絵になる街・函館では、昔から映画やドラマのロケーションがよく行われる。函館には市や経済界を中心に構成された「はこだてフィルムコミッション」という団体があり、あらゆる面で撮影をサポートしている。
ロケにはエキストラが付き物である。たとえ主役はきれいな女優さんでも、脇役の脇役だとしても、エキストラがいなければ臨場感のない映像になってしまうことだろう。
2006年の秋から2007年の夏にかけて、映画「犬と私の10の約束」の撮影が、ここ函館を舞台に行われた。その最初の頃のロケで、私たちの大学にも、フィルムコミッションからお呼びがかかった。卒業式の後の謝恩会のシーンを撮りたいので、女子学生を集めてほしい、袴を履かせてあげるから楽しいよ、と。ついでにあなたもいらっしゃい、とのことで、私も学生を連れて初めてのロケに喜び勇んで出かけた。
夕方5時に撮影場所である金森赤レンガ倉庫に行くと、まず食事をしてくださいということで、カレーライスが振舞われる。他大学からもたくさん学生が集まっていたので、その場はちょっとした交流の場となった。
食事が済んだ人から着付けや髪のセットをしてもらい、立派な袴姿になっていく。私も袴を履きたかったのだが、学生にしては無理があると言われ、残念ながらスーツ姿で大学の先生役となった(さすがに厚かましかったと反省。父兄にされなかっただけ、まだまし)。
謝恩会場となるレストランに移動し、いよいよ撮影開始となる。女優さんに話しかけてはいけません、とか置かれている食べ物を全部食べてはいけません、など注意事項の説明を受ける。そしてついに、主演の田中麗奈さんと池脇千鶴さんが現れた。二人とも小柄だけどとっても光り輝いている!さすがは名の通った女優さんたち。そしてうちの学生たちはこの二人の同級生役となり、私はその先生役だ。主人公が獣医学部を卒業という設定だったため、私は助監督から“バイオテクノロジーを研究する助教授”という、自分とは全くかけ離れたイメージで演じるよう指示された。
とは言え、セリフがあるでもなく、どの場面がどう使われるのかもわからないまま、謝恩会にお決まりのみんなで記念撮影、や不出来な卒業生を激励する、等を繰り返し繰り返し行う。これなら普段からしていることなので簡単である。撮影は休憩も入れながら、深夜12時近くまで行われた。
終了後、夜食のお弁当と記念のTシャツをもらう。ただ働きのエキストラでも、2食分とおみやげまでいただいて、きれいな女優さんも間近で見られたし、とても貴重な経験だったと思う。うちの学生たちもかわいらしく着飾ってもらえたし、満足満足。
そして、2008年春、その映画がようやく公開になった。長期に渡ったロケにより、函館の街並み、特に函館校のある西部地区の様子が四季折々に美しく描かれていた。函館をよく知る人なら、あれはここ、あれはあそこ、と一々嬉しくなるだろう。犬のソックスの名演技には会場全体が泣いていた。
肝心の出演場面は、というと、窓に背を向けて座る私に、よその学生が何かを説明しているところが遠くから3秒ほど写っているだけであった。それでも自分たちが映っているかもしれないと思いながら映画を見る高揚感は、エキストラ参加でもしていなければ味わえないもの。いい思い出になりました。
今年も新入生を迎え、新しい学年がスタートしました。学年の始まりには授業や学生生活に対するオリエンテーションが行われます。どのようなことをしているのか、ちょっとのぞいてみましょう。
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新入生向けのオリエンテーション。はじめにイリイン校長が、これからの学習に対する心構えを示しました。「ウラジオストク本学の日本学部の学生は、大変優秀であると評判がいい。日本に留学したことがなくても日本語が上手に話せるようになる。なぜかと言うと、長年培われた教授法がいいからだ。ここ函館校でもその教授法を用いて日本人にロシア語を教えている。勉強は厳しいが、まじめに勉強すれば、みなさんも必ずロシア語を習得できるでしょう。ロシア語を上手に話せるようになるには、日本語と英語の勉強も大切です」と。
続いて教職員紹介があり、教員を代表して英語と実用ロシア語を教えている鳥飼准教授が、「学習の手引き」をもとに具体的な勉強方法について話しました。また事務局より、校舎の利用方法や学校生活を送る上で必要となる様々な手続きについても説明しました。
最初は緊張の面持ちで聞いていた新入生たちですが、鳥飼先生恒例のフルーツ・バスケットで気持ちをほぐし、少しはお互いの人となりを知ることが出来たようです。
午後からは学生自治会主催による在校生との対面式が行われ、その中でロシアまつりやマースレニッツァといった学校行事について、自治会役員がスライドショーを見せながらの説明も行いました。
新入生のみなさん、早く学校になじんでくださいね。
今回の広告制作の手順は以下のとおり。
まずロシア連邦観光局から委託を請けたモスクワの広告代理店ターゲット・メディア社から提供された資料を元に、写真を選定し、コピーを考えます。ポスターなら教会の尖塔が立ち並ぶロストフ・ヴェリキーの写真を選び、「そこにしかない風景。」をキャッチコピーに、「そこにはアジアでもヨーロッパでもない風景があります。石造りの聖堂や教会、修道院、クレムリン…。はじめて見るけれどどこか懐かしい、日本から最も近い異国ロシアへ。」という文章が続くといった具合です。
新聞広告は計8回、ヴォルガ川やタイガ、田舎暮らし、バイカル湖など、多岐に渡るロシアの魅力にスポットを当てました。シベリア鉄道の回では「またとない退屈」と題し、「はじまりは富山。フェリーに乗りウラジオストクへ。そこから、世界最長のシベリア鉄道にゆられ、モスクワまで1週間の旅。同乗する人々との語らい、車窓に広がる広大なタイガやバイカル湖の眺め。心地よい退屈に身をまかせましょう。」という感じです。
函館校教職員が写真を選びながら活発なブレーン・ストーミングをして文章をひねり出す。写真と文章を函館の広告代理店に渡すと、それをもとにデザインしたものを4パターンほど作ってくる。その中から、ロシア人と日本人がそれぞれの感覚で意見を出し合い、1つの案に絞る。ロシア側から提供された写真に思い描くようなものがない場合は、我々の手持ちの写真を使うほか、時にはロシア在住の卒業生に頼み、写真を撮って送ってもらう。
そう、特筆すべきは、この卒業生による協力です。日本側代理店である(株)函館国際貿易センターでも、函館市内で屋外広告を製作・設置した会社でも、中心になって働いたのは、実は函館校の卒業生たちなのです。
函館校から発信するこのキャンペーンが、教職員そして卒業生の英知を結集し、日本とロシアをつなぐとしたら、なんと素敵なことでしょう!
“WELCOME TO RUSSIA” ~またロシアへ行きたくなりませんか?(おわり)
今回で9回目となり、函館にすっかり定着したイベント、「バル街」。函館の旧市街(西部地区)をスペインのバル街に見立てて飲み歩くというもので、バル街のある夜は函館校の周りも陽気な酔客で賑わいます。
しくみを簡単に説明すると、5枚綴り3,000円のバル街チケットを買い、バル街マップを見ながらいろいろなお店をはしご酒するというイベント。各店ではチケット1枚につき、自慢のピンチョー(おつまみ)と飲み物を提供します。ここ西部地区には素敵なお店がたくさんありますが、普段興味があっても入りづらかったお店にも気軽に入ることができると評判です。
そのほか、人力車の無料乗車体験やフラメンコの上演など、チケットを使わなくても楽しめるイベントもたくさん予定されています。
そんな中、北海道国際交流センター(HIF)が主催する“フィエスタ・デ・バル~世界ガチャガチャ夜市~”に私たち函館校も協力することになりました。
当日はアメリカン・カントリーやジャズのライブ、ポルトガル・タイ・中東などの世界のお菓子&お茶コーナー、フェアトレードショップなどが楽しめます。
函館校が参加するのは世界の民族衣装試着コーナー。ベトナム・インド・マレーシアなどの国とともに参加します。お手持ちのカメラで自由に撮影していただけますので、デジカメやカメラ付き携帯を手に、是非遊びにいらしてください。
<フィエスタ・デ・バル~世界ガチャガチャ夜市~>
日 時:平成20年4月18日(金) 18:00~21:00
場 所:函館市国際交流プラザ 大会議室
(函館市元町14-1 函館校建物の1階です)
*バル街チケットは必要ありませんので、どなたでもお気軽に。
函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第55号を函館校のページに掲載しました。
今回の巻頭言は、中村勇人 前事務局次長による「タイドプールとしての函館校」。先頃本校での2年間の任期を終え、函館市に復帰した中村さんが、函館校での出会いについて語っています。
また、今春函館校を卒業し、社会への第一歩を踏み出した若者たちが、学生生活に対する思いも寄らない心の内を述べていて、興味をそそります。是非ご一読ください。
美しく重厚な文化遺産と個性豊かな自然があふれるロシア。
連邦政府は現在、アジアやヨーロッパ諸国からの観光客誘致に力を入れており、2007年からは日本もキャンペーン対象国となりました。日本でまだ知られていない魅力を紹介すべく、ロシア連邦観光局がキャンペーンを進めるにあたり、函館にいる私たちがそのお手伝いをした顛末をお話しましょう。
この仕事は株式会社函館国際貿易センターが日本側代理店として受託、日ロ双方の事情に精通するわが函館校がアドバイザーとして、ポスターや新聞広告制作などに協力したものです。
すべてに共通するキャッチフレーズは“WELCOME TO RUSSIA”。
そして2007年、第1回目のキャンペーンとして函館市内の空港や電停・観光地など約30ヵ所に屋外広告を設置すると同時に、北海道内で新聞広告を掲載することから始まりました。
このときには「ロシア歴史に出会う旅」と題し、モスクワからサンクトペテルブルクへと続く“NEW GOLDEN WAY”の8都市について紹介しました。
ロシアと言えば、モスクワ北東部の古都を結ぶ“GOLDEN RING”、いわゆる「黄金の輪」が有名ですが、今回はまだあまり知られていない町、トルジョクやヴェリキー・ノブゴロドなどを紹介するのが目的でした。
この函館市内での広告が好評だったため、次なる展開としてロシア側は東京でのキャンペーンを提案してきました。たとえば、東京の広告代理店が地方へ発信するのは普通のことですが、地方から東京へ、しかも外国政府の仕事を請け、仕掛けることは、異例のことと言えるでしょう。
第2回目のキャンペーンとして、B0サイズ(1.5×1メートル)のポスターが国会議事堂や桜田門といった東京メトロ40駅に2008年3月中の約2週間、貼り出されたのです。
同時に2~3月の間、北海道およびウラジオストクとの定期航空路を持つ富山県にて新聞広告によるPRも展開しました。(つづく)