サミット狂想曲
2007年4月、夕刊一面に“サミット開催地、洞爺湖に決定”の文字が躍った。私は、あるロシア人の先生にこう言った。「サミットが北海道で行われるんですって、プーチン大統領が来るかもしれませんよ!」
先生はこう応えた。「サミットって何の?日本には何とかサミットというのが多すぎる。それにその時の大統領はプーチンじゃありませんよ。」
しかし、この場合のサミットは紛うことなきG8サミット。世界の首脳がこの北海道の地に集結するのだ。誰になるにせよ、ロシアの首脳が来るとなれば、当然我々ロシア極東国立総合大学函館校も何らかの形で関わることになるだろう。
函館市は大統領招致をロシア政府に要請した。ほかにも、根室市と白老町がそれぞれロシアとのゆかりをアピールし、招致に名乗りを上げたが、函館市がその縁の深さから最有力とされた。一生に一度あるかないかの経験、期待に胸がふくらんだ。
年が明け、2008年2月、サフォーノフ・オレグ ロシア大統領府極東連邦管区大統領全権代表が初来日、大統領に直結する全権代表7人のうちの1人という要人が函館校を訪れた。その直前、また新聞が“ロシア大統領、函館訪問へ”と一面で報じた。サフォーノフ氏の来函はその伏線であり、大統領来訪の際には旧ロシア領事館や函館ハリストス正教会、ロシア人墓地、そして極東大学にも立ち寄ると書いてある。朝、家でそれを目にしたときには眠気も覚めた。
それからがちょっとした騒ぎであった。会う人ごとに、大統領が来るんでしょ、すごいですね、などと言われ、貸切バス業者やホテルなどから問い合わせが相次いだ。函館校と同じ建物の中に在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所があることもあり、警察のパトロールも強化された。消防署からの要請で、特別に避難訓練も行われた。だが、あくまでも我々は訪問される側であり、これらの手配に関してはロシア政府と函館市が主に行うことを説明し続けた。むしろ周りの方が熱を帯びている感じであった。
様々なことが想定されていたようだ。洞爺湖に最も近い新千歳空港は、サミット時には参加国の特別機でいっぱいになってしまうことから、函館空港にも各国の政府専用機が駐機するのでは、との観測が流れる中、アエロ・フロート社の日本支社長が視察に訪れもした。函館港を埋め立てて造られた緑の島も、緊急のヘリポートになるのでは、と伝えられた。
マスコミの注目度も上がり、校長や学生に対する取材もかなりの数に上った。日本国内のテレビ、新聞、通信社はもとより、ウラジオストクの通信社、ボストーク・メディアやモスクワの経済新聞コメルサント、モスクワ第一テレビの取材も受けた。モスクワ第一テレビのクルーは、サミット直前から札幌に滞在し取材を進めていたが、ロシアと古くから関わりがあり、今も交流が盛んである函館を日帰りで取材に来たのだった。
函館校では学生の授業風景を撮影したり、函館日ロ親善協会会長へのインタビューなども行った。函館ハリストス正教会や高田屋嘉兵衛の子孫への取材、函館市長への表敬訪問など、札幌へ戻る列車の時刻を遅らせるほど一日を精力的に使い、最後には「番組の中で、函館の話が一番長くなるかもしれません。」との言葉を置いていった。
本当のところ、直前まで誰が函館入りするのか、誰もしないのかはわからなかった。5月に就任したばかりのメドベージェフ大統領は、洞爺湖サミットが本格的な外交デビューの場となることから、各国首脳との会談予定がびっしりで、函館まで来る時間が確保できないとのことであった。
だが、プーチン首相が来るかもしれない、大統領夫人になるかもしれない、別の大臣かもしれない、など、サミット開幕の2、3日前までその状態が続いた。私たちはいつ誰が来てもいいように、廊下に赤絨毯を敷く準備までしていた。
そしていよいよサミットの開幕。道内はもちろん、東京や大阪など本州の大都市でもテロを恐れ、厳戒態勢が取られた。洞爺湖周辺では一般客の出入りや上空の飛行などが厳しく制限された。テレビで“サミット警戒のため、通行止め”などという交通情報のテロップが流れ、現地とは離れている私たちにもなんとなく緊張感と高揚感が漂った。
結局、函館には誰も来なかった。サミットに参加した首脳のうち、地方自治体を訪れたのは伊達市へ出向いたカナダ首相だけに留まった。窮屈な日程だったことと、9.11以降初めて日本で行われる今回は、前回の九州・沖縄サミットにも増してテロを警戒したため、首脳たちが各地を訪問しての交流が見送られたのだ。
終わってみれば、この1年ちょっとの騒ぎは何だったのか、とも思う。しかし、我がロシア極東大学函館校への注目度が高まったのは事実である。それは昔からロシアとの交流を続け、今もなお深いつながりを持つ函館に対する評価でもあるだろう。
来道直前、北海道新聞一面に、メドベージェフ大統領が読者に寄せたサインつきのメッセージが掲載された。大統領は日ロ両国の交流の歴史に触れ、この善隣と信頼の伝統は、今日も生き続けている、とした中で、極東大学の分校が函館に開校したことを一つの例に挙げ、こうした事実がいずれも、友好的な交流を強め、発展させていきたいとの双方の思いを物語っているからだと述べている。
サミットが終了した7月末、また新聞が伝えた。今度は11月にラブロフ外相が“日ロ外交の出発地”である函館への訪問、講演を検討しているという。狂想曲はまだまだ続くようだ。
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