2005年06月08日
●ロシア悪人列伝(第11回)
- パーヴレンコ Павленко
1942~52年年ソ連軍の退却時の混乱をよいことに10年間偽書類でのソ連軍部隊UVR-2 (軍建設作業局) を作り、大佐を名乗り銀行に口座も作った。殺人もからむ戦利品の横流しなどを行った。、戦後キシュニョーフ、オデッサで建設アルテーリに変身。3000万ルーブリを横領したとされる。ブレジネフも随分接待を受けたと言われている。後にばれて銃殺された。
- 黒猫 Черная кошка (Шайка черного кота)
1947年3月6日夕刊モスクワ紙に強盗団「黒猫」の記事が載った。黒猫のいわれはある強盗団が去り際に、「捜索無用。黒猫参上 Не ищите нас, здесь была «черная кошка»」とメモを残したことによる。これはブクヴァーレフ Букваревの一味(後に逮捕された)がふざけて行ったことだが、模倣犯が続出し、40年後半から50年前半にかけてモスクワ市民を恐怖に陥れた。多くはこそ泥の集団である(例えばブーシュキン通りにある家を荒らしたパノーフПановやシュネイデルマンШнейдерманを首領とする若者8人グループには黒猫の入墨があったという)。モスクワの横断地下道入り口に黒い猫を描いた落書きの写真もある。これより有名ではないが、オデッサで1944年に同名のより凶暴な強盗団があり、首魁はマルシシャークМарущакといい18人の部下を率いた。地下通路 катакомбыに逃れたりしたが、結局当局により壊滅に追い込まれた。翌年同じくオデッサにまたもや黒猫と名乗る強盗団が現れ、壁に黒猫を書くなどして市民を恐怖に陥れた。首領はチェルノーフЧерновと言い、結局逮捕された。1946年にも黒猫がオデッサに現れているので、よっぽど賊の間ではポピュラーな名前だったのだろう。黒猫を取り上げた映画と言えば「待ち合わせの場所を変えることはできないМесто встречи изменить нельзя」、ヴィソーツキーВысоцкий(俳優、詩人、歌手)主演、5シリーズ、ビデオ3巻がある。戦後のムールМУР(モスクワ刑事捜査局)の活動をリアルに描いている傑作である。このジェグローフЖеглов捜査主任(ヴィソツキーが演じた)セリフが今でも時々犯罪実録や小説で見かける。
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