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2018年08月09日

2018はこだて国際民俗芸術祭

 “元町公園で「世界」に出会う”を合言葉に、2018はこだて国際民俗芸術祭が開催中です。 今年で11回目を迎え、真夏の函館を盛り上げるイベントとしてすっかり定着しています。

 会場の元町公園は函館校から徒歩3分、仕事終わりにみんなで出かけました。平日は1,000円のパスで入場することができ、ステージでの音楽やダンスを楽しめるほか、世界の料理や雑貨を販売するテントもたくさん出店します。普段は静かな元町公園が別世界となります。
 

 この日のメインステージでは、ジンバブエのムビラという楽器や、シンガポールのバンド演奏で会場はヒートアップ!夕暮れて、ここちよい風が吹いてきます。

 毎年ロシアからも参加があります。民族アンサンブル「キタリク」は、サハ共和国(ヤクート人)のメギノ=カンガラッスキー・ウルスにあるマヤ村から生まれた、数々の賞を受賞しているグループです。「キタリク」とはソデグロヅル(白い鶴)を意味するそうで、サハ地方では、ソデグロヅルの踊りを見た者は地球で最も幸せになると言い伝えられています。

 

 函館市重要文化財・旧函館区公会堂の前庭で、男女のリズミカルな踊りを披露したり、女性だけで、グループ名となっている鶴の優雅な動きを表現していました。
 

 この踊りを見たので、みなさんも地球で最も幸せになれますよ。
 音楽も生演奏で、角の取れたバラライカというか、マンドリンとの中間というか、見たことのない弦楽器を奏でていました。

 一人の女性による口琴演奏も素晴らしく、口琴を響かせながら動物の鳴きまねをしたり、馬が疾走する様子を表現したりとユニークです。
 
 

 このイベントは11(土)まで開催中です。

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2018年08月06日

2017ウラジオストクの旅 7

 <5日目 午後>

 お腹も満たされ、今度はアレウツカヤ通りを市街地へと下る。旅行中は好天続きで、街頭の温度計も28℃を示している。
ロシア人は夏でも冬でもアイスクリームが大好きだ。アイスクリームを片手に通りを歩いている人を見て、自分たちも食べたくなったので、コンビニのようなお店に入ってアイスケースをのぞいていると、親切な女性に「おいしいのを教えてあげる。これにしなさい。こっちはもっとおいしい。」などと指南を受ける。昔から市民に愛されていると思われる、バニラにチョコレートをコーティングしたシンプルなアイスバーで、やはりおいしかった。
 食べながら歩いているうちに、街の中心部に戻ってきた。
 

 途中でおしゃれな壁画と記念撮影。後から知ったことだが、この壁画はパヴェルさんという地元のアーティストが描いたもので、ほかにも市内あちこちに作品が存在する。ただの落書きではなく、街角ペインティングプロジェクトとして市政府にも認められたアート作品なのだそう。
 

 それからディナモ・スタジアムの向かいにある姉妹都市公園を散策する。ここはウラジオストクと姉妹提携している都市の名前が書かれたゲートが連なっていて、一方から見ると英語、反対側から見るとロシア語で記載されている。もちろん函館の下で一枚。日本の都市ではほかに秋田、新潟があり、遠くはアメリカのサンディエゴなど。計8基ほど並んでいる。
 

 スポーツ湾に向かって歩く途中で、聖イーゴリ公聖堂を見つけた。こじんまりとしたかわいらしい教会であるが、現在発行されている最新の「地球の歩き方」の表紙にも描かれている。2017年の極東大学オリジナルカレンダーでは4月にこの教会の写真が使われている。何とも絵になる教会なのだ。
 

 スポーツ湾に面するナーベレジナヤ(海辺)通りは、夏ともなると家族連れでにぎわう。海水浴をしている人も多く、カップルには絶好のデートスポットだ。遊園地もあり、街中からも目に付くカラフルな観覧車がある。これはぜひとも乗ってみなくては!
 

 遊園地は入場無料だが、乗り物に乗る場合は窓口でチケットを買い、係員に手渡す。観覧車の係員にチケットを回収され、あとは勝手に乗れ、とばかりに指示され、ガラスも何もない吹きさらしのゴンドラに乗り込み、自分で転落防止のチェーンをかける。
眺めは最高。風も心地よい。眼下に遠くアムール湾を一望することができ、山側に目を向けると、先ほど歩いて周った二つの教会と街並みがよく見える。
 ウラジオに留学したことのあるうちの学生に聞くと、だいたいみんなこの観覧車に乗っているようだ。ぜひ天気のいい日に乗ってみることをおすすめする。
 


 楽しい街歩きはまだまだつづく。


        

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子


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2018年08月01日

2018年極東大学オリジナルカレンダー 8月は??

<8月>アルセーニエフの家記念館(ウラジオストク)
 皆さんは、黒澤明監督のアカデミー賞外国語映画賞受賞映画『デルス・ウザーラ』をご存知でしょうか?この話の主人公が探検家であり原作者のアルセーニエフです。
 1997年より記念館として公開されている建物は、実際にアルセーニエフが晩年過ごした家でもあります。探検家だった彼が使ったテントや道具のほか、収集した民俗資料、そして家族の写真などが展示されています。
 場所は、「家」というだけあって静かな住宅街の中にあります。少し分かりづらい場所にありますが、映画で興味を持った方は訪れてみると良いでしょう。ぜひ「探検」しながら行ってみてください。
 

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2018年07月31日

2017ウラジオストクの旅 6

 <5日目 午前>
 あっという間に帰国前日となってしまった。一足先に、今日帰る人も2人いたのでホテルで見送り、ほかの人は一日フリーで過ごすことになった。
 私は、自由に街歩きすることにした。ウラジオの街中をゆっくり散策したことは、実はない。出張で来る時には予定が立て込んでおり、車の移動ばかりだからだ。
 2011年に在ウラジオストク日本国総領事館とロシア国立沿海地方アルセーニエフ記念総合博物館が発行した「浦潮旧日本人街散策マップ~日本にゆかりのあるウラジオストクの名所・旧跡巡り~」を片手に、オケアンスキー通りを北上し、以前の極東大学のキャンパスを目指す。途中には旧日本総領事館や旧朝鮮銀行など、19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられた日本ゆかりの建物が、今も保存・使用されている。最大6千人近くの日本人が暮らしたという大正期が偲ばれる。
 
 
 オケアンスキー通りの坂を登っていくと、右手にひときわ大きな教会が見えてくる。ポクロフスキー教会は金色青色に輝くクーポラが印象的だ。
 

 その通りをはさんで向かいにあるのが極東大学の昔の東洋学部の建物である。現在も極東連邦総合大学の名前は書いてあったが、人影もまばらで何に使われているかはわからない。函館校の教員はほとんどがこの東洋学部出身のため、ここで勉強した懐かしい建物なのだ。
 

 1912年、歌人の与謝野晶子がパリに滞在する夫・鉄幹に会うために敦賀から船でウラジオに渡り、そこからシベリア鉄道でヨーロッパを目指した。その際に詠んだ「旅に立つ」の歌碑が1994年に建てられ、東洋学部の前に今も残っている。
 

 構内を少し回ってみる。学生寮は今も誰かが住んでいるようだが、もともと古い建物で、今はいっそう寂れた感じがする。函館校の学生たちが留学実習時に学んだロシア語学校は、現在使われている様子はなかった。前日に見たルースキー島のキャンパスに比べると何とも対照的で、物悲しい気持ちになってしまった。

 すぐ近くに浦潮本願寺跡の記念碑があるというので探したが、木々の茂みに隠れて見えず、ようやく発見した。周りは小公園のように整備されていて、碑は思ったより小さかったが、外地で暮らす日本人の精神的な拠り所が確かにここに存在した証だと思うと感慨深い。
 

 ちょうどお昼になったので、目についたスタローヴァヤ(食堂)に入る。おそらくガイドブックになど載っていないであろう、社員食堂のような、地元の人が手早くランチをするような簡素なつくりだ。ピロシキ、シューバ(「毛皮を着たニシン」という名のビーツを使ったサラダ)、プロフ(中央アジア風の炊き込みご飯)など、好きなものを注文しておばちゃんに盛り付けてもらい、レジで会計をする。これがなかなか雰囲気も良く、おいしい食事であった(つづく)。
 


    

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2018年07月17日

2017ウラジオストクの旅 5

 <4日目>

 月曜日の早朝、3泊4日コースで帰る二人をホテルのロビーで見送り、朝食の時間まで部屋でゆっくりと過ごす。
 今日はいよいよ、極東大学のルースキー島キャンパスを訪問する日である。イリイン校長が自宅からホテルまで来てくれたので、残りの団員8名とともに旅行会社に手配してもらったマイクロバスに乗り、島へ向かう。島は前日、オケアナリウムに行った時にも訪れているが、極東大学のキャンパスの中は、事前に全員のパスポートを登録し、車種を伝えておかなければ入口から中へ進むことはできない。
 

 バスを降りると職員のイワノフさんが構内を案内してくれた。このキャンパスは2012年アジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議開催のために建設され、終了後に極東大学のキャンパスとなった。極東大学はウラジオストク市内のキャンパスを、数年かけてほぼルースキー島に移した。APECで宿舎として使われたホテルが学生寮となり、寮は敷地内に何棟も存在する。
 
 

 ウラジオストクでは2015年から毎年、9月にプーチン大統領が力を入れている東方経済フォーラムが開催されており、キャンパスはその会場としても使われている。私たちが訪れた8月は、そのための準備が急ピッチで進められているところだった。大学は夏休みのため、学生の姿はまばらだったが、職員たちはとても忙しそうで、案内のイワノフさんの携帯電話も鳴りっぱなしであった。広大なキャンパス内には極東地方を紹介する州ごとのパビリオンの建設が進められていた。

 

 キャンパスは海に面しているため、海水浴をしている人もいた。自然に恵まれ、富山県が植えた友好桜並木や森、滝があり、私たちはゆっくりと散歩した。そしてメインの建物を見学する。
 
 
 この建物にはカフェテリアや銀行も入り、学生にとって行き届いた施設となっている。中には大きな会議場がいくつもあり、私たちは“青のホール”と呼ばれる会場を見せてもらった。もう一つ、“赤のホール”もあるそうだ。
 

 そして、首脳会議が行われる国際会議場。大きな円卓は一度に50人くらいは座れるだろうか。各座席ごとに通訳の機械なども設置されており、熱い議論が交わされる会議の高揚感が伝わる。一面ガラス張りの窓からは先ほど歩いた森とその向こうの海がよく見える。

 イワノフさんに「座ってもいいですか?」と尋ねると、「もちろん!」と許可をいただいたので、みんなで座らせてもらった。会議に参加した気分を味わうために握手を交わし、賛成の挙手をした。みんなやる気満々である。
 
 
 それから外へ出て、構内の少し高級そうなレストランでランチを食べた。鶏肉の焼いたのや、野菜のスープ、食べきれないほどのポテトフライ、お昼なので、モルス(ベリーで作った赤いジュース)で乾杯。
 

 昼食後には、もう一度メインの建物に戻り、かつての極東国立総合大学の学長で、今は極東連邦総合大学の法学部長となったクリーロフ・ウラジミル先生に面会する。クリーロフ先生の部屋の前には函館校の写真と函館市から贈られた夜景の写真が飾られていた。
 クリーロフ先生は函館校を作った人物であり、私たちはもう長い間友好関係にある。一人ひとり、自己紹介や旅の目的など、がんばってロシア語を話し、旧交を温めることができた。ウラジオストク市と函館市との姉妹提携25年は、ほぼ函館校の歴史と重なるのである。
 

 ルースキー島を後にしたバスは鷲の巣展望台に上るケーブルカーの駅に向かった。駅の向かい側には旧東洋学院の古い建物がある。極東大学の歴史は1899年、この東洋学院創設から始まった。
駅の横には小さな教会がある。通常観光客は中には入れないようで、のぞいたら厳しく注意されたが、団員の一人が正教会の信者である印の十字架を見せると、快くその方だけ中に入れてくれた。
 

 3分ほどのケーブルカーであるが、昔のままの古い感じがして味わいがある。何度乗っても赤と青の2台のワゴンが中間ですれ違う時はわくわくするものだ。
 
 
 展望台からは街が一望できる。8年前に来た時はまだ橋げたを作り始めたばかりだった黄金橋が、今は街のシンボルとして大きく横たわる。地元のカップルに写真を撮ってくれるようカメラを渡すと、彼氏は初め迷惑そうだったが、彼女が我々と一緒に嬉々としてフレームに収まると、何枚もシャッターを押してくれた。
 

 バスがホテルに戻ったのは夕方4時頃だった。この日の夕食は各自でとることになっていたので、ふたたび街に出て、ドム・クニーギ(本屋)で、また絵葉書や文房具を買った。ちょうど新学期を前に子ども用の文房具が充実しており、ロシア語の筆記体練習帳などがロシア語学習者へのお土産にぴったりなのだ。
 夕食は中央広場前にある老舗ロシア料理店「ポルト・フランコ」に入った。パンの中にクリーム煮が入ったキノコのつぼ焼きや、クルトンがたっぷり入ったスープはそれだけでお腹がいっぱいになる。
 


 街は夜でも活気があふれ、人々が闊歩する。大きな通りはあまり危険なことはないが、それでも単独行動は避けたほうがいいでしょう。
 


             

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子


                     

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2018年07月13日

雨の大沼キャンプ

 毎年恒例、教職員親睦のキャンプを7月初めに行いました。場所は函館近郊、大沼にある別荘地です。ここはロシアのダーチャのようです。

 

 キャンプにシャシリク(шашлык=串焼肉)は欠かせません。いつもは前日からタレに漬け込みますが、今日はその場で材料を切って漬け込み、トマトや玉ねぎも刺して炭火で焼きます。一緒にエビとホタテも焼いて、立ち込める香ばしい匂いが食欲をそそります。

 
 
 焼き上がるまで、広いお庭でバトミントン大会。
 
 
 そしてテーブルいっぱいに並んだロシア料理の数々。ニシンと鮭が入ったビーツのサラダ・ビネグレット(винегрет)、ミモザサラダ(салат мимоза)、キャベツとたまごのピローク(пирог=パイ)、お肉のピロシキなどなど。チーズとウインナーも燻製にしてたっぷり食べました。
 
 
 あいにくの雨模様でしたが、傘を差してお散歩。北海道はこのところずっと雨続きで、梅雨のような気候。そのぶん緑が美しく、真っ赤な野いちごも見つけました。
 昼寝をしたり、近くの日帰り温泉に出かけたり、みんな思い思いに楽しみます。
 
 

 夜はお茶を飲みながらチェスで真剣勝負。また週明けから頑張るための英気を養いました。
 

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2018年07月11日

ロシア風のワルツについて

 一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第3回目の講話内容です。

テーマ:「ロシア風のワルツについて」
講 師:スレイメノヴァ・アイーダ(准教授)

 ワルツの起源はオーストリアです。ロシアとは一見関わりはありません。しかし、帝国ロシアの文化には欠かせないものとなり、現代に受け継がれています。
 まず、ワルツ王であるヨハン・シュトラウス2世の話から始めましょう。シュトラウス2世は名前の通り2代目です。父親が1世です。甥っ子が3世です。
ヨハンの父親は音楽家でしたが、ヨハンが音楽をやるのを好ましく思っていませんでした。応援していたのは、母親のアンナです。浮気した父親よりも立派な音楽家に育てようと思っていたからです。
 結果として、ヨハンが父親の代わりに音楽で生計を立て、母や弟たちを養いました。ヨハンは立派な音楽家となったのです。
 しかし、音楽家というのは浮き沈みのある仕事です。オーストリアで仕事のない時、彼はロシアのサンクトペテルブルク郊外へ出稼ぎに行きました。出稼ぎと言ってもコンサートです。彼のコンサートはロシアで人気が出ました。この出稼ぎの期間中に、オリガという女性と恋に落ちます。結婚も考えましたが、しませんでした。オリガの両親に反対され、その関係は1年半という短い期間で終わってしまったのです。その後、二人とも別々の人と結婚しますが、彼は「僕の心はロシアに置いてきた」と言うくらいオリガのことを愛していました。
 さて、話をワルツに戻します。こうしてヨハン・シュトラウス2世のコンサートでワルツがロシアに広まりました。ヨーロッパの音楽や踊りがみんな好きでした。中でもワルツは、結婚相手を探す舞踏会で必要なものとなりました。
 有名なものはグリンカの「幻想的なワルツ」、チャイコフスキーの「花のワルツ」です。これらのようなワルツは貴族文化に欠かせないものになりました。
 徐々にワルツは貴族だけでなく、一般市民のものにもなりました。戦争中もワルツで兵士を応援する曲が作られました。「満州の丘に立ちて」や「アムール川の波」などがそうです。
 その後、一時期、ワルツの人気は下火になりました。貴族文化の舞踏会のイメージが強く残ったのです。これは悪い意味ではありません。そのきらびやかな美しいイメージは「戦争と平和」(1967)の映画のワンシーンに集約されています。そしてこれによって演劇のひとつとして、ワルツの人気がまた復活しました。
 ワルツのリズムそのままにアコーディオンで演奏する人も増えました。それはまるでパリのシャンソンのようです。こうして日常生活の中にワルツが浸透しました。
 そして現代のロシアでは、卒業式の日、結婚式の日にワルツを踊ります。高校の卒業式で踊るワルツは17歳の男女にとって初めてのダンスです。ある学校では3カ月以上も前から練習をします。女性はドレスを選んだり、様々な準備をします。結婚式では、花嫁が父親とワルツを踊ります。
 こうしてワルツは、オーストリアから来たものとしてではなく、ロシアはロシアとしてのワルツの形を作っていったのです。
 

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