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2010年10月29日

ロシア人留学生と対面式

 今年もロシア人留学生が函館校にやってくる季節となりました。函館校の日本人学生たちも、この時を心待ちにしています。
 今まではウラジオストクから新潟空港に入り、JRで函館まで来ていましたが、今年から経路が変わり、ソウル経由で函館まで飛行機で着いた留学生たちは、空港からまっすぐ函館校へ。そこで自治会主催の対面式が行われました。

 自治会役員を代表し、ロシア語科2年の山上真季さんが「函館でできることはすべて行い、すべて吸収して帰ってほしい。そのために私たちも協力します」とあいさつ。お互い自己紹介し、趣味や函館の印象について話した後、全員に歓迎の花束が贈られました。

 ちょうどこの日はナザロワ・オクサーナさんの20歳の誕生日。2日前に21歳になったシラコラデュク・イリヤさんと合わせて、自治会が用意したケーキでお祝いしました。学生たちはすぐに打ち解け、学校周辺の散策へと出かけていきました。


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2010年10月27日

盲目の詩人・エロシェンコ

 一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第4回目の講話内容です。
 
テーマ:「盲目の詩人・エロシェンコ」
講 師:アニケーエフ・セルゲイ(本校教授)

 エロシェンコ・ワシーリーと言っても、ご存知の方は少ないでしょう。大正から昭和初期にかけての童話作家・詩人で、親しい人の間では“エロさん”と呼ばれていました。肖像画(中村つね画・東京国立近代美術館蔵)を見ると、まるで赤鬼のような風貌です。彼の歩んだ苦難の人生と、それに対する怒りが色濃く投影されているのでしょう。それでも、彼の何者にも屈しない孤高の精神は、作品として今でも輝きを放っています。
 彼の名前が知られるようになったのは1920年代以降のことでした。1914年に来日し、東京を中心に活動しました。当時東京には多くの芸術家・作家・音楽家が集まっていました。

 エロシェンコは、1890年1月12日、ロシア南部クルスク県(現在のべルゴロード州)のオブホフカという小さな村で生まれました。4歳のとき、はしかの高熱により失明し、9歳でモスクワ盲学校に入学しました。この学校は退役した陸軍大佐が校長でしたので、大変厳しく閉鎖的でした。教師から理不尽な虐待を受けるうちに、反骨精神が養われました。ここで学んだ9年の間、自宅に戻ったのは、たった1回だけでした。
 卒業後、モスクワの盲人オーケストラに入り、レストランなどで演奏していました。その店に時々来ていた婦人から才能を見込まれ、ロンドンの盲人師範学校で正式に音楽を習うよう進められたのですが、外国語ができなかったため、エスペラントを教えられました。1912年2月、イギリスへ渡り、音楽と英語を学びましたが、イギリスの規律は厳しく、亡命中の革命家・クロポトキンを訪ねるなどしたため、エロシェンコは放校になりました。

 一旦故郷に戻ったエロシェンコは、日本では盲人もみなマッサージなどをして自活していると聞いて、1914年4月に来日し、雑司が谷にある東京盲学校に入学し、そこで指圧を勉強します。在学中はバラライカを弾きロシア民謡を歌うなどして人懐こく、劇作家・秋田雨雀らと親しくなります。さまざまな文化人と出会い、創作意欲をかき立てられたエロシェンコは、「早稲田文学」などに詩や童話を発表するようになります。それは口述筆記で書かれた作品でしたが、思想家・大杉栄やジャーナリスト・神近市子、新宿中村屋の創業者・相馬黒光などに認められるようになりました。
 また、あちこちの講演会でエスペラントで思想問題を話しては人気を博したと言います。1916年にはタイ・ビルマ・インドを旅し、ビルマでは盲学校の教師を務めたりもしましたが、インドで国外追放となり、日本に舞い戻ります。
 
 ビルマ滞在中の1917年、エロシェンコが28歳のとき、ロシア革命が起こります。そのため彼は、ますます階級社会のひずみに義憤を抱くようになります。その精神は作品にも影響を与え、例えば、王女と漁師の悲恋を描いた「海の王女と漁師」という童話にも、無政府主義的な思想がありありと反映されています。それだけならプロレタリア文学や、ある種の障害者の文芸として画一的に見られる恐れがありますが、彼の場合は、登場人物のふとしたしぐさの中に深い人間心理の機微などを描き出しています。また、支配者側を糾弾するばかりでなく、「せまい檻」という童話では虎や羊に託して、小市民の奴隷根性に嫌悪と悲憤を示しています。

 1912年、32歳のとき、メーデーに参加し、ソ連のスパイではないかという嫌疑を受けて、ウラジオストクへ国外追放となります。共産主義者への弾圧の風が吹き荒れてくる時代でした。しかしエロシェンコは東シベリアのチタから北京へ向かい、作家の魯迅などとも親交を結びます。その後、東南アジアを放蕩したり、ヘルシンキの万国エスペラント大会に出席するなどしてロシアに帰国します。大変な行動力です。彼はそのことを「自然にあこがれながらも大都会ばかりをさまよい、悲惨な現実を見せつけられた」と振り返っています。有名人好きのようなところもありますが、その時々で手を貸してくれる人を見つけるのがうまかったのでしょう。

 日本に滞在したのは10年ほどでしたが、日本語のうまさは誰もが舌を巻くほどであったそうです。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)よりも日本人らしかったとも言われています。日本の児童文学に新風を吹き込んだ貢献度から、日本文学全集に収められている例もありますが、まさしくその発想を育んできたのはアジアであると言ってよいでしょう。日本に来てから才能を開花させているところが、私たちには誇らしくもあります。
 帰国してからはあまり認められず、不遇のうちに亡くなりましたが、心配にはおよびません。教師や音楽家になった同級生たちが歴史の闇に消えていったのに比べて、エロシェンコはこうして何十年も経ってから私たちの胸に鮮やかによみがえってきます。芸術にとってそれほどの誉れはありません。
 近年になってようやくロシア語やウクライナ語でも作品集が出版されていますが、数は多くありません。多くの作品は日本語で残っています。機会があれば、その作品に触れてみてください。

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2010年10月20日

ロシアで感じたアジア三カ国

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 ウラジオでの生活は、一言で言えば“アジアとの交流”。何故ウラジオで?そう思うかもしれないが、私は1カ月だけの留学期間を、日本人との交流を少なくし、なるべく多くの外国人と交流を持とうとした。

 中でも中国人のルームメイト、韓国人の友達とは、毎日ずっと一緒にいた。“同じ釜の飯を食う”ではないが、朝ご飯以外はいつも一緒に食べたし、授業後は皆でどこかに行ったり、たわいもない話で夜を過ごしたり・・・。本当に友達以上であり、家族同然の仲間になった。

 彼らと常に共にしている時間が多ければ多いほど、彼ら自身から見てとれる“その国”を感じる事ができたし、きっと私からも“日本”という国が見てとれたのではないかと思う。例えば、日本の炒飯は、ご飯と玉子を一緒に炒めるのが普通だが、中国流は、玉子を初めに炒め、フライパンから取り出し、次に野菜を炒め、取り出し、最後に全部を一緒に炒める、という方法。韓国人に至っては、“パリパリ(早く早く)文化”なので、中国人のやり方にもどかしさを感じていた。

 夜ごはんが終わると、毎晩皆でいろいろな話をした。話の多くは将来の話。各国共通していたのは、やはり“就職難”という現実。やりたい事があってもさせてくれない社会。国は違えど、同じ悩みを持つ者同士であった。話していると、まだ10代、20代なのに、しっかりした考えを持っていて、“果たして今の日本の若者はここまで考えているのだろうか?”と、日本人として恥ずかしい時間でもあったし、私達には、まだ多くの可能性があることも実感した。

 今までいろいろな国でロングステイを経験しているが、ここまで帰りたくない事はなかった。新潟に着いても、心にぽっかり穴があいたような空虚感。帰国をして数日しか経っていないのに、何回電話をしただろう。何回会いたいと、淋しいと思っただろうか。
 彼らが私に与えてくれた1カ月間はかけがえのない思い出になり、彼らは私にとって大切な大切な宝物になった。そして、世界にいる、会いたい、会わなければならない人が、また増えた1カ月間であった。

ロシア極東国立総合大学函館校 ロシア語科2年 山 上 真 季

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2010年10月15日

ロシア対潜大型哨戒艦「アドミラル・パンテレーエフ」一般公開のお知らせ

 ロシア太平洋艦隊(司令部・ウラジオストク)所属のロシア対潜大型哨戒艦「アドミラル・パンテレーエフ」が10月15日(金)~19日(火)の間、親善友好目的で函館港に入港します。公式歓迎行事のほか、  下記のとおり、市民向けの一般公開が予定されています。また、海上自衛隊の護衛艦「あまぎり」も歓迎のため派遣されます。
 ロシア艦船の北海道内寄港は帝政時代を除くと、旧ソ連時代を通じてはじめてのことです。

日   時: 平成22年10月16日(土)~17日(日)
        13:00~16:00

場   所: 函館市港町ふ頭(函館市港町2丁目)

注意事項:
 ①入港中、ふ頭周辺は交通規制され、駐停車禁止となりますので、公共交通を利用してください。
②見学希望者は、ふ頭から約1キロ手前の受付で荷物検査を受けた後、シャトルバスでの移動となります。

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2010年10月14日

ミリオン・ズビョースト 第65号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第65号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は、4月から事務局の一員となった長谷川吉秀学務課長による「Здравствуйте!」です。教員生活にピリオドを打ち、学生指導や新入生募集の仕事を担当することになった苦労が伺えます。

 また、この夏、北方四島との交流において、根室での受入事業ボランティア通訳を体験したロシア地域学科4年 白山季絵さんと、択捉島ビザなし訪問に参加したロシア語科1年 小早川眸さんのそれぞれの体験記が楽しく読めます。1ヵ月のウラジオストク留学実習から帰ったばかりのロシア語科2年 鈴木竜斗くんのほろりとくる感想文もありますよ。是非ご一読ください。

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2010年10月13日

10月の「身近なロシア」は?

 「身近なロシア~ベリョースカクラブ・ラジオ版」、10月20日(水)の放送は、グラチェンコフ・アンドレイ教授がロシア海軍の歴史について、お話します。
 来る10月15日(金)~19日(火)の間、ロシア太平洋艦隊駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ号が函館港に友好親善目的で入港します。土日には一般公開も予定されているそうです。
 この機会に、ロシア海軍について、すこしお勉強してみましょう。

FMいるか「暮らしつづれおり」内
「身近なロシア~ベリョースカクラブ・ラジオ版」
平成22年10月20日(水) 10:10~10:25
出 演:ロシア極東国立総合大学函館校
     教授 グラチェンコフ・アンドレイ
テーマ:ロシア海軍の歴史

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2010年10月08日

「函館-ウラジオストク交流の諸相」講演会のご案内

10月17(日)、ウラジオストク建都150周年を記念した講演会が函館市中央図書館にて開催されます。
 函館日ロ交流史研究会主催によるもので、ウラジオストク研究の第一人者たちによる講演のほか、本校校長 イリイン・セルゲイも来賓挨拶を行います。 
 また、10月14日(木)~25日(月)の期間、同じく函館市中央図書館展示ホールにてウラジオストク建都150周年記念のパネルと写真の展示を行いますので、こちらも合わせてご覧ください。

ウラジオストク建都150周年記念講演会
「函館-ウラジオストク交流の諸相」

日 時:平成22年10月17日(日) 13:30~16:30
     13:00 開場
     13:30 開会挨拶
     13:45 来賓挨拶
          ロシア極東国立総合大学函館校校長
           イリイン・セルゲイ
     14:00 対岸に橋を架けた人びと-対岸航路と対岸貿易・再論-
           北海道情報大学教授 原 暉之
     15:10 極東ロシアとの交流と「浦潮日報」
           金沢大学名誉教授 橋本 哲哉
場 所:函館市中央図書館 視聴覚ホール
     (函館市五稜郭町26-1)
申 込:直接会場へお越しください(定員:120名)。
主 催:函館日ロ交流史研究会

ウラジオストク建都150周年記念パネル・写真展

日 時:平成22年10月14日(木)~25日(月)
場 所:函館市中央図書館 展示ホール

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