2005年06月08日
●ロシア悪人列伝(第7回)
- ミーシュカ・ヤポンチク Мишка Япончик(あるいはヤポーニェツ Японец、本名ヴィニーツキーВинницкий、1891~1919)
オデッサ生まれのユダヤ人。オデッサの警察長官を爆殺し、後に1918年内戦の中、オデッサを仕切った。義賊を気取り貧乏人の味方で流血をできるだけ避けた。医者、弁護士、役者には手を出さなかったといわれる。後に多分有名な盗賊上がりの将軍コトーフスキーКотовскийの計らいで赤軍に、ペトリューラ軍と戦うために極道部隊(レーニン名称第54銃兵隊2000人)を設立し、隊長となるも、略奪、逃亡などで処刑された。バーベリの「オデッサ物語」に登場するベーニャ・クリクБеня Крикのモデルとされる。1926年から27年にかけてベーニャ・クリクという映画が公開され大評判となったという。この主人公を勤めたクラーフチェンコКравченко(マフノー役の映画もある)は後に映画の配役通り盗賊になり1936年捕まって銃殺された。ヤポンチク(日本人)という仇名は日露戦争の後ということもあってそれほど珍しいものではなかったようだ。ミーシュカと張り合った詐欺師にコーリカ・ヤポーニェツКолька Японецというのがいる。ちなみにヤポンチクの写真は見つかっていない。似顔絵があるのみである。革命後の戦火で焼かれたという。Утесовによれば、背が低く、ずんぐりして、動きは素早く、つり目だ(そのためにヤポンチクという仇名がついたという)という。70年代に親族が持っていたのを見た人によると目が細かったとのことである。親族がヤポンチクのことを恥と思っていたらしい。時代も変わったので写真が出てくるかもしれない。筆者はオデッサにヤポンチクの写真を探しに、市立図書館まで出向いたが、妻と姉のはあったがやはり本人のはなかった。
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