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2017年09月12日

はこだてカルチャーナイト2017のご案内

 9月22日(金)、市内の文化施設や教育施設などを夜間開放し、家族そろって地域の文化に触れるイベント、「はこだてカルチャーナイト2017」が開催されます。
 ふだん何気なく通り過ぎていても、見る機会がなかった建物や入りづらかった公共施設を見学する絶好の機会であり、各施設趣向を凝らした内容で、様々な体験をすることができます。
 本校は今年もこのイベントに参加します。毎年多くの家族連れでにぎわっています。みなさまのご来校をお待ちしております。
秋の夜長、地域の文化を探検しにでかけませんか?

  日 時:平成29年9月22日(金) 17:30~20:00

  場 所:ロシア極東連邦総合大学函館校ロシアセンター

  *ロシア語で遊ぼう
   ロシア語のアルファベット表を見ながら、
   自分の名前カードをつくってみましょう。
   英語と似ているけれど、ちょっと違う、
   キリル文字で書くと不思議な感じになります。

  *ロシア民族衣装試着体験
   美しいロシアの民族衣装を着て、
   お手持ちのカメラや携帯電話で記念撮影はいかがですか。
   衣装は男性・女性・子ども用と取りそろえています。

  *本校オリジナル人形劇の人形を動かしてみよう。

  *写真展
   (本校学生が撮影してきた最近のロシア・エカテリンブルグほか)

  *ロシア民芸品の展示、DVD上映

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2017年09月04日

2017年極東大学オリジナルカレンダー 9月は?

 ウラジオストク市内の噴水通り(アドミララ・フォキナ通り)をまっすぐ抜けると、スポーツ湾に出ます。
 地元のロシア人にとっては、夏にここで海水浴をしたり、釣りをしたり、近くの遊園地で子どもが遊ぶなど楽しい場所となっています。
 また季節関係なく、ここは夕日の絶景スポットです。そのため、ウラジオストクに住んだことのある人にとっては有名なデートスポットでもあります。オレンジ色に染まる海岸をゆっくりと散歩。限られた時間しか見ることのできない自然の美しさを皆、堪能するのです。
 写真を撮影したこの日も、落ち着いた雰囲気の中、老夫婦が手をつなぎ海岸沿いを歩いていきました。
 ここはウラジオストクの人にとって、憩いの場なのです。

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2017年08月28日

はこだてグルメサーカス2017のご案内

 函館日ロ親善協会では、今年も「はこだてグルメサーカス」に参加します。大門グリーンプラザ会場で開催される「開港都市と姉妹都市のひろば」に出店し、ボルシチとピロシキの販売を行います。どちらもお持ち帰りできますので、おみやげにもどうぞ。
 函館と姉妹・友好都市関係にある国や日本全国のご当地グルメが楽しめるグルメサーカスに、ぜひお越しください!
 
<ウラジオストク市・函館日ロ親善協会のブース>
日 時:平成29年9月2日(土) 10:00~17:00
           3日(日) 10:00~16:00

場 所:大門グリーンプラザ 開港都市と姉妹都市のひろば

メニュー:ボルシチ         600円(各日150食)
     ピロシキ(肉)      200円(各日300個)
     
    
*なくなり次第終了しますので、お早目のご来場をお待ちしております。


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2017年08月25日

ペテルブルク・モスクワ旅行記7

<7日目>
 そしてモスクワを離れる日となった。昨日でインターンシップの予定はすべて終了しているので、空港に向けてホテルを出発する15時まで自由行動となる。開場と同時にクレムリンに入るため、朝食とチェックアウトを済ませホテルに荷物を預けたら地下鉄で街の中心部に向かう。
 モスクワの地下鉄は非常に便利であるが、中心部では路線が交錯しているため降りる駅を勘違いしてしまい、またしても道を尋ねながらクレムリンまで少し歩いた。しかし偶然にもチャイコフスキー像のあるモスクワ音楽院の前を通ることができたのはラッキーであった。
   

 クレムリン周辺にはモスクワの見るべき建物が集まっている。最初の目的は武器庫を見ること。ガイドブックによればクレムリン内部の共通入場券とは別に武器庫の入場券を買わなくてはいけない、販売時間も決まっており、人気があるので売り切れてしまうこともあるそうな。まずはチケット売り場に並ぶ。すると私の前のロシア人客が窓口の怖そうなおばさんにえらく怒鳴られている。きちんと注文しないと怒られそうだ。二つ合わせて1,200ルーブルをおつりのないように用意する。私の番となり、意を決して「武器……」まで言うと、黙ってクレムリンと武器庫2枚のチケットをバンバンと出してくれた。外国人観光客にはやさしい(?)ということか。
 
 金属探知機をくぐり、早速クレムリンに入場したら、まずは武器庫に向かう。物騒な名前であるが、中身は歴史博物館である。歴代皇帝の王冠やダイヤモンドが散りばめられた玉座、エカテリーナ2世が戴冠式に着用したというドレスが見もの。ドレスはロマノフ王朝の紋章である双頭の鷲が全面に刺しゅうされ、後ろに長く裾を引いている、権力者が着るにふさわしい手の込んだもの。圧巻なのは馬車がぎゅうぎゅうに並べられた部屋。部屋いっぱいにたくさんの馬車が押し付け合って並べられていて、文化財保護の観点から見れば、もうちょっと隙間を開けて展示しないと傷むのでは、と心配してしまう。
 

 武器庫を出たら聖堂広場に移動する。共通入場券ではここにある5つの教会と宮殿に入ることができる。ロシア皇帝が戴冠式に臨むウスペンスキー大聖堂には祭壇に向かいイワン雷帝と皇后の玉座が置かれている。ロシア皇帝の墓所となっているアルハンゲルスキー聖堂には48もの棺が安置されている。フレスコ画が美しかったり、それぞれに特徴があるため、全部入った方がいい。どこかの教会に入る時、武器庫のチケットも一緒に出したら「武器庫は入る時間が決まっているから先にそっちに行け」と言われた。よく見るとたしかに10時開始と書いてある。しかしその時間前でも入れてくれたということだろう。もう見てきた、と言うと「早いな」と驚かれた。
 
 
 クレムリンを出たら赤の広場を抜けて、ワシリー寺院に行く。私のイメージでは赤の広場はだだっ広い荒涼な印象だったが、夏のこととあって広場内に仮設のスタジアムが建設されていたので、ソ連崩壊時に激動の歴史の象徴としてテレビに映し出されたあの感慨はまったくなかった。サッカーの試合でもするのだろう。
 

 スタジアムの周りには物産展のテントが立ち並び、お菓子や民芸品などが販売されている。その中に日本の緑茶を試飲させるテントがあり、日本人が日本人にお茶を勧めていた。
 

 ロシアで最も有名な教会といっても過言ではないワシリー寺院の周辺は混雑していた。ところがチケットを買うために窓口に行くと閉まっている。その隣の券売機も動いていない。どうすればいいんだ、ここまで来てワシリー寺院に入れないのか、あまりにも悔しい!もうあまり時間はなかったが、ほかのお客さんとともにしばらく待ってみると、窓口のおばさんがのっそりと戻ってきて何事もなかったかのようにチケット販売を開始した。休憩に行っていただけなのか、それとも入場制限でチケットを売らなかったのかはわからないが、ともかく内部に入ることができた。
 
 ワシリー寺院は純ロシア式の教会で、外観はサンクトペテルブルクの血の上の救世主教会と似ているが、こちらのほうが歴史が古く、中に入ると印象は異なる。9つあるクーポラの一つひとつが教会になっているため、迷路のような階段を上がったり下りたりしてアーチをくぐるとイコノスタスが現れたりする。一つの教会では聖歌隊がお祈りを捧げている場面に遭遇した。建物自体がすごく古くて照明も暗い。内部の天井や壁には文様が施され、歴史を感じる趣がある。
 

 駆け足だったがモスクワの名所を見学できてよかった。急いでまた地下鉄でホテルそばのパルチザンスカヤ駅に戻る。今回の大事なミッションは、ロシアの民族衣装など学校で使用する物品を購入すること。これはロシアでも簡単に手に入るものではないが、偶然私たちが泊まったホテルのすぐそばに民芸品がたくさん売っている市場があるということで、そこに行くのが実は本日最大の使命。ホテルの部屋から見えるディズニーランドのような一帯、あれは何だろう?と思っていたら、そこがその市場「ヴェルニサージュ」であった。モスクワ在住の日本の方に聞いてもみなさん、おみやげを買うなら種類も豊富で値段も安いあそこがいいよ、と勧めてくれた。
 

 平日のことで開いていないお店も多かったが、マトショーシカや毛皮の帽子を売るテント屋根の小さな屋台が両脇に連なり、それが3列ほど並んでいた。お目当てのものはなかなか見つからない。絵付けに使う白木のマトリョーシカを探したが、扱っているのは1店舗のみで、店前には3個しかないという。もっと欲しいと言うと、こっちに来いとテントの裏の方へ少し歩いて案内される。そこにはテントではない実店舗があり、白木の木工品ばかりが売られていた。しかしやっぱり必要な数はそろえられず、明日工場から持ってくるからもう一度来いと言われた。いや、今日の飛行機で日本に帰るんだと答えて、ある分だけ購入した。

 


 次に民族衣装を探す。学校では行事の際、民族衣装試着体験でお客様に来てもらったり、合唱サークルが着て歌ったりするためのもの。普通の洋服しか売っていない店で尋ねたところ、民族衣装のみを扱う店は市場の中でも1店しかないといって、そこに案内してくれた。
 

 その店には感じのいいお兄さんが一人いて、いろいろと見せてくれる。だがロシア人サイズでどれも丈が長いので、もう少し身長が低い人用のものが欲しいなどあれこれ言うと、ちょっと待ってろとママを連れてきた。ママもたいそう感じがいい。息子がサラファン(女性用のドレス)に合うココーシニク(頭飾り)を選んでくれる。しかしここでも数がそろわず、明日持ってくるからまた来い、と言われる。今日帰らなくちゃいけないんだ、と断り、赤いサラファン3枚と赤と青のココーシニクを買ったところ、ママに「青のココーシニクはこの衣装には合わない」と言われたが、そうじゃなくてすでに持っている青いサラファンに合わせるのだ、と答えると息子が「ママ、この娘(ロシアではいくつになっても娘さんと呼ばれる)はわかっている、心配いらない」などと会話している。領収書をくれと頼むと手書きでいいか、と明細まで丁寧な筆記体で書いて渡してくれた。また来てねー、明るい親子とのなかなかいい出会いであった。
 

 そして自分用に毛皮の帽子も買う。ロシアで毛皮の帽子なんてベタなこと、自分がするとは思っていなかった。しかし青空の下、ラックにずらりと帽子が掛けられ、興味をそそる。一つ手に取るごとにおじさんが「チンチラ」、「ミンク」と毛皮の種類を教えてくれる。品質がいいか、値段も適当かはわからないがすごく柔らかくて暖かそう。チンチラの毛皮がバラのように巻かれてできた帽子を被ると、「おお、一番美しいのを選んだな」と言われ、頭頂部が少しふくらんでいるのは女性の髪の毛をアップにして入れるためだと教えてくれた。こんな帽子は日本では売っていないだろうと思い、そのまま買ってしまった。とても楽しいヴェルニサージュ市場であったが、たくさんのお店が開く土日はもっと楽しいだろうな。
 
 しかしもうタイムリミットである。ホテルに戻って預けていた荷物を受け取り、ロビーで空港までの送迎車を待つ。運転手のゲンナジーさんは韓国系ロシア人であった。カタコトの日本語を話すので不思議に思ったら、娘さんが結婚して横浜に住んでおり、日本にも行ったことがあるという。
 それにしても聞きしに勝るモスクワの渋滞。4車線もある広い道路でも少しの隙間があれば車線変更し割り込み、進もうとする。みんながそれをするので危ないし、結局のところあまり進まない。2時間も前にホテルを出たのに。到着した時は空港からホテルまで40分くらいだったのに。金曜日の夕方は特に混むとのことで止むを得ないが、ちゃんと飛行機に乗れるのか、ゲンナジーさんは次の仕事に間に合うのか、お互い次第に無口になり道路の隙間を縫う。そしてギリギリで何とか到着。スーツケースをボンボンと下ろして、お別れもそこそこ、ゲンナジーさんは次の仕事に向かい、私たちはアエロフロートの長蛇のチェックインカウンターに並ぶ。結果、空港で水を買う時間もトイレに行く暇もないまま帰国便に乗り込んだ。余韻に浸る間もなく、慌ただしくロシアの地を離れることとなってしまった。

 アエロフロートの機内ではおいしいブリヌイの食事が提供された。英語で話しかけるキャビンアテンダントにはロシア語で応答する。そのまま寝てしまい、起きるとシートの前ポケットに英語の税関申告書が挟まれていた。隣の日本人は日本語の申告書をもらっていた。私はヘンなロシア語をしゃべる韓国人か中国人かわからないヤツだと思われたのだろう。
 

 帰りの便は夜間飛行だったので、天気が良ければシベリア上空からは暗闇に油田から上がる炎がポッ、ポッ、と見えてとてもきれいだと聞いた。しかし残念ながら席は窓際ではなかったので何も見えなかった。次の機会のお楽しみ。
 1週間でペテルブルクとモスクワを知るにはあまりに短すぎるが、今回は仕事とはいえ、とてもいい経験をさせてもらうことができた。この機会を与えていただきお世話になったみなさま、現地で出会ったすべての方々に感謝を申し上げます。(おわり)
 

                   

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2017年08月01日

2017年極東大学オリジナルカレンダー 8月は?

<8月>ペテルゴーフ(サンクトペテルブルク)

 ピョートル大帝の夏の宮殿「ペテルゴーフ」の見どころは、何と言っても150以上もある噴水です。その中でもひときわ目を引くのが、大宮殿前のБольшой Каскад=大滝です。
 ペテルゴーフにある噴水は、すべて動力を使わず自然の高低差だけを利用して噴き出し、フィンランド湾に注いでいます。
 抜けるような青空と大宮殿を背景に勢いよく噴き出す水、黄金に輝く銅像。夏のシーズンにしか見られない迫力ある光景です。あまりにきれいで、カレンダーでも作ろうかと思うきっかけとなった1枚です。
 

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2017年07月11日

日本人と「ロシアパン」:明治初年の函館から戦前の樺太まで

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度3回目の講話内容です。
テーマ: 日本人と「ロシアパン」:明治初年の函館から戦前の樺太まで
講師:倉田 有佳(本校准教授)

 日本における「ロシアパン」ブームに大きな影響を与えたのは、日露戦争(1904~05年)とロシア革命(1917年)でした。今回、特に注目したいのは、日露戦争後、日本領となった北緯50度以南の樺太に残留したロシア人と「ロシアパン」との関係です。
 明治末年に東京で「ロシアパン」ブームが起こり(参考『パンの明治百年史』)、箱車で「ロシャパン」を売り歩く姿をよく目にするようになりますが、それに一役買ったのが樺太残留ロシア人でした。中には東京や神戸で「露式麹包行商」し、多い時で1日1,500個を売りあげることもあったと語る者もいました。ただし、給料未払いなど、雇い主の日本人との金銭トラブルは絶えなかったようです。
 札幌のパン屋からロシア人をスカウトした東京の雇い主のように、彼らが元流刑囚(殺人犯)だったことを知らずに雇い、パン売り間の殺人事件(1909年4月)が起きて初めて素性を知り驚愕するケースもありました。
 一方樺太では、駅で残留ロシア人が日本人にパンを売っていました。中里(現ミツリョフカ)駅で、赤ん坊の頭ほどの大きさのパンを布に包み、「温かいパンパン」と言って売り歩く少女マルーチャ、「ポーランドのパン」と書いた帽子を被って白浦(現ヴズモーリエ)駅でパンと牛乳を売るアダム・ムロチコフスキーの姿は、樺太を訪問した日本人が旅行記で紹介されるほどでした。
 「露西亜パン」は、旅行者が列車の窓から買い求める名物となっていきますが、通学途中の女学生にとっても、列車の待ち時間に白系ロシア人のおじいさんからアンコがぎっしり入ったアンパンを買うのは楽しみだったようです。

 函館における「パン」の始まりは、幕末開港期、居留地に暮らす外国人向けのパンでした。明治期になると、函館に入港する外国船へ納品する「食用パン」の製造販売が主流となります(東洋堂、五島軒)。ホテル「ニコラエフスク」(通称「ロシアホテル」)で「下男」として働いていた藤田(後に柴田と改姓か)幸八のように、そこでの経験を活かして同ホテル跡地(大町築島)でパンの製造販売を始める者もいれば、東洋堂の中村作兵衛のように、日本人が作る良質の「パン」作りを目指して奮起した者もいました。
 東京での「ロシアパン」ブームが下火になっていた頃(明治42(1909)年8月)、ロシア人が製造販売する元祖「露西亜パン」を看板に売り出したのが「京屋商店(京屋店とも)」です。同業者(恵比寿屋)には脅威と映ったのか、『函館日日新聞』には両社の広告が頻繁に打たれていますが、不況も相まって、期待したほど商売は振るわず、開業半年足らずで休業に追い込まれます。この時、雇い人(日本人)が約束の額の給料支払いに応じなかったため、ロシア人はロシア領事館の日本人通訳を連れて裁判に臨み、勝訴しました。
 大正・昭和期は、大都市のパン屋ではロシア革命後に流入・定住したロシア人(白系ロシア人)を雇うようになりますが(東京の木村屋、横浜の不二家)、函館の場合は、自宅で作ったパンを売りに市中に出かけて行きました。こうしたロシア人のパン売りは地元紙で取り上げられ、函館郊外に暮らす旧教徒(古儀式派)が銭亀沢の漁港に黒パンを売りに来ていた姿などは、今なお市民の記憶に残っています(『函館市史 銭亀沢編』)。

 まとめとして、気になるポイントを挙げると、
 ① 明治期における「食パン」は、「菓子パン」のように小売り(直販)ではなく、卸売販売が主で、英国の東洋艦隊をはじめとする外国船の外国人が顧客でした。当時の函館で「ロシアパン」のブランド力はさほど高くはなかったようです。「ロシアパン」が市民にとって身近な存在となるのは、ロシア革命後、函館に定着した亡命ロシア人を通してでした。
 ② 明治末期、雇い主の日本人との金銭トラブルが多々あった東京では、ロシア大使館が無関心で(被害者が元流刑囚ということもあってか)、被害者は泣き寝入りするしかなかったようですが、函館では、ロシア領事館があったおかげで、ロシア人の権利は守られました。
 ③ 日本領樺太となった南樺太では、残留露人が、駅弁よろしく駅のプラットホームで「ロシアパン」を売っていました。これはロシア人にとっては生計の手段であり(日常)、日本人にはエキゾチック、楽しみでした(非日常)。売られていたのは、「白パン」、アンパンで、「黒パン」ではなかったようです(黒パンが日本人に身近な存在となるのは、第二次世界大戦後、シベリア抑留者を通して)。「ロシアパン」の製造販売を主に行っていたポーランド人によれば、日本人がパンを食べないため製粉所がなくなってしまい、原料の小麦粉は、日本(内地)から日本人商人が樺太に持ち込んでいたようです。

 最後に、市立函館博物館が所蔵する16ミリフィルム「樺太の旅」記録(昭和9年に小島清吉が撮影したもので、駅で「ロシアパン」を売っている姿が写っている)を見て、終了となりました。
 

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2017年07月07日

ロシアの定番おやつ!?スィローク

 先日、卒業生で去年の夏までウラジオストクに住んでいた方からとある情報をいただいた。
 ロシアで定番のスィローク(Сырок:сырはロシア語でチーズの意味)というお菓子が日本でも、そしてこの函館でも業務スーパーで手に入るらしい、とのこと!

 情報化社会、インターネットで様々な情報が手に入るが、顔を知っている人からの情報というのはやはり元ネタがインターネットからでも嬉しい。しかも、今回の場合は食べたことのある人からの生の声でもある。これは食べてみないといけない。
 卒業生の方いわく、子どもたちのおやつとして幼稚園でも出ていたポピュラーなものだという。

 スィロークというお菓子について、ロシア人の先生方に聞いたところ「Птичье Молоко(鳥のミルク)」というチョコレート菓子を冷やしたものに似ているとのこと。
 ちなみにロシアで売っているものは、保存料などが入っていないので賞味期限が1週間もないらしい。中にはジャムが入っているものもあるのだそう。
 とにもかくにも、まずは買って食べてみよう、ということで近くの業務スーパーへ。

 他地域では売り切れになっている種類もあるそうだが、函館では全種類を複数購入することができた!(やったね!)

 パッケージを見るとリトアニア産で味はバニラ、ストロベリー、ブルーベリーの三種類。
  
 
 

 函館でも日差しの強くなってきた6月下旬、早速みんなで試食!
お茶のお供におひとつどうぞ。
  

 味は日本語のパッケージ通り、チーズケーキバーというだけあってノーマルなバニラ風味でも結構酸味がある。ストロベリーやブルーベリーのほうが癖が無く、食べやすいかも。
 割ってみるとこんな感じ。中に何か入っているわけではなく、それぞれチーズケーキ風味のアイス?がベルギーチョコレートでコーティングされている。

 なぜ、「アイス?」なのかというと、どうも中身はアイスではないらしい。ロシアで売られている物は、中身はスフレ状になっており、凍らせることはないのだそう。多分、これもそうで凍らせるべきものではないものを凍らせているため、冷凍庫から出したばかりだととても固くて食べられなかった。(写真は包丁で切った)
 

 しかし、味はとても美味しい!職員室に「美味しいー!」との声がこだまする。
 先生方からはどこで買ったと質問攻め。店を教えるが、まだ売っているのかが心配。まぁ、この場はみんなで美味しく、楽しめたので良かったと思おう!
 今度はウラジオストクで本物を食べたいな。

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