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2006年11月17日

グータラ猫のウラジオ日記 2 アニメの芸術!?

先日、大学の事務室でのこと。秘書のイーラさんが、なにやら見たこともない学生らしき女の子と話していました。そしてイーラさんは私を指差し、
『彼女が日本人よ、聞いてみたら。』 
(私!?なにかしら・・・、ロシア語はできないわよ。)
と、思っていたら案の定、その学生らしき女の子はベラベラのロシア語で話しかけてきました。いつもならやさしく訳してくれる先生方もなぜかその日は知らんぷり。
OK OK。今まであまりにも先生方に頼りすぎていたんです。今回は自分の力で会話するぞ!!女学生(昔風)よ、何でも尋ねるがいい!
女学生『ペーラペラペラ・・アニメの芸術を教えて下さい。』
私  『ええっ、・・・アニメのゲイジュツですか!?』
女学生『はい、そうです。アニメの芸術。』
・・・アニメに芸術があるのか!?
女学生『ペーラペラペラ・・そのほか漫画というものはいつ世に現れたのか・・。』
私  『!?!?』
・・・知らね~
女学生『漫画とは、アニメとはなにか!?言葉の由来なども知りたいです。』
私  『・・・あのう、専門家じゃないんで分からないです。ごめんね。』
女学生『いえ、知ってる限りで、本当に大体でいいです。』
大体って言われても・・・知らんがな。日本人のみなさん、彼女の質問に誰か答えられますか?特に『アニメの芸術』。日本語でもさっぱりです。『芸術としてのアニメ』と訳した方がいいのでしょうか、どちらにしてもチンプンカンプンです。
それにしてもロシアでは、ずいぶんと『アニメブーム』だと感じます。アニメの他に、『ビジュアル系バンド』も、流行ってきています。例えば 「ラルク・アン・シェル」「マリスミゼル(特にGackt)」「Xジャパン(特にhide)」など。つい最近はナイトクラブで『コスプレパーティー&ジャパニーズロック』や『変態アニメパーティー』などという訳の分からぬ催し物があったりします。勝手に日本のイメージをどんどんよく分からぬ方向に持っていかないでくれと思ったりしますが、ロシア人の方にとっては新鮮なのでしょうね。
 そんなこんなで、その「アニメ・漫画とはなんぞや」というのを私が家で調べて、彼女とは二日後に会うことになりました。
                 二日後
ロシア人先生『あっ、長谷川先生、テレビ局が来てスタンバイしてますよー。』
私     『は?テレビ局ですか、知りませんね~。』
ロシア人先生『ん?でも長谷川先生にアニメのことを聞くって。』
私     『ええ!?アニメですか!?ああ、あー!!!えー!!!あー。アニメねー。』
ロシア人先生『もー、先生有名人ですねー!』
私   『あーんー、そーですねー!テレビ局かー、ふーん、そうでしたかー。』

ハハハハ。そうでしたか、彼女はテレビ局の人間だったんですね。困りました。私は彼女のためにアニメについて詳しく書いてあるインターネットサイトのアドレスだけ調べて来ただけでした。事務室に行ったら、あの女学生らしき、実はインタビュアーの女性がマイクを持って立っていました。
私 『ごめんなさい、実はあなたがテレビ局の人だと知らなくて、だから私自身はアニメ
について何も調べてなくて、これ、ここのサイトに色々書いてあるから、これ見て
ね!撮影はかんべんしてね(芸能人か!)。』
実はインタビュアーの女『そんな、せっかく来たのに困ります。一分でいいからお願い!
アニメの芸術についてざっくばらんにほんの少しでいいから。』
・・・だ~か~ら、普通の日本人はその『アニメの芸術』がわからんっちゅーの!
そんなアワアワした状況の中、秘書のイーラさんは、わざわざ授業の始まりを待っている
学生たちに『長谷川先生はテレビ撮影があるからちょっと遅れていきます。』と伝えに行き、
もう逃げられない私は、撮影の了解をせざるを得なくなりました。昨日、サイトのアドレ
スを見つけたとき、少しだけ覗いたので、なんとか答えてあげましょう。よし来い!
インタビュアー『漫画はいつごろ現れたのですか?』
私 『平安時代にそれらしきものが現れたそうです。本格的に漫画というものが定着した
のは昭和です。』
インタビュアー『漫画というのは、もともとどういう意味ですか。』
私 『知りません。』
インタビュアー『分かりました。どうもありがとうございます。』
 
え?これでいいの?ってくらい簡単に終わってしまいました。つまり、日本人の映像が欲しかったのね、なーんだ。じゃあ中国人でもいいじゃん!

インタビュアー『ありがとう!土曜の夕方5時にあなたの映像が入るから見てね!』

ははは・・・見ませんよ。インタビューだって分かっていたらもっと美しい格好をしたのに、いつもよりもっと髪のカールを強くかけたのに。赤いルージュさえ引いて行ったのに!!
それよりも、彼女が知りたがっていた「アニメの芸術」とやらはどこにいったのやら、また、「アニメの芸術」とは何か答えられる人がいたら、逆に私がインタビューしたいものです。でも、もし答えるとしたら宮崎駿とか、ああ言う映像の細かさや、ゲームソフトの「ファイナルファンタジー」なども、バーチャルの世界ながらあそこまで生の人間の動きに近づくと、「芸術」にふさわしいのでしょうね。ああ!今、思いついた!こういうのを言えばよかったんですね。残念・・・。

さあっ、みなさんも、一度「アニメの芸術」とやらを考えてみてください。それでもって、答えが出た人はコメントに書いてください。これからのアニメ好きロシア人対策の参考にさせていただきます。
でわでわ 今日はここまで。にゃ~ろめ!
2006年11月12日 極東大学 寮にて

極東国立総合大学附属東洋学大学 日本語講師 長谷川里子

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2006年11月07日

新宿中村屋とロシア

 私が新宿中村屋と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、インドカリーである。創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻は日本に亡命したインド独立運動の志士・ボースを保護し、彼は後に夫妻の長女と結婚した。中村屋のカリーはボースが伝えたもの、だから「恋と革命の味」なのである。
私がそのエピソードを知ったのは、学生の頃、国文学講義の時間だった。新宿中村屋は芸術家を育てるサロンとして、多くの人々が集まる文化の発信地だったという。
 また、偶然だがその頃、年末年始になると私はデパート地下の和菓子売り場でアルバイトをしており、新宿中村屋の商品を売っていた。講義で聞いたことを思い出し、創業者やサロンにまつわる人物の名前がついた商品を面白いと感じていた。そしていつか、新宿の本店でインドカリーを食べてみたい、と憧れていた。
それは社会人になり、東京に出張した際、ついにかなえられた。テーブルに着くと、カリーの説明が書かれたメニューを見て、思いを膨らませながら待った。チキンレッグがごろんと入ったカリーが運ばれてきて、これが恋と革命の味か!と感激しながら食べた。おいしかった。
 不覚にも、その中村屋がロシアとも関わりがあると知ったのは、それから10年以上経った頃のことだ。ロシアの盲目の詩人、ワシリー・エロシェンコの研究をしているアニケーエフ教頭の調べ物を手伝っていたとき、私は再び中村屋に出会った。エロシェンコも中村屋サロンの一員だったのだ。相馬黒光はロシア文学を愛し、ロシア語が堪能だったとか。しかも、中村屋のレストランの制服はロシアの民族衣装・ルバーシカであり、エロシェンコ直伝のボルシチがあのインドカリーと並ぶ、開店当初からの看板商品だったとは!それにはとても驚き、あらためて中村屋の奥深さを知ったのである。
 そしてこの度、新宿中村屋さんのご協力により、私たちロシア極東大学函館校の「はこだてロシアまつり」で、ボルシチの缶詰を販売できることとなった。
 まつりの目玉、ロシア料理レストランでは毎年ロシア人教員手づくりのボルシチを提供するが、お持ち帰りを希望するお客さんも多い。レストランのボルシチを持ち帰ることは出来ないが、今年は中村屋さんのボルシチ缶を買って帰り、ご家庭で志高い中村屋の精神と、ロシアとの関わりに思いを馳せてみるのもいいのではないでしょうか。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

 
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2006年11月02日

二度目の留学

 新潟から飛行機で約一時間半かけて、私はまたウラジオストクにいた。九月の半ばで、函館ならそろそろ涼しくなる頃なのだが、ウラジオストクはとても暑かった。寮に向かうマイクロバスの中で、古く懐かしい友人に会っているような感覚を覚えた。夜の空の色やウラジオストクの空港、去年見たままの景色。日本と似ている、といつも思う。約一年半ぶりのウラジオストクは何も変わらずに私を迎えてくれた。

 去年と違うのは留学する時期が違っているということだけだった。去年は春で今年は冬である。”ものすごく寒い”という言葉に驚かされながら着いたウラジオストクは、まだ夏ということもあり、思いのほか暖かくむしろ暑いといっても良いくらいだった。毎日晴れていて,今年は少し長く夏を過ごしているような気分になった。
  前に一度留学しているという経験はすごいものがあり、割と早く寮の生活に慣れていった。元々ひどく体が弱いくせに胃だけは強いので,今のところお腹をこわすこともなく、おいしくロシア料理を食べている。
  函館では用事のある時にしか外に出ないのだが、ここウラジオストクでは授業が終わった後、すぐ外へ出掛けている。いろいろなお店を見てまわったり、アイスやピロシキを買って食べながら散歩をしたり、ロシア人の友達と遊びに行ったり。外に出ても寮にいても、日本では無い発見がたくさんあり、驚くことの連続である。

 ウラジオストクに着いて半月くらい経った頃に、ようやく寮に住んでいるロシア人ではない外国人と話すようになり、親しくなった。お互いの共通語がロシア語なので、もちろんスムーズに会話はできないのだが、顔を見かけると必ず話し掛けてくれるので、それが嬉しいし楽しい。ロシア人以外の外国人にも自分のロシア語が伝わる喜びは大きい。
 私は寮の中の台所(кухня)が好きだ。去年もそう感じたが、いろんな国の人と交流ができる。私自身このкухняで料理をすることはほとんど無いのだが、それでも一日に何度か足を運び、ここで国際交流をしている。そして日にちが経つにつれ、このウラジオストクに来なかったら、絶対にこの人達には会えなかったんだな、という不思議な気持ちになった。日本でもロシア以外の国でも会えない人達に、ここで会っているということに、ちょっとした驚きと共に感動を覚えた。そう思うとこの留学は本当に貴重だ。きっと一生のものになるだろう。

 こんなことを書いているうちに、雪が降ってきた。暑いと感じていた季節も終わり、これから”ものすごく寒い”という季節になる。二時間差だった時差も一時間に変わったりする。全てここにいないと経験できないことで、それが不思議だ。
 ウラジオストク、もしくはロシアのどんなことで驚き、どんな発見があるのかは、ぜひ自分自身で経験して確かめてほしい。ロシアでは色んな理不尽なことや、良い意味でも悪い意味でもアバウトなことを経験すると思う。きれい好き過ぎる日本人にとっては苦しい部分もあるだろう。でも、一日に部屋の中で最低二匹はゴキブリを見たとしても、私はこの寮と部屋とロシアが好きだ。
hiranuma.jpg

ロシア極東国立総合大学函館校 ロシア地域学科3年
平 沼 多 恵


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