はっさく1号の・・・
あんなことこんなことロシア 第9回
失敗談その1:セルギエフ・パッサードにまつわる苦い思い出
誰にでも一度や二度のとんでもない失敗はつきもので、
特にそれが慣れない異国の土地だったら尚のこと。
私にもそんな、今思い返すと
「あの頃は幼かったなぁ。しみじみ。」
という失敗やハプニングがいくつかある。
あれは5月の半ば頃。
まだロシアにやって来てやっと一ヶ月が過ぎたばかりの頃。
同じ大学寮に住む女の子5人で、モスクワ近郊の古都群
「黄金の輪」のひとつ、セルギエフ・パッサードに行った時の
ことだ。少し前のG.W.にウラジーミル、スズダリへと小旅行に
出かけいい思い出がたくさんできた私たちは
(「はっさく1号スズダリへ行く」参照)
その時とほぼ同じメンバーで、
「次はまた黄金の輪の違う町にも行きたいねぇ」
なんて話をしていて、とある休日早速実行に移すことに。
ただ、その時と違ったのは電車でもバスでもなく、
タクシーで行ったことだった。
勿論最初からタクシーで行く予定はなく、
スズダリへ行ったときと同じ様に列車の駅までまずは行ったのだった。
が、その日はその駅からは列車は出ず、別の駅へ出直さなければ
いけない事が駅に着いて分かって、
「どうする?またメトロで違う駅まで行く?」
「タクシーで行けない距離でもないし、拾ってここから行く?」
と相談していると、駅前で客待ちをしている白タクドライバーの
一人が話し掛けてきた。
「安くするぜ。どこまで行きたいんだ?」
「セルギエフ・パッサード。」
「オッケー。女の子5人なら1台で行けるよ。さあ乗った乗った。」
「いやまだ決めてないから。」
なんてやり取りをして一度は無視して断ったものの
一緒にいるほかの女の子たちはかなりタクシーで
行きたそうな様子で、
「また違う駅まで行って列車で行ったら時間かかるね。」
「タクシーで行かない?」
との意見がグループ内で主流になった。
結局そのドライバーと値段交渉をし、乗ることに。
私はどうもそのドライバーがなんだか気に入らなかったので
乗る瞬間までダダをこねてみたのだけれど、友人たちに
「電車よりお金はかかるけど、私たちは今このお金で
時間を買うのよ」
と諭されて、結局一緒に乗り込んだのだった。
(どうやら単にお金を出すのを嫌がっていると
思われたらしかった。)
そう、今思えば本当に、最初に「この人、嫌だな。」
と感じた自分のその直感を信じるべきだったのだったけれど、
そのときはそれを主張できるまでの確信はなく、
またその根拠も無かったのだった・・・。
さてそうして彼の運転でセルギエフ・パッサードへと向かい、
1時間ほど(だったかな?)で目的地へ着き、
私たちは観光に勤しんだ。
ニコライと名乗ったそのドライバーも同行して一緒に教会を廻り、
写真を撮ってくれたり、はぐれそうになった友人を
「おいおいこっちだぜ!あの子なんて名前なんだ?
ん?○○?おぉ〜い○○!こっちこっち!」
と呼び止めてくれたりと、なかなか一役買ってくれていた。
教会の中では蝋燭を灯し、敬虔に祈りを捧げていた。
私たちの国の信仰についても聞いてきたりと、
なかなか熱心な様子。
そうするうちに私たちの警戒心も薄れて、
「このおっちゃん人相悪めだけどいい人だね。」
「なんか面白いしね。」
と、彼と打ち解けていった。
私も、「なんだか嫌な予感がしたのは思い過ごしだったのかな。
結構いい人みたいなのに、失礼だったかな。」
と考え始めていた。
「でも変だな。いつもこーいう勘、あんまり外れることは
なかったんだけどな。ロシアに来たばっかりで警戒心が
高まってたのかもな・・・。」とは、思ったけれど。
因みにその日はロシア正教の祭日で、ちょうど
アレクシー2世がセルギエフ・パッサードに来ていたので、
偶然私たちも見ることができた。
テレビの取材なんかの報道陣も揃って、なかなかの騒ぎだった
けれどなんだか得した気分になって、一通り教会や景色も見て、
お土産屋さんもぐるぐる巡って、また帰路についたのだった。
帰りの車の中では
「楽しかったね!スズダリも良かったけどこっちもいいよね〜。
モスクワから近いし。」
「おもちゃ工場とか今回は行かなかったし、また来ようかなー。」
なんておしゃべりしながら段々眠くなってきて、
それぞれがうとうとし出していた。
しばらく走るとドライバーのニコライが突然、
「100ドル札をルーブルと替えたいんだけど替えてくれるか?」
と言い出した。
一瞬、「げげっ、予感的中!?」
と思ったものの、私たちは
「は?何言ってんの?だめだめ。」
とあまり真剣に取らずに軽く流し、またうとうとと眠りだしたり
窓からの景色を眺めたり、それぞれが気ままだった。
でも、更にどの位走ったか、もうちょっとでモスクワかな?
という辺りで彼はおもむろに道路わきに車を寄せて停めて、
「お願いだ100ドル札をルーブルに替えてくれ!
弟が病気で今すぐ病院に連れて行きたいんだけど
俺今ドルしか持ってないんだよ!!」
・・・と、言い出すではないか(@_@;)
「両替所で替えればいいじゃないですか。
モスクワに着いたらいっぱいあるし。」
と言っても、
「時間がないんだよ!今すぐにでも行きたいんだ。
両替に行ってる暇なんかない!」
の一点張り。不毛なやり取りが続いた。
『何?そんなに急いでんならなんで私たちとセルギエフ・パッサード
まではるばる行く時間があったわけ?
ていうかなんでロシア人なのにドルしか持ってないの?変!』
と思っても、彼はどうも私たちが「うん」と言うまで車を動かす
気はない様な様子。
断ったら逆に危険な気がしてきた。
「でも私たちもそんなにお金持ってないんだけど・・・。」
「みんなのを合わせてくれたらいいよ。とにかくすぐに必要なんだ。
病院に行きたくて。」
と、しきりに「病院に行きたい」をアピールする彼。
弟が病気なのに私たちとのんびり観光してたんかい!
・・・といった疑問は、なぜかその時は湧き出て来ず、
(疲れて眠くなっていたことと、彼への警戒心がかなり無くなって
いたことが原因かと・・・)
「うぅ〜ん、なんか大変そうだなぁ・・。どうしよう。」
などと思い始め、
「・・・。どうする?」
「めちゃめちゃ怪しいけど、断ったら断ったで危険そうじゃない?」
「うん・・、それに悪い人じゃなかったし、もしかしたら本当に
困ってるのかも知れない。」
と、相談し始めた。
・・・といっても相談していたのは私ともう一人の日本人の女の子だけで、
残りの韓国人の女の子たち3人は、
お金の話が彼から出た瞬間全く我介せず状態になり、
いきなりロシア語が解らなくなったかの様な態度になってしまったのだった。
(この辺、逞しいというか何というか、日本人とは違うものを感じる・・。)
相談するうちに、友人は
「私はこのおっちゃんを信じるよ。」
と一言。
私も、彼女がこんなに信じている彼をそこまで疑うなんて
自分が間違ってるのかもな、という気になったのが半分、
そして断ったら危険な気がしたのが半分、で、
「そうだねぇ・・・じゃあ、持ってるお金を合わせて100ドル分、
替えてあげようか・・・。」
と、言ってしまったのだった。(あぁバカバカ・・・>_<;)
・・・・・・・。
さて。
100ドル分のルーブルを渡し、彼から100ドル札を受け取った
私たちは、モスクワに着きタクシーから降りるとすぐに両替所に
直行した。偽札かどうか、両替所に持っていけばすぐにわかる。
そうでない事を期待していたけれど、渡してからの彼の高揚っぷりを
思い出すと、そして車から私たちが降りた時の
「じゃーな。ありがとよ!」の一言を思い出すと、
「あぁ、やっぱり偽札、かもなぁ・・・。」と思わずにはいられず、
取り敢えず両替所へと直行したのだ。
―――で、勿論その予感は的中で、そのお札は
両替所のお姉さんにいきなり油性マジックで大きく×を描かれ、
つき返されたのだった。
「最低!!あんな嘘ついて!」
「どうせこの駅付近のグループにいるはずなんだから、
捜して抗議しよう!」
と駅前にいるドライバーたちにニコライを知らないかと
尋ねまわったものの当然時すでに遅く、
結局疲れて諦めて私たちは寮に帰った。
「あんな人信じたのが馬鹿だったよねぇ・・。」
「ほんと、なんで替えちゃったんだろう。」
と、すっかり気落ちして部屋に戻って休んでいると、
一緒に行った韓国人の女の子たちが来て、
「さっきはごめんなさい。あなたたちにだけ押し付けて
知らん振りして・・。」
「今相談してきたんだけど、彼に渡した分のお金、
私たちも一部出し合うわ。」
「えっ、いいよそんなの今さら。騙されて出したのは
私たちなんだし。」
「・・・でも、一緒にその場にいたのに何も言わなかった私たちも
同罪だから、出す。これからも友達でいたいし・・・。
これ、集めたから受け取って。お願い。」
・・・と、お金を渡されたのだった。
本当に、今思えば当に典型的な単純明快な騙しの手口で、
公表するのも恥ずかしいこの体験談(苦笑)。
でも、ロシアで暮らし始めたばかりの頃の初めての失敗として、
ひとつの教訓にはしたいと思う。
実際、あのとき私たちは
「100ドルで勉強させて貰ったと思って、
今後の教訓にするしかないか!」
と思うことにして落ち着いたのだった。
まあ、そもそもあのタクシーに乗らなければ良かったんだし、
呆れるほど自分たちは単純で判断力もなかった、と言って
しまえばそれだけのことだけど、それだけ純朴だったあの頃。
それはそれで、今となっては懐かしい気もしてしまうのだった。
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