2005年06月08日

●ロシア悪人列伝(第10回)

- リョーニカ・パンテレーエフЛёнька Пантелеев(本名レオニード・パンテールキンЛеонид Пантелкин、1902年生まれ)
 レニングラードの強盗。1922年強盗で、牢獄クレストゥイКрестыにつながれるも脱走した。ネップマン中心に襲っていたため、この頃までは当局の息がかかっていたと思われる。そうでなければ簡単に脱走できまい。この捜査に加わった刑事で二人、後に映画の主人公になった名刑事がいる。一人は映画「革命に生まれて、警視は語るРожденные революцией. Комиссары милиции рассказывает.」の主人公コンドラーチエフКондратьев(1898~1957年)でリャボーフРябовとナゴルヌィНагорныйの「刑事捜査局物語」を映画化(1974~77)したものに描かれている。第3部「銃火の中でВ огне」にパンテレーエフの脱走があっさりと描かれているが、仕組まれた茶番劇のようにも見える。もう一人はボドゥノーフ(?~1976)で1930年代半ばゲルマンにより小説化(我が友イワン・ボドゥノーフ Мой друг Иван Бодуновという題名)され、その息子が1950年代に「我が友イワン・ラプシーンМой друг Иван Лапшин」という名で映画化した。パンテレーエフは結局麻薬におぼれ、1923年警官隊と撃ち合い射殺された。死体はさらしものにされ、その写真が残っている。カヴェーリンもパンテレーエフを直接知っていて、「ヤサの最後 Конец хазы」という小説を書いている。シェイニンШейнинという検事上がりの作家が1950年頃「捜査検事の手記Записки следователя」という短編集の中で実際とはまったく異なるパンテレーエフ像を描いている。この作家は犯罪者の更生というのがメインテーマらしく、1937年に犯罪者が大挙して前非を悔いて警察に出頭したなどと書いてある。仮にそうだとしてもそれはスターリン支配下で取締が厳しくなり、ネップとともに市場経済がも終わり、店からは盗むものがなくなったからではないか。まったく今思えば噴飯ものだが、それでも1950年代初め彼の本は極秘扱だった。つまりソ連には刑事犯罪はないという建前になっていたからである。

Posted by ruspie at 2005年06月08日 12:14
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