一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第3回目の講話内容です。
テーマ:「ロシアの料理について」
講 師:アニケーエフ・セルゲイ(本校副校長)
ロシア料理の特徴は、材料の豊富さである。昔からロシアは小麦やライ麦から作るパンを主食とし、焼きパンの一種であるパイ(ピローグ)は多種多様である。
果てしなく続く草原のロシアでは酪農が盛んで、牛乳はもちろん、生クリーム・バター・チーズ・サワークリーム(スメタナ)などを作ったりした。大昔からロシア民族は家畜の肉、牛・豚・羊・鶏肉も食している。
森の民族でもあったロシア人は森の幸、例えばキノコ・クルミ・果実を採取し、ハチミツや野鳥・野獣の肉も食生活には欠かすことのできないものであった。
寒い冬が長いロシアでは保存食が豊富だ。厳しい冬を越すために塩漬けと酢漬けという保存方法が広く用いられる。中でもキャベツや人参・キュウリ・トマトなどを漬けたピクルスはその代表で、市場に行くと農民が自家製ピクルスを売っている。また、野生の果実でジャムやジュース、果実酒を作ったりもする。新鮮なフルーツの代わりに冬の食卓ではコンポート(シロップ漬け)にして、そのまま食べたり、汁ごとお湯で割って頂く。
ロシア料理の特徴として挙げられるのはその質素さにもある。「シチ(キャベツのスープ)のためなら人は結婚する」というような諺が存在するくらいである。また、数百年の歴史を持つペチカと呼ばれる暖炉も、ロシア人の食べ物に大きな影響を及ぼしたに違いない。暖炉は家屋を暖めるだけでなく、調理するため、パンを焼くため、洗濯物干しにも、人間が寝るためにも(ロシアのペチカは上に人が寝るベッドの役割もある)使われる特殊な道具である。だからペチカで何時間もじっくりと煮込む料理が多い。食材が少なくなる冬に備えて、ロシア人は普通、ダーチャという小屋付きの家庭菜園で採れたものを瓶詰めなどにして、冬の間大切に食べる。
またソ連時代を除いて、10世紀末から現在のロシアに至るまで、国教であるロシア正教の教えによって、ロシア料理が早い時期から精進料理(植物・魚・キノコ)と非精進料理(肉・卵・乳製品)に分けられ、特に精進料理の方が発展していった。それは正教の定めが厳しく守られていたからだろう。
庶民の質素な食生活とは対照的に、帝政ロシア時代の貴族はものすごく贅沢な食生活を送っていた。例えば15世紀頃の皇帝の宴席では50~100種類の料理が出るのが普通であった。イワン4世の宴会には500種類もの料理が、金や銀の皿で並んだという。
その上、ピョートル時代以後、ロシアの上流階級は西欧料理の伝統を取り入れ、ドイツやスウェーデン、特にフランスから多くコックを連れて来た。従ってフランス料理とロシア料理の間には相互に影響が見られる。例えば、前菜、スープ、魚料理、肉料理という現在のフランス料理に見られる配膳方法は、その時のコックを介してロシアからフランスにもたらされたもので、それまでのフランスではすべての料理が同時にテーブルに並んでいたという。
ロシア料理を語るには、まず前菜(ザクースカ)の話から始めなければならない。多くの場合は野菜中心であるが、ハムや魚の酢漬け、キュウリなど、酒のつまみに近いものが多い。そのためか、「前菜」も「つまみ」もロシア語では同じ「ザクースカ」である。前菜とは言え、ザクースカはそれは見事である。温かいザクースカと冷たいザクースカがあり、冷たいものにはサンドウィッチやサラダがある。
温かいザクースカは特別な宴会や祭日に出すもので、メイン料理と違うところはナイフを使わなくてもよいように細かく刻んで出されることである。
前菜には様々な燻製、ピクルス、ソーセージ、キャビアやイクラが所狭しと並ぶ。ところでイクラはれっきとしたロシア語で、日本のイクラは「クラスナヤ・イクラ(魚の赤い卵)」と呼び、キャビアは「チョールナヤ・イクラ(魚の黒い卵)」と呼ぶ。キャビアは今も昔もお金持ちの食べ物で、庶民の口に入ることはあまりない。貴族の食文化と庶民の食文化には大きな隔たりがあるが、貴族から生まれた「ビーフ・ストロガノフ」は今では庶民の味になっているし、逆にピロシキは庶民が生んだ味で、後に貴族が食べるようになったものだ。
スープはメイン料理の順では「ピエルバイエ(一番目の料理)」と呼ばれる。ロシアではスープの種類は数え切れないほどあるが、世界中で知られているのは、やはり「ボルシチ」である。ボルシチはソ連時代には50種類近くあると言われ、それぞれの地方でも家庭でも、祖母から母に、娘に、そして孫へと伝えられている。ロシアのボルシチを食べる時に大切なのは、絶対にサワークリームを入れることで、これはどこの地方でも同じである。日本では、スープにサワークリームを乗せるなんて邪道だ、しかも混ぜると変な色になる」という人もいるが、食わず嫌いがほとんどである。
ほかにはシーというキャベツだけのスープ、ごった煮のサリャンカ、魚を使ったウハー、アクローシカなどがある。アクローシカはライ麦を発行させて作る伝統的な飲み物、クワスをベースにした、夏限定の冷たいスープだ。
次はメインである。メインの肉料理か魚料理はロシア語で「フタロイエ」、二番目という意味である。ロシアの肉料理の特徴は、味付けがすごくシンプルで、素材のうまみを十分に引き出したものが多いことだ。
肉と言えば、やはり「シャシリク」で、いわゆる肉と野菜の串焼きである。豚や羊の新鮮な肉をにんにくと玉ねぎ、酢と様々なハーブ、塩コショウで整え一晩漬ける場合と、ワインで漬ける場合がある。焼くときには炭で焼く。ロシアのシャシリクは観光地の屋台でも売られているが、本来はキャンプなどの野外で食べる人気料理である。
魚料理もすごく豊富である。それはロシアと言う国は、水とは切っても切れない関係だからである。例えば、今のモスクワが、あんなに大きな都市になったのも水のお陰である。
魚料理では「クリビャーカ」が有名であるが、これはパイの一種でチョウザメなどで作る。他にはカワカマス、コマイなどを一匹丸ごとフライにする。味は塩味である。
ピロシキも実は様々な種類があり、具は刻んだキャベツだけ、ジャガイモだけというものもあるし、リンゴやジャムが入った甘いものもある。
ロシアでいうパンとは、普通はライ麦が入った黒パンのことを言う。おもしろいことにロシアの歴史にも、文学的にも一番最初に登場する食べ物は黒パンである。それはライ麦がロシアの風土に一番合って、育ちやすかったからである。ライ麦粉から作る黒パンは、歯応えとかすかな酸味があり、独特のくせがあるが、慣れると病み付きになる。冬にはビタミン補給源としても欠かせない。
カーシャという小麦やそばの実などを煮たお粥のようなものもおいしい。「粥は病人の食事」とする日本的な考えはひとまず置いておかなければならない。ロシア語の表現でお粥は「靴が粥を欲しがっている(靴が破れている)」「お前はまだお粥の食べ方が少ない(力不足の若僧)」「お粥が口に詰まっている(言葉が聞き取りにくい)」といった、ロシア人の暮らしとお粥との深いつながりを示すものが今も残っている。
お茶がロシアに初めて伝わったのは1638年のこと。ロシアの貴族、スタルコフがロマノフ朝初代皇帝ミハイルの使者としてモンゴルのハンに贈り物を届けた。ハンは、クロテンの毛皮に乗せた、丁寧に巻いてある不可解な草を「私から皇帝への最高の贈り物である」とスタルコフに渡した。彼はモンゴルにいるときには、その草で作られた飲み物を気に入らなかった。帰国の途中、重くなった荷物を捨ててしまおうかと思ったが、最高の贈り物というハンの言葉を思い出し、やっとの思いでモスクワに戻った。見たこともない飲み物を試してみた君主は大変気に入り、その後1679年に中国とお茶の貿易協定を結び、お茶が中国からモスクワまで運ばれるようになった。
18世紀にはお茶の風習が急速に広まり、ロシア人はサモワールという湯沸かし器でお湯を沸かし、好んで紅茶を飲むようになった。砂糖のほかミルク、あるいはレモンを入れて飲んでいる。砂糖の代わりにコケモモやイチゴのジャム、ハチミツなどを食べながら飲む。日本ではロシアンティーを飲む時には紅茶の中にジャムを入れて飲む人がいるが、ロシアではこんなことはしない。別々の器に入れてお茶を飲む。
ある国の食文化を調べることは、その国の国民性についても調べることだと思う。日本人の中でロシア人は、どこか粗野というか、ぶっきらぼうなイメージがあるのだが、例えばロシア正教のしきたりを厳格に守っていたり、昔から伝わる質素な食事を今も日常的に作っていることなどからみると、信仰心が厚く、伝統を重んじていることがわかる。味付けもシンプルなものが多く、油ぎっているわけでもないので、日本人にとってなじみやすい味ではないかと思う。しかし、その量は半端ではないので、お酒と同様、ロシア人と張り合おうとするのは無謀なのかもしれない。
<今日のひとことロシア語>
Щи да каша-пиша наша
(シー ダ カーシャ-ピーシャ ナシャ=シーとカーシャが我々の食事だ、食事はシーとカーシャがあれば十分だ、というロシアの諺)