2005年06月08日

●ロシア悪人列伝(最終回)

 一方名刑事と呼ばれるのはプチーリン Путилин(19世紀後半ペテルブルグの刑事局長)、コシュコー Кошко(20世紀初めのモスクワ刑事局長で遊撃隊летучий отрядを最初に組織したり、ミーシュカ・セミナリストの逮捕で有名)、上述したコンドラーチエフやボドゥノーフ、現代では1990年代に連続殺人犯フィーシェルФишер(大蛇)を逮捕したモスクワ刑事捜査局のツハイЦухай(惜しくも37歳で肝臓ガンのため死去)がいる。
 悪人ばかりではなく、ロシアにも名君回国譚として有名な水戸黄門や名判官である遠山の金さんを気取った人がいるので紹介する。ツィツィアーノフ公 князь Цицианов(1747~1835)は乞食のなりをしてモスクワ市内を見回るのを趣味とした。これはバグダッドのカリフ、ハルン・アル・ラシード Гарун-аль-Рашидの真似をしたのかもしれない。市中の欺瞞や乱暴な振る舞いを見ると、つぎはぎだらけのフロックコートの前をパッと払い、桜吹雪や葵の御紋の入った印篭ならぬ勲章の数々が見えると言う次第。悪さをした奴を自分で懲らしめるか、警察に引き渡したと言う。トレースキンТрескин(1763~1892)はイルクーツクの州知事だったが、彼も平服で市内を歩き(警官が遠巻きについて行ったのは言うまでもない)、厳しく規律の緩みを正したと言う。おかげで犯罪も大いに減ったというが、奥方は大の賄賂好きでこれには頭が上がらなかったようである。
 1990年代中頃のモスクワでは大物ヤクザの暗殺が続き、巷では国が特別な暗殺部隊「白矢部隊 Белая стрела」にやらせているのだという噂が流れたことがある。これはどうも敵対するヤクザ同士が流したデマらしいが、19世紀初めのクシェリョーフ Кушелевという政府高官の庶腹の子で船乗り上がりがアルハンゲリスクで、10人の船乗りと徒党を組み、収賄者(裁判官や役人)に対しムチ打ち50~100回という私的制裁を加えていた。金持ちで、金で警察も押さえていた。船乗りだからか船の形をした家に住んでいたという。

Posted by ruspie at 2005年06月08日 16:01
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