2005年07月12日

●ロシアマフィアとВор в законе (законник, вор)(第1回)

最近若者向け雑誌にはヤクザ用語が頻出しているし、Акунинなどの探偵小説でも若者の風俗を描くときによく使われる。またある程度のロシアマフィアについての常識も抑えておかないと現代小説やテレビ、映画が分かりにくいだろうと思う。
 ソ連崩壊以降ロシアの新聞をにぎわすвор в законе (犯罪界の貴族とも言われ、仲間内ではзаконник あるいは単に вор、 終戦まではурка, уркаган, человек, уркач, жулик, блатной, блатарьと呼ばれた。) について上記の著作や、Шаламов、ДышевやТарабрин、Карышев、Рудаковの著作を基に整理してみた。日本語では「ロシアマフィアが世界を支配するとき」(寺谷弘壬著、アスキーコミュニケーション、2002年)が1997年、98年に出たロシア語の著作や文献を基に書かかれているが、 вор について日本の任侠ものの親分のようなとらえかたをしている。ロシアのヤクザは日本のとは随分違うというのが筆者の考え方である。和訳は「掟盗賊」などがあるが、これでは実態とはかけ離れている。Ворというのは現代では泥棒という意味が主であろうが、プーシュキンはプガチョフのことをворと呼んでいる。つまり「国家的反逆者」のことであり、この意味から強いて訳せば「まっとうな極道」(в законе = нормально, хорошо)ということになろう。こういう高位の犯罪者がさせることはあっても自分で盗みはしない。Вор – ведь, что не тот человек, который украл (ворというのは盗みを働いた人を言うのではない。)とШаламовも述べている。Ворは暴力団の組長の場合もあるが、普通は組の顧問や客分格 (кураторと言って他の組との出入りの調整役) であることを考えると、仁義渡世の道を貫く「侠客」、「任侠」あるいは「極道」あたりが訳としては適当かと思う。

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●ロシアマフィアとВор в законе (законник, вор)(第2回)

 Дорошевич の「Каторга」によれば19世紀半ばのシベリアやサハリンなどの流刑地にてすでにиваны, храпы, игроки, шпанкиという4つの階層が見らたという。シベリアのКара(北ウラルには同名の川があり、Карское мореに続いているが、ここなのか、あるいはシベリアの他の流刑地の仇名なのかは今現在筆者は特定できない。)という流刑地で19世紀半ばРазгильдеевという所長が酷い体罰を行い、それに耐えた少数のものからиваныが発生したと言う。脱走囚が身元がばれるのを恐れてбродяга (непомнящий родства)として一般的な名前иванを名乗ったのが起りらしい。Храпыはиваныほどの権威はないが、騒ぎを起すなどした。Игрокиは獄内賭博者で、шпанкиが一般の囚人であった。19世紀末あたりから体罰が軽くなるにつれて一番上のиваныの権威が相当落ちていったことが述べられている。またロシア帝国捜査部長だったКошкоによれば1910年代にваршавские ворыという大金ねらいの金庫破りのグループがあり、原則として共犯者を売らないということで有名だったと言う。このиваныやваршавские ворыの伝統がворに引き継がれていったのではなかろうか。ロシアのマフィアには日本同様、極道独自の掟がある。Ворは国内の監獄が整備されるにつれて、1920年代のネップ時代から30年代にスリ集団により収監中の仲間に対する差入れの必要性から発生したと考えられる。日本ではスリ出身のヤクザというのはあまり聞かないし、尊敬されるとは思えないが、それとは違い、ロシアでは(指先の器用な人が少ないからなのか)スリは頭と指先が器用でないと勤まらないとされ仲間内の結束も強かったし尊敬されもした。ロシアではスリ出身のворも多い。Ворになるためには、まず次の掟18条 (Воровской закон, понятия)をよく守ることである。この掟には1920年代までオデッサなどで影響力を誇ったアナーキストの影響が見て取れるのではないか。

Вор в законе обязан:
1.Отказаться от родных – матери, отца, баратьев, сестер….
親類縁者(父母、兄弟、姉妹)とは縁をきる。
2.Не иметь семьи – жены, детей; при этом не возбраняется иметь любовницу
家族(妻子)を持たない。情婦をもつのはよい。
3.Не работать – никогда и нигде, как бы трудно ни приходилось; жить только на средства, добытые кражами.
どんなに大変であろうがいかなる所でも、いつであろうと働かない。盗みで得た資金でのみ生活すること。
4.Помогать другим ворам – как морально, так и материально, используя воровской общак.
精神的にも金銭的にも上納金を利用して他の侠客を助ける。
5.Держать в секрете сведения о соучастниках и месте их нахождения.
共犯者や犯行現場の情報を秘密にしておく。
6.В случае необходимости (если вор находится под следствием) брать на себя прицеп – чужое преступление; это дает возможность другому вору как можно дольше находиться на свободе.
必要であれば(侠客が取調べを受けているとき)他人の罪をも被る。そうすることにより他の侠客にできるだけ長くシャバにいれるようにさせる。
7.В случае возникновения конфликта между ним и другим вором или между ворами требовать проведения сходки для разбора спорных вопросов.
他の侠客や侠客同士で揉め事が起こったら、係争問題解決のための寄合を開くよう要求すること。
8.В случае необходимости участвовать в разборках, правокачках.
必要なら討議や裁きに参加すること。
9.По решению воровской сходки чинить расправу над провинившимся вором.
寄合の決定により罪を犯した侠客に制裁を加えること。
10.Не сопротивляться исполнению наказания в случае, когда сходка признала вора виновным в каком-либо нарушении и вынесла решение о его наказании.
寄合が何らかの違反につき有罪と見なし、その罰を決定したときはその罰の執行に抵抗しないこと。
11.Хорошо владеть воровским жаргоном - феней.
ヤクザの符牒をよくマスターすること。
12.Не играть в карты, не имея возможности расплатиться.
支払ができないようならトランプ博打はしないこと。
13.Обучать ремеслу молодых начинающих воров.
若い衆にシノギについて教えること。
14.По возможности иметь шестерок, воровских мужиков.
できるだけ手下をもつこと。
15.Не терять рассудок при употреблении спиртного.
アルコールを飲んでも飲まれるな。
16.Не иметь никаких дел с властями (в частности, с администрации ИТУ); не участвовать в общественных мероприятиях; не вступать в общественные организации.
当局(特に刑務所の管理部門)とはいかなる関係も持たない。社会的な催し物には参加しない。社会的団体にも加入しない。
17.Не брать оружия из рук властей, не служить в армии.
当局から武器をもらわない。軍務に服さない。
18.Выполнять обещания, данные другим ворам.
他の侠客にした約束は守る。

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●ロシアマフィアとВор в законе (законник, вор)(第3回)

そしてбродяга = честный арестант = начинающий вор(渡世人)と認められ、通常牢内のсмотрящий(代貸、統括責任者)となり、それから2名の正会員から推薦され、寄合(сходня, сходняк)で承認されることが必要である。Ворになればその仇名(кличка, погоняло)や通り名が全国的に通知される。全国的に認められるような大親分とも言えるворを расписнойと言う。Ворになればворовской общак (= общая касса、上納金)にシノギの半分を納める義務が生じる。地区毎にсмотрящий (положенец, на положении 代貸し、統括責任者)を置き、上納金を納めさせる。組長はлидер、顔役はавторитетと言い、必ずしもворではない。日本同様、組(группировка)にも組のобщакは当然ある。日本には全国を統一するような上納金制度はないと思う。この上納金が、監獄内のворを物質面で支えたり(грев зоны = передача осужденным, подследственным продуктов, спиртного, наркоты)食糧、酒、麻薬などの差入れ)、投資などに回される。

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●ロシアマフィアとВор в законе (законник, вор)(第4回)

 組織犯罪としての大きな暴力団がロシアで形成されたのは1980年代末である。組はгруппировка とかсообщество(ペテルブルグなど)と言い、構成はбригада (5 – 10 боевиков «組員のことでбыковまたはпехотинцыとも言う。因みに月給は$1,000 – 1,500ぐらいという。»), звено (от 2 до 5 бригад), группа (2 – 5 звеньев), сообщество (состоит из нескольких групп) となる。例えばмалышевское сообщество(マールィシェフ組)。 звеньевой、бригадирが幹部、大幹部に相当する。月給はそれぞれ$3,000および$10,000と言われている。必ずしも上に盲目的に忠誠を誓うと言うことはないのがロシアらしい。

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●ロシアマフィアとВор в законе (законник, вор)(第5回)

 ворの歴史を振り返ると私見では6期に分かれると思われる。戦前、つまり創世記だが、監獄内における犯罪エリートの状況改善のため1930年代に生まれた。だれが作ったのかは不明である。ただ初期のворとして、Вася Бузулуцкий, Вася Бриллиант (1916 – 88)が伝説的存在として挙げられ、нэпманские (старые, босяцкие) ворыと呼ばれる。1941年から42年ヨーロッパロシアのシャバにいた多くのворがカフカスに避難し、これがカフカスにおいてворが誕生するきっかけをつくった。また1930年代に大量の政治犯が入獄し、その管理をするために収容所当局はворを活用した。しかし1947年ごろから戦争を経験した政治犯(多くは兵士やパルチザン)が流入するにつれてворでは統制がとれなくなり、役に立たないворに対し当局は内部分裂を図り弾圧を加えた。その一環として1948年にСучья войнаがVanino収容所で勃発する。戦争帰り(戦争に行くと言うのは当局に協力するということであり、正統派ворは拒否した。)あるいは当局に協力するヤクザがсуки, ссучившиеся (イヌ)と呼ばれ分裂し、血の抗争に発展した。当時双方に属さない者は、махновцыと呼ばれていた。1954年に抗争の激しさから当局は両派を隔離し、徐々に戦争は終息して行った。第3期はフルショフ時代で、犯罪者に厳しく、ворで生き残ったのは3%と言われる。しかしブレジネフ時代に汚職と共に蘇り、これから第4期が始まり犯罪の組織化の萌芽が見られた。1977年のロシアホテルの火事も後述するЧеркас とГивиの競馬場を巡る利権争いが元だといわれる。この年Кисловодск市で全ソヤクザ総会(сходняк)が行われ、цеховикиからのみかじめ料を上がりの20%とし、縄張りを決めるなどおこなわれた。

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●ロシアマフィアとВор в законе (законник, вор)(第6回)

1967年~69年にТрегубов, Соколов, Амбарцумянというторговая мафия (= цеховикиのトップ) がブレジネフの娘という強力な後ろ盾を武器に闇市ビジネスに進出する。彼らはヤクザではないがヤクザの庇護をも得ていた。ヤクザのシノギと言えばこれまでは麻薬、売春、密輸だけだったが、これに闇市ビジネスのみかじめ料が加わることになる。この時期のヤクザはворの伝統を守るбосяки (Слава Японичикが代表で民族を問わない)、闇のビジネスに進出した2派(正業につかないという掟と抵触することになる)、лаврушники (= пиковые カフカス系民族でГиви Резаныйなど)、славяне (Дедушка российского рэкетаと言われたТолик Черкас やАнтибиотикなどのロシア人など)の3派で争い、босякиとの間で摩擦が増え(例えばВася ОчкоとЦирульの抗争)、掟自体も修正を余儀なくされてきた。босяки派は1986年にВася Бриллиантの獄内での変死などにより勢力を削がれると共に、自らもビジネスの方に宗旨替えをするようになっていった。Ворと闇の企業家、官僚の癒着が大きな問題となり、アンドローポフのКГБが大掛かりな摘発を1980年代初めに行ったが、一時的に終息したものの、1980年代末には大きな暴力団が力をもつようになった。第5期はБеспредел (仁義なき戦い)で、主役は пиковые (主にчеченцы)とславянеの間での政治的な駆け引きも含めて利権争いが1988年後半から1989年に起こり、モスクワ、レニングラードなど大都市を中心に犯罪社会の再編成が起こった。この契機となったのは1985年のЗакон о кооперацииの制定である。これによりそれまでは闇のビジネスだったのが、おおっぴらに協同組合として合法的なビジネスとなった。それに党官僚やворが関与し、ビジネスマンの誘拐、暗殺を招くことになった。この大量殺戮は1998年ごろまで続き、現在は一段落ついたのか比較的平穏である。Общакや掟に縛られるのが嫌でворにならないавторитетыも増えている。

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●ロシアマフィアとВор в законе (законник, вор)(第7回)

 1991年から96年にかけてворの数は400人から2002年現在では3000人ほどに増えたと言われている。年間40~50人(以前は6~7名ほど)がворを襲名(коронация)し、若年齢化も進んでいる。Раскоронация (破門、絶縁、襲名取消)は稀である。1986年ごろよりапельсинというворの地位を金で買う風潮がグルジア、アゼルバイジャン、アルメニアで盛に行われるようになった。相場は数万ドルから百万ドルと言われている。そのためかворの25%が前科なしと言われている。一般的にворの権威を認めないбеспредельщики(спортсменыという体育会系)も増えている。Ворの構成ははロシア人が33%、グルジア人が32%、クルド人、アブハジア人、ウズベク人、ウクライナ人で22%、アルメニア人8%、アゼルバイジャン人が5%というのが1990年代末のデータである。90年代半ばに米国で逮捕されたСлава Япончик (Японец) はロシア全体を支配したворであり、背が低くて柔術の心得があったのでそういう仇名がある。因みに革命時代にはオデッサを中心荒らしまわったユダヤ人のヤクザでМишка Япончикというのがいた。彼が上納金制度を始めたと言う。
 Ворの子分はмужикと呼ばれ、堅気はфраерと言う。女のворはいない。воровкаというのはворの情婦であって貸し借りの対象とされることもある。

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