はっさくさん1号さんは天然果汁たっぷりの元気印100%の女の子。勇気を出してひとりでロシアに飛び込みました。でも想像するのとやってみるのでは大違い・・・。あんなこと、こんなこと、いろんなことがありました。留学生のはっさくさん1号さんが、ロシアで見たこと、聞いたこと、感じたことをつづる体当たりエッセーです。
はっさく1号の・・・
あんなことこんなことロシア 第二回
素敵なおばあちゃんを見た
日本語を教えているローマ君の家に行く途中で、 ある時バス停からちょっと離れた道端に立ち尽くすおばあちゃんが目についた。 なんとなくその人が気になったので、注目しながら歩いてみた。 おばあちゃんはなぜかあさっての方角に身体ごと向いて立ち、 どこか遠くにある何かを見つめている風だった。その表情がとても穏やかで、温かかった。ああ誰か知り合いが向こうにいるんだろうな、と最初は思ったのだけれど そこには別に誰もいなくて、団地と森があるだけ。 でも私はやっぱりおばあちゃんが何を見てそんなに穏やかな表情をしているのかが 気になったので、おばあちゃんの視線の先をよーく見てみた。 おばあちゃんが見つめていたのは、夕日だった。 温かいオレンジ色の大きな夕日が、森の木々の合間を縫って沈んでいくところだった。 そっかー夕日を見てたんだ。わたしも好きなんです綺麗な夕日を見たり、 雪景色に見惚れたりするの。などと思わず話し掛けたくなってしまった。 だって、ここモスクワでこんなに穏やかな優しい表情をして景色を見つめている人なんて 本当に見たことがなかったから。 ロシア人の印象って何?と聞かれると、一瞬返答に困ってしまう。 街を歩いている人たち、地下鉄に乗っている人たち、道端に一日中立って物を売る人々、物乞いをする大人、老人、こども。どの人もどこか思いつめた様子で、 物憂げな空気を漂わせている。冬なんか特に。うつむきかげんに、足早に。 それには気候やら世情やら家庭環境やらいろんな原因があると言われるけれど、 もう根本的にそうなってしまっているんだろうけど、それが必ずしもその人たちの 性格から来ているものだとは思えない。たとえば自分が知りあい仲良くなった何人かの ロシア人を思い浮かべてみても、本当に親切でもてなし好きで、冗談好きな人たちだから。勿論、いろんな人がいるのだけれど。 個人授業で先生とステレオタイプについて話していた時のこと。 私は「ロシア人は暗いです。」と言った。どうしてですか?と訊きたかったのだけれど、 先生が「どうしてロシア人はみんな物憂げに不幸を背負った様に街を歩いていると思う? それはその人たちの性格から来ていると思う? それとも社会事情がそうさせているんだと思う?」と逆に私に訊ねてきた。 少し考えて、「社会事情からだと思います。」と答えた。 人は根本的にはそんなに虚ろな生き物ではない、と自分は思っているから。 生活が苦しいことも、不幸を背負って生きていることも、未来に希望が持てないことも、街行く人びとを見ていれば解る。勿論そういう人ばかりじゃないけれど、 でもこの国の大多数を占めているのは貧しい人たち。 自分の国のそういうマイナス面を極力認めたがらない、或いは出来るだけ良く見せる様 努める性質が、多くのロシア人にはあるのだと彼女は言う。 先生の中にもそういう人は多い。これは、こっちに来てまだ間もない頃に すぐに自分が感じたことだった。でもそんなことはいくらロシア人があまり外国人に 知られたくなくても、しばらくここで暮らせば一目瞭然なのに・・。 田舎の人とモスクワの人との気質の差にも驚かされる。 同じ国民なのにどうしてこうも違うんだろうと思ってしまう。 でも田舎の人だからってみんな親切でいい人ってわけじゃないんだよ、とある時 友達のロシア人に諭されたけれど、それでもやっぱり田舎の人は温かいと感じる。 ちょっと田舎に行っててモスクワに帰って来た時には、速攻で気持ちを切り替える必要がある。まあ、どこの国でもそうなんだろうけれど、ロシアほどそれが激しく顕著な国ってあるんだろうか。 イズマイロフスキー公園のお土産市場でグジェリの陶器を売っているあるお婆さんは 会うとよくいろんな話をしてくれて、 (話し出すと止まらないので困ってしまうのだけれど・・・^^;;) 「モスクワはね、ロシアじゃないんだよ!」としきりに主張する。 「田舎へ行ってごらんなさい!みんな助け合っているから。 例えば誰かの家にじゃがいもがなかったら、何?じゃがいもがないって!?って 言って皆持ってくるのよ。モスクワだってソ連時代はこんなんじゃなかったのよ。 ソ連の方が良かったとは言わないけどね、ただ情けないの。」 ―――――というのがお婆さんの意見。わたしは聞くことしか出来なかった。 そもそもお婆さんにそれを話し出させてしまったのはわたしだったという手前もあって、根気良くずっと聞いた。お婆さんが話し出したきっかけは、 彼女が陶器の警官を見せてくれた時にわたしが言った 「モスクワの警官は好きじゃないんです。だって、おかしいですよ・・・。」の一言だった。 その一言でお婆さんの何かに火が付いて、溜まったものを出すかの様に一気に話し始めたのだった。 その次彼女に会った時には、「あんたを私の姪ッ子に紹介したいんだけど、 いつまでいるの?えっ2月?それしかいないの?短いわよ!もっと居なさい。」と 言ってそれからまたガーっと話し出しそうな勢いだったのだけれど、 お店に別のお客さんたちが来て私の方も友人を案内している最中だったので、 その日はそれでさよならした。おばあさんは今回は「ロシア文学の本を読みなさい! それでロシア人の気質とか国の事情とかが解るから。あんたに本をあげたっていいわ。 また来なさい。持ってくるからねっ!」と叫んでいた。熱い。 私は熱い人は好きなので、彼女のことも勿論好きになった。熱さは生きる力だとすら思う。 おばあさん、いつまでも熱く元気でいてね、と思いながらその場を去った。 素敵なおばあちゃんを見た話から随分飛んだけれど、 今回はおばあちゃんに始まりおばあちゃんに終わることにします。
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