『白痴』について
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第2回目の講話内容です。
テーマ:「『白痴』について」
講 師:イリイナ・タチヤーナ(准教授)
私がなぜドストエフスキー作の『白痴』をテーマに取り上げたかと言うと、この作品の主人公ムイシュキン公爵が好きだからです。『白痴』は難しい話ですけど、皆さんに私の想いを伝えたくて選びました。
「白痴」はどういう意味か知っていますか?意味は愚かな人、世間を知らない人という意味ですね。ここでいう「白痴」は主人公であるムイシュキン公爵を指しています。
それでは『白痴』に触れる前に、まず作者のドストエフスキーについて知りましょう。
彼は1821年、モスクワで生まれました。兄弟が多い家庭でした。そのため彼の父が医師であっても裕福とは言えませんでした。彼が15歳の時に母が、16歳の時に父が亡くなりました。当時は、ソ連時代ではありませんので大学などに行くためには学費を払う必要がありました。ドストエフスキーはお金が無かったので、モスクワの高い学費が払えませんでした。そのため、サンクトペテルブルクに移り、工兵学校に行きました。卒業後は少尉として働きましたがすぐに辞めてしまいます。もちろん、仕事をしなければ収入はありませんので、彼は貧乏でした。補足しますが、彼はギャンブルが好きでした。働いているときもお金が入るとすぐに使ってしまいましたから、借金もありました。彼はただの貧乏ではなく、ものすごく貧乏でした。
そして書いたのが小説『貧しき人々』です。この作品でドストエフスキーの名前は有名になりました。
その後の小説があまり売れなかったのもあり、次第に政治運動に目覚めていきます。1849年、レジスタンスとして仲間と共に逮捕され、ペトロパヴロフスク要塞に収監されました。彼はこの時、死刑判決を受けるのですが刑は執行されませんでした。直前で取りやめになったのですが、人生で一番長い10分間だったそうです。その時の心情は『白痴』にも反映され、描かれています。
刑は執行されなかったので、彼はシベリアに送られて囚人として4年間過ごしました。
出所後は、たくさんの小説を書きました。けれどやはりお金は持っていませんでした。またすぐにギャンブルに使ってしまうのです。でもその経験さえも彼は小説にしました。
彼は2度結婚します。1人目の妻は病気で亡くします。2人目の妻は年の離れた速記者でアンナといいます。アンナとの間には4人子どもをもうけましたが、2人は生まれて間もなく亡くなり、あとの二人も60歳を迎えることなく亡くなりました。彼のギャンブルのこともあり、結婚生活は平穏なものではなかったと思いますが、ドストエフスキーはアンナのおかげで幸せだったと言えるでしょう。
さて、ドストエフスキーが『白痴』で描きたかったのは何でしょう。
『白痴』の主人公ムイシュキン公爵は、無知な人ではありますが、優しく、まっすぐな人柄です。白痴の意味に愚かな人も含まれますが、何も知らない人が愚かな人というわけではありません。ムイシュキン公爵は善の象徴なのです。誰からも愛される人間として描かれています。そして彼が愛した人は美の象徴であるナターリャです。ナターリャのことを同じように愛し、彼のライバルになるのがロゴージンです。
今日は、最後に彼らの出会いとそして作者のドストエフスキーが体験した処刑間際の描写について映像で触れてみましょう。
映像は2003年にロシアでドラマ化されたものです。
私はドストエフスキーの作品が好きですが読むと少し気持ちが暗くなります。それは映像を見ても分かるように考えさせることが多いからです。でもこれはとても良いことです。皆さんも、本を読むのが難しかったら映像でいいですから、ぜひ見てください。