2005年06月08日
●ロシア悪人列伝(第9回)
- クリチャープィ Культяпый
20年代にモスクワで「牢獄」という雑誌が発行された。その中に極道クリチャープィの懺悔 (主教という仇名で織工 ткачи 一味を率いた)が掲載されており、その内容は、
На воле жил я бить учился, シャバじゃ喧嘩を覚え、
в тюрьму попал – писать решился 牢屋にぶち込まれて、ものを書いてみることにした。
вот вся история моя…. ほらこれが俺の全てさ。
Я – молодой бандит народа, 俺は民の若き極道、
Я им остался навсегда. 永久に民と共にある。
Мой идеал – любить свободу, 俺の理想は、自由を愛し
Буржуев бить всех, не щадя. ブルジョア全部を容赦なく打倒すること。
Меня учила мать-природа, そう俺に教えたのは母なる自然、
И вырос я среди воров. そして大きくなったのは盗人の中。
И для преступного народа 極道仲間のため
Я всем пожертвовать готов. 全てを犠牲にする覚悟。
…Я рос и ждал, копились силы 大きくなって俺は待ったし、力もついた。
И дух вражды кипел сильней. 憎悪の気が更にほとばしり
И поклялся я до могилы 俺は誓った、くたばるまで
Бороться с игом нэпачей. ネップマンの奴らのくびきと戦うことを
しかしこのクリチャープィはシベリアの獣と呼ばれ、1919~24年ペルミを中心に強盗を行い、78名を斧で殺害した。殺害した相手の足を体が扇を広げるような形にし、子供とて容赦はしなかった。この詩を書いたのもプロレタリア出身ということで恩赦を願ったからに違いない。1924年銃殺された。
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