ロシア革命―その理由と結果
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第1回目の講話内容です。
テーマ:「ロシア革命―その理由と結果」
講 師:デルカーチ・フョードル(本校副校長)
ロシア革命はどうして20世紀最大の出来事であるか?私自身はくだらないと思ったけれど、世界が大きく変わった出来事であることは間違いありません。よく10月革命と言いますが、1期でできたものではありません。見方によっては正反対の意見が出るなど、いろいろな考え方があります。
1905年、日露戦争後に起こった革命は“未完成革命”、1917年2月が“ブルジョワ革命”、1917年10月が“社会主義革命”と呼ばれています。ソビエト政権が樹立されたとされる11月7日(ロシア暦10月25日)が革命の日、後に国民調和の日となりました(現在は祭日ではありません)。
革命の要因には国内と国外、二つの要因がありました。すべて外国が悪いというわけではなく、半々です。反乱と革命は違います。反乱はプログラムを持っているわけではありませんが、革命は国の制度を変えるものです。国を変える道は、「進化と革命」です。
1813年、大英帝国とロシア帝国の対立が始まります。これをグレート・ゲームと言います。イギリスは南下政策を進めるロシアにインドを奪われる心配がありました。そのため、“ロシアの柔らかい腹”と呼ばれる中央アジアに軍事・経済の拠点を置く必要がありました。
1861年に行われた農奴解放改革は未完成なものでした。工業生産部門の未熟や工業関連教育機関の不足、新階級インテリゲンチャの台頭などが原因でテロ活動が頻繁に起き、1881年、テロ事件で皇帝アレクサンドル2世(在位1855-1881年)が暗殺されてしまいます。
アレクサンドル3世(在位1881-1894)の時代になると、テロ活動に対し、取締りの強化が行われるようになります。それに伴い平和な世の中となり、工業生産の発展・シベリア鉄道の建設などシベリア・極東地域の活性化が図られます。しかし、工業の発展とは逆に社会体制の不備などに対し、人々の不満が募ります。対外関係も悪化し、英露グレート・ゲームの深刻化や国際共産主義運動が高まっていきます。
次のニコライ2世(在位1894-1917)の時代になるとアメリカと日本がグレート・ゲームに参加します。1905年日露戦争の収束とともに、第一革命が起こります。そして第一次世界大戦のさなか、1917年に二月と十月、二つの革命が起こります。
その後、ロシアにおいては帝・聖・官の勢力に対し、レーニン、トロツキーらのインテリ層とスターリンらのプロレタリア層が対抗し、ソビエト時代へと移っていきます。
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