ウラジオストク訪問記 5
<5日目>
今朝もまた、ホテルの朝食はパスして、近くのスーパーで買ったパンとミネラルウォーターで済ませる。
いよいよ今日はウラジオを離れなければならない。やっぱり短い滞在だった。中古車の輸入規制に反対するデモが、お昼頃行われるとの情報を得て、渋滞を恐れた我々は、またしても早めにホテルをチェックアウトする。
途中少しだけ、極東大学のそばの市場に立ち寄り、最後の買物をする。市場と言ってもスーパーの建物の中に専門店がいくつも入ったようなところで、1階にはDIY用品やおもちゃ、化粧品などを売っていた。2階が食料品で、ここで菩提樹のハチミツやチーズを買った。対面販売なので、スーパーよりは種類も豊富で新鮮。物によっては計り売りもしてくれる。
街中、まだ渋滞はしていなかったが、空港への幹線道路は1本しかなく、ここで止まったらアウトである。実はかなり遠回りではあるが、もう1本、空港へ行く道があるという。そちらを行ったほうがいいという判断で、なんだかわからない道を登ったり下ったり、住宅のすぐ横を通り抜けたりして、車通りの少ない道に辿り着く。対向車もほとんどなく、枯れた林ばかりの同じ景色がずっと続く、ドライブには退屈な道路だ。
結局、空港には、幹線道路を通ってきたグループと同じくらいに到着した。いずれにしても、飛行機に乗り遅れなくてよかった。ここまでずっと同行してくれたオレグ運転手に日本茶や手ぬぐいなどのお土産を手渡し、握手を求めると、ほとんど笑わなかったオレグさんも最後には微笑んでくれた。ロシアではお土産は最後に渡すもの。日本人なら「これからお願いしますよ」というプレッシャーも込めて最初に渡すが、ロシアでは本当にお世話になった人に、お世話になったときだけ渡すならわしだ。その方が合理的なのかもしれない。
ウラジオストク空港は小さな売店があるだけで、カフェもなければベンチも少ない。空港のすぐそばのホテルヴェネツィアで昼食にする。
レストランのメニューはいろいろあったが、ロシアで食べる最後の食事、今回は一度もボルシチを食べなかったことを思い出し、ボルシチとスメタナのブリヌィ(ロシア風クレープ・サワークリーム添え)を注文する。同行者のほとんどは、ロシア料理と違うものを食べたいようで、オリエンタルヌードルなる、怪しげなものを注文した人がいた。和風スパゲティーのようなものを想像したようだが、運ばれてきたのは冷麦に野菜を乗せて、韓国風のピリ辛ソースをかけた、本当に怪しいものだった。多分韓国にもあんな料理はないだろう。
アーニャともお別れの時が来た。彼女は公式訪問団の通訳ができたことを、本当に誇りに思うと言ってくれた。再会を約束して別れた。
帰りはソウル経由。大韓航空7982便16:20発。機内では韓国語、英語、ロシア語、日本語と4ヶ国語でアナウンスが流れる。私は韓国に行くのも初めてなら、大韓航空に乗るのも初めて。客室乗務員が韓国人のため、同じアジアの空気を感じる。明らかにロシアを離れた、という気がした。
窓から見えるのは、泥土のリアス式海岸線。白く煙っていて幻想的な光景は、あまり見たことがなく、ああ、これが韓国か、という心持ちになった。
日本との時差はなく、16:50仁川空港着。さすがアジアのハブ空港、大きいし、色々な国の飛行機が止まっている。ウラジオに比べて、韓国は湿気もあり、暑かった。
空港からは韓国人ガイドの趙さんに案内してもらい、車で5分ほどのところにあるホテルに向かう。もともと何もないところに空港を作ったそうだが、開港してからはそこで働く人のための住宅や商業施設が作られ、立派な街になっていた。
夕食は仁川市内の韓国料理店で骨付きカルビ2人前ずつのコースと決まっていた。お肉が嫌いな私にとっては、ご飯とキムチしか食べるものがない。街のネオンを見ても、雰囲気は日本の繁華街だが、書いてあることはハングル文字で何も意味がわからない。やっぱりロシアのほうがよかったな。
ホテルに戻ってから売店でロッテ・雪見だいふくの韓国バージョンを買い、デザートにした。緑色で、ピーカンナッツの入った、日本では見かけないものだ。売店では日本円で支払い、おつりはウォンでもらう。事前に、トランジットだけなら両替せずに日本円だけで用は足りると聞いていたが、本当だ。ここではお散歩もできない。退屈なので、NHKのドラマを見て就寝。日本にとても近いことはわかった。(つづく)
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