2016年8月27日(土)から9月3日(土)の8日間、ロシアを代表する2大都市、サンクト・ペテルブルクとモスクワを訪れた。学生3名がJT夏季休暇短期インターンシップに参加するのに同行したのである。
私は極東のウラジオストクには2度行ったことがあるが、ロシア西側を訪れるのは初めてである。ここでは仕事以外の旅行記として、見聞きしたこと、感じたことをお伝えしたいと思う。
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<1日目>
今回の旅行は東京のJIC旅行センターに手配をお願いした。ロシアに行くには経験豊富なロシア専門の旅行会社が心強い。チケットとともにさまざまなグッズが送られてきた。パスポートケースやネームタグなど、どれもマトリョーシカがモチーフで、とてもかわいらしい。これだけで「ロシアに行くぞ!」という気分が盛り上がってしまう。
成田空港12:00発のアエロフロート機で、まずはモスクワに向かう。ブルーが基調の機内で、あざやかなオレンジ色の制服を着たロシア人CAがにこやかに出迎えてくれる。あまりににこやか過ぎて、ロシアもずいぶん資本主義化されてきたのだなあ、と面食らってしまった。
日本人には英語であいさつしてくれるが、ロシア語で返すと以後はロシア語で話しかけてくれるので、飲み物や食事の注文はロシア語でトライする。
私にとって10時間以上の長いフライトは初めてだ。日本とモスクワの時差は6時間で、途中2回機内食が提供される。この日の昼食はお寿司が入った魚料理、夕食はパスタであった。メインディッシュが肉か魚は選べる。
ユーラシア大陸上空、窓から見える景色はほとんどが広大なタイガ、その間を縫うようにうねる川。川が渦を巻いている。果てしなく続く同じ景色に、江戸時代の漂流民 大黒屋光太夫はこのタイガを何年もかけて渡り、ペテルブルクを目指したのかと思うと気が遠くなりそうだ。
現地時間16:10にモスクワ・シェレメーチェヴォ空港到着。ペテルブルクのプルコヴォ空港行きに乗り換えるため国内線のターミナルを探すが、乗り換える人は少ないのか、少しわかりづらい。「本当にここでいいのか?」と不安になる暗いドアをくぐりパスポートコントロールを経て、ようやく搭乗口にたどり着く。
天気は良かった。西日が射し込む時間となり、待合ロビーにはビールを飲みながらゆったりと搭乗を待つ人々。移動でセカセカする日本人とは違う光景に、ロシアにいることを実感する。
ペテルブルクまでは2時間10分の搭乗であったが、ここでも軽食が出た。スモークサーモンとチーズをはさんだ黒パンのサンドイッチはおいしかったが、なんだか狭いところで食べてばかりで、ブロイラーの鶏のような気持ちになる。
プルコヴォ空港に到着すると、現地ガイドのリーヤさんが私たちを出迎えてくれる。外は暮れなずみ、空気が寒々しい。リーヤさんに“Здравствуйте!(こんにちは) ”と元気よく挨拶すると、発音がいいとほめられた。しかし“Спасибо(ありがとう)”を「スパシーバ」と発音すると、ペテルブルクでは「スパシーボ」と発音してください、モスクワのようにバ、バ、なんて汚い発音はしません!と以後何度も注意される。実際には街では「スパシーボ」と明確に発音する人には出会わなかった気がするが、リーヤさんのペテルブルク愛は強く感じた。
ペテルブルクでの宿泊先はアレクサンドル・ネフスキー大修道院の向かいにあるホテルモスクワ。ソ連時代からある外国人向けのホテルで、地下鉄プローシャチ・アレクサンドラ・ネフスカヴァ駅と直結、地下には何でもそろう24時間スーパーがあり、便利なところであった。2階には郵便局もある。部屋にはテレビと金庫以外、時計もなく簡素であるが清潔で快適。チェックイン時にフロントでパスワードをもらうとすぐに部屋でWi-fiが使えるようになる。
部屋に荷物を置いたら早速24時間スーパーで水やチーズなど簡単な食料を買う。日本はもう明け方の4時頃だと思うが、時計を巻き戻して移動しながら与えられたものを食べ続け、気分も高揚しているので時間の感覚がわからない。だけど身体は疲れているに違いない。明日の準備をして、ベッドに潜り込む。明日から本格的にペテルブルクの旅が始まる。
そして、ペテルブルク観光をする前にぜひお勧めしたいのが、NHK Eテレの「テレビでロシア語」を見ていくこと。 “魅惑のサンクトペテルブルクをめぐる旅” をテーマに、世界遺産や街の人気スポットを訪れて、旅で役立つフレーズを勉強するシリーズ。私は出発前に、録りためたもので集中的に勉強してから行ったのだが、ロシア語のフレーズはもちろん、観光ガイドとしてもとても参考になった。このシリーズは10月からまた再放送があるので、ペテルブルクを訪れたいと思う方はご覧になるとよいでしょう。(つづく)
ロシア南部のアストラハン国立大学で日本語講師をしている卒業生・長谷川里子さんがブログ「グータラ猫のアストラハン日記」を始めました。
長谷川さんは以前、ウラジオストク本学の日本語講師をしている間の2006年10月~2009年3月、この「極東の窓」に「グータラ猫のウラジオ日記」を連載していました。
カスピ海沿岸アストラハンでの奮闘の日々、ぜひご覧ください!
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度4回目の講話内容です。
テーマ: ロシアのロマンスと映画
講師:スレイメノヴァ・アイーダ(本校准教授)
ここでいう「ロマンス」というのは、ロシアにおいての新しい歌謡のジャンルです。ロシア人は年齢を問わず、「ロマンス」が好きです。この新しい都会的な叙情歌謡はギターとピアノなしでは語ることができません。
ロマンスには2つの種類があります。ひとつはワルツ、ポロネーズといった西ヨーロッパの舞踏形式のもので、もうひとつは6度の下行音程を過剰に利用した感傷的な旋律様式を備えているものです。
さらに言えば、19世紀に作られた曲は少し悲しく歌うものでしたが、20世紀に入ると少し明るく歌うものになりました。
日本でも知られる、「トロイカ」、「赤いサラファン」、「ステンカ・ラージン」などロシア民謡の多くは「ロマンス」、ロシア・ロマンスの様式です。
それでは、これらに該当するものをいくつかを紹介します。
・ギターの演奏 『二つのギター (Две гитары)』
・サロンのアリアとロマンス 『赤いサラファン (Красный сарафан)』
・歌とロマンスの間 『長い道を (Дорогой длинною)』
それでは、次にこのロシア・ロマンスというジャンルを語る上で欠かせない作曲家イサーク・シュワルツについてお話しましょう。
彼はレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)でピアノを習いはじめ、1935年にはレニングラード・フィルハーモニー交響楽団との共演でコンサートデビューをしました。彼の音楽人生は華々しくスタートしたかのように見えましたが、父親が逮捕され、一家はキルギスへ追放されました。シュワルツは音楽を続けることが経済的にも難しい中、個人的に勉強を続け、伴奏者として働いて収入を得ていました。その地道な生活の中知り合ったショスタコーヴィッチの援助もあってレニングラード音楽院に入学することができ、1951年無事卒業しました。彼はその後130本以上の映画音楽を作曲し、中でも黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(1975年)は代表作の一つとなりました。
もちろん彼の曲はたくさんありますから、有名な曲はまだまだあります。
『デルス・ウザーラ』のほかに、有名なものを四つ例に挙げます。聞いてみましょう。一つ目はプーシキン・アレクサンドルをモデルにした映画で使われた曲です。二つ目はナロードニキ文化のもの、三つ目はトルコ戦争時代のロマンス、最後に挙げるのは、政治や歴史を重要なテーマにしているのではなく、「愛と別れ」をテーマにしたものです。これらは帝国時代に関する映画で、ロシアの帝国ロシア文化史に憧れて作曲したと言われています。
さて、『デルス・ウザーラ』の話をしましょう。この作品はソ連と日本の合作映画です。沿海地方に住む人々にとって、今でも思い入れの強い作品です。監督の黒澤明は、この映画の舞台となった沿海地方に対して憧れを抱いていたといいます。ロシアと言えど、ここに生息する植物や動物は特殊です。シベリアの大自然に黒澤明も魅了されたのでしょう。
この映画は厳しい自然に立ち向かう場面もあり、ロマンスを感じるのは難しく思うかもしれません。しかし、長い映画の中には温かいシーンもあるのです。人と人とが出会い、心を通わせていく場面です。また、別れなどの悲しい場面もあります。音楽とは映画をより引き立たせるものです。
ぜひ、全編を通して一度見てください。この映画の中でシュワルツ風のロマンスに触れることができるでしょう。
明日はグルメサーカスです!
以前も告知しましたが、函館日ロ親善協会が今年も参加します。
場所は、大門グリーンプラザ(マルハン函館大門店の横)、『開港都市と姉妹都市のひろば』のブースの7番です。詳しくは下記の地図、もしくは公式ホームページをご覧ください。
今日までぐずついたお天気でしたが、明日と明後日は晴れの予報!!
この日のためにメニューの看板も新調しました。チェブラーシカが目印のカラフルな看板です。
毎年、好評につき開店と同時に長蛇の列になりますので、その際は『最後尾』と書かれた看板を持った係員の指示に従ってお並びください。
写真の表情は固いですが、当日は笑顔で心より、みなさまのお越しをお待ちしております!
年に一度開催される、はこだてロシアまつりは開校3年目の1998年から開催し、来年2月11日(土)が19回目となります。
毎年恒例のTシャツは、「おそろいのスタッフTシャツを作りたい!」という学生の発案で、2001年の第4回から作成しています。
ここで、歴代Tシャツについて振り返ってみましょう。
<第4回 2001年11月10日>
まつりTシャツにはめずらしいバックプリントです。黒地に白いプリントで第4回の4をあしらい、ロシア語で“ロシアまつり 2001年11月10日”と書かれたシンプルなもの。
左胸にはДВГУ=極東国立総合大学(当時)の略称が書かれています。
スターバックスコーヒーのご当地限定タンブラー、右がちょっとふっくらしたロシアバージョン、左はおすましのサンクト・ペテルブルクバージョンです。
「世界一かわいい!」と評判になるのもわかりますね。
ロシアの9月1日は「知識の日」と言って新学期が始まる日でもあります。1年生の女の子は白いリボンを頭に飾り、花束を持って登校して先生に渡すのが習わしです。
モスクワ大学の正面入り口にも横断幕が掲げられています。“С началом нового учебного года!”(新学期おめでとう!)
モスクワで一際目を引くスターリン・クラシック様式と呼ばれる7つの建物は1950年代に建築されたものですが、いまだに偉容を誇っており、その中でもモスクワ大学は最大の建築物です。
モスクワのメトロやバスで使えるICカード、上は通常のものですが、下のものは新学期を祝って「9月1日おめでとう!」の文字とリュックサックのイラストが。かわいいですね。