アドミラル・パンテレーエフの入港 2
16日(土)と17日(日)に行われた一般公開では、金属探知機による持ち物検査なども行われ、検査を受けた後は自衛隊が用意したバスでなければ船に近づくことはできないなど、厳しい管理体制が敷かれた。そのため会場周辺は交通渋滞を起こし、検査を受けるまでに1時間、検査を受けて見学するまでさらに1時間の長い行列に並んだそうだ。初日は1,900人、二日目は激しい雷雨の中、1,400人もの市民が訪れたというから、ロシア艦船公開という、滅多にない出来事に対する人々の興味は相当なものだったと言えるだろう。
16日(土)の夜、パンテレーエフで行われた艦上レセプションには、函館校の教職員が招待を受けた。船の上は、お料理も音楽もまさにロシア。甲板の上には花柄の絨毯が敷かれ、おいしいザクースカ(おつまみ)をいただきながら、楽しく歓談する。ともに制服に身を包んだ海上自衛隊とロシア海軍が杯を交わす。なんていい光景だろう、こんな様子を私のような一般人が目にするなんて、20年前には考えられなかったことだ、と感慨に耽る。途中、生バンドに合わせて合唱やダンスが披露される。ロシアの歌のほか、「さくら」や「ふるさと」などを、非常に美しい日本語で歌う。また、ロシア伝統の「水夫の踊り」を本物の水夫さんたちがコミカルに踊り、場を盛り上げる。お客さんを楽しませようとするロシアのホスピタリティを強く感じた。
翌17日(日)の夜に行われたあまぎり主催の艦上レセプションでは、鏡開きが行われ、天ぷらやお寿司といった日本料理がふるまわれた。居合道・剣道・空手などの迫力ある武道展示が行われ、隊員たちが日ごろの訓練の成果を披露した。ロシア側の歓迎アトラクションとはずいぶん趣が違う、これもお国柄の違いということか。
今回、私たちロシア極東大学は関係各所からの要請を受け、教員が公式行事で通訳を務めたり、学生3名が市内見学や交流の際のボランティア通訳として協力した。
セーラー服を着た、まだ若い水兵さんたちは、なかなか外出する機会を得なかったため、18日(月)に行われた市内見学の日には大いに楽しんだようだ。函館校の学生は、大沼で行われたバレーボール交歓試合に同行する者と、市内史跡研修に同行する者とに別れた。海上自衛隊対ロシア海軍がバレーボールで友好を深めるなど、なんと楽しいことだろう。終わったあとは、北海道名物・ジンギスカンの食べ放題で、仲良く鍋を囲んだそうだ。
史跡研修のグループは五稜郭や函館山、ハリストス正教会など、市内をバスで巡り、学生がその時々で通訳をした。聞いた話では、水兵さんたちは年齢も近く、ロシア語を話す日本人学生をたいそう歓迎してくれたそうで、学生たちも「めっちゃ楽しかったです!!」と言って戻ってきた。このような貴重な経験ができるのも、函館ならではのことだと思う。
19日(火)出航の朝、8時前に関係者が埠頭に集合した。パンテレーエフとあまぎり、並んで係留された船では、それぞれに乗組員たちが朝の仕事を行っていた。私たちはパンテレーエフ艦上で行われた朝礼に呼ばれた。函館ハリストス正教会のニコライ神父が祈祷を行い、旅の無事を祈る。334人もいる乗組員が一糸乱れず整列する中、ソコロフ司令官からロシア極東大学や函館日ロ親善協会、ハリストス正教会などに対し、感謝の言葉が述べられた。「函館に入港することができ、何事もなく友好的に時を過ごすことができたのは、みなさんのおかげだ。函館はウラジオストクと街並みが似ている。是非また来たい。」
その後、司令官自らが船内を案内してくれ、ミサイル設備などの説明を受ける。船の寄港中、とても楽しかったけれど、やはりこの船は軍艦なのだ。常に非常時を想定している。だけど、このミサイルが人に向けて使われることのないことを、心から願う。
司令官から最後に、在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所のブロワレツ所長に対し、アンドレイスキー・フラグが贈られた。船から降りて、関係者が見守る中、ゆっくりと離岸するパンテレーエフの艦上には、多くの乗組員が等間隔に並び、帽子を回して別れのあいさつをしていた。海上自衛隊も同じくそれに応える。私たちは、先ほど司令官にいただいたアンドレイスキー・フラグを広げ、まっすぐウラジオストクに戻るという船を見送った。
今回の交流でつくづく感じたこと、それは同じ海を間に向かい合うもの同士、海を愛する心と自国を守り平和を願う気持ちは同じだということ。願わくは、日ロの友好が永く続きますように。(おわり)
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