ガンガン寺と河村伊蔵
「ガンガン寺」として親しまれている函館ハリストス正教会復活聖堂は、ロシア正教独特のキューポラを持つ白漆喰の美しいビザンチン様式の建物で、「函館の顔」とも呼ばれる。もちろん重要文化財だが、設計者は「河村伊蔵」という人。
河村伊蔵は、慶応元年に愛知県で生まれている。明治16年に18歳でニコライから洗礼を受けてロシア正教の道に入り、最後はニコライ堂の聖職者として亡くなっているというから、元来教会の人である。
その伊蔵は、明治40年頃から正教会の営繕課長のような役回りを果たすようになり、自ら国内のいくつかの教会の設計までするようになるが、もともと建築の教育を受けた形跡はないし、また、ロシアに渡った経験もないようなので、どうも見よう見真似であそこまで造ってしまった、ということになるようなのだ。やはり昔の人にはかなわない。
このほかにも函館は、無名の建築家たちが、和洋折衷の建物や旧函館区公会堂など全国に知られるとても素晴らしい作品を残してきたまちなのである。
大正5年、ハリストス正教会は竣工している。その時、伊蔵51歳。当時としては初老ともいえる年齢だ。ハリストス正教会が見せる優雅で落ち着いた表情は、伊蔵がそれまで積み重ねてきた人生の経験と信仰の深さによるものかもしれない。
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