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2010年07月28日

ウラジオストク訪問記 6

<6日目>
 韓国でのトランジットは、本当に便利だ。日本を脱出するために、函館から富山まで国内移動をした往路のことを思えば、復路はソウルで1泊してゆっくり函館に到着することができる。韓国経由でウラジオへ行き来する人が増えているのも納得だ。
 朝起きて、すぐに空港に向かい、チェックインを済ませてから朝ごはんとなる。趙さんは気を利かせて、日本食を用意してくれていた。焼き鮭にお味噌汁の定食、だが海苔だけは、ゴマ油のついた韓国海苔だった。
 飛行機に乗るまでの1時間、自由行動となり、分散する。私はとにかくコーヒーが飲みたかった。ロシアではインスタントばかりで、一度もドリップしたコーヒーにはお目にかかれなかった。すぐさまスターバックスで、ただのブラック・コーヒーをたっぷり飲む。幸せだー、これが本当に飲みたかった!仁川空港は本当に広くて、免税店も充実していたが、コーヒーでずいぶん時間をとってしまった私は、残りの時間で急いでキムチを買っただけだ。
 集合場所となった搭乗口に着くと、函館の中学生派遣チームと合流した。みんな元気だったが、一人だけ熱を出した子がいた。ロシアを離れて緊張が解けたようだ。

 大韓航空773便函館行き、9:45発12:15着。ウラジオ-ソウル便とは違い、乗客はほとんど日本人と韓国人。アナウンスも日本語と韓国語。とうとう日本に帰るのだという気分になる。旅もそろそろ終わり。華やかな式典や発展しつつあるウラジオの今の様子を肌で感じることができた。懐かしい人々にも会えた、とても実りのある旅であった。
 今回の旅で一番の収穫は、人のきずなを実感できたこと。ロシア極東国立総合大学函館校の学生、ロシア人の留学生、はじめてロシアを訪れた函館の中学生たち、彼らが新たな架け橋となって、函館とウラジオストク、日本とロシアをつなぐだろう。国と国では様々問題も抱えているけれど、私たちはそれを越えた、地道なつきあいを積み重ねてきた。そしてこれからも、それが続くよう願っている。(おわり)

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子


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2010年07月27日

ユジノサハリンスク市の大学生等との交流会のご案内

 7月27日(火)から8月2日(月)まで、サハリンから約80名の青少年が第12回青少年サハリン・北海道「体験・友情」の船事業(北海道・ロシア極東交流事業実行委員会主催事業)に参加するため来道します。
 函館市では、このうち、姉妹都市ユジノサハリンスク市の大学生7名とユジノサハリンスク市国際部職員1名の計8名を7月30日と31日に函館市に招へいし、交流を行います。
 31日には、下記のとおり交流会を開催します。プログラムでは、函館市からユジノサハリンスク市を訪問する青少年交流団等の交流受け入れ実務に長年携わっている市国際部マチューヒナ主任から写真を交えながら交流報告が行われるほか、サハリン国立大学学生による「当世大学生事情」の報告とキャンパス・コンソーシアムの大学生の懇談が予定されております。本校の学生も参加します。
 通訳がつきますので、どなた様もお気軽にお越しください。

日 時:平成22年7月31日(土) 10:00~13:00
場 所:函館地域交流まちづくりセンター(函館市元町4-19)
     2F フリースペース
参 加:無料、定員50名(当日直接会場にお越しください)
主催・お問合せ:函館市企画部国際課 倉田 ℡0138-21-3634
*詳しくはこちらをご覧下さい。

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2010年07月22日

Do you know GONZA?

 一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第2回目の講話内容です。

テーマ:「Do you know GONZA?」
講 師:鳥飼やよい(本校准教授)

質問:次の日本語訳は、なんというロシア語の訳として当てられているでしょうか?(答えは最後に)

イロファ
シャムセン
アヲモイ
アマザケ
ワルカコトスルトコル
フォドケ
キョデ
スモトイバ
シオシタブタ
オイ
ニョボモツ
ココロジェウェツカント
イキタモン
ファット
トノジョモタン
ニセ

 ゴンザは1728年の晩秋、鹿児島のある港を出ました。若潮丸(早行丸)は17名の乗組員と、物資を載せており、その中にゴンザと父親もいました。北西の風に乗って船は難破、6か月の漂流を経て、船はカムチャッカ半島のロパトカ岬に漂着しました。
 当時の日本は江戸時代。元禄文化が終わる頃でした。鎖国やキリシタン禁令といった時代で、ロシアに対しては無防備でした。
 一方ロシアは、1700年、ピョートル大帝が首都をモスクワからペテルブルクに移し、「ヨーロッパへの窓」を開きました。ヨーロッパの技術・文化の導入に力を入れたほか、中国、極東、ベーリング海、アメリカとの国境にも目を向けていました。オランダ人から日本のことも聞いており、日本との今後の通商への思いがみなぎっていた時代でした。ピョートルはあらゆることに対し知識欲があり、意欲的でした。

 この時代、漂流はどのくらいあったと思いますか?全部で約250件、そのうち48件が薩摩からで、薩摩は漂流大国でした。
 漂流民には、1702年大阪のデンベイ(ピョートル1世に会う。日本語教師となり、ロシアに死ぬ)、1707年紀州のサニマ(デンベイとともに日本語教師となる)、1783年伊勢の大黒屋光太夫(小説や映画になった「おろしや国酔夢譚」で有名)などがいました。
 函館のみなさんにとって身近な高田屋嘉兵衛は、だいぶ後になります。高田屋は1790年頃活躍、国後・択捉航路を開拓し、1812年のゴローニン事件では日本とロシアの仲立ちをして名を上げました。この時代になると沖乗りが主流になりますが、ゴンザの時代は地乗りが主流でした。
 秋から冬、特に11月末から12月にかけて出航すると、ロシアに行けます。その頃の船は、外洋を航行するようにはできていません。ですから、沖に出てしまったら漂流するしかないのです。
 ロシアはピョートルが科学アカデミーやモスクワ大学を作り、発展していた時代です。ピョートルが1725年に没した後、1729年にゴンザたちがカムチャッカに漂着します。
 一緒に漂着した父親や仲間たちは荒くれ者のコサック隊に虐殺されてしまい、ゴンザとソウザの二人だけが生き残ります。ソウザは35歳の商人、ゴンザはわずか11歳の少年でした。東進政策を進めていたロシアの政治的判断により、二人はサンクトペテルブルクへと連れて行かれ、そこでアンナ・ヨアノヴナ女帝に謁見します。日本語教師の役割を与えられた二人は、ロシア正教に改宗し、ロシア名を得ます。
 その後、ソウザは病気で亡くなってしまいますが、ゴンザはそれより3年長く生きます。その間に「新スラブ・日本語辞典」ほか6冊の本を執筆し、1739年に21歳で没します。
 
 「新スラブ・日本語辞典」は、1965年九州大学の村山七郎教授が編纂し、出版したことにより日の目を見ることになります。私はアメリカに留学中、アリゾナ大学のオリエンタルライブラリーで、懐かしい言葉が書かれたこの辞書をたまたま手にして、とても驚きました。
 この辞典を読むと、語彙の豊富さ、素晴らしい想像力、人間力を発揮している訳に驚かされます。これは、年長のソウザと話をするうちに培われたものだと思います。ロシア語の場合、18世紀以降であれば、どこにいても誰の言語でも通じる言文一致の言葉です。今の時代もほとんど変わりがない。ロシアは広大な国である以上、言語統一には大きな意味があるからです。
 それに比べて当時の日本は藩政で、お国によって全然言葉が違います。この辞典は、ボグダーノフというロシア人の協力による約12,000語のロシア語の薩摩弁訳です。薩摩の方言を詳しく知ることができる、当時としては素晴らしい内容です。ゴンザの訳は、今の薩摩弁と同じで、しかも物語性のある言葉なので、造語でもわかります(下記「ワルカコトスルトコル」、「ココロジェウェツカント」の答えを参照)。
 しかし日本語訳というより、薩摩弁訳であり、ごく狭いところでしか通じない言葉であるのは残念なことです。
 
 ゴンザの詳しい出生地はわかっていません。鹿児島では今、手柄の取り合いのようになり、みんなが自分のまちの出身だと主張しています。言語学的に調べても、ここ、という決め手がないのですが、私は自分の出身地、阿久根ではないかと思っています。


答え:

イロファ     いろは→アルファベット
シャムセン   三味線→バラライカ
アヲモイ     ウォッカ
アマザケ    ビール
ワルカコトスルトコル  悪いことするところ→遊郭
フォドケ     仏→神
キョデ      兄弟
スモトイバ    相撲を取るところ→競技場
シオシタブタ  ハム
オイ       私
ニョボモツ    妻帯者
ココロジェウェツカント  心で追いつかん→理解できない
イキタモン   生きたもの→動物
ファット     法度→してはいけないこと
トノジョモタン  未婚の若い女性
ニセ       (青)二才→青年

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2010年07月21日

ウラジオストク訪問記 5

<5日目>
 今朝もまた、ホテルの朝食はパスして、近くのスーパーで買ったパンとミネラルウォーターで済ませる。
 いよいよ今日はウラジオを離れなければならない。やっぱり短い滞在だった。中古車の輸入規制に反対するデモが、お昼頃行われるとの情報を得て、渋滞を恐れた我々は、またしても早めにホテルをチェックアウトする。


 途中少しだけ、極東大学のそばの市場に立ち寄り、最後の買物をする。市場と言ってもスーパーの建物の中に専門店がいくつも入ったようなところで、1階にはDIY用品やおもちゃ、化粧品などを売っていた。2階が食料品で、ここで菩提樹のハチミツやチーズを買った。対面販売なので、スーパーよりは種類も豊富で新鮮。物によっては計り売りもしてくれる。


 街中、まだ渋滞はしていなかったが、空港への幹線道路は1本しかなく、ここで止まったらアウトである。実はかなり遠回りではあるが、もう1本、空港へ行く道があるという。そちらを行ったほうがいいという判断で、なんだかわからない道を登ったり下ったり、住宅のすぐ横を通り抜けたりして、車通りの少ない道に辿り着く。対向車もほとんどなく、枯れた林ばかりの同じ景色がずっと続く、ドライブには退屈な道路だ。


 結局、空港には、幹線道路を通ってきたグループと同じくらいに到着した。いずれにしても、飛行機に乗り遅れなくてよかった。ここまでずっと同行してくれたオレグ運転手に日本茶や手ぬぐいなどのお土産を手渡し、握手を求めると、ほとんど笑わなかったオレグさんも最後には微笑んでくれた。ロシアではお土産は最後に渡すもの。日本人なら「これからお願いしますよ」というプレッシャーも込めて最初に渡すが、ロシアでは本当にお世話になった人に、お世話になったときだけ渡すならわしだ。その方が合理的なのかもしれない。

 ウラジオストク空港は小さな売店があるだけで、カフェもなければベンチも少ない。空港のすぐそばのホテルヴェネツィアで昼食にする。
 レストランのメニューはいろいろあったが、ロシアで食べる最後の食事、今回は一度もボルシチを食べなかったことを思い出し、ボルシチとスメタナのブリヌィ(ロシア風クレープ・サワークリーム添え)を注文する。同行者のほとんどは、ロシア料理と違うものを食べたいようで、オリエンタルヌードルなる、怪しげなものを注文した人がいた。和風スパゲティーのようなものを想像したようだが、運ばれてきたのは冷麦に野菜を乗せて、韓国風のピリ辛ソースをかけた、本当に怪しいものだった。多分韓国にもあんな料理はないだろう。

 アーニャともお別れの時が来た。彼女は公式訪問団の通訳ができたことを、本当に誇りに思うと言ってくれた。再会を約束して別れた。
 帰りはソウル経由。大韓航空7982便16:20発。機内では韓国語、英語、ロシア語、日本語と4ヶ国語でアナウンスが流れる。私は韓国に行くのも初めてなら、大韓航空に乗るのも初めて。客室乗務員が韓国人のため、同じアジアの空気を感じる。明らかにロシアを離れた、という気がした。
 窓から見えるのは、泥土のリアス式海岸線。白く煙っていて幻想的な光景は、あまり見たことがなく、ああ、これが韓国か、という心持ちになった。

 日本との時差はなく、16:50仁川空港着。さすがアジアのハブ空港、大きいし、色々な国の飛行機が止まっている。ウラジオに比べて、韓国は湿気もあり、暑かった。
 空港からは韓国人ガイドの趙さんに案内してもらい、車で5分ほどのところにあるホテルに向かう。もともと何もないところに空港を作ったそうだが、開港してからはそこで働く人のための住宅や商業施設が作られ、立派な街になっていた。
 夕食は仁川市内の韓国料理店で骨付きカルビ2人前ずつのコースと決まっていた。お肉が嫌いな私にとっては、ご飯とキムチしか食べるものがない。街のネオンを見ても、雰囲気は日本の繁華街だが、書いてあることはハングル文字で何も意味がわからない。やっぱりロシアのほうがよかったな。

 ホテルに戻ってから売店でロッテ・雪見だいふくの韓国バージョンを買い、デザートにした。緑色で、ピーカンナッツの入った、日本では見かけないものだ。売店では日本円で支払い、おつりはウォンでもらう。事前に、トランジットだけなら両替せずに日本円だけで用は足りると聞いていたが、本当だ。ここではお散歩もできない。退屈なので、NHKのドラマを見て就寝。日本にとても近いことはわかった。(つづく)

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2010年07月15日

7月の「身近なロシア」は?

 「身近なロシア~ベリョースカクラブ・ラジオ版」、7月21日(水)の放送は、倉田有佳さんの登場です。函館市企画部国際課主査で、本校の非常勤講師でもある倉田さんは、来日ロシア人研究を専門としており、今年度前期は、本校全学年を対象に、「北海道とロシア極東の交流の歴史」の講義を担当しました。
 今回のテーマは、今年「建都150年を迎えたウラジオストクと函館の交流史」。ちょうど函館が貿易開港した頃に歴史が始まったウラジオストクとの150年を振り返ります。
 また、今月初め、函館市公式訪問団の一員として150周年記念行事に参加してきた倉田さんのウラジオストクの「今」についての感想も楽しみです。ご期待ください。


FMいるか「暮らしつづれおり」内
「身近なロシア~ベリョースカクラブ・ラジオ版」
平成22年7月21日(水) 10:15~10:30
出 演:函館市企画部国際課主査
     ロシア極東国立総合大学函館校非常勤講師 倉田 有佳
テーマ:建都150年を迎えたウラジオストクと函館の交流史
関連行事「ウラジオストク市150周年姉妹都市展示会帰国報告会のお知らせ」について、こちらもご覧ください。

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2010年07月13日

ロシアまつり・キオスクの商品が出揃いました

 ロシアまつりの準備もだいぶ進んできました。今年のキオスクには、ロシアのチョコレートがたくさん入荷しています。板チョコのほか、カンフェーティー(個包装になった一口タイプのチョコレート)も、いろいろと取り混ぜて販売する予定です。

 好評のインスタントスープもありますよ。いつもはすぐ売切れてしまうので、今年は多めに用意しています。お湯を注ぐだけで、カップ・ボルシチやハルチョーなどが完成。簡単にシャシリク(串焼肉)が作れるスパイスもあります。いつもの食卓が、今すぐロシアに変身!

 そのほか、マトリョーシカ、白樺の小物などおなじみのロシア雑貨や「大きなかぶ」のオリジナル絵本(日本語・ロシア語対訳つき)も販売する予定です。早めにご来場くださいね。

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2010年07月09日

これが2010ロシアまつりTシャツ!

 今年のロシアまつり用のTシャツができました。デザイン・コンセプトはすでにお知らせしたとおり。おしゃれで、普段も着られると評判です。早速1年生が試着してみました。当日はスタッフ一同、このおそろいのTシャツを着て、みなさんをお迎えします。

 数に限りがありますが、キオスクコーナーで販売します。お洗濯しても丈夫な厚手の生地を使用しています。このTシャツで、今年の夏の思い出を作ってください!


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2010年07月08日

ウラジオストク訪問記 4

間が空きましたが、続けます。

*  *  *  *  *

<4日目>
 朝、ホテルの周りを散歩してみる。最近は24時間営業のスーパーも増え、日本のお菓子やカップラーメン、インスタントみそ汁、洗剤から芳香剤まで、少々値は張るが買うことはできる。しかし、せっかくロシアにいるのだから、ロシアのものを買いたい。
 ホテルのレストランにも飽きてしまったので、魚とお米のピロシキとケフィール(ロシアの飲むヨーグルト)を買い、今日の朝食とした。ケフィールはイチゴ味やバナナ味などもあるが、プレーンな物を買った。日本ではピロシキの中身といえば肉と決まっているが、ロシアではジャガイモ、キャベツ、リンゴ、けしの実など様々選べるので、楽しい。ピロシキは“ロシアのおにぎり”みたいな存在だ。

 この日は、10時にホテルを出発して、昨年完成したばかりの極東大学附属図書館へ向かう。2008年、プーチン首相を招いて完成披露をしたという、極東大学の敷地内でも一際立派な6階建ての建物だ。女性の司書が内部を案内してくれた。美しいステンドグラスで飾られたホールがあり、玄関にはクロークも用意されていた。アムール湾に面しており、眺めが素晴らしい。
 日本をはじめ、中国や韓国の書籍が置いてあるコーナーに来たとき、通訳のアンナは「ここのカウンターで私はアルバイトをしています」と言った。授業が終わると、ここへ来て仕事をしているそうだ。ロシアの大学生は、高学年になると将来の仕事に近いアルバイトをよくする。そのままその会社に就職することも多い。だから日本の感覚でいうアルバイトよりは、インターンシップに近いのかもしれない。アンナのお母さんも、極東大学の図書館で働いていたのだそうだ。
 図書館から出て、隣の韓国語学部の建物を見学する。韓国の偉い先生が寄付をして建てられたものだそうで、東洋学大学とは別の、独立した建物なのだ。ロシア人の学生たちが、口々に「アニョハセヨー、アニョハセヨー」と挨拶をしてくれるが、どうにも答えようがない。外国人を見ると、すべてアメリカ人だと思い、英語で話しかける日本人と同じだ。函館校のロシア人の先生方は、それをいつも怒っている。むしろ日本語で話しかけてくれたほうがいいのに、と。私もそう思う。今の場合、韓国語ではなく、むしろロシア語のほうがいいのに。

 それからクリーロフ学長を表敬訪問するため、車で極東大学本部へ移動する。学長室で30分の懇談の後、極東大学の所有する船でルースキー島を洋上視察に行く。ルースキー島は、夏になるとウラジオ市民がキャンプに訪れる場所で、アーニャもよく行くという。ルースキー島に近づくにつれ、建設中の建物が見えてくる。APECのために作られる施設は、本当に間に合うのだろうか。またしても心配になるが、多分大丈夫なのだろう。

 船の中で、極東大学主催の歓迎昼食会が行われる。寮の料理人が一人で作るというロシア料理はとても豪華で、どこのレストランよりもおいしい。前菜、キノコのピロシキ、山盛りのフルーツ、ロシア式にテーブルの余白が見えないほど、たくさんのお皿が並んでいる。その後もメインのサーモンステーキや、デザートなどなど、次々と運ばれてくる。ここでも附属観光大学の学生がサービスしてくれた。たくさんご馳走になり、料理がストップした頃、ちょうど船が港に戻った。3時間ほどの快適なクルーズだった。
 
 一旦ホテルに戻り、夕方出かけるまで少し間があったので、またしてもホテル周辺を散歩しに出かけた。路上でおばあちゃんたちが木の実や自家製のピクルスなどを売っている。そんな様子を見ているだけでも楽しい。せっかくロシアにいるのだから、部屋にこもっていてはもったいない。ロシアは“黄金の秋”、公園の枯れ木も美しい。
 すると、すれ違うおばあちゃんに声を掛けられた。時間を教えてくれという。がんばって、ロシア語で答えるが、通じない。そこで腕時計の文字盤を見せたところ、「目が悪いからそんな小さな時計は見えない。」と言う。「ごめんなさい。」とあやまると、「いいのよ、あなたはロシア人じゃないものね。」と言って去っていった。そんなやりとりも、ちょっと悔しいがやっぱり楽しい。

 ホテルの玄関に集合し、ウラジオストク日本国総領事主催の歓迎レセプションのため、総領事公邸に向かう。公邸は市の中心部から少し離れた、空港に近いところにある。昨日の渋滞ですっかり懲りた私たちは、街中を早めに脱出する。おかげで早く着いてしまったので、周辺を散策して時間をつぶす。このあたりは外交官の公邸などが立ち並ぶ一等地で、各家の塀も高い。警備が厳しいのだ。同行者が、以前ここに来た記憶があるという。少し歩くと旧ソ連共産党のゲストハウスがあり、たしかにここに、1990年のソ連時代泊まったというのだからすごい!

 総領事主催の歓迎レセプションには、ウラジオストク市役所や議会、アルチョム市からも関係者が招かれていた。アルチョムはウラジオストク空港がある市だが、いずれウラジオ市と合併することが決まっているという。
 ここで、久しぶりに日本食を食べることができた。昨日お米が食べたくて中華料理店に行ったわが一行は大変喜んだ。天ぷら、ちらし寿司、筑前煮、おそば、日本で食べるのと変わらない、おいしい日本料理だった。
 公邸から戻り、就寝。明日はもう、ウラジオストクを離れなければいけない。(つづく)

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2010年07月05日

ミリオン・ズビョースト 第64号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第64号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は、4月から極東大学に仲間入りした伊藤皓嗣事務局長による「魅力ある国際都市・函館」。いち早く異国の文化を吸収してきた函館について、様々なエピソードを交えながら紹介しています。

 また、同じくこの春から函館校の一員となった学生からの投稿もあります。ロシア語を学び始めて約3カ月、その喜びや苦労が垣間見える文章です。是非ご一読ください。

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2010年07月02日

2010はこだてロシアまつりのご案内

 今年のテーマは“ロシアの夏の味”。デルカーチ・フョードル講師デザインによる素敵なポスターが出来上がりました。
 詳細はこちらをご覧ください。
 みなさまのご来場を心よりお待ちしております。

日 時:2010年7月17日(土) 12:00~16:00
会 場:ロシア極東国立総合大学函館校

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