シベリアタイガの暮らし
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第5回目の講話内容です。
テーマ:「シベリアタイガの暮らし」
講 師:イリイン・ロマン(本校講師)
みなさんは、シベリアとはどこの地域のことか分かりますか?
(地図を見ながら)ウラル山脈から右側全て、というのは間違いで、今はウラル山脈からアムール川の間をシベリアと言います。この広い地域は日本の面積の30倍ありますが、人口は600万人しかいません。人口密度に換算すると1平方キロメートルに2人しかいません。
今日はこのシベリアの中でもモンゴルから流れるエニセイ川を北に1,000㎞進んだ小さな村、バフタに住む人々について話をします。
バフタの人口は300人ほどです。近くの駅は700km先にあります。車が通れる道もありません。電話もインターネットもありません。村には週に1回ヘリコプターが来るだけです。
この300人の人口のうち、50人位が公務員として働いているだけでほとんどの人(男性)の仕事は主に狩猟です。捕まえた動物の毛皮を売って生活します。しかし、その狩猟の期間は11月~2月までと決まっています。なぜなら、夏に捕まえてもその動物の毛の質は良くないため、売り物にならないのです。また、そうしておくことで極端に動物の数が減ることもなく、動物の毛の質も美しく温かいものが手に入るのです。
夏の間は、冬の狩猟の準備期間です。雪の中を移動する、スキー板を作ったり、丸木舟を作ったりします。森の中で、ちょうどいい木を見つけて毎年作ります。そのため、楔とまさかりは必需品です。この夏の時期の問題は、虫です。森の中にはブヨや蚊といった虫が多く存在します。作業に集中できないくらいです。薬は白樺の木の皮をいぶして作ります。すごく臭いですが、ここで生活する人は子どもも皆、我慢して全身に塗ります。すべては冬のためです。
冬に仕事をスムーズに行うために、森の中に1,000個以上の罠を仕掛けます。広い森の中で猟をするために、森の各所に生活できる小屋もあります。夏はこの小屋の整備もしなくてはなりません。この地域は4月でも雪が降ります。その降った雪の重みでつぶれた屋根を直したり、壊れた窓を修理したりします。窓は、あえてガラスを使いません。ビニールを使います。それは熊による被害を大きくしないためです。食べ物を探しに熊が小屋に来て暴れます。ガラスだと破片が飛び散り、始末が大変ですがビニールであれば張り直せばいいのです。小屋はいわゆる丸太小屋です。森にある木を使います。丸太と丸太の隙間は苔で埋めます。
小屋の修理のほかに食糧を蓄えます。作った丸木舟をエリセイ川に浮かべ、釣りをします。たくさんの魚を釣って、それぞれの小屋の近くの食糧庫に置いてまわります。食糧庫は熊に見つからないように高いところに設置します。その根元にはビニールを巻き、ネズミが登れないようにします。こうして、安全に食糧を保管し、冬に備えます。冬は家から離れ、この小屋を行き来して生活するのです。
シマリスが松ぼっくりを蓄えはじめると秋が来た知らせです。住民たちも、木の実を取ります。森の恵みです。秋は短く、すぐに冬がやってきます。
川が凍り、雪が積もり、冬になるとしばしの間家族に別れを告げ、森に向かいます。森までは凍った川の上をスノーモービルで走ります。夏の間に準備したスキーを履き、森の中の仕掛けを確認し、小屋で寝泊まりします。唯一、家に帰るのは12月31日だけです。スノーモービルを走らせ、何十kmも離れた家に向かいます。狩りのパートナーである猟犬も家族です。一緒に帰ります。そうして、少しの休暇を取ったあと、彼らはまた森に戻っていきます。
彼らの生活はシベリア タイガとともにあるのです。
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