ロシアで感じたアジア三カ国
中でも中国人のルームメイト、韓国人の友達とは、毎日ずっと一緒にいた。“同じ釜の飯を食う”ではないが、朝ご飯以外はいつも一緒に食べたし、授業後は皆でどこかに行ったり、たわいもない話で夜を過ごしたり・・・。本当に友達以上であり、家族同然の仲間になった。
彼らと常に共にしている時間が多ければ多いほど、彼ら自身から見てとれる“その国”を感じる事ができたし、きっと私からも“日本”という国が見てとれたのではないかと思う。例えば、日本の炒飯は、ご飯と玉子を一緒に炒めるのが普通だが、中国流は、玉子を初めに炒め、フライパンから取り出し、次に野菜を炒め、取り出し、最後に全部を一緒に炒める、という方法。韓国人に至っては、“パリパリ(早く早く)文化”なので、中国人のやり方にもどかしさを感じていた。
夜ごはんが終わると、毎晩皆でいろいろな話をした。話の多くは将来の話。各国共通していたのは、やはり“就職難”という現実。やりたい事があってもさせてくれない社会。国は違えど、同じ悩みを持つ者同士であった。話していると、まだ10代、20代なのに、しっかりした考えを持っていて、“果たして今の日本の若者はここまで考えているのだろうか?”と、日本人として恥ずかしい時間でもあったし、私達には、まだ多くの可能性があることも実感した。
今までいろいろな国でロングステイを経験しているが、ここまで帰りたくない事はなかった。新潟に着いても、心にぽっかり穴があいたような空虚感。帰国をして数日しか経っていないのに、何回電話をしただろう。何回会いたいと、淋しいと思っただろうか。
彼らが私に与えてくれた1カ月間はかけがえのない思い出になり、彼らは私にとって大切な大切な宝物になった。そして、世界にいる、会いたい、会わなければならない人が、また増えた1カ月間であった。
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