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2010年12月24日

アドミラル・パンテレーエフの入港 1

 ロシアの軍艦が115年ぶりに函館港に入港した。115年前といえば、まだ日露戦争前のこと、日本の元号は明治、向こうは帝政ロシア時代のことだ。
 通常、海上自衛隊との共同訓練などに伴い、外国軍の船が日本の港に入ることはあるが、今回は訓練を行う予定はない。入港の目的は親善友好、寄港地を函館とした理由はロシアと歴史的なつながりが深いこととされたが、迎え入れる函館側は突然の事態と事前の情報が少ないことに困惑した。
 寄港を許可した函館市に対する反対の申し入れは60団体にも及んだという。警備面での不安など、さまざまな問題も指摘された。
 しかし、来ると決まれば関係者一団となって受け入れ準備を進めなければならない。対潜大型哨戒艦「アドミラル・パンテレーエフ」はウラジオストクを母港とする、ロシア海軍太平洋艦隊所属の船。横須賀などに入港した実績はあるが、ロシアの軍艦が北海道に入るのは旧ソ連時代以降、はじめてのことなのだ。
 5日間の入港中は、アメリカなど他国に対するよりも厳重な警備が敷かれた。岸壁の1キロメートル手前にゲートが設置され、そこから先、関係者以外は船に近づくことはできなくなった。

 10月15日(金)の朝、海上自衛隊と協力して、函館日ロ親善協会が入港歓迎行事を開催した。埠頭には在京ロシア大使館の武官や防衛省海上幕僚監部の担当者なども集まり、制服を着た人々がずらり。物々しい雰囲気となった。
 いよいよパンテレーエフが入港する時刻となり、堤防を越えて船が函館湾に入ってきた。曇天の下、もくもくと煙を噴き上げ、近づいてくる様は少し時代遅れな気もしたが、私はこれから起こる未知の出来事に対し、まるで黒船襲来を受けるような心持ちになった。続いて海上自衛隊の「あまぎり」が入港。あまぎりは舞鶴港から来た今回のホストシップであり、パンテレーエフより二回りほど小さな護衛艦だったので、パンテレーエフの大きさが一層際立った。大湊から来た海自の音楽隊もスタンバイし、日本側の受け入れ態勢は整っていた。

 軍艦には色々な旗が掲げられている。一つひとつ意味を尋ねると、大佐が乗っているという印の旗、水先案内人が乗っているという印の旗など、船が今どのような状態なのかが瞬時にわかるような仕組みになっているそうだ。
 ロシア海軍の旗は白地に青で対角線が引かれた「アンドレイスキー・フラグ」。またの名をアンドレイスキー・クレスト(アンドレイの十字架)と言い、キリストと同じ十字架で処刑されるのは恐れ多いといって斜めにした十字架で処刑された聖アンドレイにちなんだ旗だとか。この旗をなびかせ、接岸した船を、海上自衛隊や我々関係者も、整列して出迎えた。両国の隊員が協力して船をつなぎ止め、船ばしごを渡す。ロシア軍の上陸という見たことのない光景に緊張感が漂う。

 司令官のソコロフ・ビクトル大佐が降りてきて、歓迎行事が始まった。花束贈呈や互いの挨拶、写真撮影などを行い、行事は30分ほどで終わった。多くの報道陣が押し寄せ、ロシア艦船入港への関心の高さを伺わせた。
 その後は、艦上昼食会や函館側への表敬訪問などの公式行事が行われた。(つづく

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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