小説クロイツェル・ソナタ
「クロイツェル・ソナタ」(1899年)は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」に触発されてレフ・トルストイが書いた小説である。
ロシアの大地をひたすら進む夜汽車。その薄暗い客室で語られるある男の秘密。人並みに放蕩を経験した男は貞操の夢をもち結婚する。しかし男は早くも新婚の夜に結婚に疑いを抱き始める。そもそも、清らかで平穏な精神的愛と、刹那の快楽のみをもたらす肉体的愛の結合という矛盾を孕(はら)む結婚は、破綻したシステムではないのかと。はたして結婚生活は男にとって苦悩の連続となる。ついには妻とヴァイオリニストの関係を疑い始めるのだが、嫉妬に混乱した男の頭の中には2人が合奏する「クロイツェル・ソナタ」が鳴り響く。そして男はついに…。
男は告白する。音楽は「私に我を忘れさせ、自分の本当の状態を忘れさせ、何か別の、異質な世界へと移し変えてしまう。」さらに「たとえばあのクロイツェル・ソナタの第一プレスト…ただ人を刺激するばかりで、果てしがない」と。音楽とは「恐ろしい道具」である、と。
数多くの19世紀ロシア文学において鉄道は、数多くの主人公とその人生を列車に立ち向かわせた。トルストイも例外ではない。列車での同席が縁で知り合った青年士官との不倫の結末を描く「アンナ・カレーニナ」。アンナは最終シーンにおいて爆走する蒸気機関車の車輪の下に身を投げてしまう。また「復活」では、ネフリュードフのせいで身を落とした無垢の女カチューシャは、悔い改めた男を後にし、新たな愛を得て徒刑の地シベリアに鉄道で運ばれていく。ところが、この2作の間に書かれた「クロイツェル・ソナタ」においては、妻がヴァイオリニストと奏でるプレストの早急なリズムは、夜汽車の単調な振動に増幅され、いつまでも不吉に響き続ける。
さて、コンサートホールのシートに身をしずめてヤンケ姉妹の「クロイツェル・ソナタ」を耳にする私たちは、果たしてこの音楽に何を聴きとるのだろうか?トルストイが、あるいは「男」が聴いたのとはまた違った「果てしない」高揚を経験するだろうか?
(本原稿は、2010年4月16日函館市芸術ホールにて開催された「ヤンケ姉妹のクロイツェル」コンサート・プログラムに掲載されたものです。)
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