月別過去の記事

2018年07月17日

2017ウラジオストクの旅 5

 <4日目>

 月曜日の早朝、3泊4日コースで帰る二人をホテルのロビーで見送り、朝食の時間まで部屋でゆっくりと過ごす。
 今日はいよいよ、極東大学のルースキー島キャンパスを訪問する日である。イリイン校長が自宅からホテルまで来てくれたので、残りの団員8名とともに旅行会社に手配してもらったマイクロバスに乗り、島へ向かう。島は前日、オケアナリウムに行った時にも訪れているが、極東大学のキャンパスの中は、事前に全員のパスポートを登録し、車種を伝えておかなければ入口から中へ進むことはできない。
 

 バスを降りると職員のイワノフさんが構内を案内してくれた。このキャンパスは2012年アジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議開催のために建設され、終了後に極東大学のキャンパスとなった。極東大学はウラジオストク市内のキャンパスを、数年かけてほぼルースキー島に移した。APECで宿舎として使われたホテルが学生寮となり、寮は敷地内に何棟も存在する。
 
 

 ウラジオストクでは2015年から毎年、9月にプーチン大統領が力を入れている東方経済フォーラムが開催されており、キャンパスはその会場としても使われている。私たちが訪れた8月は、そのための準備が急ピッチで進められているところだった。大学は夏休みのため、学生の姿はまばらだったが、職員たちはとても忙しそうで、案内のイワノフさんの携帯電話も鳴りっぱなしであった。広大なキャンパス内には極東地方を紹介する州ごとのパビリオンの建設が進められていた。

 

 キャンパスは海に面しているため、海水浴をしている人もいた。自然に恵まれ、富山県が植えた友好桜並木や森、滝があり、私たちはゆっくりと散歩した。そしてメインの建物を見学する。
 
 
 この建物にはカフェテリアや銀行も入り、学生にとって行き届いた施設となっている。中には大きな会議場がいくつもあり、私たちは“青のホール”と呼ばれる会場を見せてもらった。もう一つ、“赤のホール”もあるそうだ。
 

 そして、首脳会議が行われる国際会議場。大きな円卓は一度に50人くらいは座れるだろうか。各座席ごとに通訳の機械なども設置されており、熱い議論が交わされる会議の高揚感が伝わる。一面ガラス張りの窓からは先ほど歩いた森とその向こうの海がよく見える。

 イワノフさんに「座ってもいいですか?」と尋ねると、「もちろん!」と許可をいただいたので、みんなで座らせてもらった。会議に参加した気分を味わうために握手を交わし、賛成の挙手をした。みんなやる気満々である。
 
 
 それから外へ出て、構内の少し高級そうなレストランでランチを食べた。鶏肉の焼いたのや、野菜のスープ、食べきれないほどのポテトフライ、お昼なので、モルス(ベリーで作った赤いジュース)で乾杯。
 

 昼食後には、もう一度メインの建物に戻り、かつての極東国立総合大学の学長で、今は極東連邦総合大学の法学部長となったクリーロフ・ウラジミル先生に面会する。クリーロフ先生の部屋の前には函館校の写真と函館市から贈られた夜景の写真が飾られていた。
 クリーロフ先生は函館校を作った人物であり、私たちはもう長い間友好関係にある。一人ひとり、自己紹介や旅の目的など、がんばってロシア語を話し、旧交を温めることができた。ウラジオストク市と函館市との姉妹提携25年は、ほぼ函館校の歴史と重なるのである。
 

 ルースキー島を後にしたバスは鷲の巣展望台に上るケーブルカーの駅に向かった。駅の向かい側には旧東洋学院の古い建物がある。極東大学の歴史は1899年、この東洋学院創設から始まった。
駅の横には小さな教会がある。通常観光客は中には入れないようで、のぞいたら厳しく注意されたが、団員の一人が正教会の信者である印の十字架を見せると、快くその方だけ中に入れてくれた。
 

 3分ほどのケーブルカーであるが、昔のままの古い感じがして味わいがある。何度乗っても赤と青の2台のワゴンが中間ですれ違う時はわくわくするものだ。
 
 
 展望台からは街が一望できる。8年前に来た時はまだ橋げたを作り始めたばかりだった黄金橋が、今は街のシンボルとして大きく横たわる。地元のカップルに写真を撮ってくれるようカメラを渡すと、彼氏は初め迷惑そうだったが、彼女が我々と一緒に嬉々としてフレームに収まると、何枚もシャッターを押してくれた。
 

 バスがホテルに戻ったのは夕方4時頃だった。この日の夕食は各自でとることになっていたので、ふたたび街に出て、ドム・クニーギ(本屋)で、また絵葉書や文房具を買った。ちょうど新学期を前に子ども用の文房具が充実しており、ロシア語の筆記体練習帳などがロシア語学習者へのお土産にぴったりなのだ。
 夕食は中央広場前にある老舗ロシア料理店「ポルト・フランコ」に入った。パンの中にクリーム煮が入ったキノコのつぼ焼きや、クルトンがたっぷり入ったスープはそれだけでお腹がいっぱいになる。
 


 街は夜でも活気があふれ、人々が闊歩する。大きな通りはあまり危険なことはないが、それでも単独行動は避けたほうがいいでしょう。
 


             

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子


                     

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2018年07月13日

雨の大沼キャンプ

 毎年恒例、教職員親睦のキャンプを7月初めに行いました。場所は函館近郊、大沼にある別荘地です。ここはロシアのダーチャのようです。

 

 キャンプにシャシリク(шашлык=串焼肉)は欠かせません。いつもは前日からタレに漬け込みますが、今日はその場で材料を切って漬け込み、トマトや玉ねぎも刺して炭火で焼きます。一緒にエビとホタテも焼いて、立ち込める香ばしい匂いが食欲をそそります。

 
 
 焼き上がるまで、広いお庭でバトミントン大会。
 
 
 そしてテーブルいっぱいに並んだロシア料理の数々。ニシンと鮭が入ったビーツのサラダ・ビネグレット(винегрет)、ミモザサラダ(салат мимоза)、キャベツとたまごのピローク(пирог=パイ)、お肉のピロシキなどなど。チーズとウインナーも燻製にしてたっぷり食べました。
 
 
 あいにくの雨模様でしたが、傘を差してお散歩。北海道はこのところずっと雨続きで、梅雨のような気候。そのぶん緑が美しく、真っ赤な野いちごも見つけました。
 昼寝をしたり、近くの日帰り温泉に出かけたり、みんな思い思いに楽しみます。
 
 

 夜はお茶を飲みながらチェスで真剣勝負。また週明けから頑張るための英気を養いました。
 

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2018年07月11日

ロシア風のワルツについて

 一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第3回目の講話内容です。

テーマ:「ロシア風のワルツについて」
講 師:スレイメノヴァ・アイーダ(准教授)

 ワルツの起源はオーストリアです。ロシアとは一見関わりはありません。しかし、帝国ロシアの文化には欠かせないものとなり、現代に受け継がれています。
 まず、ワルツ王であるヨハン・シュトラウス2世の話から始めましょう。シュトラウス2世は名前の通り2代目です。父親が1世です。甥っ子が3世です。
ヨハンの父親は音楽家でしたが、ヨハンが音楽をやるのを好ましく思っていませんでした。応援していたのは、母親のアンナです。浮気した父親よりも立派な音楽家に育てようと思っていたからです。
 結果として、ヨハンが父親の代わりに音楽で生計を立て、母や弟たちを養いました。ヨハンは立派な音楽家となったのです。
 しかし、音楽家というのは浮き沈みのある仕事です。オーストリアで仕事のない時、彼はロシアのサンクトペテルブルク郊外へ出稼ぎに行きました。出稼ぎと言ってもコンサートです。彼のコンサートはロシアで人気が出ました。この出稼ぎの期間中に、オリガという女性と恋に落ちます。結婚も考えましたが、しませんでした。オリガの両親に反対され、その関係は1年半という短い期間で終わってしまったのです。その後、二人とも別々の人と結婚しますが、彼は「僕の心はロシアに置いてきた」と言うくらいオリガのことを愛していました。
 さて、話をワルツに戻します。こうしてヨハン・シュトラウス2世のコンサートでワルツがロシアに広まりました。ヨーロッパの音楽や踊りがみんな好きでした。中でもワルツは、結婚相手を探す舞踏会で必要なものとなりました。
 有名なものはグリンカの「幻想的なワルツ」、チャイコフスキーの「花のワルツ」です。これらのようなワルツは貴族文化に欠かせないものになりました。
 徐々にワルツは貴族だけでなく、一般市民のものにもなりました。戦争中もワルツで兵士を応援する曲が作られました。「満州の丘に立ちて」や「アムール川の波」などがそうです。
 その後、一時期、ワルツの人気は下火になりました。貴族文化の舞踏会のイメージが強く残ったのです。これは悪い意味ではありません。そのきらびやかな美しいイメージは「戦争と平和」(1967)の映画のワンシーンに集約されています。そしてこれによって演劇のひとつとして、ワルツの人気がまた復活しました。
 ワルツのリズムそのままにアコーディオンで演奏する人も増えました。それはまるでパリのシャンソンのようです。こうして日常生活の中にワルツが浸透しました。
 そして現代のロシアでは、卒業式の日、結婚式の日にワルツを踊ります。高校の卒業式で踊るワルツは17歳の男女にとって初めてのダンスです。ある学校では3カ月以上も前から練習をします。女性はドレスを選んだり、様々な準備をします。結婚式では、花嫁が父親とワルツを踊ります。
 こうしてワルツは、オーストリアから来たものとしてではなく、ロシアはロシアとしてのワルツの形を作っていったのです。
 

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2018年07月09日

2017ウラジオストクの旅 4

*少し間が空きましたが、続けます。

 <3日目>

 日曜日、この日は極東大学日本学科の学生で、2016年にロシア極東大学留学生支援実行委員会の招へいプログラムで函館校に留学していたスルタノワ・リュバーワ(リューバ)さんが街を案内してくれた。ちょうど夏休み中でカフカス地方から遊びに来ていた従妹のディーナも一緒であった。ディーナはまだ16歳で、日本語はまったくわからないそうだが、タクシーを呼んだり、チケットを買う手伝いをしてくれたり、何かと世話を焼いてくれた。

 午前中はホテルから徒歩3分のところにある、アルセーニエフ記念沿海地方博物館を見学した。10年前に訪れた時とは随分印象が違う。以前はアムールトラや鷲のはく製、石などが展示されたカビ臭い、博物館らしいイメージだったが、今は歴史的資料というよりも“見せる展示”の度合いが高くなった気がする。

 コーナーごとにテーマがあり、北方民族の生活やソ連時代の赤十字活動の展示など博物資料はもちろんだが、3階では“ペルミの神像”という木造彫刻の企画展が行われていた。

 ランチはスヴェトランスカヤ通りをはさんでホテルヴェルサイユの向かいにあるスタローヴァヤ(食堂)で、それぞれ好きなものを注文する。カフェテリア形式で種類が豊富、ガラスケースにはピロシキ、サラダ、肉料理などが並べられ、スープや飲み物も選べる。ロシア語がわからなくても指さしで「これ、これ」と言えば済むので、気軽に入ることができる。

 午後は希望者6名とリューバとディーナでルースキー島に新しくできたオケアナリウム(水族館)に向かう。ほかの人々はホテルで休息したりお土産を探しに出かけたり、自由である。

 
 さて、水族館チームはタクシーで黄金橋とルースキー大橋、二つの橋を渡り、いよいよルースキー島に上陸する。極東大学のキャンパス前も過ぎたが、今日は素通り。停車場でタクシーを降り、プロムナードを歩いて行くと、大きなシャコ貝のようなオケアナリウムの建物が見えてくる。事前情報ではとても混んでいて入場に2時間待ち、などと聞いていたし、日曜日なので心配したが、リューバがチケットを先に手配してくれたこともあり、並ぶことなく入ることができた。ここも“見せる”展示内容で、ロシアはこういうところの見せ方は本当に上手だなあ、と思う。世界最大級の水槽を持ち、館内はとても広く、あちこちに海のオブジェや熱帯ジャングルもあり、まるでディズニーランドみたいな水族館だ。

 刷毛で砂をよけると化石を発見した気分になれるコーナーなど、遊び心満載である。

 そしてチケットに記載されている時間にプールに行くと、ショーを見ることができた。イルカのジャンプ、アシカの曲芸、腹筋するトドなど愛嬌ある海獣たちのショーはなかなかクオリティーが高い。
 見ごたえのある水族館で、全部を回りきることはできなかった。

 ふたたびタクシーでホテルに戻る。リューバとディーナとはここでお別れ。二人ともオケアナリウムには行ったことがなかったので、とても喜んでくれた。リューバは日本語が随分上達していたし、ウラジオで再会できて嬉しかった。かわいいディーナもよく付き合ってくれて、ありがとうございました。

 少し休憩した後、ホテルの隣のスタローヴァヤ「ニ ルィダイ(Не рыдай=泣くな)」で夕食をとった。今回の旅行の基本は5泊6日コースだが、3泊4日コースで参加した二人はこの夜が最後となるため、全員での晩さん会となった。スタローヴァヤなのでお酒は置いていない。自分たちで持ち込んでもよいと言われたが、不幸にも向かいのお店のレジが壊れていて、今日は売れないという。しかたがないのでクローバーハウスというショッピングセンターの地下にあるスーパー、フレッシュ25まで買い出しに出かけた。ここは24時間営業で何でもそろうので、お菓子などちょっとしたおみやげ品を買うにも便利なところだ。

 「ニ ルィダイ」ではペリメニ、蕎麦の実のカーシャ、極東地方特産のわらびの和え物や甘いものまでいろいろお皿に載せて、レジでお会計する。ヨーグルトのピロシキというのは初めて見たので、どんなものかと試してみたら、ヨーグルトというより甘酸っぱいクリームパンのようなものだった。みんなよく食べ、よく飲み、よくしゃべった。

 食事の後は勢いづいて、ウラジオストク駅の方向へアレウツカヤ通りを下り、右に入ったところにある、俳優ユル・ブリンナーの像まで全員で散歩した。名舞台「王様と私」のシャムの王様の格好で腰に手を当て、少し顎を上げ気味に遠くを見ているユルの前で、ハイテンションになった私たちは同じポーズで写真を撮った。みんなで笑い転げて、この一年で一番笑ったという人もいた。

 せっかくみんな打ち解けたのに、もう帰国する人がいるとは、3泊4日は短すぎる。しかも明日は飛行機が早いので、朝5時50分にはホテルを出発しなければいけない。正味2日しかウラジオストクを見ることはできなかったが、二人とも楽しかったと言ってくれた。二人が満足なら良かったと、心から安堵する。

 ホテルに帰るとフロントで、帰国する二人のために明日の朝食ボックスが手渡された。サンドイッチやヨーグルト、ジュース、ゆで卵など軽い食事がコンパクトに詰められていた。(つづく)

          

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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ミリオン・ズビョースト 第96号

函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第96号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は、4月に着任した安達幹彦事務局長による「極東大学に勤務して」です。着任してまもなく約3カ月。函館校のある元町地区は安達事務局長にとって思い出の地だそうです。その自身の経歴やロシアとの関わりについて書いていただきました。

また、同じくこの春から函館校の一員となった学生からの投稿もあります。ロシア語を学び始めて約3カ月、その喜びや苦労が垣間見える文章です。是非ご一読ください。

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2018年07月02日

2018年極東大学オリジナルカレンダー 7月は??

<7月>
 ウラジオストクのスポーツ湾は家族やカップルが訪れる場所です。夏はボートや海水浴、冬は凍った海面を歩いて楽しむこともできます。
 スポーツ湾を背にして街の方向を見ると、噴水があります。周りには屋台や映画館、遊園地などがあり、老若男女の憩いの場となっています。
 また、この側には一際目を引くカラフルな観覧車が設置された遊園地があります。この観覧車は窓がなく開放的な気分を味わいながら、スポーツ湾とそしてウラジオストクの街の景色を眺めることができます。
 

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2018年06月15日

『白痴』について2

 一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第2回目の講話内容です。

テーマ:「『白痴』について」
講 師:イリイナ・タチヤーナ(准教授)

 昨年も取り上げた『白痴』ですが、原作が長編小説ということだけあって、話は尽きません。少し復習をしながら、前回と違う場面を今日も一緒に見ましょう。
 まず『白痴』の作者はドストエフスキーです。彼について少し思い出しましょう。ドストエフスキーは1821年にモスクワで生まれました。その後、サンクトペテルブルクの学校に通いました。学生時代は革命サークルに所属していました。その活動から、逮捕され、一時死刑判決を受けることにもなるのですが、結局刑は執行されず、シベリアで囚人生活を送ります。出所後は、2度の結婚を経験します。子どももいましたが、若くして亡くなりました。ドストエフスキーの人生はまさに激しい波のようでした。

 それでは『白痴』の話をしましょう。作者のドストエフスキーにとって、主人公ムイシュキン公爵は「誠実」や「善良」を表現した人でした。善良すぎるあまり、『白痴』と言われるのです。
 ムイシュキン公爵が愛するナスターシャは美を表現していますが、彼女自身は貧しい境遇から資産家の情婦をしていたため、登場したときは悪い印象が目立ちます。しかし、ムイシュキン公爵は、本当はそうではないことに気付くのです。

 今日初めに見る場面は、ムイシュキン公爵が訪れた将軍家でのことです。ムイシュキン公爵はこの家でナスターシャの写真を見ます。それは将軍の秘書をしているガーニャのものでした。ガーニャは、将軍の娘のアグラーヤのことが気になっていますが、お金のためにナスターシャとの縁談を進めています。ガーニャはずるいので、アグラーヤに「あなたが『(破談に)しろ』というなら、私はそうします。」と手紙を書きます。アグラーヤはそれを読み、ムイシュキン公爵を通して断ります。
 この時点で、ムイシュキン公爵はナスターシャのことが気になっています。

 次に見る場面は、その日の夜、ガーニャの家でのことです。ガーニャの家では、母親もガーニャの妹もガーニャとナスターシャの結婚をよく思っていません。ナスターシャの悪い印象のせいです。家族で揉めているところに、ナスターシャがやってきます。たまたまドアを開け、対応したのがムイシュキン公爵でした。彼を使用人だと思ったナスターシャは自分のコートなどを押し付けます。ムイシュキン公爵はその美しさに何も言い返しませんでした。
 これがムイシュキン公爵とナスターシャの初めて顔を合わせるところです。その後の場面でナスターシャは彼が使用人ではないことが分かります。お互いに何かを感じとった瞬間でした。

 話はこれからどんどん悪い方向に向かいます。ナスターシャに惚れているもう一人の男、ロゴージンがお金で彼女を自分のものにしようとします。
 ナスターシャは男たちを振り回し、さらに振り回され、ロゴージンに殺されます。
 ムイシュキン公爵は、ロゴージンとともに亡骸のナスターシャと一晩過ごします。最後は、このショックから本当におかしくなってしまい、ムイシュキン公爵はスイスに戻ってしまいます。

 とても暗い話ですが、愛の話でもあります。本を読むのが難しかったら、このような映像でいいですから、ぜひ見てください。
 

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