2005年06月08日
●ロシア悪人列伝(第6回)
- サーシャ・セミナリスト(神学校生徒サーシャ)Саша Семинарист
1913年5人組を率い、10件以上の強盗殺人を犯したが当時のモスクワ警視総監コシュコーКошкоにより逮捕され20年の刑となったが、二月革命で釈放された。しかし1920年ボリシェヴィキーБольшевикиにより銃殺された。神学校中退なのでこの仇名がある。
- パナレートフ兄弟 Братья Панаретовы
革命初期、偽札、偽の証明書で最初に偽の部隊を作った。また一味は20回ほどネップマンнэпманыに対して強盗を働いたが、結局一味は捕まった。
- コシェリコーフ一味 Банда Кошелькова
1919年1月19日脱走中、あろうことかレーニンから乗っていた車と金品を強奪したことで有名。レーニンとは知らずに襲ったもので、気がついて返そうと思ったがそのときすでにレーニンは立ち去っていた。レーニンはあまりの治安の悪さに激怒したと言う。最後は警官隊と撃ち合って射殺された。А. БезугловとЮ. Кларовが Конец Хитрова рынка(ヒトローフ市場の最後)という警察小説で描いている。
- 黒いワタリガラス Черный ворон
元はボリシェビキーなどの資金稼ぎ(徴用とか収用экспроприация (экс))が目的の銀行強盗や金持ち目当ての強盗だったらしい。この名前を出した脅迫状を出すだけで、被害者は言う通りに金を所定の場所において置いたという。しかしほとんどは素人の模倣犯であり、簡単に捕まった。1922年にもモスクワで女性コストローミナКостроминаを首領とする一味がこの名を名乗ってネップマンを狙ったが、捕まって銃殺された。オデッサでは1920年代初めにこの仇名をもつ首領が60の騎馬を従え、4丁の機関銃で武装強盗を働いていた。
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