やマナーでという意味での迷信もあるでしょう。私も子どもの時にだけ信じていた迷信があります。「マンホールを踏むと不吉」は今思えば、道路事情を考えてのことでしょう。「洋服を裏返しに着ると誰かに殴られる」はきちんと服を着なさいという意味でしょう。裏返しに着て殴ってくるのはきっと誰でもなく両親ですから。
 このように私たちの生活の中には、迷信が数多く存在します。信じるか信じないかは自分次第ですが、迷信はこれからも受け継がれていくことでしょう。
 


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日本にいながらロシアの大学へ!ロシア極東連邦総合大学函館校
ネイティブのロシア人教授陣より生きたロシア語と
ロシアの文化,歴史,経済,政治などを学ぶ、日本で唯一のロシアの大学の分校です。

2017年10月13日

2017ウラジオストクの旅 1

 函館市とウラジオストク市が姉妹都市提携を結び25周年となる今年、極東大学函館校がロシア語市民講座受講生と函館日ロ親善協会会員に呼び掛け、有志による市民訪問団を結成、8月11日(金)から8月16日(水)の6日間の日程でウラジオストク市を訪れた
 訪問団を結成した経緯については学報「ミリオン・ズビョースト/百万の星 第93号」の巻頭言に掲載したが、ここでは旅の様子を詳しくご報告したいと思う。

*  *  *  *  *

<1日目>
 私にとっては8年ぶり、3回目のウラジオストクだった。
1回目は2005年7月、ウラジオストク市建都145周年記念「函館・ウラジオストク友好の翼」訪問団の一員として、当時ウラジオストク航空のチャーター便で函館空港から飛び立った。
 2回目は2009年10月、極東大学本学創立110周年記念式典に参加するため、函館市公式訪問団の一員として富山空港から20人乗りのプロペラ機で日本海を越えた。
 そして今回は成田空港からオーロラ航空に乗る。またまたプロペラ機だ。ちょっと狭くてプロペラの回転音もうるさい。機内ではソフトドリンクのサービスしかないけれど、前回の富山便に比べれば機体も大きいし、3時間弱の旅もまったく問題はない。

 今回の訪問団員は10名、プラス往路は函館からイリイン・セルゲイ校長も一緒だ。昨日は定時まで働き、函館空港から羽田行きの最終便に飛び乗った。品川で1泊し、朝、成田空港の出発カウンターでほかのみなさんと合流する。
 ロシアでクロテンを取材している作家の山口ミルコさんは1日早い便で行ったので、すでにウラジオストクに着いている。ミルコさんは今年2月のはこだてロシアまつりで講演をしていただき、その際「ウラジオに行きましょうよ」とお誘いを受けた。その時点ではまだ旅行は確定ではなかったが、「いや、実は8月に行こうと思っているんですよね」と答えると、わかりました、じゃあ一緒に行きましょう、という展開になった。こういう話をしても普通は社交辞令で終わるもので、実際に行けるとは思っていなかった。ところがミルコさんは本当に参加してくれた。
 

 という訳でミルコさんを除く9名の団員とイリイン校長を乗せたプロペラ機が成田空港を飛び立った。
今回の団員の中にはウラジオにはもう何度も行っている人、ロシアには行ったことはあるけれどウラジオは初めてという人のほか、人生初海外の人が2名いた。だから私は少し緊張したのであるが、それよりも何よりも楽しい夏休み、2月に「行こう」と思いついた旅が、こうして出発まで漕ぎ着けたことにとても満足していた。そして団員のみなさんともどもハイテンションであった。

 

 ウラジオストク国際空港は2012年のアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議開催を機に建て替えられ、とても立派になっていた。売店やカフェテリアなども充実し、以前の古くて狭いビルとは、ずい分違っていた。
 

 旅行会社の送迎車でホテルへ向かう。久しぶりに見る街の様子はそんなに変わっていないようにも見えた。途中、送迎車がガソリンスタンドで給油をした。普通はお客を乗せる前に満タンで迎えに来るのではないのか?と思ったが、ここはロシアだ。そういうこともあるだろう。
 金曜の夕方とあって道路は大変混雑していた。空港から街に向かう私たちとは逆に、週末のダーチャに向かう車で反対車線はもっと混雑していた。

 

 これから5泊するホテルヴェルサイユに到着。昔から泊まってはみたかったが少し高級なイメージがあったので、最初に旅行会社の方からここを提案された時は「高くないですか?」と少し尻込みしたのだが、第一希望のホテルは既に満室であったし、建物が古くなってきたので昔ほど高くないのだそうである。入ってみたら内装は格調高く、そんなに古びてもいなかった。場所的には中央広場から近くどこへ行くにも便利であり、サービスも行き届いている。とても快適なホテルであった。

 チェックインして各自部屋に荷物を置いてからロビーに集合する。先乗りのミルコさんとも合流し、10名の団員がすべてそろった。そこへ3年前にロシア極東大学留学生支援実行委員会の招へいプログラムで函館校に留学していたパニナ・ダリアさんが来てくれた。彼女は極東大学を卒業後、現在はウラジオストクで日本語ガイドとして働いているそうだ。実は滞在中、一緒にランチの約束をしていたのであるが、仕事が入り来られなくなったため、ひと目だけでもとホテルまで会いに来てくれたのだ。本当に5分ほどの再会で、また慌ただしく仕事に戻っていった。それほど忙しい中、わざわざ会いに来てくれてありがとう。勉強した日本語を使ってこのように活躍している姿を見るのは心から嬉しいものだ。

 

 さて、顔合わせも含めてこの日はホテル近くのグルジア料理店「ドゥヴァ・グルジナ」で夕食会を開催した。団員の友人で現在はウラジオストクの商社に駐在する方(しかも函館出身!)がレストランの手配をしてくださった。その方とイリイン校長、団員10名で一つのテーブルを囲み、一人ひとりが自己紹介をした。どうしてロシアに興味を持ったのか、今回の旅で何を目的としているのか、などなど。成田空港から一緒には来たけれど、お互いがまだお互いをよく知らなかった。

 

 今回の旅ではユニフォームとして、今年のロシアまつりで作ったミントグリーンのTシャツを着用した。まつりのテーマが「ウラジオストク」だったこともあり、このTシャツがぴったりだったのだ。
 ちなみにプラ板の手作りでツアーバッチも作った。これは函館の象徴・五稜郭とウラジオストクの象徴・ニコライ2世凱旋門が重なったデザインで、姉妹提携25周年を記念して25の文字をあしらっている。全員出発の時から滞在中はこのバッジを付けて臨んだ。

 

 レストランでは全員がおそろいのTシャツを着ていたので、ロシア人から見たらきっと異様だったと思う。けれど私たちはそれで一致団結して、お互いすっかり打ち解けた。ハチャプリ(チーズパン)、ハルチョー(お米の入った辛いスープ)、シャシリク(串焼肉)、そしてワイン。グルジア料理はどれも美味であった。
 

 ホテルまで、またプラプラと歩いて戻る。夜10時近いというのに人通りは多く、街に活気がある。レストランのすぐそばにはウラジオ出身のロックバンド「ムミー・トローリ」のバーがあった。ムミーのボーカル、イリヤ・ラグテンコは極東大学の出身であり、1999年に函館を訪れ、「日ロック」というイベントを開催したことがある。そのコンサートはNHKで全国放送もされた。ムミーは当時“ロシアのグレイ”と呼ばれたほど人気が高く、今でも健在だ。私たちはバーには入らなかったが、なかなかいいお店で、メンバーも時々訪れるという話であった。

 

 みんながみんな、高揚したまま部屋に戻り、荷解きをして明日からの本格始動に備えた。これから何が起こるか、とても楽しみだ。(つづく)


                

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子


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2017年10月03日

ミリオン・ズビョースト 第93号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第93号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は、大渡涼子総務課長による「2017ウラジオストクの旅」です。函館・ウラジオストク姉妹都市提携25周年を記念し、有志による市民訪問団を結成するに至った経緯や極東大学本学訪問にも触れています。

 そのほか、今号は北方四島交流事業で色丹島と国後島を訪れた学生や、函館市のインターンシップに参加した学生、エカテリンブルグ国際青年キャンプに参加した学生からの投稿もあります。前期から夏休みにかけて様々な体験をしてきた学生たちの成長が感じられます。是非ご一読ください。

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行進曲と有名な作曲家イサーク・ドゥナエフスキーの映画音楽

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度4回目の講話内容です。
テーマ:行進曲と有名な作曲家イサーク・ドゥナエフスキーの映画音楽
講 師:スレイメノヴァ・アイーダ(本校准教授)

 皆さんはロシアの軍歌、行進曲を聞いたことがありますか?
 外国人から見たロシアの音楽へのイメージは悲しい、暗いものが多いですが、ロシア人自身は明るいイメージを持っています。軍歌と聞くと怖いイメージもあるかもしれません。けれど、悲しいこと=戦争ではなくて、明るい未来=平和を連想しているのです。なので、ロシアでは今なお、大きな祭りやパレードではこのような曲が欠かせません。
 行進曲(マーチ)は、「1、2、3、4」と拍を数えます。リズムが決まっています。このリズムは非常に分かりやすいです。もともとは軍歌に多く使われていましたが、映画のメロディにも使われるようになりました。その代表的な曲は名作『チャパーエフ』の「白軍の行進曲」です。これはイサーク・ドゥナエフスキーの音楽です。
 イサーク・ドゥナエフスキーは、様々な歌や行進曲を作りました。有名なものは映画『サーカス』の「登場行進曲」、映画『豊かな花嫁』の「女性の行進曲」、映画『ゴールキーパー』の「スポーツ行進曲」など挙げるときりがありません。ドゥナエフスキーの歌や行進曲は単に映画のサウンドトラックととらえるのではなく、1930年代のソビエトを連想させる、映画作品とは別物として多くのロシア人の心に残るものとなりました。
 ドゥナエフスキーを語る前に、ワシリー・イワノヴィッチ・アガプキンについて少し話しましょう。アガプキンはロシア(ソビエト)の軍楽隊の指揮者、作曲家で、1912年に行進曲「スラブ娘の別れ」を作曲したことで有名です。彼は、1941年11月7日にモスクワの赤の広場で行われた有名なパレードで、複合軍事オーケストラを指揮しました。このパレードで演奏した4曲のうち1曲が「スラブ娘の別れ」でした。
 このアガプキンの影響を受けたのがドゥナエフスキーなのです。
 ドゥナエフスキーの青春時代の1920年代はジャズの時代でした。彼も憧れました。そのため、彼の作ったバレエ音楽にはジャズっぽいところがあります。ドゥナエフスキーは作曲家として、14ものオペラと3つのバレエ、3つのカンタータ、80の合唱曲、80の歌曲、88の劇音楽、42の映画音楽、43の軽音楽オーケストラのための作品、12のジャズオーケストラのための作品、52の管弦楽団のための作品、47のピアノ曲を作りました。
 ドゥナフスキーを有名にしたのは、1934年に公開された『陽気な連中』という映画作品の音楽でした。この作品はロシア語が分からなくてもコメディのため、動きで楽しめるものでしたが、その動きをさらに面白くさせたのは彼の音楽でした。動作に音が、音楽がついていたのです。
その後は、先ほども挙げた『サーカス』や『裕福な花嫁』などの映画で音楽を担当し、行進曲を発表しました。
 もともと行進曲はロシア独自のものではありません。しかし、ロシアの文化と融合してロシア人が大好きなものになりました。大きなパレードで使用するだけでなく、学校で行われる運動会での出し物のひとつとしても人気になりました。昨年のロマンスの話をしたときも思いましたが、私たちロシア人にとって歌は“好き”だけでは表すことができない、切っても切れない関係なのだなと改めて思いました。

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2017年10月02日

2017年極東大学オリジナルカレンダー 10月は?

<10月>ニコライ2世凱旋門(ウラジオストク)

 ウラジオストクのカラベーリナヤ海岸通りとスヴェトランスカヤ通りを結ぶ公園内に、この凱旋門はあります。
 ロマノフ朝、最後の皇帝であるニコライ2世がウラジオストクを訪問したことを記念して建てられたました。
 キラキラとした豪華な装飾は、他の建造物違って少し新しく見えます。それもそのはず、もともと建設された凱旋門はロシア革命後に破壊され、2003年に復元されたからです。
 中心部から少し離れた位置にあること、また公園内にあるということで、ゆっくり見ることができます。
 この写真を撮った時期は紅葉が美しかったですが、新緑の季節に散歩がてら訪れるのも気持ちがいいことでしょう。
 

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